「すみません、ただのオンナに戻ります」。

オンナはみんな、「ただ、オンナであるだけでいい」。“がんばる良い子な生き方”を止めて、自分を大切に生きたい女性を応援中☆

わたしは”気持ち”を、”心”を交換しあえる関係性を大事にしたい。【また一つ、大切なことに気付かせてもらいました】

先日の記事で書いたとおり、

昨日まで絶賛体調不良中でして、

更になんだか、外側の出来事的なことでも、

悲しいなあ、寂しいなあ、と感じる出来事がここ一ヶ月ほどぽつぽつと続き。。。

コレとか。 

santasantasan.hatenablog.com

 

それらが積み重なり、

ついにコミュニティでまで、

「悲しい!」を表明したわたしでしたが、

そのとてつもないカッコ悪さを晒すのと引き換えに、

(そのわたしの醜態に対して、コミュニティのみなさんがまたそれぞれの気づきを共有してくださったことで)

ここ数日、いや数週間のモヤモヤが一気につながり、

「ああ、全部ここにつながっていたんだ!!」

と、

体調の回復とともに、急速にいろいろな霧が晴れてきた気がしています。

 

まだ、言葉には上手く表して説明することが難しいのですが、

確実にいろいろなことが自分の中でつながってきたような。。。

 

そのことで、今思いつく・書ける・書きたいと思うことを書いてみたいと思い

今日もパソコンに向かっています。

 

 

実は引っ越してきてから、

本当に穏やかに楽しい毎日の中に、

たったひとつだけずっと、

モヤモヤすることがありました。

 

それは

【我が家の駐車場】についてです。笑 ←いや、わたしは至って真面目で笑えないんですけどね!

 

我が家、というか正式には父の家なので、

そんな言い方をするのはおこがましい気持ちが強いのですが、

(父のおかげでここに住めているので!)

わかりやすくここでは”我が家”と表現したいと思います。

 

もともとは祖父の、

そして現在は長男である父が継いで、

父に借りるかたちで旦那のジョーさんと住んでいる今の我が家は、

祖母が2011年に亡くなってからわたしたちが住むまではのずっと、

空き家だったんですね。

 

そんな我が家には、

玄関に続くスペースがそのまま駐車場になっていて、

車3台が余裕で止まれる大きな空間があります。

 

そこを、わたしたちが暮らし始める前は、

どうせ誰も住んでいないし、ということで

父はご近所の方に

「空いているときは好きに使ってください^^」

と言っていて、

開放するようなかたちで使ってもらっていました。

 

そうして今夏、わたしたちが住み始めるようになり。

 

しかし、わたしたちは車を持っていません。

てゆうか運転できないんです。。。涙

ジョーさんにおいては免許も取ってない。。。笑

 

なので、駐車場のスペースは今も大きくぽっかりと空いたまま。

 

ある意味、他人から見れば、

「もったいないっちゃもったいない」スペースです。

 

 

話は少し変わって、

わたしたちが越してくる前の段階で、

何度かこの家に、

リフォームの打ち合わせやただの遊びに(笑)

東京から連泊しに来ていた頃、

いつもとても親しげに声をかけてくれるご近所のある一人の方がいました。

 

その方は宗教をやっていて ←なぜか小声のつもり。

でも、別に勧誘さえされなければ関係ないですし、

わたしたちがもうすぐ住み始めるからと、

「若い子たちが来てくれて嬉しい!」とも言っていただいて

そんなに若くないんですが。。。

温かく迎えていただいているのだなあと

素直にとてもありがたく感じていました。

 

その、【気持ち(心)】が嬉しいと思ったからです。

それが【気持ち(心)】なのだと、

モロに素直に、受け取っていました。

 

なので、その方から

「今日は友達が来るのだけど、前の駐車場を借りてもいいかなあ?」

と声をかけられると、

「いいですよー!」

と、普通になんの不快感もなく、

御返事していました。

 

その、出入りをされているお友達が宗教関係の方であろうことも容易に想像できましたが、

別に害があるわけじゃないからいいかな、という気持ちでした。

 

そして、そのあとはたいてい、

「ありがとう〜!」と

お菓子などをおすそ分けいただき、

それを受け取らせていただいていました。

 

それは、当たり前ですがお菓子が嬉しかったのではなく、

ましてお菓子をいただけるから駐車場を貸すのでもなく、

そこに【気持ち(心)】が乗っているからだと

当たり前に信じて疑っていなかったからです。

 

ちょっと、正直、

駐車場がどうの、ではなく、

いつも台所に立っているときなどに

かなり強引に訪ねて自分の用件を行ってこられる姿勢などには

「おぉ…」と若干引き気味な気持ちもあったのですが、

【気持ち(心)】がそこにあると思っていたので、

その違和感に完璧に蓋をして、

自ら自分の感覚にスルーをかけていました。

 

ところが。

 

ある日、またいつものように、突然玄関の前にその方が訪ねて来られて、

「今から15分後に友達が来るから、また車停めさせてもらってもいいかなあ?」

というんです。

 

え?

