昨日から伊豆の我が家に来てくれている母と、朝、ちょっと気まずくなったのです。
というのも、母には家のことをたくさんサポートしてもらって本当に感謝しているのですが、
朝のこの時間、娘が起きてくるまでの間、静かに自分に集中することが唯一まとまってできるこの時間は、
わたしは集中して一気にノートを開いたりブログを書いたりしたいのです。
が、そのわたしにとってはとても大切なこの時間に、
母が、
「ゴミ出し今日は何の日?」
やら
まだ朝の6時だよ!!ゴミ出しは7時過ぎないと出せないよ!!
「パンがそろそろ焼けそうだよ!!朝ごはん食べる?」
やら、
食いしん坊のわたしには焼き立てのパンも確かに捨てがたいけど、それ以上にこの時間が大切なんだよ!!
やたらとちょこちょこと話かけてくる・・・!! わざわざ2階に来てまで・・・!
わたしには、ブログを書いたり、ノートを書いたりする時間がとても必要です。
それは、わたしの内側と深くつながる時間で、
その時間がないと、わたしは大げさでなく、生きてても自分を生きてる感じがしないから。
日常の生活のための何か、
それはたとえば、家事とか、ごはん作ったりとか、ごはん食べたりとか、ゴミ出しとか、
そういうことも生きていくためにもちろんとても大切だけれど、
それらをきちんとやるのはなんのため?
なんのためにごはん作って食べるのか?
なんのためにゴミを出したり家事をしたりして生活環境を整えるのか?
それってひとえに、
わたしがわたしという個を、いきいきと生きていくため
なんですよね。
きっと誰しもみんな、そうだと思う。
なんのためにお金稼ぐのか?
なんのために仕事するのか??
それらは全部手段であって、目的ではなくて。
おそらく、自分の好きなことを仕事にしている人でも、その仕事を選んだ先に、自分がどう生きたい、というのがあるからだと思う。
わたしにとっては、わたしがわたしをいきいきと生きていくためにどうしても必要なのがこのブログを書く時間だったり、ノートを開く時間だったりするのです。
それは、それらを通して
自分の内側としっかりとつながること
ができるから。
それで、その大切な時間を母に邪魔されたー!ムキー!!という愚痴ブログを書きたいのではもちろんなくて
自分にとってそれが大切だということを説明していなかったわたしが悪いので。。。100%良かれと思ってやってくれている母には感謝です!
このことを通して、改めて思い出したんです。
エジプトに行きたくて、けどこわくて申し込めなくて、あっという間に満席になってしまって、
すごく後悔したときのことを。
すごく後悔して、今朝と同じように
「なんのために生きてるんだよ??」
と思ったときのことを。
☆ ☆ ☆
わたしは今回のエジプト行き、
最初の本申込み開始時に勇気が出ず申し込めず、満席になってしまったあと、運良くキャンセル待ちで滑り込めたという経緯があります。
わたしの覚えている範囲では確か、
8/15の朝、告知の記事がアップされて、
同日の夕方(確か)20時に、募集開始されて、
そこから3時間ほどで定員16名の枠が、あっという間に満席になりました。
1人参加費88万円、
募集枠16名、
平日含む1/4~1/11の8日間(移動の時間も含めると10日間)の海外リトリートが!!
