JUST WOMEN

「ただ、ありのままのわたし」を生きて、人生が180度変わった軌跡と奇跡を綴ります☆(旧ブログ名:ただのオンナに戻ります)

自分の生きる道は頭の計算の外に、衝動の先に。〜自分を生きる40日目パートⅡ

※2/25午後、本文を一部修正しました^^

 

※ここから本文↓

さっきまで、この映画見てました!

 
キューバ革命を成し遂げて、伝説と呼ばれてるカリスマ、チェ・ゲバラ
その道に至る大きな通過点となった
医学生時代のバイクでの南米旅行記を元にして作られた映画です。

先週はチェ・ゲバラのドキュメンタリー映画を二本立て続けに見て。

キューバ革命までのものと、ボリビアで射殺されるまでのものと。)

そうして遡ってこの映画を見ました。


感想は上手くまとめられないですけど、ただ今日、改めて思ったのは

自分を生きるというのはどういうことなのか?とかその道のありようっていうのは

それを目的として探すものではなくて、

自分の中の衝動を目をそらさず、それに沿って生きるなかで、

自分の中から答えが示されていくものなんだと。


見出すことを目的として探してるうちは見つからないし、

自分の衝動に目をそらしていても見つからない。

 
上手く言葉に表現しきれるかわからないけれど
すごく思うのは、

今すでにある生き方や仕事の中に、自分の可能性の全てを当てはめて
その中に上手く収まろうとすることを全てと考えている人が少なく無いということ。

むしろそこに上手く収まろうとするがゆえに、
自分の衝動や自分の全てを見つめ続ける勇気
(全てっていうのはどんなに醜い自分も。だってそこを越えなかったら本当の自分の素晴らしさだって出てこないから)
を持つことに、ストップをかけてフタをしてしまっている人が少なくないということ。

それはすなわち、人生においての手段と目的が逆になってしまっているんですよね。


たとえば自分はこれができてこれができなくて、こういう経験をしてきている。
たとえばたとえば、心のことに悩んだからカウンセラーだ、とか
会社員で仕事ができない自分=だったらブロガーだ、とか。

そう思いついて、まずやってみるのは絶対に絶対に素晴らしいことで、
でも同時に“自分”も癒やすというか育てていくというか嘘なく見つめていかないと、
自分の心のことがクリアーしきっていないのに良い自分を演じなきゃいけなくなったり、
ブロガーが目的になって、アクセスアップしなくちゃ、とかで自分を見失ってしまったり。

前者はわたしも、はてなに来る前にやっていたブログでここにどっぷりハマったし、
どっぷりハマっている人達もたくさん見ました。
でもそれはやっぱり苦しくなるんですよね。
苦しいウソの自分でやっているからお客さんが来ない(アクセスが上がらない)、
そうすると余計に苦しくなって、
その苦しさは本当は自分に嘘をついてるからなんだけど、
そこを見ようとしないで気づかないで
「客がこないから(アクセスが上がらないから)」という枝葉の方にしてしまって
より仮面を分厚くするための集客や見せ方の技法とか、
アクセスアップの勉強とかに走ってしまう。
で、ますます望む人生の結果は得られなくて。
それは当然で、だって手段が目的になってしまっている、
自分を置いてけぼりにしたハリボテなんですもん。

だから多少「急がば回れ」でも、
アクセスアップとかお金を稼ぐとかいうことをいったん脇に置いておいて
自分に嘘なく生きること、
そういう自分から出てくる衝動で生きてそれを表すことを優先することから、
自ずから然るで自分を活かせる道が見えてくるんだと思います。

たとえ病気出身だったって、障害出身だったって、
その事自体が「あってよかった」って思える未来が必ず描けてくる道が。


チェ・ゲバラから話が逸れにそれてしまった!!!


チェ・ゲバラは、革命だなんだなんて考えていない頃に
(だって喘息の発作もちですからね、フツウに頭でだったら考えられない)
ただ
「旅に出たい」
という理由だけで
(そこに「貧困にあえぐ人たちの現場を見たい」
とかの立派そうな理由付けなども一切なく、衝動のまま)旅に出て、

そこで出逢う人や出来事を通して、
自分の心をより突き動かす様々なピースを
自分の中に感じ取っていくんです。
そしてその衝動に応えるかのように、
その衝動や気づきを深める縁や出来事が増えていく。


最期のシーンで、旅を共にした友人のアルベルト(だったけ?名前忘れた!すごい人なのにこの人も!!)に
「大学を卒業したら一緒に(自分が働くことになった病院で)働かないか?」

と問われたチェは「NO(わからない)」としながらこう返すんですよ。

「この長い旅の間に何かが変わった。
その答えを見つけたいんだ。」

と。(ここだけ思い切りメモしちゃいました!でも正確ではないかも!!)

「何か」かはわからない、でも
それをなかったコトにして病院の医師という
今までの自分にとって当たり前で安定であった道をそのまま進もうとするのではなく、
「その(自分の心に残った)何か の答えを見つけたい。」

ということですね。

そうしてたぶん、チェはその後も一つも自分の中から生まれる衝動や疑問や想いを、
自分の都合や損得で無かったことにせず、
その自分の中の神の部分が示すものに従って生きて、
そうしてたどり着いたのが革命という道だったのではないかと。

たどり着いたというよりも、導かれて

自分の中の神と、自分の外の神とに。

それらを発動(発動って言い方が正しいのかはよくわからないけど)させるには
自分の頭とか、都合とか、こうなりたい、こうであってはいけない
とかの他者比較から生まれる基準で生きようとしてては絶対に、
眠ったまま、目覚めないんですよ。せっかくあるのに。
それはあまりに勿体無い。

あと、英雄になろうと思って英雄になってなんてない。

ただたぶん、一つの嘘もなく、自分を生きようとした
(後にキューバの大臣という安定職を捨ててまで、新たな革命に身を投じたくらいに。)

だから出逢えた。自分の道に。

たぶん、わたしたちが「自分を生きる」を模索するとき、
学ぶべきはネットで今、輝いているように見えるひとたちだけじやなくて
(その“やり方”や“知識”は必要に応じてドンドン取り入れていいと思うし、
どんな分野であっても成功してる人は素晴らしいですが!!それは間違いない!!)
こういう人。

時代を超えても尊敬されて、人々が憧れて、死してもなお、
人々を惹きつけて止まない人。


そう思い、チェ・ゲバラの生き方、
もし万が一知らない人がいたら、
知ってもらえたら嬉しいなーと。

 

今日はチェ・ゲバラにわたしの中の衝動を引き出されて
記事を2つも更新してしまいました!
今日もとっちらかりな記事をお読みいただき感謝を込めて!
明日も良い一日を〜!

サンタサンタ。