今から15分後?(ってすぐですやん。)

 

わたしの中に、

これまで【そこに”気持ち(心)”があるのだろうから】という理由で

完璧スルーしていた自分の違和感の蓋がパカっと空き、

ニョキッと顔を出し、

「えーと、15分後ですか。。。」

と即答できずにいたところ、

 

「え?誰か来る?ここ、使う?」

 

と。

 

「いえ、そうではないんですけど…」

と言ったら、

 

「じゃあいいかなあ?」

 

と、あくまで自分の都合を押し付けてくるその姿勢に、

 

【これは、ここには、

心(気持ち)はないな。】

 

と強く思いました。

 

もちろん、空いてる、どうせ使っても減らない、

なんてことないスペースです。

 

だけど、やっぱり、気持ち良くない。

わたしは、この人に、もう貸したくない。

 

本当の気持ちはそうなのに、

 

「そう思う自分は小さいなあ」

「減るものじゃないんだし、いいじゃない」

「これからお世話に逆になることもあるんだし」

「オトナでしょ?」

「相手も急いでいただけじゃない?事情があったんだよ」

 

等々、

わたしの理性くん(悪魔と天使でいったら、ある意味では理性的な、正論を言う天使??^^;)が

わたしに畳み掛けてきて、

わたしにオトナな対応を求めてきます。

 

が、大事にするのはいつも、正論ではなく自分の気持ち。

 

わたしは、もう、嫌なものは嫌。

 

そのことを思うことを自分に許したら、

わたしの念(怨念?)が通じたのか、

その車を停めるはずだったお友達さんへの連絡が間に合わなかったらしく

その日は普通の有料駐車場へ。

 

それでも、

【そのお友達からもらった】というお菓子を持って

「今日は無理言ってごめんなさいねえ〜〜」

とまたやってきた。

 

わたし、今回はやんわりと、でもけっしてお菓子を受け取らず、

(だってそこにもう、【気持ち(心)】が無いってわかったんですもん。)

 

それでもどうしてもお菓子を渡そうと、

かなりしつこいご近所さん。笑

 

最終的に、物腰やわらかくしつつもなんとしても受け取らないわたしに、

「あらそう〜。。。。

しつこくしちゃってごめんねえ〜〜」

と言ったその声色の変化に、

 

【ああこの人、

わたしを手懐けようとしてただけだったんだな】

 

と明確に確信しました。

 

そうしてものすごく、かなしい、と思いました。

 

旦那・ジョーさんに

「かなしいい〜〜〜;□;」

と、

まさにこの顔文字→;□;のように

ハラハラ涙流しながら、泣きつきました。

 

そしてこのとき、その理由も突き詰めず、

さんざんに「ただ悲しい」というだけでさめざめ泣いたあと、

ものすごーく感じたことがあります。

 

これは

「わたし=あなた」の世界と、

「わたし・あなた」の分離の世界との違いなんだな、って。

 

わたしはこのブログで、

自分を大切に生きることを言っていて、

自分でもそれを試行錯誤でやってきましたが、

 

本当に自分を大切に生きている人は、

自分を大切にするように、

自分と縁を持った人を当たり前に、

大切にしようとします。

 

だからこそ、

「誰を大切にするか」の選択(判断)についても

ものすごくシビアにし続けるというのが当たり前にくっついてきますが、

 

ただ、ご縁のスタートはやっぱり、

なんというのかな、

【性善説】からなのです。

 

それは「わたし=あなた」だから。

その人が宗教やってるだどうだの前に、

まず、「本来は人間って良いものだ」

「心(気持ち)があるものだ」

というところから

当たり前にスタートします。

 

そこから、関係性を作ろうとします。

 

わたしの場合は、仕事という枠の中で出逢う人間関係であれば、

特に今はコミュニティという

他の方たちとの関わりも発生してくる場を持っている以上

相手の方の心の状態は冷静に見て判断して、

「厳しい」と思えばあえてわたしからは手を差し伸べない判断をすることも多々ありますが。

しかし、そこで相手が心を開こうとか、まず信じてやってみようと、

あちらから登って来ようとする場合は大歓迎ですよ。

人はいつからでも瞬時に変われますから!

