「すみません、ただのオンナに戻ります」。

良い子を卒業して、「ただそのままの自分(ただのオンナな自分)」を大切に、がんばらずに生きる方法をお伝えしてます◎

今の自分を恥ずかしいと思うほどの圧倒的な深さを、時空を越えて感じさせてもらえることはしあわせなこと。

土曜日に無事に女性のための生き方講座2期をスタートでき、

今晩は産休育休前の最後にスタートの遠隔講座お申込者さんとのTELレッスン、

そして今週末は生き方講座1期の皆さんとの伊豆の我が家でのランチ打ち上げ&総まとめの会を控えています◎

 

そんな中で、ちょうど講座を通じて自分を見つめて自分と向き合うことの大切さを熱く語らせてもらったからか、

もしくは今月のコミュニティのテーマが「女性性的学びの極意」だからなのか、

 

「最近の自分、ノートに向かう時間が全然足りなかったな。。。」

 

と、突然そんな気持ちが湧いてきました。

 

それはもちろん、人様から見てどうか?ではなくて、

自分にとってどうか?というところ。

 

やっぱり、講座等通じて人に何かをお伝えするたびに、

一番その言葉を聞いているのは自分、という言葉もあるとおり、

講座やレッスンのたびに、わたし自身が色々と自分自身を振り返る機会をいただいています。感謝。

 

もうすぐ妊娠8ヶ月に入るところで、

発育不全疑惑もあったものの、特に大きな問題もなく、激しいくらいの胎動にほっこりとしたしあわせを感じつつ、

 

先月のコミュニティの宿題で好みの繁栄を明確にしたことで、

つわり等を言い訳にすっかりおざなりになってた女子としてのたしなみと自信(?)も少しは取り戻せて(笑)

旦那のジョーさんとの夫婦・パートナーとしての絆と、ベビちゃんの親としての同志みたいな絆も、ますます深くなってきた気がしていて。

 

のんびりした空気の中で好きなことを好きなタイミングで好きにしているだけで、

今月はスルリと月収も100万を越えて、

 

本当に、ありがたいしかないしあわせな毎日だなあ、と思っています。

 

 

それもこれも、やってきたことはシンプルに

ただひたすらに自分の気持ちと向き合って、自分に問うて、心のままにトライもして、

そうして自分にエネルギーと時間をかけることを積み重ねてきたからことが、繋がっているように思います。

 

その積み重ねてきたものには自分でも誇りとプライドを感じていますが、でも、

たぶんもっとできるよなあと。

 

そこには時間とか妊婦で体調の変化が激しくてとか、

そういうことは関係なく、

自分次第でいくらでも、自分をもっと深めていくことはできるよなあと。

 

時間・空間・肉体はたぶん、関係ないのですね。

なのに、ちょっと、自分に怠慢だったなあ、と。

 

だから昨日は、初心にかえって自分に宣誓するつもりで、

コミュニティにこんなノートのメモとともに「もっとやる!!」と投稿させてもらいました。

 

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破壊的に汚い字ですね。。。ノートタイムのお供に、先日の生き方講座2期に岡山からご参加のNさんにいただいたきびだんごを…♡笑 ごちそうさまでした♡

 

 

それでそのあと、

このときに、伊豆高原の素敵な隠れ家カフェでいただいたまま、

目を通してなかったこの本を手に取り眺めていました。

 

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松下幸之助さん著「大切なこと」。PHP出版より。

 

 

わたしはある時期から、本をほとんど読まなくなりました。

 

たぶん、このブログを書き始めて数ヶ月頃、経ったときかな?

 

それまではいわゆる自己啓発本とか、書店の「女性コーナー」みたいなところによく足を運んでは、

いろんな新しい情報、

なんだか効果のありそうなメソッドが書いてある本を眺めてはワクワクした気持ちでいたんですけど、

あるときからその自分、「そのワクワク」を疑うようになり。^^;

 

・そういうものを読んで、読んだだけで、賢くなったような、何かが変わったような気がして安心している自分。

 

・著者の方のエネルギーに良い意味であたって(本を書いているような方のエネルギーって、やっぱりとても大きいですからね!)

