ひとつかふたつ前の記事でも触れたことですが、
わたしは「赤ちゃんを授かりたいな」ってここ半年間思っていて、
ブログやコミュニティでもそれを時々書いていたのだけれど、
その頃のわたしの本音は、今振り返ると、
「赤ちゃん授かりたい(妊娠・出産したい)」じゃなくて、
「(人生を)スムーズに行かせたい→だから、妊娠・出産したい」
ってことでした。
スムーズってアンタ、
一体誰の何と比較してだよ?
何をもってスムーズって言えるんだよ??
といろいろツッコミどころ満載だと思うのですが、自分でもそう思います…
それでも、とにかくわたしはたぶん、姉や仲のよい友だちと比較したときに自分の人生や生き方がかつてとってもスムーズじゃなかったことにコンプレックスを抱いていて、
だから、あの子やその子のようにスムーズに行ってほしいな、って思っていて、
そのための手段として、妊娠・出産の経験を早くほしかった。
すごく醜い、全世界の女性にドン引きされそうな考え方だけれど、
少なくともそのとき明らかになったわたしの気持ちはそんなものだったのでした。
でも、その一見本音と見えるようなそのさらに奥のほんとうの願いは、
「他人や社会から見て、スムーズに人生を生きることができない、
そんな不器用なわたしをわたし自身に認めてほしい」
…これでした。
周りと比較して落ち込んだり焦ったりするよりも、
もう自分はそうなんだって、
認めてラクになってしまいたい。
「そんな自分でも、それが事実わたしなんだ」って受け入れたい。
誰よりも自分自身が自分にそう思いたい。
これがほんとの願いでした。
なので、そうすることにしました。
それを受けとめたとき、たまたま、
妊娠しているらしいことがわかったけれど、
わたしが一番ほしいもの=スムーズにいかない自分を自分として受け入れて行きていくこと がもう手に入ったので、
その現実が起きたことはもうオマケでしかなくて、
なので、「このまま上手くいくこと(=このまま育って無事に出産できること)」は
あまり重要じゃないように感じました。
もちろん、できるなら正常妊娠していてほしいし、
このまま無事に育っていってほしいし、
それが叶わなかったときの悲しみと喪失感はほんとうに大きいものなんだろうけれど、
もう、
【上手く行かせなくてはいけない理由】はもう無いのだと思いました。
あとは、赤ちゃん自身の運命や、見えないものの何かが決めることで、
そこにわたしは何もできないというか。
「お母さんの体調への配慮や気持ちが大事」とは言いますが、
もちろんそんなの大前提で、持とうと思わなくても当たり前にもう持ってしまうもの。
今日も気持ち悪くて午前中まるまる横になっていまして、なんなら今も寝間着のままですよ…
特にわたしは田舎に越してきて、
起きたい時間に起きて、
新鮮な野菜や食べ物を食べて、
ストレスほぼなくて、
自然に溢れた中を適度に散歩して、
足湯につかって、
今日みたいに気分の優れない日は、旦那さんが家で仕事してるので洗濯とかも甘えたりして、
これだけ良い環境とリラックスしたメンタル状態の中で、それでも(肉体として)出逢うことのできない命なら、
もうこれはどうしようもない。
と、
それは、開き直りではなく、愛情が無いのでもなく、
逆に不安や心配一切ゼロ!な強い人間なわけでもなく、
スムーズに行かない、を、わたしなりに受け入れたとき、自分なりに、
この運命(=命・人生)をまるごと受け入れる、と決めたことでもあったから。
昨日の散歩道、桜と、なぜかめっちゃ決めポーズのジョーさん❤笑
運命っていうと、どんだけ大げさ!そんな大した人生じゃないだろう!って自分でも思うんだけど、
そんなドラマみたいなそれのことではなく、単純に
自分の人生(命の単位)の中で起きる出来事のひとつひとつを受け入れていく、ということ。
生きていると、良いも悪いも、避けたいことにも、思いがけず遭遇することがまれにあるけれど、
そのどれも、背中を向けずに受け入れて生きていこう(というか、そうして生きていくしかない)と、今の自分なりに決めたのです。
ただし、それは、有り難いことに、
それらをとことん忌み嫌って、泣いたり喚いたりしながら受け入れていくこともできるし(=気持ちの中で肯定できることが受け入れるということなわけじゃないよ、ということ)、
そして、「こういうことは、そうはいってもわたしは嫌だ」と、
ハッキリ自分の中で好みを明確に持っていてもいい。
そしていつも書いているとおり、自分でそうさせている(=そういうことを実は嫌と言いながらもそうなる現実のほうが都合が良い)何かは無いかな?と探して、
それを丁寧に取り除いていくこともできる。
でも、それらの上で、基本的には、
コントロールしようとせずに、受け入れて生きていくということ。
「スムーズに行かないを受け入れる」をしたときに、
わたしはそのあたりも受け入れようと、32歳のこわっぱなりに決めたのです。
決めても、また何度も揺らぐだろうけれど、
そのたびにまた自分を見つめてここに戻ってきたらいーじゃん。
なんと、ただそれだけのこと。
そしたら、すごく心が軽くなって、どこまでも自由になった気がしたのです。
そしてもう、この気持ちさえ持っていれば、
どうあってもしあわせでしかない。
この先、問題、一切なし!
