「すみません、ただのオンナに戻ります」。

良い子を卒業して、「ただそのままの自分(ただのオンナな自分)」を大切に、がんばらずに生きる方法をお伝えしてます◎

卒業生の妊娠報告♡そして出産間近のわたしの今の「意外な感情」☆

 

昨日とても嬉しいことに^^

長期の講座の卒業生から妊娠報告をいただきました◎

 

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おめでとうございます!!!♡

 

 

彼女が妊娠を望んでいたことをずっと知っていたので、わたしもわ〜お〜!と思い、思わず昼寝から飛び起きました〜。笑

 

でもその報告メッセージには、

 

(妊娠できてもできなくても)差し支えない、とやっと腹をくくれて命がやってきてくれたから、(この先)どうあっても楽しみたい!

 

と書かれていて、そこまで自分自身と向き合ってきたからこそのギフトなのだなあ、と思いました^^

 

もちろん子供を授かるということも、この記事に書いた病気のことと同じように、

 

santasantasan.hatenablog.com

「嫌なこと」は、なぜ起きるんだろう?「嫌な人」は、なぜ目の前にいるんだろう? - 「すみません、ただのオンナに戻ります」。

 

自分が最善を尽くしたら、あるいは心を整えたら、

絶対に自分のもとにやってきてくれる、とはけっして言えない領域で。

 

やっぱり命のことは、神様の領域だと思うんですよね。

 

けどその「わからない」の大前提の上で、

でもできる限り、自分にできることはないかな?

何か、望んだ通りの結果にならないことで、今の自分に教えてくれることがあるとしたらどんなことかな??

 

…そんなふうに、何らかを汲み取ろう、受け取ろう、と日々を過ごしたら、それは、

神様の意志に沿うことになるのかもしれない。

そこへ、近づけることになるのかもしれない。

 

叶わないときは叶わないかもしれない。

けど、自分が叶わないようにしている部分もあるかもしれない。

 

それは、上記の彼女のように「叶った」現実を迎えたときにも、

結局なんだったのか、どっちだったのか、

自分だったのか、神様の領域(意志)が自然とこのタイミングでやってきたのか、

そんなことはわからないんですよね。

結局、白黒はっきりなんてしない。

永久にそれは、わからないまま。

 

けど、それで良いと思うんですよ。

それまでの間、自分と向き合ってきた中で得たものは必ず、残るわけだから。

仮に本来の願いが叶わなかったとしても、なんにも無駄なことない◎

 

私自身もいつも、そんなふうに思いながら日々を過ごしています◎

 

婚活も妊活も起業であってもなんであっても、

結果が出るまでは、めちゃくちゃに苦しんで苦しんで、

結果にもめちゃくちゃに執着して、

そうして疲弊しまくって顔を歪めまくって人のことも嫉妬したり醜い感情に支配され、振り回されて日々を過ごして、

 

それでも何かしら「行動」していれば、「いつか」はそのタイミングがやってきて、それが叶うのかもしれない。

 

そして「叶った」という「結果」さえ手に入れば、

そんな苦い思い出も帳消しになるのかもしれない。

 

けど、わたしはそういうの、好みでなくてね。

そうであるなら結局はいつも、

今得た「結果」と、また次の何か求める「結果」という点と点をつなぐ「線」の上にある「今」という一瞬一瞬が常に、

点のためのただの通過点として、ぞんざいに扱われている気がしてならないから。

 

たとえば妊活なら、妊活して、妊娠っていう結果を得たら今度は「無事の出産」までの十月十日をまた、不安と恐怖とその「無事の出産」への執着でいっぱいに過ごして、

産んだら産んだでまた、「こんなふうに育ってほしい」「あんなふうに育ってほしい」という次の結果にこだわりだす無限ループ。

 

婚活も、結婚できたらできたで今度は妊娠、という結果にこだわり出したり、

つまり結局、そういうあり方をしていたら、何を得てもずっとそういう人生だと思うから。

 

それはわたしは、自分が苦しいと思うから、

結果がどうあっても良い(というかわからない)から、そんな不安や心配吹き飛ぶくらい、

「今」という瞬間瞬間を楽しもう!楽しみたいな、と

そんなふうに思っています^^

 

で、わたし自身も妊娠期間中、実際にいろいろありつつ

(心拍の確認がなかなか出来なくてこのまま育たないかも、とか、いざ大きくなってきたら、「発育不全かも」とか…^^;)

※マタニティ期の様子、気付き等は、以下のカテゴリの記事をご参照くださいね◎

santasantasan.hatenablog.com

 