一時的にモチベーションが上がって、高揚した気分になって、何か自分まで変われたような気がしている自分。

(実際には読んだだけ。現実も自分のあり方も、何一つ変わってない。)

 

・夢や描く理想ばかりが大きくなって、その気持ちよさに酔って、

地に足のついた現実では、何の小さな具体的な一歩も見出さなければ、

踏み出しもしない自分。

 

・自分が自分自身で、何気ない日常の中にしあわせを見いだせないから、面白さを創り出せないから、本を通じて、その著者さんのワクワクや素晴らしい人生に、「自分もノセさせてもらおう(=ある意味で、おこぼれもらおう)」的、他力本願的精神で本に向かっていた自分。

 

・しかも大体が、読んで満足のつまみ食い。学んだことをトライすることもなければ継続することもなく、しばらく経って、また別の本に答えや刺激を求めてさまよう。

(自分で自分の人生面白くする力が無いから。ある種、それやってないと持たない、みたいな、ドラッグみたいなもん。)

 

 

…そんな自己満、かつ、オ◯ニーみたいな気持ちよさに満足してる自分、

自分から何も足元の日常でcreateできない、超絶つまらない人間でしか無い自分、

そんなことで日々を浪費している自分、、、

 

自己啓発本や自己啓発ブログを、そんな使い方しかできていなかった自分を明らかに見たら、

 

(そのための読書なら、ブログ閲覧なら)

マジで無駄だな!!

 

いや、むしろバカだな!!

 

と、ハッと目が覚めて、

そこからは本屋さんにさえ行かなくなっていきました。

 

なんか振り返って書いていてほんとうに恥ずかしい…。

本や、本屋さんがダメなもの、ということではないですよ!!

そんな素晴らしい智慧の宝庫を、そんなふうにしか使えなかった自分が無駄であり、馬鹿であり、、、ということですよ!!!

 

このような状態では、

「今の自分が、そんな智慧の宝庫に触れても、そこから少しでも受け取れるステージにさえいない」と気が付き、

そんな智慧の宝庫を人生をダラダラと浪費すること、

自分をごまかすことにしか使えていない自分ならば、

まずは自分と向き合うことだ。と。

 

それで、このブログの更新に自然と、

時間とエネルギーが割かれていくことになりました。

 

もちろん、その頃はブログを書くだけではなくて、その背景にはものすごい数の、

自分の心を書き留め、見つめ、突っ込みまくった(笑)

殴り書きのノートの山が存在しています。

 

その頃よりも、気がつけばずいぶんとわたしの人生の背景が変わって、苦しいと感じるようなことはほとんど無くなったので、

結果としてその頃よりも、ノートに向かう「必要性」みたいなものはずいぶん薄れていった気がします。

 

けど、今回の「最近のわたし」を感じて、

それをノートに書き出したことで、改めて、

「必要性」っていう基準で、「苦しいから(何かを解決したいから)」という理由がないと自分の心と向き合わない、というのは、

本当に心の貧しいことだ、と感じました。

 

そして先程の、松下幸之助さんの本の一ページより。

 

本の一部を抜粋(引用)して、

青字の部分がわたしの感想(感じたこと)を書いています。

 

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見えにくいと思うので、本記事でも抜粋を。。。

 

「大切なこと」松下幸之助 P.11

 

どんな賢人でも、その人ひとりの知恵には限りがあって、

だから自分の知恵・才覚だけで事を運べば、

考えがかたくなになる。

視野が狭くなる。

 

(中略)

 

しかしやはり、他人の言はよく聴きたい。

どんな人の言葉も、どんな人の考えも、それが真剣であればあるほど、

身を乗り出すほどの想いでよく聴きたい。

 

一人よりも二人に、二人よりも三人に、

できるだけ多くの人から、できるだけ多くの話を聴いて、

そしてわが心を養い、

わが知恵を誤りなく豊かにしたい。

 

 

