「すみません、ただのオンナに戻ります」。

良い子を卒業して、「ただそのままの自分(ただのオンナな自分)」を大切に、がんばらずに生きる方法をお伝えしてます◎

【親に愛されなかった、という人へ】「愛」を勝手に限定しない♡決めつけない♡

今日は2週間ぶりのベビーの検診、でした!♡

 

うちの子、ちょっと小さいんですが、

それでも2週間遅れくらいでスクスクと大きくなってくれておりました♡

 

そして病院から帰ってきたところ、

お義母さん(ジョーさんのお母さん)から、前祝いということでベビーのお洋服が届きました…!!

 

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か、

可愛い…!!!(♡▽♡)←今日一日この顔ばっか。笑

 

 

実はうちのベビー、これまでの検診でのエコー診断によると、

どうやら女の子ではないか?と言われているのですが、

しかしお腹の出方が経産婦さんたちから見るとどう見ても男の子じゃね?と見えるらしく、

ベビーの洋服を可愛いピンクとかに揃える勇気がいまだ無く。。。涙

 

お祝いを送りたいと言ってくれるジョーさんのお母さんにも、

「ちょっと性別まだハッキリしないので、どちらでもいけるようなものを…」と面倒なお願いをし、

見事にそれらしきものを揃えていただきました…!(お義母さん、ありがとうございます。。。!涙)

 

 

さて、そんな感じでいよいよベビーの出産準備を意識している今日このごろですが、

 

突然ですが、皆さんにもご質問。

 

「愛されて育ったと言える」には??

 

 

 

…最近、必然か、偶然か、立て続けに「親から愛されなかった」というような話を聞いたり、見たりすることがあり。

 

じゃあ逆に、

「親から愛されて育った」と「言える」のはどういう場合なんだろう??と思い、聞いてみました◎

 

ちなみに、わたしの「設定」は…

 

 

 

 

「わたしが、今ここに生きて存在している、ということそのもの」。

 

以上。

 

です◎

これが、わたしの思う「親から愛されて育ったと言える事実」♪

 

もう少し詳しく言うならば、

 

「親の愛」とは、つまり何か??

 

 

…これが、わたしの場合、

「わたしが今ここに生きて存在しているということそのもの」であるということ。

 

それが、わたしの「親の愛」「親からの愛」とは?に対する「設定」なんです。

 

なので、それ以外の

「感情」「してもらったこと」「かけてもらった言葉」「情愛」は

すべて「オマケ」という位置づけであり。

 

もちろん、そんなこと言ったらうちの親、怒るかもしれませんが^^;

育ててもらって、大学まで行かせてもらって、家も(おばあちゃんの住んでいた家ですが)住まわせてもらって、今もベビーのことでたくさんの愛情をかけてもらって、

 

それらを「オマケ」とは何事だ!!!と^^;

 

でも、一番は、

「わたしが今、ここに生きて存在している」ということ、

つまり、

 

「わたしに命を与えてくれたこと」

 

「十月十日あまり、わたしをお腹に抱えていてくれたこと」

 

「出産を通じて、わたしをこの世に生み出してくれたこと」

 

「まだわたしが生まれたてで、あるいは小さくて、泣いて叫ぶしかできなかった頃、

 

泣けばおっぱいを与えてくれて、

 

泣けばおしめを変えてくれて、

 

おそらく(泣いて訴えなくても。笑)お風呂に入れてくれて、

 

風邪を引いたら病院に連れて行ってくれたこと(=とりあえず放置して死なせるということはしないでくれたこと)。」

 

 

…これらの、わたしにとっては全て、忘れているどころか記憶さえそもそもないことを、

必死だったかどうかはわかりませんが、

こなしてくれた事実が必ずどこかにある。

 

だから、わたしは、今ここに生きて、たしかに存在することができている。

 

 

なら、もう、それだけで、

 

 

「十分な愛を与えられた。」

 

「わたしは、愛されてこの世に生まれてきた。」

 

…そのようにみなして、いいんじゃないの??

