いよいよ来週訪れる予定のカウアイ島についてわたしは今回のいろいろな外側の世界での騒動、
もちろん世界規模で大きな騒ぎになっているということ、わかっていますし、
自分自身にももれなく感染の可能性やカウアイ島(ハワイ=アメリカ)への入国禁止などの問題が降りかかる可能性もあり得ることも受け止めていますし、
そして実際、近所のドラッグストアにマスクやトイレットペーパー、ティッシュペーパーがなくなったり、花粉症のジョーさんのお鼻が心配です。。。^^;
カウアイ島に滞在中、少しでも夫のジョーさんの負担が減ればと
娘に預かり保育的なものをしてもらう予定だった公的サービスも利用できなくなるなど、実際に【困った】は体験もリアルにしているのですけど。。。
それでもどうしても、この大騒ぎが、なんと表現してよいのかわからないのですが、
わたしの中では【まったくリアルではない】感覚で、
怖い。。。とか、不安。。。とか、これからどうなるんだろう。。。というエネルギーにも
大丈夫だよ!世界はこれを通して良くなっているんだよ!!意識が世界を作っているんだよ!!といういわゆるスピリチュアル的な呼びかけにも、
まったくどうにも同調も、ピンとも来なくて、
どうにも何も発信する気持ちになれないまま今日まできています。
だから、こうしてわかりやすい言葉にしてくださること、本当にありがたいです。
同調しない、というのは賛同しないとか、共感しません!!などという意味ではなくて、
なんというか本当に、そのエネルギーが自分の中にゼロ過ぎて、まったく自分の中からそこに向かう何かを、エネルギーも言葉も含め、創造できず、、、^^;
(無いものは生み出しようがないという^^;)
もちろん、今、周囲を見渡してみて、感じることはいろいろとあるので、
本当に恐怖や不安に飲まれてしまっている方もいるかと、そういう方にブログで何かわたしなりの視点をお伝えすれば、「ハッ!」とご自身の本質に戻ることのできる方(その機会に使っていただけること)も、あるとは思うんです。
今までそういうブログをわたしは実際書いてきたのだと思います。
でも、2020年にはいってからは、本当にそういう気持ちが起こらなくて。。。^^;
何においても!です!
それはたとえば今回の騒動に関係なく、身近な方では、
「ママを自由に!世間体に縛られず、ママはもっと自由になっていいんだよ!」
というような呼びかけをされている方もいらっしゃったりして、
そういう点ではわたし、ずいぶん自由にやっているママなので、
そこで言えることもあるんだと思うんです。
もっと、
赤ちゃん連れでエジプトってどう決心していった?とか、
さらにその2ヶ月も経たないうちに今度は赤ちゃんをおいて1週間海外とかって、両親や周囲にはなんて言ってるの?その反応は?
とか。。。
そこにフォーカスすれば、いわゆるネタになること、そしてもちろん良い意味でどなたかの背中を押し、力強い言葉を放つことも、
きっといくらでもできると思うんです。
だって実際、机上の空論や気休めの言葉とかではなくて、実際に私自身がそれらをすべて自分の意志で決めて、体現(経験)しているので。
前回の記事のとおり、ウィルス騒動で何十万円というお金が返ってこなくなるかもという可能性も引き受けて、それでも実際わたしの毎日は娘と夫さんとひたすら大笑いして過ごしているだけなので、最近娘の反応や表情が豊かすぎてなんかもう大笑いしかなく!!笑
なので、「大丈夫だよ!すべて良きことしか起きていないよ!」ってわたしが言えば、それはすごく説得力があると思うんです。笑
あ、でもお金のことは、今からでも入れる旅行のキャンセル保険を一緒に参加する方が見つけてくださって、数時間前に加入することができました!本当に有り難いです☆
そして実際、2019年まではそんなふうにこのブログはずっとやってきました。
でも2020年に入った今となっては、繰り返しになってしまうんですが、わたしの中にその世界・エネルギー・意識がゼロ過ぎて!