 

そういう例外もありますが、

基本的に最初から、

「人類皆兄弟」じゃないですけど、

「心(気持ち)で関係性を築ける」と

当たり前に思って関係性を育もうと思います。

 

それはベタベタ仲良くするとかじゃなく、

気持ちの問題として。

 

だって、しつこいですが、

「わたし=あなた」

だからです。

 

わたしを大事にする、

そのわたしの世界で関わりを育んでいこうと前提で思ってる方は

大事にするのは当たり前です。という感覚です。

 

だけど、そうじゃない人もいるんだ!!!と

この件でものすごく衝撃だったのです。

 

それはたぶん、

「わたし・あなた」という分離の世界を生きている人たちだと思ったんですよ。

 

・自分が好きだから

・価値観が合うから

・自分にメリット(もしくは利害関係)があるから

・親戚だから

・ご近所だから

・知ってる人の知り合いだから

・お客さんだから

・仕事になりそうだから

 

だから、じゃあ、大切にしてみようかな。

というスタート。

(これもほんとの意味での大切にというのだけでなく、手なずける、仲良く”やっとく”みたいのもあると思います。。。!!)

 

 

 

そういう人たちがいるんだ!!!と衝撃だったのです。

 

てゆうか母にこの話をしたら、

「むしろ世の中そういう人のほうが多いと思うわよ。。。?」

と言われました!!!

 

衝撃でした!!!笑

 

 

めっちゃわかりやすい例で言うと、

よく、団体で飲みに行ったりとかすると、

ふだんわたしには優しい人なのに、

店員さんとか、

一期一会の人に対してだと急に対応が悪くなる人っていません??

(自分が悪い対応を先にされたのなら別ね!そうじゃなく、最初から!!)

 

あれって、なんで?!ってずっと不思議に思ってたんですが、

そういうことだったのかと!!!

 

で、更に気付いた。

 

わたしは周りに良い人ばっかりだー!と思っていましたが、

それ、「わたし=あなた」の世界の人だから

「そう受け取っている」だけだったのかもと。。。

 

いや事実、良い人もたくさんいますが、

「わたし=あなた」の世界を当たり前に生きている人は

ささいなことからでもどんなことからでもとにかく

「受取り上手」

なので、

「わー!いい人だなー!!!」

「ありがたいなー!」

「すごいなー!」

 

と、

なるんです。たぶん。

 

今回はそこに実は気持ち(心)なんてなかった!!ということが

どうにも明らかになってしまいましたが、

今まではその目線の、デフォルメがかなり加わっていたのではと。。。

 

つまり、傍から見たら

「あの人、しあわせな人よねえ(クスッ)」

って感じ…??笑

 

もう、本当に衝撃でした。。。。

 

で、

とても悲しいと思った。

 

当たり前に、

心(気持ち)でやり取りをしていると思いこんで疑っていなかった人が、

そうではなかった、ということが。

 

しかも二回も続いたの!!そういうことが、

やっぱりご近所の方と、駐車場の件で!!!笑 ←いや笑えないってほんとに!!!

 

それで、もう、

悲しさMAXですよ。

 

もーーーーー、やだ!!!と。

 

だけど、

もーーーーー、やだ!!!なんだけど、

 

そこでまともに食らって傷つき悲しくなる自分を、

わたしはそれを変わりたいとは思わなかったんです。

 

悲しいけど、さみしいけど、でも、

 

最初から人はそういうもんだと、

決めつけてあっさりして、

自分もこころを開かない、

相手の出方を伺う、牽制する、

 

そうやって傷つかないように人と距離を取る、

 

そういう生き方をわたしはしたくないと思ったんです。

 

 

なんというのかな、

繊細過ぎる自分を恥じる気持ちが出てきながらも、でも、

 

すごく自分はまっとうだ。と思ったんです。

 

オンナとして、すごくまっとうだ。と。

 

それでいい。

これでいい。と。

 

その上で、

わたしはやっぱり

「気持ち(心)を交換し合える関係性を大切にしたい」

とわたしの生きる世界をそのように望んでいきたいと思いました。

そんな甘い世界、綺麗事な生き方、無理だよ!という人がいても、

ただわたしはそう望むことを自分に否定したくないんです。

 

なのでちなみに、その最初の話のご近所のおばさんは、

散々悲しんだあと、

 

「このババア、もう要らない。」

 

と心の中で容赦なく排除しましたよ。

もちろんご近所であることに変わりはなくそこはどうしようもできませんが、

この人にわたしはもう自分の気持ち(心)をかけない、という

その意味での排除・切り捨てです。

 

 

「だってわたしは、

気持ち(心)を交換し合える関係性を大切にしたいから。」

 

 

そう決めて、

そこからそのさき、じゃあ具体的にまだ、どうしたらいいのか?

またこういうことがあったら、

いやむしろなるべくないようにするにはどうしたらいいのか?

 

なんていうところまでは正直まだ見えていないのですが、

決めたから、勝手に示される道も、

勝手にわかっていくことも、あると思います。

 

そして悲しいと思うことも、

「気持ち(心)を交換したかった」と思うからこその悲しみなら、

それはけっして悪いことじゃない。

 

そうして悲しんで、

また人の気持ち(心)に温めてもらえばいいのだと思います^^

 

まだまとまってませんが、今日はこんな感じ!

書いてスッキリしました、

読んでくださった方、ありがとうございました♪