 

 

そうやって、自分の中で決めた瞬間が、

どこかであったと思います。

 

で、そのように「決め」たら、

 

親がわたしをどれだけ愛してくれてたか?とか、

わたしより、病気の姉ばかりを気にかけていたこと、とか、

預けられて育ったこと、とか、

厳しくて自由を許してくれなかったこと、とか

自分のさみしさを誰もわかってくれなかったこと、とか、

※そもそも「本当に誰もわかってくれてなかった」のか??記憶なんてすっごく適当。自分の”ある種”、都合の良い解釈しかしてない、って思う。

 

まったく気にならなくなった。

 

 

親が、姉と弟にどれだけ何をしてあげてるか?とか、

わたしのことどう思ってるか?とか、

 

まったくどうでも良くなった。

 

親が何を考えていようが何をしていようが、良くも悪くも、わたしの人生やわたしのしあわせに差し支えなくなったんです。

てゆうか日常、親がどーのなんて考えないわ。笑

もちろん大切には思ってますけど、いちいち頭に親が浮かんでくることはもうない。笑

(よく考えたらそれ、おかしい。笑)

 

 

そりゃもちろん、人が人生躓くことになった”因果関係”には、

育った環境や親子としての関係性っていうのがあると思います!

 

これは万人がどうしてもそうなっちゃうとは思うし。

 

だってそこがすべての始まりで、世界のすべてであって、

どうしてもそこで価値観も恐怖も形成されちゃうものだから。

 

けど、”最初のきっかけとしての因果関係なだけ”で、

自分の今の人生の不幸や不満や後悔に、親との過去を関連付けて、わざわざくっつけてこだわっているのは自分自身。

 

親に対して、何か一物思っている方(笑)はですね、

ものは試しで、

 

「わたしが今ここに生きて存在しているというだけで」、

「十分な愛を与えられた。」

「わたしは、愛されてこの世に生まれてきた」。

ということにする。

 

…そう、決めてみたら良いと思うんです。

 

そうしてしまったら、どんな気持ちが湧くか??

 

「そんなことで良いはずがない!!」

 

って気持ちが湧くのか??

 

何を思うのか??

 

それを、自分の中で淡々と見てみればいいんだと思います◎

 

そしたらやっぱり、(それで良いって思えない人は)

「何か」をくっつけたがっているのかもしれない。

 

「親とはこうあるべきものだ」とか、

「愛とはこういうかたちのものだ」とか、

「親子とは本来こういうものだ」とか、、、

 

なんらか、そういう「決めつけ」があるのだと思う。

 

そんなの、誰が決めたのか??

 

別に法律で決まってないから、自分で決めて(どうであるものだとみなして)いいんですよ☆笑

 

で、わたしは、なので決めたのですよ。

「わたしが今ここに生きて存在していることだけ」で、すでに「十分な愛を注がれてきた証拠である」と。

 

その上、さらに、社会人になるまで、生きるためのすべてのことにお金をかけてもらっちゃって、

 

雨風しのげる家も提供してくれちゃって、

(自分で生まれてすぐ、自分の家自分のお金で建てました!って人いる?笑 いないよね?笑)

 

学校も行かせてもらっちゃって。

義務教育だって「かかるお金がゼロ」なわけではないですよー!

 

あとは洋服とかは??

自活できるようになるまで、わたしはすっぽんぽんで過ごしてきました!!って人、いる??

捕まってるよねそれ?笑

 

覚えてないだけで、生まれたての頃から、

肌着やおむつ、用意してもらってたはず。

ベビーといえども、すっぽんぽんで過ごしてたわけじゃないはず。

 

 

もう、どんだけ多くのオマケを、

さらに上乗せしてもらっちゃってるのか!!!

 

なのに、

どうして、そこに

 

「感情」や「情愛」や「カタチ」や「言葉」を

更にセットで求めたがるのか??

