JUST WOMEN 〜Our New Leaders〜

わたしたち、一人ひとりが人生の素晴らしい創造主。わたしたちの、新しい世界。(旧ブログ名:ただのオンナに戻ります)

わたしがエジプトに行くことを決められた理由。 強さとも勇気とも、決断力とも違うもの。

 ☆前回の記事はこちら

santasantasan.hatenablog.com

 

 

前回の記事でもすこし触れたとおり、わたしは2019年の8月に「2020年1月に家族でエジプトに行くこと」、

そして翌月の2019年9月には「2020年3月に、今度は一人でハワイのカウアイ島に行く」ということを決めたのですが、

 

【なぜ、そんなことをいきなり決めたのか??】

 

その理由を、一番よくわかっていないのは、他ならぬ【わたし自身】でした。

 

もともと海外旅行が好きだったわけでもなければ、

両親が企画してくれた家族での旅行を除き、自分の意志で海外に行ったことも人生で一度しか無い

(それも、大学時代にスタディツアーとして参加したフィリピンのみ)

 

海外にどうしても行きたいという願望があったわけでもない、

 

ましてその当時、まだ娘は1歳にも満たなくて、

その娘自身は、

ほんの半年前までは先天性の足の病気の治療のために夫婦で毎週往復5時間近くかけて新幹線で専門の病院に通っていて、

その年の3月に手術を終えたばかりでした。

 

さらに不思議なことに、わたしはとうとう出国直前まで、いや、むしろエジプトについてからも、

自分自身が行くと決めたそのエジプトリトリートのスケジュールを何度読み直しても、不思議とどうしてもその内容が頭に入ってこない。というほどの始末でした。

 

そんなふうに、一言で言うと

 

【(なぜそんな状態なのにエジプトに行こうとしているのか)自分でも意味がわからない自分】を

自分自身が一番よくわかっていたので、

 

特にエジプト行きにおいては、そんな状態で家族3人分の渡航費や参加費を支払うこと、

赤ん坊の娘を一緒に連れて行くこと、

実家の両親にそのことを告げること、

 

ものすごく、怖かったです。

 

怖くて死ぬ!と何度思ったかわかりませんし、

実際、死にはしませんでしたが、その恐怖たるや、

 

何度も娘がエジプトや飛行機の中で泣き叫ぶとか、

乾燥肌で、若干のアトピー持ちの可能性がある娘が、エジプトの乾燥にやられて顔をかきむしって血だらけで泣き叫ぶという【夢】を 

 

何度も見てはうなされるほど、でした。

※夢です、現実に起きたことではありません^^;

 

実際にエジプトで迎えた【現実】はといえば

娘は10日間、一度も体調を崩すことなく、

 

エジプトの人たちにも抱っこされ思い切り可愛がられ、なんなら現地エジプトのイケメンスタッフさんに初恋らしき体験もし(もう、その人が近くにくると、思い切り”しな”を作って女子的アピールをするのです!まだ1歳で!!)

 

また、生もの以外のエジプト食はほぼすべてわたしたちと一緒に美味しく食し、

ほぼ10日間、エジプトの強い太陽の光を浴び、砂埃を浴びながらも、

心配していた肌は一度も乾燥することなく、かきむしりも一切なく、、、と

 

むしろびっくりするほどひとつの問題もなくずっと元気いっぱいでした。

 

 

f:id:santasantasan:20200214181227j:plain 

森の中の古民家のようなレストランでランチの際の一枚。
ピクニックみたいで個人的にすごく好きだった場所です。
(この前の時間の神殿訪問が早朝だったため、寝巻きのままの娘さんです^^;)

 

f:id:santasantasan:20200214214615j:plain

レストランのワンちゃんに興味津々。

 

f:id:santasantasan:20200214214725j:plain

こんな感じで、森の中で気持ちの良い太陽の光を浴びながらごはんをすることができて、
とても心地よかったです!

 

f:id:santasantasan:20200214223830j:plain
Joeパパとともに、元気いっぱい^^

 

そんなふうに、今、エジプトから帰ってきて、そこに一切の心配していた問題が起きなくて、そして楽しかったと、参加してよかったと思えるしかない今ならば「何をあんなに怖がっていたんだろう」という気持ちしかないけれど、

 

そのときは確かに、「なぜ自分はこんなに怖い想いをしてまで、お金もエネルギーもかけてエジプトに行こうとしているんだろう?」と自分でも不思議で仕方なかったですし、

その「行きたい」は、「楽しそう」とか「心が惹かれる」とか「こういう経験をしてみたい」「こういうものを見てみたい」というような、いわゆる「何かをしたい」という願いや望みとか、【想い】とか【情熱】とかいうようなものとは全然違った気がします。

 

全然違ったというのはつまり、

そういう人間的な感情からの「行きたい」じゃなくて、

もっと、もうひとりのわたしが

 

「今がそのときだと”知っていた”」。

 

そんな感じの感覚が、あったのです。

 

そしてそれで、その選択で「絶対に、間違いない」と心の中に、さざなみひとつ立っておらず、120%で確信している自分がいる。

 

