先日は伊豆に帰省して、しばしゆったりして戻ってきました^^
旦那さんの家族もそうですが、今では父とも、母とも、とても良い関係を築けているなあと改めて再認識し、心がホッとじんわりと優しい気持ちに…。
今では過去のしがらみや葛藤が嘘みたいに、
この両親のもとに生まれてこれて本当に幸せ、と思っています。
でも、ほんの数年前までは、
「自分はどうして生まれてきてしまったんだろう?」とずーっとつらかったし、
結婚のことをはじめ、両親の期待に応えなくちゃと、勝手にプレッシャーと生きづらさばかり感じていたわたしでした。
親の期待に応えなくちゃ、
親に良い子と思われるようにならなくちゃ、と
ずっとそう思って自分の人生を生きていなかった。
親に認めてもらえそうな、期待されそうな、
喜ばれそうな生き方をいつも頭の片隅で考えていて、
それが自分の人生の選択基準だったと思います。
それがわたしの30年近くの女性としての生き方の「当たり前」だったのですが、今思うのは
「親の期待に応えず(裏切るようにして)まずは自分を生きることって、
最大の親孝行だし、先祖孝行になるんだ。」
と。
でも、
どこかで逆のイメージを持っていて、
そのことで親の期待を裏切るなんてもってのほか!と
自分自身の幸せに踏み込めない方もいらっしゃるのではないでしょうか?
たとえば
「自分を生きようとすると、親の望む自分を壊すことになる」
「親の期待を裏切ることになる」
「親不孝になってしまう。。。」
みたいな。。。。><
親を取るか?自分を取るか?みたいになっていて、
そうして優しい方であればあるほど、
自分の望みや幸せよりも、親の期待や望みをいつも選んでしまう。
そうしてどんどん、自分の声を、望みを、失ってしまう。
そんな方も少なくないのではないでしょうか。
でも、わたしが自分の経験を通してお伝えしたいのは、
それは真逆なんですよ!ということです。
これはかつてのわたしに限ったことではないと思うのですが、
性のこと、パートナーシップ観、社会との関わり方(仕事のこと)、お金のことなど…
そういう価値観全て、自分でも気づかないくらい事細かに母親の影響(考え方・生き方・価値観)をわたしたちは受けています。
たとえば、女性らしさを楽しむことに罪悪感がある母親に育てられると
女性らしいおしゃれを楽しむことに抵抗を感じてしまうとか。
逆に母親が専業主婦でイヤだった(もしくは本人が楽しそうでなかった)りすると、
「女性でも社会に出て、男性と対等に働くべきよ」なんて小さい頃から言われて、
仕事ばかりで恋愛下手になってしまったりとか…。
しかし本当は、
そういう母からの「こうあるべき=こう育ってほしい」という期待を
ぶっ壊していくというのが、
わたしたち娘側の本当の仕事(親孝行)なのだ、ということを伝えたいんです。
なぜならこれはわたし自身も通ってきた道なのですが、
①そのぶっ壊しを地道にやって「自分の望むとおりに生きる」と、
↓
②「自分の好きなように生きられる」ようになってくる
※わたしは、本当は興味があった好きな洋服やメイクなどにお金をかけることなどから恐る恐る(笑)やってみました。
↓
③「自分の好きなように生きる」と、どんどんパワーが湧いて、イキイキしてくる。
(自分で選んでやっていることで、イヤイヤでやってることじゃないから。)
↓
④イキイキしてくると、心に余裕が生まれて、周囲にも感謝や優しさが湧いてくる。
↓
⑤自分が周囲に優しさや感謝が湧くと、周りも優しくなったり、助けてくれたりしてくれることが増える。
↓
⑥自分の明るい気持ち×周りの助けによって、ますます自分が輝き、人生が好転していく
↓
⑦気づいたら、自分のため「だけ」にやっていたことの積み重ねにより、親の期待に応える生き方も同時に応えるようになっている
santasantasan.hatenablog.com
※2018年夏、追記:この後、第一子を妊娠して、わたしももちろん嬉しいですが、ますます両親は喜んでくれています◎
↓
⑧自分もしあわせなので、両親をどこかで責める気持ちがどんどん無くなってくる
↓
⑨両親も(わたしがイキイキ生きつつ自分たちのことも安心させてくれているので)、わたしの意見を信頼して尊重してくれるようになる
↓
⑩家族円満、みんなHAPPYになる♡
…という感じです!!
(すべて、わたしの実体験です!それぞれ参考になりそうな記事を貼り付けてみましたのでよろしければ見てみてください^^)
しかもものすごいことに、この生き方をしていると、
だんだんと親と信頼関係が増すことによって、
「親と子」というよりも、「同じ女性同士」という対等な関係が母親と築けるようになっていって、
そのことで、母親自身もものすごーく良い方に変化していくんです!!