 

「そうじゃないと、愛されたことにはならない!!」

と、したがるのか???

 

そこを、自分の中に、見るのです◎

 

わたしは、オマケ有り難いなあ〜〜って思ったんですよ。

 

別に自分が妊娠したからそう思えるようになったんじゃなくて、フツーに、自然にそう思ったんですよ。

今までどんだけ「与えられてない(と思える)こと」ばっかりを

ここぞとばかりに自分の中でカウントしてたのか??と。(絶望。笑)

 

なので、フツーに自然に、ありがたいと思った。

 

だし、いや、むしろ、もう十分でしょ!!とも思ったのです。

 

そしたら、家を与えてもらえたり、ベビーのこともいろいろと助けてくれようとしたり、

ますますオマケが拡大していった、という感じ。

 

更に今ではきょうだいや親戚やジョーさんの家族や…

ますますそのオマケが、というかその「オマケ」の「ルート」さえも、

無限に増えていった。

 

それは、もしかしたらわたしに向けられたものではなく、

ジョーさんや、ベビーに向けられたものかもしれないけれど。

 

でも、それだって

「自分にとって大切な人たち(こと)」に向けられた愛とオマケは、「わたしにとっては」、わたし自身に向けられた愛とオマケであると言えるのだ◎

 

そこ、「違う!」と思うのなら、なんでそう思う??それも淡々と見るのですよ◎

自分の中を♪ 

 

なんならそもそも、ルートが親じゃなくてすらいい、と思う。

 

おじいちゃん、おばあちゃん、学校の先生、友人、

なんなら人じゃなくてさえ、いいと思う。

 

公共の機関、奨学金、国の制度、

そんなものであってもいいと思う。

 

それが、仮に親じゃなかったとしても、

たしかに、与えられたこと、助けられたこと、あったはずでしょ??

じゃなきゃ、今日までたぶん、生きてないよ。

わたしたち、誰一人。

 

 

愛とはこうあるべきものだ。

 

そのように決めつけるのは、

いささか傲慢すぎやしないだろうか??と。

 

わたし、お腹の中のベビーに対してもちろん「情愛」もあるけれど、

それを除いても「この子は愛されてる」と堂々言えますよ。

とりあえず、抱えてるもん!!このデカイ腹を!!!笑

 

この先「死なせない」ことが可能かどうかは約束できないけれど、

そのようにしてこの8ヶ月間、過ごしてきた。

それは、仮に情愛を除いたとしても、

「愛を注いだ期間」と胸をはって言える。

 

これがさ、自分の親にあーだこーだ一物もっていると、

もーーー、自分が親になったとき大変だよ??ゼッタイ!!

 

「愛のかたち」を誰かに対して「限定」するならば、

自分だって必ず、「限定」されるからね。

他ならぬ自分から!!

 

そしてもうひとつ、

親にいちもつ抱えてて、なのに20も30も年齢過ぎたいい年こいて一緒に暮らしてる、とか、

どんだけ悪趣味ですか??

と。笑

 

いや、それも好みだし、お好きにどうぞ!なのですが、

わたしの親はこれこれこういう人で、過去にこのようにされて、、、等々言いながらも、

それはもちろんつらかっただろう、大変だっただろう、と思いつつ、

しかし、未だにそれでもその親とともに暮らすという選択をしているのだとしたら、

正直、わたしには理解できないなあ、、、と思うのです。

 

だってお金がないから、、、というのだったら、

そのために働く。

そのために、何よりも優先順位最優先にしてお金を使う。(わたしだったら。)

 

それはいったいどういう心理なのか、わたしにはやっぱりよくわからないけど、

いわゆる「共依存」っていうことなのかな、って思う。

 

今は心のことに関する情報が巷に溢れてるから、

人としての自分の親の問題(課題・いわゆる欠陥、みたいに言われるもの)、というのも、

ちょっとググれば誰でもわかるんじゃないかな、と思うんです。

 

そういうものの特徴というのを知って、

「ああ、うちの親はやっぱりおかしいんだ」と。

 

そう思えたら、一瞬はスッキリするのかもしれないけれど。

 

けどね??

