昨日木曜日は毎週週一で通っている娘の通院の日でした!
いつもどおり、家族3人で新幹線で静岡まで。
静岡のこども病院への通院はこれで3回目(3週目)ですが、昨日はたまたま、駅から少し離れたところに商業ビルを発見し、これまたたまたま、そこにわたしが好きなブランドがものすごく充実していて!
ちょうど病院も早めに終わったので、ベビーカー片手にお店をプラプラと見て回り、ほんのわずかな時間でしたが娘にはGAP BABYでお洋服とスタイを、自分用にはSHIPSで春物のワンピースとパンツをゲット!
伊東は本当に良いところなのですが、いかんせん好きな洋服を買えるところが無いんですよね。
出産前はそれでも、月イチくらいで夫婦で横浜や東京に出てショッピングを楽しんでいたので問題なかったのですが、産後はさすがにしばらくはネットショップ以外のお買い物は難しいだろうなあと諦めていて。(しかし、わたしは身長が低いので、洋服のネットでの買い物はサイズ感確認する上でちと微妙なのです。。。)
が、まさかの娘の病院通いというかたちで産後2ヶ月も経たないうちに、家族でのショッピングが叶いました〜◎
(しかも好きなブランドばっかりという奇跡…♡)
かなりおっきな施設で、まだまだ全然見きれてないのでまたちょこちょこ覗いて見ようと思います♪
きっと、ベビー服(グッズ)扱ってるお店も探せばまだまだあるはず♪
なんせ病院には春先まで必ず毎週行かなくてはいけないので、、、焦らずじっくり制覇していこう。笑
病院に通うたのしみができました♡
そして帰りは静岡駅の新幹線の待合スペースのスタバへ。
伊東には無いんですよね、スタバ。。。
なので、娘、お初ー!スタバデビュー!いえーい!!と、スーツ姿のサラリーマンまみれの待合スペースではしゃいで撮影してみたものの
スタバのマーク、反対側で写っておらず。笑
(そしてお猿さんのような顔の娘…笑)
帰る頃にはすっかり真っ暗で、出産前しょっちゅうお世話になってた伊東の美味しい洋食屋さんでお夕食へ^^
ずっと気にかけてくれていた店主ご夫婦に娘を見せることもできてよかったです☆(すごい可愛がってくださり嬉しかった〜*^^*ごはん、相変わらず美味しかった…♡)
そんな感じでベビーカーにショップバック(戦利品。笑)をぶら下げて娘を抱えて大満足して帰ってきて、夜、眠る前にふと、
「娘はわたしに
”もっと自由に、ただ“自分”で在っていいんだよ”
と言ってくれているんだなあ」
と思いました。
今は病院通いの他にも、ベビーカーでお散歩ついでにちょっと足を伸ばして海にお散歩に行ったり、地元の人たちに会いに行ったり(娘を見せに行ったり)、そして仕事もしているんですけど。。。
もし娘の病気のことがなかったら、はじめての子ということもあって、きっとわたしはもっともっといろんなことに慎重に、そして神経質になっていて、こんなに早く遠出をしたり、行きたい買い物にでかけたり、会いたい人に会いに行ったりしなかったと思うんですね。
それは「まだこんなに小さいし、こんなに寒いんだから」という「子供のために」という気持ちで、かもしれないけれど、それとともに、「母親とはこうあるべき」というのにもっともっと縛られていたんじゃないかなあ、と思うのです。
「まだ産後1ヶ月ちょっとで仕事をするべきじゃない(子供がかわいそうだ)」とか、
「こんなに寒いのに(こんなに小さいのに)外に出歩くべきじゃない。もっと家にこもっているべきだ」とか。
「母親になったのだから、自分のしたいことはもう少し大きくなるまで我慢すべき。」とか。
別段、「外に出ていかなくてはいけない出来事(我が家で言うならば娘の病気で遠くの病院に通院しなくてはいけなくなった)」とかがなければ、そんなふうに、「他人や世間からどう見られるか」を気にして、なんとなーくこうなんじゃないかな、と思う「母親のあるべき姿」に縛られて、そこからはみ出ないように…としていた気がします。
同じように病院に通う、となったって、もしかしたら、
こんなに小さな我が子が先天性の病気と診断されたんだから、両足がギブスぐるぐる巻きなんだから、
そんな状況でお買い物も楽しもう〜〜♡なんてとんでもない!(=だって、病気なんだから。病院に通ってるんだから。暗い顔して落ち込んで不安に思っているのが当たり前だ)って思って、そのように、暗い顔して下向いて生きてたかもしれないです。
同じように買い物してたって、娘のものは買えても(見れても)、自分のものはなんか、買っちゃいけないような気分になったりね。
「1ヶ月しか経ってない小さな我が子が病気と診断されたなら、病院で治療をするなら”フツー”、”母親として”、落ちこみ、悲しみ、不安に思い、暗い顔をして下向いて生きるべきだ(=それが娘に対して愛情があるっていうことだ)」
と。こうして文字にしてみると明らかに変だって思うんですけどね。笑
これ↑だと、自分の在り方を他人目線のよくわからない「こうあるべき」で決めちゃっているんですよね。
でもやっぱり、わたしは、不安もあるし大変なこともあるけど、娘が病気でも、楽しく笑って進んで行きたいなあと。
だから、病気や通院ということそれ自体は変えられなくても、楽しさ、喜び、笑顔になれること、それらを感じられるほうをその中で選んでいこう、と思い、今に至ります。
そうすると、たとえば今週からは通院する日の朝に自宅で娘のギブスをはずして沐浴させてから病院に行かなくてはいけなくて。
そのためにはあっつい蒸しタオルを数枚作って、それができたらそれぞれの足にぐるぐる巻いて、ビニールに包んでそこから30分位蒸らしてからやっと、ギブスを外す作業に取りかかれるんですけども、そうすると娘、こんな感じになりまして
↓
これ見て「ロボットみたい〜〜」とジョーさんと大爆笑。笑
ビニール、「ドラッグストア ウェルシア」とか書いてあるし。笑
そしてこのあとが大変で!
