前回の記事で、良いことばかりを引き寄せようと躍起になってもそれは盲点があるので、根っこをしっかりとはった方が長い目で見て良いよ、的なことを書きました。
※前回の記事です↓
それで、根っこをはるってどういうこと?芽が出たらどうするの?というのが全然具体的に書いてないなあと気付きましたので今日はそこのところを書きたいと思います。
ちょっと飛んでる内容に聞こえるかもしれませんが、もしよろしければお付き合い下さい!
・根をはって、芽が出てきたら、どう成長していくか
・根を張る=自分の本質が愛そのものだということを前提において自分を満たしていくこと。
・芽を出し、育てていく=その愛で、人・モノ・コトに縁すること、向き合うこと、取り組むこと。
以上です!
わたしのボキャブラリーが未熟でまだ表現が100%適切でないと思うのですが、ひとことで言うとこれらしかないです。そして本当にこれが全てなんですね。
具体的にはこんな感じです!
①外の評価も誰の反応も期待もかなぐり捨てて自分を徹底的に愛し抜いた先に(自分の汚い感情、ガチガチのエゴにもOKを出せた先に)満たされていって、自分のそのままにOKを出せるようになる。
自分のそのままにOKをだせるようになると、
↓
②自分から出てくる考えや生き方が人とズレていても「大丈夫かな?間違ってないかな?」とブレが少なくなってくる。(=根がドスンと安定。)
自分がブレなくなって根が安定してくると、
↓
③他者に対して愛し受け入れ許せる自分になり、その心で人・モノ・コトに縁すること、向き合うこと、取り組むことができるようになってくる。(=愛を発して、受けて、すくすく成長。子どもとおんなじ!)
その心で人・コト・モノに縁し、向き合い、取り組む生き方ができるようになってくると、
↓
④人生の「いわゆる良しとされること(ラッキーが舞い込む、お金が舞い込む、パートナーシップが良くなる、仕事が順調、など。)」が次々起こる。
(なぜなら、ここまで来た時の「自分」は、「宇宙とおんなじ流れに同調している自分」に自然となれているから。)
そしてわたくし サンタサンタは今、自分は③のステージとしっかり向き合うときだなと感じています!
そしてちなみに、次のステージに行ったら前のステージに戻らないということではなく、③から①に戻ってまた③に戻ってくる頃には違うレベルの③のステージに行っているというような螺旋階段的イメージを持っていただくと良いと思います^^
④は①の段階からずーっと降り注いでいるのですが、自分が自分を愛で生きられるようになっていけばいくほど、それらをキャッチしやしすくなり、その現れも大きくわかりやすくなっていくイメージです。
※ただしその時には、目指してたここのところが「心底うれしいー!!!」って言う風な自分にはなってない。「有難いなあ」としみじみしっとり幸せを感じ、もっと別の深い喜びを知っている自分になれている(ここはまた別記事で書きます!)。
・①〜④の補足。感情について。
「根を張る」というのは、感情がどこまで揺れても、それが自分の本質ではない(自分の本質は愛そのもの)ということを前提に持ちつつ自分を愛し満たしていくことです。
ちなみに、感情が揺れないことや感情を無くすことを目指すのではないのです!
これがスピリチュアルとかでありがちな勘違いではないでしょうか。
感情は大いに揺れていいんです。
めっさ怒っても、めっさ悲しんでもいいんです。それを抑えよう、無くそうとすると間違いが始まります(というか、ムリです!)
そして単純に、せっかく今世に人間として生まれてきたのに勿体無いです。感情を与えられたことにも意味があるので、その意味を見落としてしまいます。そんなつまらない人間にならないでください!
なので、この波のように現れては消える感情が自分の本質では無いということを前提に持つだけでいいということです。そうしてその前提は、根が深く張って行く中で、芽が育って外界と繋がっていく中で確信が深まって来るので、そうするとより腑に落ちてくる(腑に落ちる体験をさせられていく)かと思われます。
愛そのものという感覚が腑に落ちてくると、外側からの評価や状況に自分がブレたり、誰かと価値観の違いでぶつかって対立したりせずに
「わたしは、わたし。」
として自分を尊重して大切に扱うことができる世界になります。
ただ、最初からそうなれたら苦労しないわけで、なので最初はめっさエゴを正当化して満たしまくる、徹底的な自己中から入って自分を満たしていくのもとても大切なわけです。
至る道は人それぞれで、そこはノールールなわけです!
・①〜④の補足パート2。本質が愛、というところが大切な理由。
ただしそこに
「(こんな嫌な感情まみれエゴまみれの自分でも)本質は愛そのもの」という真実が頭の片隅にでも無いと、ぐちゃぐちゃな自分が自分の本質と思ってしまい、芽を出しても外界と縁する時には他人に自分のエゴを押し付けるか、自分と違う考えの他人を徹底的にジャッジすることで自分を正当化させようとするかのゲームにはまってしまいます。
別にそれも当人の人生なので良い悪いはないのですが、どちらも
「自分の方に人を寄せよう(=わかってほしい愛してほしい、賛成・同感票がほしい)」
ということにエネルギーを注ぐので、疲れるし、本質でないところで自分を磨いて動いているので、やっぱりちょっと勿体無いと思うのです。
その上で
「能力が高まる、技術が磨かれる、考え方や視野が広くなる、感性が高まる」
などの成長を重ねても、それは目的ではなく
「(自分の本質である)その愛で、人・モノ・コトに縁すること、向き合うこと、取り組むこと。」
これらをするために高める能力であり、磨く技術であり、広げる考え方や視野であり、高める感性、つまり手段 なのですね。
つまり愛がベースになくてこれらを必死にやっても、疲れるし、疲れるということは永続的ではないし、先に言うところの「勿体無い」になってしまうわけなのです。
なのでそういう自分の「我」ではなくて、愛を本質(前面)に生きようとしてこそ、本当のその人の素晴らしいエネルギーや能力が底上げされやすいし、宇宙の応援も受けやすい(=助けてくれる流れや縁が向こうからやってくる)わけなのですね。
そういうもともとある一番強力な力を生かさないと勿体無くないか?というのが要領よく生きたいサンタサンタの個人的な考えです!
そしてそうすることで、愛が本質ということに気付いてそこベースで生きようとする人が増えることが、世の中がよくなることに何よりもつながるので、ひいては自分を生きる人が増えるのは世界平和に繋がると本気で思っているのです。
(もちろん本人が望むならであり、押し付けようとは思わないですが!)
わたし自身もっと、このみちを進んで行きたいなあと書いてみて改めて思いました。
なんだかここのところ書きたいことがありすぎて、文章に表す整理が頭の中で全然追いついていません。
今日は「愛」って言う言葉も連発して、なんだか照れくさく、ちょっと自分の枠を越えてみる必要があった記事でしたが、それでもお読みいただき、感謝を込めて。
それでは皆さんも、ステキな休日をお過ごしください!^^