もちろん「ハワイアン航空欠便発表らしい!」など聞けば、そのときは揺らぎますが、やっぱりそこでドラマを展開させる気(エネルギー)がわたしの中にゼロ過ぎて、どうにも継続しないんです!ドキドキ・ハラハラが、ちっとも!!笑
ちっともそこで地球体験、人間ドラマ楽しめず。。。笑
なので、「大丈夫だよ!みんな!」と言う気持ち。。。というか、発想すら、生まれないんです。
だってたとえば、今日、外は雨がけっこう降っていますけど、だからといって「大丈夫だよ!!川は氾濫したりしないから、大丈夫!!」なんて言おうなんて、思いもしないと思うんです。
本気で、「大丈夫(川は氾濫することはない)」って思っているときに、「大丈夫だよ!」って言おうという発想、出てくることってまずないと思うんです。
そういう感じです!笑
そしてそれは、自分は感染しないと思っているというのとはまったく違って、
そのリスクは皆平等にあるうえで、(仮にかかったとしても)トータル、全体の目線で見れば、すべてプラスしかないです。たとえ死んでしまったとしても、どんな経験でも、それは同じです。
(と、これも今は当たり前に思っているので、「そうですよ!」と呼びかけようという発想が起きないんです。。。)
むしろ、不安や恐怖に飲まれることと同じくらい、その人達に向けて投げかける(もちろんそれは愛ゆえだと思うので悪くはないとは思うんですが!)【”それら”の行為まるごとすべての人がやめたら】、
たぶん、すべてあっという間に解決するのではないかと思うんですね。笑
ウィルスは残存していても、そこに伴う(とわたしたちが思い違いしている)すべての問題が、溶けていくのではないかと思います。笑
わたしたち、問題に恐怖し、嘆き、不安がることも、
逆にそれを、「違うんだよ!」「なんとかしてあげよう!してあげなきゃ!(それを伝えることをしなくちゃ!)」とすることも、
結局同じこと。
そのことに、そろそろ気づくときなんだと思います(そして気づいている方もとっても多いですね^^)
それが、今までの2019年までの創造のプロセスとすべてが真逆に反転するということのひとつだとも思っています。
ただ自分の世界の創造にだけ集中したらいいです。全員。
何もしなくて大丈夫というか、本当に自分自身がすべきことをきちんとする。そこに集中する。
それが本筋ではないかと。
他人、世界のことは、必要以上に介入しなくていい。(好きという自覚でするのは良いと思いますが、「そうしないと!」という感覚はすべて幻かと。)
(たとえば)自由なお母さんを増やしたいという例なら、自分が自分の思う自由でいたらいいだけ。
それを【問題がそこにある、と捉えて】、励ましたり勇気づけたり悩みに共感したりする必要はない、と思います。
むしろそれは、「そうではない世界」の創造に、言い方はあれですが加担してるのと結局は同じことではないかと。
わたしはそんなふうに思っているので何もそれついて触れないというか触れられずにここまで来ていますが、
自分が言葉にはできないことを、誰かが言葉にしてくださること、
役割分担、本当にありがたいなと思います☆
カウアイ島でのお食事も、本当に美味しそうで楽しみしかありません^^
ウィルスにかからない人が良い流れに乗っている人で、かかる人はそうじゃないとか、
ある機会を得られる人が(↑同上↑)で、その機会を得られないことになった人はそうじゃないとか、
そういう外側の【どうなったか】というものさしで判断(いわゆるジャッジ)をすること、
本当にこういうのも無意味というかめちゃくちゃ時代遅れなのだろうなと改めて思いました。
自分のことだけですよね、わかるのは^^
他人のそれは、その人にしかわからないし、外側に決まった意味付けがあるわけではないのだから。
本当に今、いろんなリーダーさんが続々生まれているかと思い、ワクワクします^^
それぞれの役割分担、担当する居場所(位置)、
自分自身のそれには誇りをもって、他者のそれぞれにはリスペクトをもって、、
そのありよう、経験からそれぞれに叡智を受け取りあい、交換しあって、、、
実際に時空間を共有するしないに限らず、意識で確かにつながっていることを思い出して・・・☆
皆で大きく花開いていけると、確信しています☆
これを読んでくださっているあなたも、もちろんその仲間ですので^^
それでは、また*^^*