…もう、どんなもんか。ですよ。

ノートにも書いたとおりですが(読めないかもだけど・・・)

 

この、巨大なほどの好奇心(=世界・他者への興味・関心)。

 

圧倒される。

 

 

写真のとおりですが、わたしの感じたこのメモ。

 

これ(後半の部分)が、きゅーんとするというか、ドシーンと(胸に)くる。

 

自分が恥ずかしくなるような。

 

「何かのために学ぶ」「何かを得るために(得られるなら)学ぶ」、

やっぱりそれは、貧しく、ひもじく、さみしいことだと思う。

 

(追加注※ 浅ましい、とも思う。だから人生・生きることに対してそもそもがこの姿勢の人は、人生そのものが豊かにならないのはやっぱり必然だなあ。)

 

これだけ物心ともに豊かな人が、なおもって望むのがこういうことだと。

 

そして、そうであるから豊かなんだと思う。

 

自分の小ささを思い知らされる。

 

そしてそれはしあわせなことである。

 

(他者の)深さを(時空を越えて)見せてもらえるのは。

 

 

…そんなことを、切に、切に感じて、また絶望。

 

そしてこんなふうに、偉大な先人の言葉に触れて、

今の自分に絶望できること、今の自分を恥ずかしく感じられることは、

とてもしあわせなことだと思うのです。

 

読書が少しずつ、またわたしの日常の中に自然と入ってきたのは、思えば妊娠がきっかけだったように思うのですが(これについても書きたいことがあるのでまた別記事で。)、

 

たくさんたくさん自分と向き合う時を積み重ねて、

気づけば読書に求めるもの、姿勢もすっかり変化していたことに気が付きました。

 

「何かの情報を得るため、何かを解決するため、手軽にラクに、安く、できるだけ損なく、

そのメソッドや知識をいただこう、自分で考えずに人様からもらおうもらおうとしていた浅ましい姿勢」から、

 

気づけば、

 

「その(本を書いた)人の、言葉や存在の奥にある深さ、奥行きを少しでも感じ取りたい。

その、圧倒的な違いを目の当たりに感じたい。

 

そうして圧倒されて、絶望して、自分の小ささ、浅さを思い知って、

そこから一つでも多く、

自分の人生の、具体的な糧としたい。」

 

そんな願い・想いに変わっていました。

 

だからもう、何かの書物に目を通した時に、

あの頃のような高揚感、気持ちよさ、ウキウキルンルン、という気分はなく、

どちらかというと、

チーーーーーン。。。

というような、

後ろを向いて、背中をまるめて落ち込みたい気分になることのほうが多い気が。笑

 

でも、それはちゃんと、その「違い」を、「差」を

明らかに見て感じて、受けとめられているからかな、と思います。

 

その場の高揚感なんて、気持ちよさなんて、別にいらない。

 

そんなところで、わたしは人生を楽しみたいわけじゃない。

 

もっと、この自分を、この肉体を、この自分の存在する世界を、

もっと豊かに、深く深くよろこび感じて生きていきたい◎

 

 

そんなときに、先人の圧倒的な存在感・生命力みたいなものを、

感じさせてもらえる読書って、やっぱりいいなあ。と再び感じ始めています◎

 

結局は、受け取る側の器の問題なのですよね。

 

どんなに学べる相手がそばにいても、(その縁があっても)

その違いや奥行きに自分が気づけなかったら、

表面しか見ていなかったら、

「やり方」「方法」ばかりに目がいって、

「あり方」を観察できなければ、

ほとんど多くを取りこぼしてしまうから。

 

女性は本来「感じる」力の強い性◎

 

だからこそ、「言葉」にまどわされず、

その奥の、目に見えないものの奥行きや深さを、

感じ取れる女性が増えていってほしいなあ、と思いますし、

 

もちろんわたしも、まだまだ磨いていきたい♡いかねば!と♡

 

読書の秋、学びの秋、

先人の智慧があふれるこの素晴らしい世界に感謝して、

ますます「わたし」を慈しんで、大切に大切に生きていきたいと思います♡