JUST WOMEN

「ただ、ありのままのわたし」を生きて、人生が180度変わった軌跡と奇跡を綴ります☆(旧ブログ名:ただのオンナに戻ります)

「きょうだい児」というくくりだった昔。でもいま、幸せです。〜長期フォローアップ研究参加にあたり、振り返って今思うこと。

きょうだい児とは:
病気または障がいを抱えたきょうだいがいる子どものこと。


つい先日のブログで過去の自分のことを書かせていただいて、人生の中で色々上手くいかないと感じる出来事があった根本には「自分が幸せになってはいけない」という想いがあったと書きました。

で、その発想の根本がこの「きょうだい児」という経験があったと思われます。私の姉が小児がんの経験とそのことで左手に障がいが今も残ってるので、わたしはそれに対するきょうだい児ということになります。

 

完治から20年以上、きょうだいでフォローアップ研修に参加することになりました

姉は完治してもう20年以上ですが、当時は聖路加国際病院で治療をしてました。

それで今年から聖路加で始まった「小児がんを経験した人とそのきょうだい児の長期フォローアップ研究」に二人で参加することになったのですね。(ブログへの掲載は先方に許可いただいています^^)

 

これは、昔は治らなかった小児がんが現代では治るようになってきて、今度は逆に、その小児がん経験者の若者が成人後に、がんを経験したことで早期に病気になりやすかったりなど影響が出ることはないか?というのを、人間ドック等を通じて調査していきたいというのが目的の一つだそうです。


そしてもう一つの目的は、そのきょうだいにも精神的な負担が残っているか調べることで、今後は小児がんの当事者だけでなく、そのきょうだいにも早めのフォローをしていきたいとの想いだそうで、研究は今年から始まったのだそうです。

 

なので私は、姉にもしなんらか身体的な欠陥が早く見つかった場合にそれが遺伝的なものでないか?という裏付けの対象となる役割と(なので私も人間ドックを先日受けてきました!)、

きょうだい児としてカウンセリングや知能テストを受けることになりました。

それが明日なので、数日前からずーっと、なんか緊張しています^^;

 

「きょうだい児」というくくりであった過去を振り返ってみました。

姉の病気は、私が3歳くらいの時のことですが、「きょうだい児」という言葉はその10年後くらいに知りました。

 

重い病気や障がいを持った子のきょうだいは、(病気の)当事者の子にばかり周りの気持ちがいってしまうことで、

「お母さんも(病気の)きょうだいもがんばってるんだから、良い子にしてなきゃダメよ」等の何気ない言葉を親戚や周りの大人達から言われるなどの経験を通して、

健康な自分がいけない存在なような気がしたりとか、

さみしいと言えないとか、

つらくても大丈夫なふりをしてしまうとか、

 

そしてそれは数年経ってからも、

親の気を引きたくて優等生でいないといけないとか、

逆にグレまくったりとか、

上手く自分のさみしさを出せないまま大人になる、みたいなことのようです。

 

その抑圧みたいなもの?が強く出てしまうと発達障がいになったり、あとは、子どもを病気にしてしまって自分を責めて精神的に不安定になる親のすぐそばにいることで、

母親と親子逆転のような立場になってしまい、アダルトチルドレンと言われるものになったり。

 

そういう傾向があるということを、姉の病気の完治からずいぶん年数が経ってから知りました。

そして知ったときは、

「あ、私全部当てはまる…」と思いました^^;

 

そしてその時は、どこか救われたような気がしたんですね。

それはなぜかというと、

 

「自分が自分をおかしいと思っていた部分は、そうなって仕方がないことだったんだなあ」と思えたからです。

 

が、しかし。

 

ざっくり割愛しますが、この「きょうだい児というくくりがあることを知ってしまったこと」が逆にあるときから、

「親と姉のせいでこうなった」という恨みに代わり、私の場合はガマンしていたものを全部ぶちまけ荒れまくるというサンタ家の暗黒時代が始まります。

(これがわたしが高校生くらいのとき)

 

親も「きょうだい児(の精神的負担みたいなもの)」をへたに知ってしまったがために、母親としての自分が至らなかったせいだと思ってしまい、

私の暴挙をただただ受け入れてくれる日々が続きました。お母さんごめんなさい…

 

唯一、姉だけが「まーちゃんはおかしい!」と本音ストレートにぶつかってくれまして、

特に姉とはもう当時は殺し合いになるんじゃないかくらいの壮絶なバトルの日々でしたね。。。(遠い目)

 

それらを色濃く経験してわかったのは、誰も責めれないし、責めても誰も救われないどころか私が救われないわということです。

 

親だって姉のことだって、本当は大好きだということにも気づいていきました。

 

でも、自分の中のくすぶっているマイナス感情は上手く昇華することが長年できず、

なのでもう仕方がないとどこかでフタをしながら生きてきて、

でもフタの奥でマイナス感情がくすぶってるままだから、

実際の現実でもネガティブなことにばかり遭遇するようになり、

最終的にココロのことを学ぶに至って、自分を生きると決めて、実践して、

そこから今に至る感じです。

 

今は両親はもちろん姉とはすごく仲が良いですし(甥っ子も生まれましたが健康そのものです)、

わたし自身も自分を大切に生きることで両親とも姉とも対等の関係になれて過去のことで家族を責めたり、自分の人生の中で上手くいかないことが起きたときに「きょうだい児」ということのせいにする癖が今や一切なくなり、