結果、親もイキイキしてくるので、そのことでわたしも、
自分の好きに生きることへの罪悪感がまったく無くなっていくという。
なんせ、母親のお腹の中で、
母親の何がしかの一部を分け与えられて
10ヶ月近く生きていたわたしたちですから。
こうしてこの世に誕生して、別々の人間として生きているようであったとしても、
深く深く繋がっている、ということなのですよね。
それはたとえ、自分の心のなかでは許せない存在であったり、
この親でなければ…と思うような相手であったとしても。
なら、
どうせ同じ深く繋がっているのなら、
おたがいに辛く生きるよりも、お互いの期待を背負い合うよりも、
お互いに自立してイキイキと生きて楽しそうなほうが
ずっとずっと親孝行じゃないですか。^^☆
親に、何かをしてほしかった(もしくは、してほしくなかった)、
という想いを心のなかにくすぶったまま、
持ち続けている人も少なく無いと思うのですが、それを抱えながらもその
「親にしてほしかったことを、
自分が自分にしてあげるんだ」
という気概で「自分を生きる」に真剣になってみる。
あの頃、受け止めてほしかった想いを自分自身が受け止める!!
そこから展開する未来というのは、
「親の期待に応える」
「親の想定内の人生を歩んで裏切らない」
を選択し続けている人生においては
ゼッタイに得られない素敵な展開だと思うんですね。
わたしの場合は「自分を生きる」と決めたら当初こういったこともあって
↓
※下記記事の中盤くらいに、当時の母親の状況や心の葛藤を書いています
やっぱりそのときの親の気持ちに応えようとすると
自分のことよりも今は、母に何かしてあげなきゃ、と思っていました。
わたしの目に映る、「その時の母」も、
それを望んでいるように思いました。
でも、記事のとおり、「自分を大切に生きる」と決めたわたしはなるべく、
そこに踏み込まないことを選択し続けました。
電話で何度も泣いている母の話は聞くけれど、
そのとき一緒に泣くこともあったけど、
でも電話を切ったら気持ちを切り替える。
心配をすることで、わたしが旦那さんの前で笑わなかったり、暗い顔をしない。
母が遠くでこんなに大変なのに、いいのかな?と思っても、
楽しめるときは大いに楽しむ。笑いたい時は大声で笑う。
それを、抑えない。
わたしはわたしの、やるべきこと(やりたいこと)をする。
母の苦しさを、わたしの苦しさにしない。
母の人生に寄り添うことを、
自分の人生を生きる逃げ口にしない。
母に与えられている経験というギフトを(たとえそれがつらいものであったとしても)、
わたしの勝手な想いで受け取るジャマをしない。
この時期、いろんな家族間での誤解もあったりしました。
冷たいんじゃない??と父親に叱責されたこともありました。
でも、
後に母が、
「あなたがそうしてくれて本当に良かった。
この介護は、お祖父ちゃんは、わたしに大切なことを教えてくれているんだね。
あなたの想いがわかったよ」
そう言ってくれた翌日に、本当に急に、祖父は静かに天国に旅立ちました。
命をかけて娘(=わたしの母)にメッセージを送り続けていた祖父なりの
「やっと気づいたか!オッケー!!!ではもう行くよ!!」
という合図だったのだろうなあ〜と思います^^
そんな母はというと、今、「自分を生きる」っていうことにめっちゃ夢中になっています。
昔はあんなに「こうあるべき」を求めて、わたしに親として期待をかけていた母が今では
「(自分を生きる、を進む)あなたがいるからお母さん助かるわ〜〜
お母さんもがんばる。」
というようになりました^^
母は母で、もうとっくに亡くなった自分の母親(祖母)からの呪縛(として自分が勝手に受け取ってしまったもの)を今、
「自分を生きる」ことで手放そうとしているのだな、と思います◎
人はいくつになっても変われる。
※うちの母なんかはもう60過ぎですが、それでも日々変化してイキイキしてきているのを感じます!笑
そして自分が変われば、勝手に人生は変わる。
そして娘が変われば、母も変わる。
そしてそれは、最大の親孝行&先祖孝行^^
たくさんの人が、そのことを知って
自分の人生に、幸せに、貪欲に突き進んでいけますよう、願っています!!
****
親子関係の捉え方や、自分を生きることで変化してきたわたしの家族関係については、下記のような記事も掲載しています☆
↓
◎最低最悪だった姉との姉妹関係が180度変わった話
↓
人生は本当に平等でしか無い。と、今はわかって、本当に良かったと思う。 - 「すみません、ただのオンナに戻ります」。
💫2021年12月
公式ブログ、オープンしました💞