今までも、そんな感覚が自分の中に同時にあることに気がつくときが何度かありましたが

(だいたい、自分の中では何か大きな決断をするときに、”それ”は現れます)

 

そのときは、絶対に、【その感覚のほうに、従う】ことを、

 

大切にしてきました。

 

これまでわたしは、自分の人生の中でいろいろとチャレンジしてきましたが、

そしてそれを「勇気がある」とか「すごい」とか「強い」と言われてきましたが、

今、エジプトから帰ってきて思うのは、

これは勇気とか、決断力とか言われるものとは根本的に違うんだろうな、ということです。

  

それはたとえば、強さも決断力も勇気もない、ひどく怖がりのわたしのような人間であっても、

どこかに【もうひとりの自分】という感覚があって、その【もうひとりの自分】の視点が

 

【それを今、する必要があると知っている(行くということを約束してきたこと、約束してきたタイミングが今訪れているということを、どこかでわかっている)】

 

のだとしたら、それは、わたしに限らず誰しもが

強さも勇気も決断力もなくても、怖いままに進むことができるのではないでしょうか。

 

それはまるで、遊園地のジェットコースターやお化け屋敷が、

どんなに怖くても、「絶対に大丈夫」とわかっているから、怖くても乗る(入る)ことを選べるのと同じように。

 

わたしにあったのは、そういう感覚でした。

そしてその感覚は、思い返せばわたしが重要な節目節目のときにいつもそれはずっとわたしとともに【あった】ということ、

 

大切なことは結局全部自分の内側にあったこと

外側には、ただその答え合わせ、頭で理解できるような根拠や意味付け、安心を求めていただけだったこと

 

エジプトから帰ってきて、いろんな視点が変わって、

ものすごくそれが、腑に落ちるようになりました。

 

 

今までのわたしの世界は、強くなることや、勇気や決断力を持っていることがすごいことであるとか、

何かを決め、何かを「している(ように映る)」人がすごいとか、

だからそういう人になろう、決断力を高めよう、とか

 

そういう人を目指したり、

それが「すべき努力」であったり「人としての成長」であったりと、

そういうことが「常識」「良いこと」とされている世界をどこかで採用していたと思います。

 

でも新しい世界はそういうのとはもう、本当にまったく違う次元で、

何が素晴らしいか?とか、どうあるべきか?とか、

それは一切、関係ないというか、そういう価値基準やものさしすら、存在しないというか、

むしろ「なんのこと??」という感じのことで、

 

ただもう、ひとりひとりが自分の内側からメッセージを受け取り、

今、何をすべきか「知って」いるし、「わかって」いるから、

 

怖くても、進むことを約束してきた道ならば、進むし、

 

まだ少し、とどまっていたいどこかや何かがあっても、

それもまた、約束してきたときがきているのならば、

手放すことも、さみしいけれど、あるということ。

 

ただ、それだけのこと。

 

2019年までのわたしもまた、それでも愛や想いを込めて一所懸命、自分の世界やその自分の世界の中での他者と向き合ってきたつもりでした。

 

でも強さや勇気や決断力を持つこと、

そして自分自身は、それを持とうとすることでより良くなっていったんだ、としてしまうことは同時に

「わたしはこれだけやってきた(だからこれだけのものを手に入れた)」という「差」を、自分の世界にいる他者との間に「作りたい」というエネルギーを発しているのと、同じことでした。

 

「だからみんなもそうしよう」といくら表面上、自分の世界にいるその他者を激励し、鼓舞している”つもり”でいても、

その「差」が「その世界(その宇宙)」において埋まることは絶対になくて、

 

むしろその「差(違い)」を埋めないために

「強さ」や「決断力」や「勇気」というものさしが、

これからの世界でも変わらず必要という、矛盾した状況になっていたと思います。

 

あのときエジプト行きを決めたときのわたしは、無意識でそういった「自分の、今までの世界(自分の、今までの宇宙)のつくり方」の矛盾に気がついて

 

そしてそれは、わたしがこの人生で生きようとしている世界とは根本的に「違う」ということを

時間という概念のない世界に存在する、本来の自分自身からのメッセージとして、その「違う」という感覚のみ先に受け取って、

 

そうしてこのブログや今までの仕事を自分の内外ともに「できなくなる」という状況を自分で創造し、

 

よくわからないままなりに、エジプトに行くこと、カウアイ島に行くことを、先に「今、すべきこと」として自分自身からのメッセージとしてキャッチし、

そのときにとっての「未来」に橋を架けたのだと思います。

  

そしてわたしがこうしてそのこと(自分なりの気付き)を今受け取り、ブログに書いているのは、

これから新しい世界を一緒に生きていく人たちは、きっと

強さや勇気や決断力ではない、

そういう、自分自身が採用していた今までの世界で「よし」とされるようなものさしを手放して、

 

おのおの、自分自身と繋がって、今何をしたらいいか、どうあればいいか、

 

「自分との信頼関係のもと、選んでいく」

 

そんなふうにそれぞれが自分だけの責任と羅針盤をもって生きようとする人たち(目覚める人たち)が今、そして未来にいるからなのだと、思います。

 

長くなりましたが、また少しずつ、言葉にしていきたいと思います。