 

さらに現在のパートナーは姉の長年の友達なので、過去のことなども全部わかってくれていて、ボロボロだったかつてがウソのように有り難く生きやすい現実が展開され続けている状況です^^

 

人間関係として解決していることと、自分の中に残っている傷は別の話。でも、だからといってマイナスとは捉えていないという、強がりとも違う微妙な塩梅を伝えたい。

ただ、というのがあります。

 

話が戻りましてこのフォローアップ、最初はのんきに「無償といえど聖路加の人間ドック受けられるなんてラッキーだねえ」と姉と話していたくらいなのですが、きょうだい児のみ向けの大量のアンケートに回答していったときに、自分の「今」をカウンセリングの時に上手く伝えられるかな?と大いに不安になってきました。

 

「今」というのは、上記のような今の心もちについてと、もう少し具体的に書くなら、

 

・親にも姉にも、恨んでる気持ちはないし、感謝のが今は大きい。

・私の方がオトナだなあと思うくらい、お母さんもおねえちゃんもすぐメソメソするから慰めることは今も多いけど、それは「親(姉)にはかなわない(私を産んでここまで育ててくれた偉大な人たち)」という尊敬があるからこそ、一時的に上に立てる。

 

でも、

 

・たとえばまだどこかに「幸せになってはいけない」という気持ちがあるのは、過去と関連していると思うか?(というアンケート項目を見ると)→関係大いにしていると思います(ずいぶんなくなりましたが。)

 

・結婚、出産に対して不安などはあるか?→あります!!

 

・それは「きょうだい児としての経験」が関連していると思うか?→大いに思います!

(子どもができたら病気になるんじゃないか?何かトラブルが起こるんじゃないか?と思ってしまいますもん)

 

↑…と、アンケートに対してこんな感じが正直なところで、

私、「わけもなく不安になることがある」などの感情の傾向まで含めて「当てはまる(もしくは大いに当てはまる)」ばっかりになってしまい。。。

(やっていてどんどん落ち込んでいくという。。。)

 

ただ、それは事実としてそうなんだ、ということだけなんです。

 

私にとっては「あって当たり前」の話なんです。

それはもともとの性格的気質的なものから来るのかもしれないし、

(別にきょうだいが病気になった経験関係ないかもだし)

 

そしてそもそも過去に傷ついたことは確かにあったわけで、それは仕方ないというか。

 

それが苦しさに繋がることはあるけれど、「だからマイナスではない」感じなんですよね。

 

たぶんきょうだい児に関わらず、何かハンデな生まれや育ちだったと自分が感じるなら。そこに生まれた意味を発見するのが一生の仕事ではないか。そしてそれが一番、普通と思えるレールに乗るより面白い(のではないか)。

 

それがあって家族とか自分と向き合ってきたからこそ、いろんな発見や喜びがあって、全部今の私につながってるんです。

 

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人はマイナスのことばっかり覚えていがちだけど、姉とこんな時も、事実たくさんあったはずなのだ♪

 

 

だから今は、意味があって私はそういう星の下に生まれたんではないかと勝手に仮説をたて、それを発見するのが私の人生のチャレンジであり面白みだなと思っています。

 

ちなみに私は今の30代まで、姉が病気になって障がいが残ってきょうだい児になってからの夢が「普通になること」でした。

 

今思えば普通ってなんだよ?って話なのですが、自分の立場も、自分のココロの中も

普通になりたいと思って、それを目指してきました。

だからたぶん周りの人の中で、生まれや育ちで悩みを抱えることになった人に対しても「可哀想だな」という気持ちがどこかにあったから(自分に対してそう思ってるから他人に対してもそうですよね)カウンセリングとかして、普通に戻してあげるお手伝いがしてあげたいと思っていたのだと思います。

 

でも、本当はそうじゃないんですよね。

 

自分を直視して、それを諦める(というか明らめる、って感じです。明らかにして、ああそうか。と感じたというか)ことをちゃんとやったら、

傷のない人なんてまずどこにもいなくて、だから皆でガマンしようでもなくて、いろいろ人生ある上で、その上で今とこれからの未来、どこまでおもしろくできるのか!?という方向に向かっていきたいと。

 

未来のきょうだい児に参考になるのか全くわかりませんが、明日はそんな今の自分の想いを伝えてこれて、これからも続くフォローアップの中で、もし私のこれから生きる道がそのようになっていって、誰かの希望になったらなと、ささやかですが思っています^^


なんだか記事を書くまでまとまらずモヤモヤしていた想いが、書くことで明確になって、明日への不安が和らぎました。

もしこのフォローアップに参加していなかったら、ここまで「きょうだい児」っていう原点のことを振り返る機会はなかったと思います。

聖路加は姉もですが私も入院していたことがあり、弟が生まれた場所であり、旦那さんと私が初めて出逢った場所でもあるので、ご縁が深い場所ですが改めて感謝感謝です。

 

明日はきっとたぶん、思い出して泣いたりすることもあると思うけれど、でも、今日見えたことを少しでも伝えられたらいいなと思います!

今日もお読みいただき感謝を込めて^^

明日は良い週末をお過ごしください!