ぐるぐる巻きになってる両足のギブスが蒸しタオルの蒸気でふやけてくるので、それを逆回しにしてひたすら外していくんですが、このとき、石膏のカケラが飛び散る飛び散る!!
ワイドダブルサイズもある我が家のベットの上で(浴室とかでやると寒いから)でっかいシートを敷いてやったのに、それでもなお、床に飛び散る石膏たち…!!笑
わたしとジョーさん、手も服も次第に「芸術家さんですか?(彫刻系?)」って突っ込みたくなるくらい全身石膏まみれの真っ白になっちゃって、
でも新幹線の時間は刻一刻と迫るからとにかく必死でどんどんギブスを取りまくる取りまくる、(そして娘もぐずって次第に泣き出す^^;)
なんか思い出しながら書いてるとめっちゃ笑えてくるんですが(笑)、でもやっぱり、大変は大変だよなあと。笑
でも、それを面白がってゲームみたいに「今回ここ失敗したから、次はこここういう工夫して臨もう!!」みたいにスポーツのチームプレイヤー(パートナー)さながらのりにのりまくって取り組むか、それとも、
娘の泣いてる姿に「この子は不憫だ…」とか「わたしたちばっかりどうして…」って思ってやるか、
それは選べるじゃないですか。
わたしはやっぱり、やってたらもちろん大変なんだけど、でも気持ちは明らかに前者のほうになってるな、って思ったんですよね。
「病気の乳児を抱えてる母親なら、愛してるなら、こう思うに決まってる。」っていう何か「決めつけの型」みたいのを通じて自分を見なければ。
だから、娘の病気で時間や肉体的な制約はもちろん確実にあるのだけれど、でも不思議なことに、
娘が病気って診断されてからのほうがずっと、わたし自身は自由を感じて過ごせている気がします。
不自由さや縛られてる感や制約を感じないのですね。
それはやっぱり、自分が自由であることを決めたからなのだと思います。
そしてそれはやっぱり、娘が病気と診断されることがなければ、そんなわたしになっていなかったと思うのです。
もっと、「わたしの思う、母親としてあるべき姿・理想像」に自分で自分を勝手に縛って過ごしていただろうなあと。。。
だから、娘が、状況関係なく自由でいられるわたしになれる機会を与えてくれたんだと思いました。
そして娘は娘で、「病気を被った」のではなく、なんらか自分の魂の成長のために、この経験を選んで生まれてきたんだろうな、と思っています◎
きっとそれはもしかしたら、今は(なんのためにその経験を自ら選んだのか)忘れてしまっているかもしれないし、4歳まで続く治療の中で、それを忘れて自我が芽生えたときに、その自分が置かれた状況に戸惑ったり、幸せを左右されてしまうことももしかしたらあるかもしれない。
けどそのときは、それを思い出す手伝いができる母親でありたい。
「被った立場」とみなして同情するのではなくて、どんなときも愛されているし、その愛を受け取ったのだと自ら気づける手助けがしたい。
それは、母親であるわたし自身がまず、そのように在ることだな、と思っています^^
まだしばらくは続く治療の過程において、これからもたくさんの目に見えない愛に気づいて、それらを受け取って生きていける自分たち家族でありたいと思います♪
さて、今日の夜は新規のプログラムお申込者さんとの初回レッスンです!わたしにとっては、お客さんにも娘と同じ気持ちです。どんなとぎちゃんと愛されてるんだって自分で気づいてもらえるよう、、、がんばるぞー^^