「参加する」と決めて、
その日の夜のうちに、申込みボタンをポチッと押した人が16名いたということ。
これって本当にすごいことだなあ、と思ったんです。
わたしは、この少し前にリトリートの主催者さんを知って、
機会があればわたしも海外へ行きたい!と
ノートにも書いていて、写真まで貼っていて(それは最初はバリ島のイメージ、金額も今回の半分のイメージだったのですが笑)
そこまで願っておきながら、いざその「チャンス」が目の前にやってきたこの日、
わたしは与えられた時間内で参加を決めることができなかったので。
そんなわたしにとっては、ストレートに参加を決められた人たちがこの同じ地球に(って大げさかもですが本当に!)、同じ日本人に、世界にいるらしい、ということだけで、
わたしの小さな枠・小さな世界を壊してもらうには十分のビックインパクト(貴重な機会)となりました。
参加申し込みをストレートにできた人たちははたぶん、単純にお金に余裕があるとか、時間に余裕があるとか、
そういう特別な人達だからできることなんだということではないと思ったからです。
たぶん、お金とか時間とかの問題じゃない。
どれだけ自分の人生を、自分自身の内側から感じ取れる想いを大切に、それを行動に表して生きているかどうかじゃないかな?と思い、
そんな人たちと人生の背景を重ねて生きていきたいなあという想いもまた芽生えて、
なのでまだ直接お会いしてはいないけれど、先に申し込みをされた他の参加者さんにもたくさんの学びと気づきをいただいて、とても感謝の気持ちでいっぱいです^^現地で直接お会いできる日が楽しみです!♡
話が戻って、告知記事を見たその日の朝、
わたしは主催者さんに1歳になる赤ちゃん連れがOKかということ、
そして男性(夫のジョーさん)も参加OKか??ということだけはメールで問い合わせをしていました。
その流れで、告知当日の、他にもお問合せ等集中していたお忙しいときであろうにもかかわらず、
娘にかかる費用など何度かやり取りして聞かせていただきました。
しかし、いざ申込みの時間が迫ってくると、
どんどん怖さが増してくる。
で、(脳内で)めっちゃオロオロしているわたしを察するかのように、主催者さんが何度も言ってくれた言葉、
「真穂さん、大丈夫です!
ノープレッシャーですよ〜〜♡
行けても行けなくても大丈夫!
お子さん抱えて迷うのも怖いと思うのも当然ですので!」
・・・そんな温かいエネルギーと言葉掛けに、本当に救われて。
上手く言えないのですが、わたしは今まで自分の人生をより良くしていくために自分なりにたくさんのことをひとつひとつ決めて実現してきたつもりだけれど、
その行動の背景にはどこかで、
自分が至らないからいつでも挑戦して、決めて、行動して、そうして変わっていかなくちゃ!と自分で自分を追い込んでいるようなクセもまだまだ残っていたこと、
自分に対してそうだから、お客さんにもどこかでそういう姿勢を求めていたこと、
それを良しとしていたこと、
そんな自分にも気が付き、はじめて良い意味で今までの自分のあり方を疑うことができました。
そのときのわたしは時間までになんとか気持ちよく「行く!」と決めることができたらなあと思い、その日は本当に何ページもノートを書きました。
でもこのときは、何年もノート書いてきていてこんなのはじめて!ってくらい、どうしても思考と感情が交互にぐるぐるの堂々めぐりノートになってしまい、
自分の中で「決める(決めた!)」というところまで至れず。
そして結局そんな状態のまま募集がスタートして、どんどん残席が減っていくのを何もできずに眺めていて、
結局そのまま満席になってしまい思ったこと、
わたしは「決められなかった」じゃないんだなあ。ということ。
申し込む、申し込まない、どちらも
「決めなかった」のだなあ。と。
自分の意志でどちらも決めることができなくて、ただタイムオーバーになっただけ。
・・・
これまでの人生の中でも、わたしはわたしなりに、
自分が良いと思うこと、自分の心に響くことは、
これまで一度もトライしないということはなかったように思います。
でもこのときにわたしははじめて、
「(怖くて)決めない(申し込む申し込まないのどちらも自分の意志で決められない)」ということを経験しました。
つまりこれっていわゆる「(自分の)限界」ってやつなんだ・・・と。
なんだか満席になったときに、一瞬すごくホッとしたような気がするものの、
翌朝からものすごく、体も心もズーンと重くなったことを感じました。
そして、しきりに浮かんできたのが冒頭のとおり、
「なんのために生きているのか??」
って想いでした。
続きます!