 

なら、

 

そんなおかしいと思う人のお世話に、

いつまでもなってるあなたもやっぱりおかしいのでは、と。

 

お世話になって(家にお金入れてるとかそういうことではなく。。。!)、

そばにいて、一緒に暮らしている。

 

それで親も責められたり、ジャッジ的目線で見られたりしたら、

たまんないよーー。笑

 

お互いに、必要なのかもね◎

それも「愛」とも言えるので(歪んでるとは思うけど。笑)

それが好きならご自由にと思いますが、

わたしはやっぱりそんな「愛」の「楽しみ方」は、したくないな。

 

 

最後に、そんな「楽しみ方」をやめた卒業生の素敵なご報告♡

親御さんが、どうしても物を捨てられなくて、家が粗大ごみまみれで、

(なんと、彼女が生まれた頃から買い替えてきたすべての洗濯機やその他家電がひとつも処分されずにお庭に陳列?されている状態という…)

 

御本人(娘さん)は親御さんの死後に自分がゴミを処分するための貯金までしてた、ってくらいの状態だったんだけれど、

 

「そのときが来たときに考えることにして、そこを問題視してエネルギーを割いて遊ぶのをやめましょうよ」

「てゆうか家、出ましょうよ!!(しようよ!!一人暮らし!!)」

 

的なご助言をさせていただいたところ、 ※ちゃんと伝えるときはもう少し丁寧に言いましたよもちろんね

一ヶ月も経たないうちにこのご報告が…

 

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おぉ!!!!

 

そしてさらに注目すべきはこの返信ですよ。

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「無関心レベル」。
そう、この方は好きな方からもとっても素敵な言葉をいただけたそうなんですよ♡

 

そうなんですよ、ほんと、そうなるんですよ、

それが「そこで遊ぶのをやめる」ってことなの。

 

それ以外は、関心のかたちがどうであれ、

「ただ遊んでる」の。

今回のテーマで言うなら、「親をダシにして遊んでる」なの。

 

自分が被害者でいようが、自分を責めていようが、

親をちょっとした知識で分析してようが、

全部おんなじ、「親をダシにして遊んでる」だけ。

 

「その遊びをやめると決める」ということなのですよ、本当の自立というのはさ。きっとさ。←曖昧か。

 

そしたらたしかに現実が動くことってあって、

でもこの方が書いてくれたとおり、それってどっちであっても「無関心レベル」だから

現実が動いても動かなくても結果的にどっちでもいいし、

だからやっぱり全部「オマケ」なのです♡しかし、決めて1ヶ月足らずでこの展開って、やっぱりすごいですよね!この方の肚のくくりっぷりがあってこそ!かっこいいですよね!!♡

 

あくまでわたしの「好み」ですけどね♪

でもこの「好み」で、人生悪いほうに行った、という人を今まで見たことがない!!

 

過去の卒業生で、身体に傷が残るような虐待を親から受けていた方もね、

それでも「親で遊ぶのやめ」たら、

Facebookとか通じてですけど、

今、ほんとに人の目とか一切気にせず、やりたいことに全力投球!!って感じで、

 すっごくすっごく輝いてて、楽しそうで、とっても素敵ですよ♡

やっぱ、間違いない♡笑

 

そんな人生の遊び方、そんな人生の楽しみ方はやめて、

もっともっと、ほんとに楽しく輝いて、安心安全の世界で、自分らしくのびのび生きていく♡

 

長くなりましたが、そんな生き方のシフトをしたい方も、

ぜひぜひこちらの教材をご活用くださいね♡

(わたしの「親子関係の手放し」も、かなり細かく付録の実践実例集にてご説明していますよ〜♪)

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