「すみません、ただのオンナに戻ります」。

オンナはみんな、「ただ、オンナであるだけでいい」。“がんばる良い子な生き方”を止めて、自分を大切に生きたい女性を応援中☆

いのち短し(我に)恋せよオトメ♡自分を愛して恋して、そうしてはじめて自分を取り巻く世界も優しくなる♡

今日はクリスマス(イブ)!ということで、「サンタサンタさんの日ですね^^」とはてなブロガーさんに温かいお声をかけていただいて初めてハッと我に返りました。(そうだったー!)

この「サンタサンタさん」はわたしの本名ではもちろんなく、ちょっとした想いを込めて名前をつけました。でも、その想いがブログを始めた当初と今とで、少し変化しつつあります^^

・周りに愛を与えられる人になりたい。でもその前に、大切なこと。

サンタさんって子どもたちが望むものを何であっても与えてくれる、「与える人」の代名詞みたいな人(人?)ですよね。
なので最初の頃は、「旦那さんはじめ関わるたくさんの人に、その人が望むものを、望むかたちで与えることのできる女性になりたい」という想いを込めてこの名をつけました。でも今思うのは、「周りに何かを与えられる女性というのは自分に対してそれができて初めて、他者にもそのよう在ることができる」のだということです。

・「隣人を愛しなさい」との教えはあるけれど、「自分を愛し尽くしなさい」とは教わらなかった

前回の記事で「たとえ世界を敵にまわしても、自分の味方でい続ける」と書いたばかりですが、この「自分の味方でい続ける」というのは「どんな自分であっても愛し続ける」ということと同義だと思っています。

ちなみにわたしは特に何々教などにも属さず普通の一般家庭で育ちましたが、小さい頃から学校でも地域でも、周りの人を大切にしなさい、隣人を愛しなさい、与えなさい、わかち合いなさい系の言葉はいろいろなところで聞いた気がしますし、それはどこまでも奨励され、賞賛された気がします。しかし自分を愛することをどこまでも奨励する風潮って、よもやほとんど感じたことがありません。

たとえば学校でいじめにあったり、仕事や育児で追いつめられたりして初めて「自分を一番大切にしていいんだよ」という言葉を投げかけてもらうことが許される雰囲気を勝手にどこかに感じていて。
それなら日常から自分を一番愛し、一番優先させる言葉や行動を自分で取ればいい。日常から自分をたくさん喜ばせて、快を感じて、楽しんで、その喜びを誰にも気兼ねなく100%表現すればいい。それを絶賛、みんなで奨励すればいいんじゃない??

…なはずなんですけど、そんなことをしようものなら何かバッシングでも受けるのではないか??という感覚をこれまた勝手に持ち、周りを確認しながらその場の空気で許される範囲はどこなのかを、いつも無意識に探っていたりした気がします。

・そんな自分に対してとことん向き合ってみた日々。

で、それがとてもイヤだと思った。心底、イヤだと思った時があった。
こんなに自由な時代に生まれて、色々ありはしつつもこんなに安全な国に生まれて、手を伸ばせばいろいろなモノに触れることのできる、経験することのできる機会に恵まれてなぜ、よくわからない誰かの目を気にして自分を抑えて生きてるの?
たった一度の人生なんだから、わたしはもっと全力で喜びたいし、全力で楽しみたい。自分をめいっぱい恋して愛してこの地球で人間で生まれてきたことを、日本人で生まれてきたことを、オンナで生まれてきたことを、全身で悦びたい。だって「いのち短し」ですよ!!!他人の前に、自分を愛して恋して生きれず何が人生であろうか!!
もうこんな人の目を気にして生きる自分はイヤなんだーー!!!
と無意識に噴火目前の頃に出逢ったのが、今の旦那さんでした。

・旦那さんへのカルチャーショック。自分を100%そのまま愛せたら、他人にも自然に与えられる人になる。

彼は真面目に人の目などを気にしない人で、常識がどうとか価値観がどうとか、他者に対してのそういうのがほんとに無いに等しく、誰でもホームレスさんでも仲良くなれる。合言葉は「飲めば友だち」。そして人に与えようとせずとも自然と与えることができる人。そうして勝手に人に好かれる人。まさにサンタ。

それで観察してみて考えてみました。
彼がなぜ人をジャッジせず、人の目を気にせず、でも人に対して愛されるのか?
それでわかったこととその衝撃ったら。

以下。
①100%「自分は自分。」で生きていて、自分に対して一切「こうあるべき」を作らないからこそ、人に対しても「こうあるべき」を一切求めない。=人をジャッジしない。

②自分を自分が100%認めているからこそ、(自分に不足感がないので)人に与えラ得れる。ついでに、人の批判や否定を気に留めない。

③そのブレない感じに彼に惹かれてくれる人が集まってくれる。

(考察の結論)
→世界を敵に回すとしても、とことん自身を100%愛するからこそ(なんか表現は気持ち悪いですね)、与える余裕が生まれ、ブレない在り方になり、そしてぐるーっと一周まわって(彼の周りの)世界に愛されている。

ガーン!!!@0@

てな衝撃。
「与えることの大切さ」をココロの学びを何か勘違いし、一所懸命与えようとしてた(=そうすることで誰かに愛されようとして、誰かに愛されることで、自分にOKを出す理由を求めてた)わたしにとっては、目からウロコの人でした。
そうしてわたしの中の常識が以下のようにひっくり返ったのです。

以下。

「世界を敵に回すことになったとしても、とことん自分を愛して恋せよ。悦び楽しめよ。それを目一杯表現して思い切り生きよ。そうしたら、ぐるっとまわってその在り方が、人の役に立つ(こともあるかもしれない)。」←てゆうか最終的にならなかったとしても良いくらいの肚くくり!だって誰のための人生??


と言っても、まだまだ発展途上なんですけどね。だからブログを書くことで、自分にいつも問いかけているんだと思います。
でも少なくとも、そう在りたいとは思っている、本当の自分にも人にも望むものを与えることのできる人になりたいと思ってはいる、本物のサンタになりたいと望む、サンタサンタなのです。 

 ・今日も無理やりなまとめへGO!!

というわけで、今日も勢いでまとめに入ります!

・ 今日の記事は、昨日の「世界を的に回したとしても、そうしたら世界が的に回ることはないよ」というとこの補足で書きました。

・それに便乗して、サンタサンタさんの名前の由来と想いを語ってみました。

・サンタさん=与える人。でも周りに何かを与えられる人というのは、自分に対してそれができて初めて、他者にもそのよう在ることができるんですよ。

・なぜそうかって?旦那さんの例。
 →世界を敵に回すとしても、とことん自身を100%愛するからこそ与える余裕が生まれ、ブレない在り方になり、そしてぐるーっとまわって(自分の周りの)世界に愛されている。

・ちなみに与える違い。悪い例(わたしの例)。
 →一所懸命与えることで誰かに愛されようとして、誰かに愛されることで、自分にOKを出す理由を求めてた。これは苦しくなるよ!

・そうしてかわったわたしの常識。
 →「世界を敵に回すことになったとしても、とことん自分を愛して恋せよ!悦び楽しめよ!!それを目一杯表現して思い切り生きよ!!さすればぐるっとまわってその在り方が、人の役に立つ(こともあるかもしれない)。」

・役に立たなかったらどうしたらいいですか?
 →それでも良いくらいの肚くくり!だって誰のための人生??

 ・そんな生き方を、一緒にいいなって言ってくれる人が増えたらいいな。(←個人的な希望)

以上、今日もお読みいただき感謝を込めて!素敵なクリスマス・イブをお過ごしください!!^^