いろいろありつつ、そしてもちろんこれからも何があるかわからない中で、

そうそう、相変わらずうちの子、超ちっちゃいらしくて、予定日ギリギリでも2500gいくかわからなくて、2500切ったら一緒に退院はできないそうで;;そこらへんもタイミング読んで生まれてきてほしいな〜〜(頼むぜボス。。。笑)

 

そのときそのときの「今」の中でいろんな気持ちを味わい、かなり後悔ひとつもない、充実したマタニティライフを送れたなあと思っておりまして、

いよいよ予定日が近づいてきました◎

 

そんな中で最近いつも感じてるのは、早くベビちゃんに会いたいな〜♡という気持ちとともに、それ以上に意外にめっちゃ強いのは

 

さみしい〜…;;

 

という気持ちなのです^^;

 

これが、本当にめっちゃ意外で!!

楽しみ、でも、不安でもなく(あ、楽しみという気持ちはもちろんありますが!)

一番強いのが

さみしい。

だとは。

 

もうあと半月もしたら、このお腹から出ていってしまうんだな〜〜〜と思うと、

なんだかめっちゃさみしい。

もうちょっといてもいいよ〜〜〜;;とか思ってるようです。笑

 

なんでこんな気持ちになるんだろう、と思ったら、たぶん、

生まれてきたらもちろんしばらくはずーっとお世話につきっきり、

べったり一緒になるのだとは思いつつ、でも、生まれた後はもう確実に、

自分とは別個の人間・別個の人生だってことを

どこかでわかっているから。だと思います。

 

それはもちろん、命として芽生えたときからそれが当たり前なんだけれど、

それでも今までだったら、

このお腹にいてくれて、胎動も感じられて、本当に「一緒」を感じられたので。

 

けど生まれてきたら、もちろんお世話はするけれど、

彼女は彼女の人生(※女の子の予定)を自分で生きなくちゃいけなくて、

わたしが何かしてあげることはもうたぶん、(お世話くらいしか)何もできないんだろうな〜〜〜って本気で思うから。

 

ある意味、嫁に行くような感覚と近い感覚なのかも。。。早いわ。

 

けど、いくら「さみしい〜〜;;」ってわめいたところでときがくれば、

羊水も腐っていって、

「ずっと一緒」

「ずっとお腹の中」

ってわけには行かないことになっている。

 

自然の摂理としてちゃんと、そのようになっている。

 

だからこそ、この「今」を、

お腹大きくてしんどいとか、不自由だとかまったく思わなくてですね、

逆に、産むときの痛みとか恐怖とか、

あるいは生まれてきたあとの赤ちゃんの可愛さとかっていう意味での楽しみとか(あるいは育児の不安とか)、

そんな「先の未来への想像(妄想)」が入る余地が無いくらい、

この「今」を、

すっごく愛おしく大切に感じるんです。

だから「さみしい」も「マイナス感情」ではなくて、「愛おしい」とほぼ同等の類義語的感覚です、わたしの中では。笑

 

 

いつでも、「今」に夢中。

「今」が最高に幸せ。

 

 

だから本当に、恐怖とか不安は驚くほどなくて、

それこそ陣痛が来出した「そのとき」に

 

「ギャーーーー!!!

(どうしよ!!!)」

 

って騒ぎ出すんだと思います。笑

 

そしてたぶん、無事に出産できて、この子に出逢えたら、そのときはそのときの「今」を

めちゃくちゃ愛おしく大切に思って日々を過ごすんだろうなあ、と思います^^

たぶん、髪の毛振り乱しながら、あるいはジョーさんにギャーギャー当たりながらも…^^;

 

だから本当に、自分が未来に向けて想像してることなんて、

まったくもって当てにならないんだろうな、と思う。

 

前に、恋愛にどうしても真っ直ぐ向かっていけない、という方が

「彼氏が出来て同棲とかしたりしたら、自分の嫌なところを知られてしまったらどうしよう、と思うと、結婚とか本当に不安で…」

みたいなことを言われたのだけれど、

それは彼氏ができて、同棲できるような現実が本当に自分にやってきたら考えたら??という話だし、

実際そのときに、そんな不安や恐怖が自分の中にあるかどうかも怪しいところで。

もしかしたらHAPPY過ぎてそんな不安一切ないかも♡

 

「今」の自分で見て、「未来」の「こんなこと」が起きたら「こんな気持ちになるだろう」なんて、

とことん当てにはならないし、

だって「今」の自分はその「先の未来」を経験したことがないのだから!

