「すみません、ただのオンナに戻ります」。

オンナはみんな、「ただ、オンナであるだけでいい」。“がんばる良い子な生き方”を止めて、自分を大切に生きたい女性を応援中☆

カッコいい大人になるぞ。〜自分を大切に生きる、自分らしく生きる15〜16日目。

こんばんは!

今日、伊豆の祖父の葬式から帰ってきました!しかし、葬式帰りらしからぬ、とても元気なサンタサンタです!(皆さん優しいお言葉がけ有難うございました*^^*)

父母にも帰宅してすぐに

「一昨日家を出るときは悲しさMAXだったけれど、今こうして帰ってきたら、お祖父ちゃんが大事な機会を与えてくれて、大事なことを伝えてくれた気がして今はとても前を見れています」

とメールすることができました。まんま、今の気持ちです。

 

今回のことをブログに書く時に少し、どこまでをどのように書くか、見えない誰かを(珍しく)気にするわたしがいました。

というのも、たとえここがわたしの個人的なブログであって、わたしの日々の気付きを勝手に書き綴るものだと公言していても、身近な人の死は周りに余計な気遣いを与えてしまったり、感情的な身内話に映るだけかなあと思ったのです。根が真面目なサンタサンタとしては、変に変なところを気にするのです。

それで今も若干その気持ちがあるので、ここのところの記事の更新はちょっと勇気を要して書いています。

それでも今回、ストレートに臆せずいろいろとそのままの想いを書き綴ろうと思ったのはひとえに、わたしのものの考え方や、

「周りに流されずに自分を生きる」

ということへの強いこだわりの根底には、

「自分がこの祖父の命を引き継いでいる(だから、本当にこの命を大切に生きたい)」

という想いがとても大きくあるからです。

他人様からは本当にどうでも良い話だと思うのですが、うちのお祖父ちゃん、まじですごい人なんです。わたしはただのオンナですが、わたしのお祖父ちゃんはかなりただものじゃあなく、わたしからしたら人生の天才って感じの人であり、祖父を越えてそのように思える人は、わたしにとってはまだいません。

ある角度から見れば、ものすごい才能とものすごい努力とで、地位も名誉もお金も温かい家庭も全部手に入れてきた人でして、

でもある角度から見れば、真面目一筋でやってきたのになんでってくらい、歴史や不可避の出来事に翻弄されてその全ても失ってきた人でもありまして、

さらに別の角度から見れば、そこからいつも這い上がって、マジで荒波でしかない波乱万丈人生を、それでも自分らしく全て、超絶楽しもうとしてそのように生きた人でもある、みたいな…。そしてそういうことを、自分からは絶対に言わない人でございました。

なのでわたしにとって祖父の死は

「小さいころ可愛がってくれたやさしいお祖父ちゃんが死んじゃって孫として悲しい」

というよりも、

「厳しい時代の中で、本当に素晴らしく自分を生き抜いた、もっとも尊敬する人が亡くなってしまった」

という感じなのです。

わたし、会社員でいた頃、言い換えると自分がそれなりに「◯◯歳の一般人の人生の標準レール上を歩いていけてると自分で思えていた頃」ってですね、

夢(想い)が叶わなかったらどうしよう?

とか、

努力がちゃんと実るか?

とか、

不幸な出来事を避けるためにはどうしたらいいか?

とか、はたまた

人から賞賛されるかどうか?とか評価されるかどうか?とか、

人と比べて自分のレベル(生活レベルや収入レベルや貯蓄レベルやらのもろもろのレベル)はどのあたりを維持できてるのか?とか、

そういうことをすごく気にして生きていたと思います。

そして恥ずかしながら今だって、それらを気にしてないわけじゃありません。

(特に不幸…のあたりはまだ恐怖があり、今回はそれを強く自覚し昇華に向かうスタートでもありました。そのあたりはまた書きたいと思うのですが)

でも祖父のことを思い出すと、祖父の歴史を思うと、

マジどうでも良いことにわたしはどんだけこの命を消耗して生きてんねん!!

と、関西人でも無いのに関西弁が出てきてしまうくらい、強く自分にツッコミを入れたい。

どれだけ周り(しかもそれが誰かよくわからない不特定多数の”周り”と言われるモノ)の目を気にしてるの?

どれだけ現実を自分に都合よくコントロールしようとするのに必死になってるの自分?と…。

別にそれが悪いことなのではなくて、そして他人に対してどうこう思うことはなく、ただ今回改めて、命を全うしきった祖父を目の前にして、それはやっぱりすごく、自分としてはカッコ悪いなあって思ったのです。

別に地位も名誉も立場もお金も、お祖父ちゃんみたいに得ることは出来なくても、

ただのオンナ→ただのおばさん→ただのおばあちゃん 

っていう進化系にしかなれなくても、それは全然かっこ悪くないけど、

条件付きでないと今を100%幸せと認められてない(どこかで勝手にそう思い込んでいる)自分が今もしっかりいて、そこを逃げずに見つめた上で生きていこうとしないことには、たとえ何者にかなれたとしたって中身スカスカな上滑りな聞こえの良いだけの「自分らしく生きる」にしかならないなと思ったのです。

で、それはお祖父ちゃんには恥ずかしいなって、思ったのです。

だから今日から出来る限り一日一日を、お祖父ちゃんに胸を張れるように生きていきたい。その努力はしていきたいし、そのための協力者だって、お祖父ちゃんが命を繋いでくれたたくさんの人として、わたしに残してくれてることも、体感させてもらえる機会を得ることができました。

でも残された当人(わたし)が、それに気づかないと、そして気づいて進もうとしないと、なんにも意味がないですもんね。

いつもオシャレだったお祖父ちゃん、今日は100万以上する着物を着せられて旅立ちました。

本当は、子どもたち全員を大学卒業させてやっと一息ついた直後に、自分の非の全くない何千万もの借金を肩代わりして完済させた祖父宅は、現物(着物とか宝石とか)以外の現金はスッカラカン。でも両親はじめ、おじさんおばさんたちでお金を出し合って介護を続けて、お祖父ちゃんが家族のために贈ってくれたものを一つもお金に変えようとせず、お祖父ちゃんが一番気に入ってたからという理由だけで高級着物も燃やしちゃって、これまたわたしにとってはめっちゃカッコいい大人たちです。

わたしもカッコいい大人になりたい。もう大人だけど!でも、まだ全然大人じゃないので。。。

一つの命を失ったはずの場所でものすごく、自分の「生」の指針をたくさん見出すことの出来る機会を得ることができたことに感謝。

今日は(今日も?)勢いだけで更新してしまいましたが、明日からまたどうぞよろしくお願いします。とってもとっても個人的で身内的な話にお目を通してくださった方に、心からの感謝を込めて^^