「良い人」「周り(他人)に合わせる」を捨てると書いた昨日の記事のあと、
そのことを具体的に見直せる機会をいただきました。
それは、お金に困っているので、安くして欲しいというお願いでした。
ザックリ書かせていただくと、それは、1年ほど前に1度だけカウンセリングをしたことのあるお客さんからのメールでした。
再度カウンセリングをお願いしたい、
ただし自分は今お金に困っているから、少し値段を下げてもらえたら嬉しい、
という内容でした。
ちなみにこのメールをもらって、
嫌だなーとか図々しいなあとかは思いませんでした。
今、カウンセリングをきちんと公募してやっていないので
(※今のところ私の最大ミッションは
「ただのオンナを生きること」と捉えているからです)、
少しなら値段も下げてもいいかな〜って思ったので、
◯◯円でなら対応できますよ、とお返事して、
最終的にお受けすることになりました^^
大切にするのは「相手の状況(想い)」ではなく「自分の状況(想い)」。
ちなみに本当につい最近までの私、つまり
自分を生きてない私、
良い人でいなくちゃと思っていた私、
周りに合わせていた私、
自信がないから必要としてくれるヒトが欲しかった私
のままであったら、
どういう行動を取ったであろうか?と考えてみました。
そうしたらきっと、今回と同じように、
値段を下げて、相手が納得してくださったならば、
お受けしていたと思います。
なので、取ったであろう行動は、きっと今回とおんなじです。
でもきっと、そこに至るまでが全然違いました。
きっと少し前の私なら、
「(相手が)困っていて大変なら、安く“してあげなくちゃ”」
「◯◯円くらいだったら、(相手にとって)大丈夫かな」
って、相手にとってOKであろうぎりぎりラインを
どうあるべきか(どういうのが良しとされる対応か)という視点から
散々頭の中で考えをこねくりまわした挙句、
「◯◯円なら大丈夫ですよ^^♡」
と言いながらも、心の中では
↓
「図々しいなあ、私はこんなに日々空気を読んで生きてるのに。。。」
と不満を持って
(↑でもそれは「でも私なんてまだまだだし。。。」っていう変な謙虚さで見ないフリをするという。)、
最終的にその不満を自分の中に持ったことを、相手のせいにしていたと思います。
最悪ですねこの人。(※かつての私です)
でも「こんな最悪な私」も、
悪気はなくて、一所懸命、相手のためになろうとしてた。
自分を好きになろうとしてた。自信、持とうとしてた。
ただ、全部、そこに「自分」がなかったという。
本当に大切なのは、相手がどうか?じゃなくて、
自分がどうか?だったんですね。
全てのことは、世界は「自分」からしか始まらない。
自分を満たせて初めて相手を満たせる自分、感謝できる自分になれる。
「自分」を脇に置かないで、最初から
「自分は値下げしてもOKなのか?」
「良いなら、いくらまでの額だったらちゃんとやりたいって思えるラインなのか?」
っていう自分をまんなかに置いてそこから考えていたら、
その上で「これでどうですか?」ってお客さんに提示してみて、
ダメならそれはそれでご期待にそえなくてごめんなさいで、仕方がない。
(仕方がないとさえ、以前は思えなかったですけど。これはまた別記事にかきますね)
でももしOKだったら、
「私のワガママ(=我がまま)に応えてくれてありがとうございます♡
それならもう、私でよければ全力でやらせていただきます!」
って爽やかに感謝して、
そこで初めて、ちゃんとプロでやる自分に切り替えられるんです。
だから、
感謝も相手の喜びも、全て「自分」からしか始まらないんです。
そう思ったらなんか改めて、
本当につい最近までの自分のことなのですが、
ちゃんちゃらおかしいことしてたと思いました。
そのことに気づかせてくれたのはこの方なので、
とても感謝です*^^*
全ての人間関係で、この自分でいること。それが私にとっての「私を生きること」。
これは、仕事のことだけじゃなくて、
夫婦関係でも、家族関係でさえも基本は同じなんだな、と思うんです。
お仕事だったらまだ割り切れるかもしれないのですが、
夫婦や家族という、大切なヒトであればあるほど、
難しくもあるな、と私はまだ感じている次第です。
でもそれが、私が生きたい私であって、
ただのオンナである私が唯一、
自分とともに大切な人たちをも幸せにしていくことのできるやり方なのかもしれません。
あ、そしてこのことでもう一つ、
揺さぶられた情けない自分(気持ち)が出てきたので、
それもしっかり、また別の記事で書きたいなあと思っています^^
いつもお読みいただき本当に有難うございます。
こんなただのオンナの私ですが、これからもどうぞ宜しくお願い致します!
心からの感謝を込めて*^^*