「すみません、ただのオンナに戻ります」。

良い子を卒業して、「ただそのままの自分(ただのオンナな自分)」を大切に、がんばらずに生きる方法をお伝えしてます◎

SNS考察。表面的な一部の情報から相手を決めつけること・「わざわざ」言いたくなるという短絡思考☆

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昨日、個人的にFacebookで繋がっているお友達(お知り合いの方)が、あることでご自身の複雑な胸中を吐露されるような内容の投稿をされていて、それについていろいろ考えさせられたのですよね〜

 

個人的なことなのでここでは伏せますが、書かれていたことは、

 

・親しくない人にまで、自分の胸の内や個人的事情をわざわざ言わないこともある。

・だから表面で物事を判断しないでほしい、

・その表面的な判断で軽々しく言葉をぶつけてこないでほしい、

 

そういったような内容だったとわたしは解釈しています。

 

(わたしはそう解釈した…というのは、他者の言葉というのは、結局は自分というフィルターを通してしか読み取れないものだと思っているので、正確にその人の言わんとしていることを汲み取れることはないのかな、といつも思っているので、結局はどんな場合であってもそういう表現にならざるを得ない感じです。)

 

で、わたし自身もこれ、本当にそうだよなあ、と、最近特に思っていまして。

 

表面的な行動、様子、しかもそれを切り取った本当に一部の情報(たとえばSNSでの投稿など)のみで、

他人を判断して自分の価値観を「わざわざ」「相手に」ぶつけてくる

浅はかで短絡的思考の人のなんと多いことか、と。

 

もちろん、人それぞれみんな、違う価値観や好み、発信したいことを持っているのは当たり前だと思うので、

ならばそれは、「自分の土俵」で放てば良いと思うのです。

 

たとえばわたしで言うのならば、それは、このブログのように。

 

たとえば、ここは自分の土俵であって、わたしが勝手にわたしの感じていること、言いたいことを放っている場です。

 

そしてその「感じたこと」は、往々にして誰かや何かとの「縁(接触)」を通じて発現するものなので、

そこで感じたことについて書くこともまた多々ありますが、

それは感じたきっかけになる人に知ってもらうため、あるいはその人を攻撃するために書いているわけでは当たり前ですが無いですし、

書く行為をしているときはむしろ、その人のおかげで気づきや新たなインスピレーションをいただけたことになるので、

むしろそのご縁に関しては感謝だな、

 

これでまたわたしはまた繁栄していける、

そして同じような好みで繁栄していきたいと思ってくれているであろう、

まだこのブログを見てくれている卒業生やコミュニティのメンバーさん、

あるいはブログの読者さんに、また、(その好みが一致している人や自分にとって)大切と思うことを放つきっかけをいただけてる、繁栄のバトンをつなげていくことができる、

 

だから、

いただきます、ごちそうさまです、ありがとうございます、というのが素直な気持ちです。

 

(そして、自分にとってもう不要なご縁と感じるならば、ごちそうさま、ありがとう、ということでその時点で排除、ということにはなりますが、かといって先日の記事で書いたとおり、排除=相手に価値が無い では無いのは当たり前です。ただのわたしの好みです。)

 

そして時折ですが、このブログ、見てくださっている方がそれなりの数いるので、

わたしが何気なく放った言葉に対して、

「これはわたしのことを言っているに違いない!」と勘違いされるというのはよくあることです。

 

で、同じ勘違いであっても、それを自分のプラスに変えていく人は良いと思うのです。

 

これは最近にもありました^^

目に見えないサインがますます増している時代なので、そういう勘違いせざるを得ないシンクロニシティみたいなことも多々起こるのはもう当たり前の時代だと思います。

要はそれを、自分に活かせるかどうか?という話ですね。

大事なのは。

 

が、自分のプラスに変えていくこともできないで(しないで)、

「わたしのことを言われた!失礼だ!わたしはこうでああでこうで、、、」などと勝手に「自分が言われた!」と解釈して攻撃してくる人も少なくなく、

そういう人は、勝手に自分のことだと判断して、自意識過剰に勝手に「反応」して攻撃してくる自分を疑ってください…!なのです^^;

 

そういう人は、もう、この情報過多時代、神経ピリピリすることが多すぎて、本当に疲れるだろうな、と思います。

 

もっと、情報を取捨選択して、見たくないものは見ないように「自分が」選択すればいいのに…。

それでも巻き込み事故的に「うわ…(最悪)」と思うものを目にしてしまうときもあることはありますが、

それは黙って、粛々淡々と排除あるいはスルーして反面教師にしたいものです。

 

(わたしは、ブログのネタになりそうであればしますけども。笑

その表現方法も、「あえて狙って」挑発的にするときなどは、心に引っかかってほしいからです。きれいな言葉って、結局何も伝わらないことがほとんどなので。)

 

 

そんな風に、自分の土俵でそれぞれが言いたいこと言えばいいと思う。

 

聞きたい聞きたくないは、自己責任で判断すればいいと思う。

 

けど、今回の知人の方のお悩みのように、

わざわざ相手の土俵に飛び込んで「言いに来る人」っているのです。

 

しかもその内容ってほとんどの場合、先程も書いたとおり、

表面的な一部の情報だけで判断した、浅はかで短絡的でトンチンカンな内容ばっかりで、

全てが的からズレすぎていて(相手の解釈が事実と違いすぎて)反論もし難い、という…。

 

今回の場合で言うならば、その方は、わたしもまだ数回しか直接お目にかかったことはないのですが、

いつもすごく明るくて、笑顔で、お仕事も情熱持ってがんばっていて、

一緒にいると周りの人達や雰囲気も明るくしてしまうような、

とても素敵な方なんです。

 

で、そのプライベートの楽しそうな様子をSNSにも投稿されているのですが、

どうもそれについて、

大して親しくもない人から、御本人の大切にしているものに対して

「それってどうなんですか」的なことを言われたようなのでした。

うーん、個人のプライバシーを除きながらで、上手く説明できてるかわからないんで恐縮ですが。。。

 

で、彼女がつぶやいていたのが、

 

(自分の投稿の内容が、)母として妻として子育てをがんばっています、自分の子供を大切にしています、良いお母さんしています、的な内容だったら、

あれこれ言われずにむしろ褒められるのかな

 

というようなもので。

 

この方は、わたしよりも年上で、結婚されていなくて、お子さんもいらっしゃらないのですが、

それはどうして、あるいはどういう想いでそういう結果(選択)になったのか、

知らないしその背景を想像しようともしない人に、

なぜ(わざわざ)言われないといけないのだろうか、というようなつぶやきでした。

 

これ、わたしも本当につい最近、同じようなことを感じたのです。コミュニティ内では以前、ちょっと書きましたが◎

 

うん、、、また長くなってしまいそうなので、次の記事に続く!