「すみません、ただのオンナに戻ります」。

良い子を卒業して、「ただそのままの自分(ただのオンナな自分)」を大切に、がんばらずに生きる方法をお伝えしてます◎

【かつての生きづらさ、しんどさの正体】お正月、家族と過ごした時間が与えてくれた繁栄の種◎

昨日から仕事始め(自分なりの勝手な。笑)ということで、昨日はコミュニティにこんな投稿をさせていただきました^^

 

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そう、ここでも書かせていただいたとおり、

ブログ=この生き方を始めてから今年ではや4年目に突入します。

 

そんな今となっては、よもやうっすらとしか思い出せないほどですが、かつては確かに、職場、恋愛、その他すべての人間関係が「上手くいかないこと」まみれで、ものすごい生きづらさを抱えて生きていました。

 

今思えばその頃、いつも無意識で感じていたのは

「わたしは駄目だ」「わたしは変わってる(変だ)」「”みんな”と比べて劣ってる。何か違う」

という気持ちでした。

豊かで素晴らしい感受性(しかしこれも当時は「繊細すぎる」「感受性が敏感すぎる」と「ダメ」だと思っていた…)で感じ取った「違い」をすべて「問題(劣っていること)」ととみなしてしまっていたんですね。

 

それで自分をとてもくるしめていたし、責めていた。

 

だからいつも何かの「正解」「こうあるべき」「他人の目線や評価や価値観」を意識していて、その、実体のないというかぶっちゃけ何かもよくわからないそれらに自分をなんとか合わせていこう・寄せていこうと必死でした。

 

それさえも自分が勝手に選んでやっていたことだったのですが、自分で自分の個性や心の声押しつぶして殺してしまうような生き方だったので、それはやっぱりとてもつらかったんですね。

 

でもそんな自分をもうやめたくて、3年前からこのブログを基盤として、ただ自分の感じていることを大切にして生きることに集中するようになってからというもの、、、

そんな自分の想いに呼応するように、ものすごい勢いで自分の周りの環境や周囲の人間関係が激変していきました。

 

その中で、常識や他人の目線や評価が気にならなくなっていった…というよりも、わたしのいる世界の「常識」や「他人(周囲の人)の価値観」というものそのものが、わたしに合うものに変わっていった

 

「そんなんじゃやっていけないよ」とか、「甘い」「弱い」「そんなんじゃだめだ」とか、「大人になるってことはああだ」「親になるってことはこうだ」とか…

 

そういうことをわたしに言ったり、要求したり、押し付けたりしてくる人がほとんどいなくなった。

 

かわりに、

「それいいね!」「素敵だね!」「応援するよ」「サポートするよ」「それで大丈夫だよ(むしろ何が問題なの?)」…

 

…そんな風に接してくれる人ばかりになった。

 

だからここ数年、自分の感じることやそれをもってして選んだ生き方を、否定したくなったり責めたりすることは本当に無くなって、そのように生きることがわたしの中での「当たり前」に自然となっていってたんです。

 

が。

 

ここに来て、いったん、大きな揺り戻しがあったんです。

 

その転機が、先月、娘を出産して子育てがスタートしたことにありました。

 

おかげさまでこのブログにも書いている通り、この生き方を積み重ねたオマケとして現実も大きく変化していったことで、

我が家の子育ては伊豆というとても豊かなのんびりとした環境でできていて、

しかも一人での子育てではなく、夫のジョーさんと常に二人体制で子育てにあたれているので、子育ての負担もおそらく通常の半分以下で済んでいて、

里帰りせずとも実家の母がときどき来て家事も手伝ってくれて、

出産した病院との相性もとても良く、今でも助産師さんのフォローも手厚く、

そして娘は小さいながらもすくすくと育っており、なぜか夜泣きもほとんどしないため、こうしてパソコンに向かう時間と体力も確保できているのです。

 

はじめての子育てとは自分でも思えないくらい、ストレスが本当に無く、子育てを楽しむこと、娘の成長をのんびり見つめながら、純粋にそれを喜び、笑うことができる心の余裕も与えられている、本当に有り難い状況なのです。

 

なのですが。

 

そんな、個人的には有り難いほどにありがたすぎる状況に、

それらがなければむしろ成り立たないほど、いろんなことができない自分自身に、他ならぬ私自身が

「わたしはこんなんで本当に良いのだろうか??」

と思ってしまったんですね。

 

それは、まさにこのお正月、実家の両親(と弟)がやってきたときに生まれた想いでした。

 

というのも、我が母が、本当によく働く働く…!!