ハイ、めでたしめでたし!以上!
…と、思ったのでした。
いつも見慣れた光景が、ふと、すごく可愛いな〜❤と感じて思わずパシャリ^^
赤ちゃん授かったからしあわせ!HAPPY!問題解決!じゃなくて、
スムーズに行かない自分を受け入れる覚悟ができたからしあわせ!HAPPY!で、
そしたらたまたま、赤ちゃん授かったっぽいぞ、という、
”今”はそういう時(そういう流れが来た)なだけ。
明日や、一週間後や、半年後、どうなってるかなんてわからない。
同じように、このブログを書き始めたときも、
ニートで、結婚も決めてもらえなくて、貯金崩しながら生活して、
築60年越えの窓にはヒビが入って隙間風吹きまくりのボロボロの団地に暮らして、
そんな、人が羨むようなものは何一つ持って無くてそんな状態で、
きっともしかしたらわたし以外の誰もが
「そんなのでしあわせってあり得ないでしょ」
とか、
「オマエそれまずなんとかしろよ!
(仕事見つけるとか、引っ越すとか、彼氏に結婚もっとちゃんと考えてもらえるようもっと努力するとかしろよ。)」
とか、
そんなふうにわたし以外の誰もが突っ込むかもしれないような状態のところから、
ただ自分を自分が受け入れるということをやっていったから、
心が、しあわせ!HAPPY!問題解決!
ってなった。
「他人から見るわたしはなんにも変わらないまま」に。
そうしてそれは、
しあわせに”なるため”にやってたんじゃなくて、
それでしあわせを”感じる”からやってたのです。
もう、その時点ですでにしあわせ!
わたしの人生問題なし!
以上!
ってなって、
結果としてたまたま、
大好きな人と結婚しできたり、より心地よいと思える生活ができるようになったり、
お金にそんなに困らなくなった、
そういう流れが来ただけ。
結果が出たから、
ひとさまから見て目に見えて”それならしあわせだ”と思われる何かを手に入れるからしあわせになるんじゃなくて、
勝手にひとりでしあわせになって、自分を知って、
そしたら自分にぴったりのものがたまたま流れてきて、
でもそれもこの先の未来どうなるかわからない。
わからないまま、「今」、また、勝手にしあわせになったらいいじゃないか?と。
その、流れてきたものをまた有難く喜びに加えつつ。
「今」、何も無いと思えるから、
そんな中で簡単にお手軽にしあわせ感じてしまったら”損する”なんて思って、
しあわせに条件や他人の評価をくっつけてわざわざ枠を設ける必要もなく、
そしてオマケで何かを得たとしても、
それが失われるかもしれないから、ならしあわせ感じないようにしよう、と牽制する必要もなく。
もっと簡単で、お手軽でいいじゃないか?と。
そうして結果、それ”だけ”で人生終わったとしても(=自分が勝手に「今」感じてるしあわせだけで終わったとしても)
つまり結果として、外側の何か、ひとさまが評価する何かが後からついてこなくても、
それでもいいじゃないですか。
「自分が自分を受け入れたという今」が少なくともあるのだから、と◎
なんてシンプル。
と、しかしわたしもこうして、
ブログを書き始めた頃に一度しっかりと、
感覚で掴んだこと(意識してしっかりとわかってはいなかったけど)を、
また見失って、
迷って苦しくなったわけなんです。
(=オマケででた結果ばかりを重視して、「スムーズに行かせたい」と悩み苦しんだってことです)
だから、すっごく、なんとゆうか、
脆いな、
弱いなーーって思います。
自分に。
でも、それも決めつけない。
一度見失っても、二度目は見失わないかもしれない。
見失っても、もっと立ち戻りが早いかもしれない。
で、何度見失って転んでも、
またそのときに思い出してまたゼロからやっていけばいい、と。
そういう意味で、コミュニティのメンバーさんや、講座の参加者さんには
「一緒にがんばっていきましょうね!」
なんです。
わたしも迷うし、わたしもこわいし、わたしもすぐ見失う。
だから、一緒にがんばっていきましょうね、って思うんです。
ブログでこうして今回の出来事から感じることを綴っているのも、
実はとても幸福感があるのだけれど、
それはやっぱり「妊娠したから(そういう事実があるから)」ではなく、
そうじゃなくて、
「今、実際どうなってるのか、これからどうなるのかわからなくても、
そのわからないままで、
今の自分の感じること・想いそのものを、
大切にしたい・放ちたい」という自分の願いを、
他ならないわたし自身が汲み取ってかたちにしてこの人生を生きている
=こわさもありながらもこうして綴っている
…からこそ、
感じられる幸福感なのだと思います。
全ては自分で完結できるし、決められる◎
命の存在がわたしに再度思い出させてくれた大切なこと
どうか大事に抱えて生きていきたいと思います◎