 

そんな先の先の先のことまで心配して不安になる、というのはただただ、

与えられている「今」に集中していないということだと思うのですよね。

 

それならその「今」に集中しない自分、が、未来永劫続くだけ。

 

だからどんな幸せやチャンスが目の前にやってきたとしても結局は、

またその時点で「未来」の心配や不安で気持ちをいっぱいにして、

「今の豊かさ」からすべてを取りこぼすのだと思うよ。

 

そしてそういう「不安」や「恐怖」が強いことを、

「自分はHSP(High Sensitive Person←確か)」なのだ(だからこんなに不安や恐怖が強いのだ)、と言って片付けてしまっていたのだけれど、

それも疑おうよ。と思うんですよね。

 

その疑うっていうのは「自分がHSPか」「いや、そうではない」とかいう上っ面のところじゃなくて、なんというのかな、

そういうくくりを見つけては、安心して、「自分はそれだから(だから仕方ない)」というふうに片付けて、

思考停止してしまう自分自身に、ということ。

 

なぜってわたし自身も、ほんとーーーに恐怖や不安が(かつて)めちゃくちゃ強かった人間だったから。

 

でも、それを問題視して、治そうとか克服しようとかってしたわけじゃなくて、

あるいはその性質を受け入れたかのようなていで開き直ったわけでもなくて←自分は◯◯だ、とかって決めつけちゃう人の「向き合う(その自分から逃げない)」とはつまりこういう類の姿勢のことだと勘違いしている人多数だと思う。そこの「どっちか」しか見てない自分を疑おうよ…!!

 

ただ、「今」を感じて生きることを大切にして過ごしていたら、

気づいたら未来の心配・恐怖が介入する余地が無くなった、というだけ。

 

別に強くなったわけでもなんでもなく。

 

要は自覚(明らめ)と選択の問題だと思うのだ。

 

不安や恐怖が強い自分、というのを固定化してしまうと、

「それを感じている今の自分」にばかりこだわってしまうから

(つまり「だってわたしがそう感じてるんだもん!!そのわたしの不安・恐怖を汲んであげることが自分を大切にするってことだもん!!」っていう勘違いのやつ。)

 

結局その自分をちょっと俯瞰して、

抱えて、置いたままに進んでみることができない。

 

進んでみたら、ただの妄想だった・見当違いだった、っていうことがわかるのに。

 

だから未来もずっと、大して変わらない(ということが多い)。

 

大事にしたいものは「そこで立ち止まれること(それを正当化できること・スッキリさせること)」ではないのにね。

 

 

わたしも、かつて妊娠・出産・子育てに、めちゃくちゃな恐怖を感じていた人間だったのですが

せめてそういう現実を迎えそうな自分になってから心配しろよ。ですね。まさに。笑

いざ、そのときをもうすぐに控えている今、

こんなになんにも心配も恐怖もない(というかそれらが入る隙間がない)自分というのが存在するとは、

当時のわたしでは想像もつかなかったことでしょう。笑

 

そしてそれは、「大丈夫だろう」と思っているからではなくてね。

 

出産が、そうはいってもそんなには痛くないだろう、と思っているからでもなければ、

障害のある子が生まれる、などということを、まさか自分にはあり得ないだろう、と思っているからでもなく、

子育ても、そうはいってもそれなりにやっていけるものなのだろう(大変じゃないのだろう)と思っているからでもない。

 

全部それらも「あるかもしれないだろう」ことはわかった上で、

「受け入れてる」ということ。

 

それは、ならそのときが来たときに、痛がらないとか、ショックを受けないとか、弱音を吐かない、とか、

そういうことではなくてね。笑

まして、未来を望むほうにコントロールするためのテクニックでもない。笑

(そうやって考えていれば悪いことは起きないだろう、とかいう引き寄せみたいなやつ。笑)

 

ただ、「今」の目の前の豊かさを、しあわせを、

味わって生きていたいだけなのです^^

 

そんな安心安全の世界を、自分ひとりで作ることのできる方法はこちらにて☆

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わたしも、これだけ積み重ねて今、そういう自分になれた、ということ。

人はそんなふうに変化(脱皮)していける、ということ♪

たぶんね、筋肉とかと一緒で、自分次第で鍛えていけるのだと思うのだ。笑

 

だからこそ、諦めたり開き直ったり世の中に合わせて克服するとかじゃなくって、

ほんとの意味での「自分を大切にする生き方」をカタチにしていこう♪