 

我が家は典型的な

 

・専業主婦の母=家事育児はオンナの仕事

・夫(男)は外で働いて稼いでくるもの

 

という古き良き時代(?)によくある家庭で、

それでも父や弟も、数十年前とは違ってずいぶんと食事の後片付け等手伝いをしてくれたのですが、それを上回るほどに、

とにかく母が、動く動く。

お正月の料理もしっかりと作ってきてくれて、洗濯機も何回も回してくれて、娘(母にとっては孫)の面倒も見てくれて、食後はお茶をサッと出し、もう、なんてゆうか、

 

止まってる(休んでる)ことがない。

 

模範的な妻&母親像を、まさに絵に描いた感じ。

 

…もちろん、すっごく助かったんです!

母はわたしにそれを「オンナとは、妻とは、母とは、こうあるべきもの」を強要してくるわけではないし、ただひたすら自分が動いてくれてるという。

 

けど、そんな姿を目の当たりにして、

普段、ジョーさん(夫)に家事も洗濯も子育ても、助けてもらうのが当たり前、

それがあって子育てやれていて、

そもそもわたしは超マイペース&のんびり(←のろまでトンマとも言う)なので、0歳の娘がいようが、食事もゆっくり食べたい(←急げない)、お風呂もゆっくり入りたい(←急ぎたくない)、

それが今、問題なく叶っているけれど、母はすべて自分を後回しにして、時間があればそれはすべて家事育児のいわゆるタスクをこなすことでびっちり埋めていて、それを当たり前のようにやっていて、

 

「(同じオンナ、同じ妻であり母である母と比べて)わたしって、これで大丈夫なんだろうか。」

 

…そんな、久しぶりの

「わたしはダメ」「問題」「劣っている」という気持ちが浮上してしまったんです。

 

で、母はわたしにそのあり方を強要はしないものの

「徐々にそうなっていけばいいのよ^^」

とおっしゃる。 おっしゃる、て。

 

つまり、「今は良いけれど、いずれはそうなっていくべき」というか「いつかそうなれるように日々、努力していくべきもの。」「そうでないと母親業・子育てはやっていけないもの」というのを当たり前だと思っている。

 

けど、わたしは、妻になっても、母になっても、「このままのわたし」で「子育て」や「家事」をあわせていこうと思っている。

 

もちろんその中で、確実に「慣れて」はいくのだから、自然にできるようになることも

たくさんあると思うのです。

が、それは「結果的に」であって、そこに「無理に寄せて」行く必要は無いと思ってる。

 

そう、ブログをスタートしたときに決めて、今まで進んできたあり方と、まったく同じように。

 

けど、母と比べてあまりの自分のできなささ(というかそもそもやろうとしてない姿勢)に、やっぱり、「家庭」って「母親」って、自分の中の「世界とはこういうもの(価値観)」にそのまんまスライドされてしまいがちなので、無意識で、

母の姿=世の中のフツー、当たり前、”みんな”、という公式に頭の中で勝手に変換されて、

自分の「自然体」「個性」「これがわたし」と思えていた自分なりのペース・ありようを、

「のろま」「ダメ」「劣ってる」と捉えてものすごいストレスを感じてしまったんですね。

母、せっかく良かれと思ってサポートしにきてくれてるのに…申し訳ない(汗) 

 

で、渦中のときはそんな客観的な視点で自分の感じてることを分析できるほどわたしも器用じゃないので、結果、

お正月2日目に、急にこれまでと比較できないほどに疲弊しまくり、

乳腺炎になりかけたのではというほどおっぱいが硬く痛くなってしまったんです^^;

 

これを母には「ホッとして今までの疲れが出たのね!^^」と言われ、自分でも(そのときは)そんな気がして「うん…」とか言ってるわたし…笑

 

 

もう、意識が朦朧とするくらいの体のだるさ(とおっぱいの痛さ)で、この先どうしよう!?お母さんたちが帰っちゃったらもうわたし、やっていけないかも!?と思うくらい気弱に、そしてこの3週間ちょっと、ジョーさんとともに楽しく子育てやってこれた自分だったのに、すっかり自信がなくなってしまったのです。

 

でも、そこに繁栄の種があったのだと、気づかせてくれたのもまた、娘の存在でした◎

 

あ、ちょうど娘が起きそう…笑

次の記事に続きます♪

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