「すみません、ただのオンナに戻ります」。

良い子を卒業して、「ただそのままの自分(ただのオンナな自分)」を大切に、がんばらずに生きる方法をお伝えしてます◎

過去の出来事も親との関係も。「逆境」でさえなければ「今の自分とも関係ない」と生きたとき、道は拓かれていく◎

 

最近、目に見えないところで、でもしっかりと、

一人ひとりの心と人生のありようの認識が

変化してきているなあ〜〜〜と感じています。

 

そのひとつが、

「親との関係」や「育った環境」や「過去の出来事」と、

「今の自分」との関係の認識についてです。

 

一昔前、まだ、「自分自身の心(あり方)と人生(現実)の関係性」なんていう目に見えないものは、

たぶん、多くの人がその関連性を重要視していなければ、重要視していないのだから認識さえしていなくて、

本屋さんに行ったところで、そんな本はまだ、ほとんど無かった時代が長かったのではないか?と思います。

 

つまり、そういった認識は、一般的な世界ではたぶん、全然メジャーじゃなかった。と。

 

たぶん、戦後、物質的にものすごく苦労をしたからこそ、

目に見える確実なものばかりが重宝・重要視されてきた時代が親世代だったりするのかな?と思います。

 

でも、少しずつ時代が変化してきて、世の中が豊かになってきたときに、

「心」っていうものに徐々に着目する人が現れてきて

「目に見える現実とか、運とか、縁とか、人生の幸不幸みたいなものについて、

目に見えない心とか、ありようがどうも関係があるらしい」

という認識が徐々に広まっていって。

 

でもそれは、最初の頃は、まだまだマイナーな扱いで、

オカルト的な扱いでもあったのかもしれません。

 

けど最近では、それがもう、随分メジャーなものとして

広く人の意識の中に浸透しているような気がします。

興味を持つ持たないは別として!

 

で、その中でも特に、

「人生が上手くいかない(と本人が感じてる)」とか「生きづらい」とかいうことについて、冒頭に書いた、

「親との関係性」や「育った環境」や「過去の出来事」に因果関係がある、というものの見方が、

「見えないもの」を感じようとする人、しない人(ちょっとまだ、そういったものに対して一線を置いているような感じの人)かかわらず、

広く浸透しているように思います。

 

そして、世の中で広く浸透するものって、

それが正しいものだから、ではけっしてないと思うのですよね。

 

そうであったほうが都合の良い人がたくさんいればいるほど、

それはあっという間に世の中に広まる(受け入れられていく)

 

…これが真実なんじゃないかなあ。

 

つまりこのことでいうならば、

「自分の人生や現実が上手くいかない原因」が「親や育った境遇や、過去の出来事のせい」

であったほうが都合がよいと感じる人が多かったから、

この考えは、短い期間であっという間に人の意識の中に浸透したんじゃないか、ってこと。

 

もともとその因果関係を感じ取って、発信した人の意図とは別として、

「そうであったらラク(=親のせいにできる。過去のせいにできる。自分の人生の嫌なことはそもそも自分の責任じゃない、ということにしておける。)」

という【使い方】を

都合が良いと感じる人が多かったのではないか、と思う。

 

といいつつ、実際、それが【間違っていること】かと言えば、そうではないとわたしも思っていて、

人生で最初に出逢う人間、そうして長く一緒に過ごす親っていう存在や、

育った環境、過去の出来事が、

人の心や価値観に影響を与えていないわけはそりゃ無いだろう、とわたしも思うわけです。

 

それは確かに、どうしたって避けようが無い。

 

でも、だからといって、何もそういった過去や育った境遇に

問題を抱えていない人なんておそらくほとんどいなくって、

その因果関係はみんなが持っている上で、

【ひたすらそのせいにして生きるか】、それとも、

【それらがあるらしいことを受け入れた上で、今の自分から、一歩一歩、人生をより良くしていこうとするか】、

それはもう、随分前から自分で選べる力をわたしたちは持っているよね、っていうことを言いたいんですよね!

 

もう、子供ではないんだから。

親が四六時中、ベッタリくっついてるわけではないんだから。

 

しかし大体、親に対して一物抱えつつ、なのに「お金のために(貯金したいから、収入が少ないから)」とかいう理由で一緒に暮らしてる人も少なからずいて驚愕!

嫌なら出ていけばいいのに、しないのは結局、打算で生きてて、自分にとってなんらかメリット握ってるからなんですよね。それさえ親のせいにするのですか?

 

 

いつの時代にも、自分以外の何かが足りてないこと・駄目であるということにして、

それを理由にして、いやいや、言い訳にして、

それにぶら下がって自分から目をそらして生きていきたい人、

自分の責任を取らずに生きていきたい人はいるんだと思う。

 

そしてそういう人たちは、時代がどんなに便利に、豊かになっていっても、

いつも結局はそれらを享受できずに、取り残されて生きていくのだと思う。

自分自身が、自分自身にさえ、出し惜しみするから!

 

わたしは、わたし自身がまさに

【自分以外の何かが足りてないこと・駄目であるということにして、

それを理由にして、いやいや、言い訳にして、

それにぶら下がって自分から目をそらして生きていきたい人、

自分の責任を取らずに生きていきたい人】出身で(笑)

 

けど、そんな自分に気づいて、

そしてそのままの自分だと、間違いなくこの先も

【時代がどんなに便利に、豊かになっていっても、

いつも結局はそれらを享受できずに、取り残されて生きていくのだ】

とハッキリ自覚したときから(笑)、

 

自分で感じて考えて、自分の責任で生きていこう!と肚をくくって、

そこから大きく人生が変わっていったので、

 

そんなかつての自分と同じように、そこに気づいて、変わろうとする機会を得ることで、変わっていける女性がいっぱいいるんじゃないかなーと思っていること、

そして実際、その変化する姿を見ていることが、

このお仕事続ける原動力になっている、と思っています。

 

それで、冒頭の話にやっと戻るのですが、

そんなふうにこの仕事をやっていく中で、

最近お客さんとなる方たちの様子が変わってきたように感じて。

 

それは、たとえば「自分の今が嫌なものであること」が、

「親や過去や育った環境のせいではない」ことを、

早々に受け入れられる方がとっても増えてきた、ってことです◎

 

「でも、だって、そうはいっても」って心の中でその事実を抵抗することが随分減って、前はそういう人もっとたくさんいた気がする。

「ああ、そうだよな。。。そのせいにして自分が逃げてきただけだ。」って降参することが、とても早くなった、というか。笑

 

どんどん、潔くなってきている気がします。

もちろんですが、わたし対してってことではなくね。

ごまかして逃げてきた自分自身に対して、ってことです。

 

ということは、やっぱり、

みんな本当はうっすらと、気づいているんですよね。

 

まだまだ、耳障りの良い言葉やサービスが蔓延している世界が確かにあったとしても、

そこにますます逃げてしまわずに、

 

「親や過去に原因があったことは確かかもしれないけれど、

いつまでもそれを握ってそれのせいにして生きていたって仕方がない。」

 

っていうことに◎

 

そのことが、とても頼もしいなあ、って、地味にちょっぴり感動している次第なのです。

 

そしてそれは、わたしのところに来るお客さんがいい人たちだから〜とかってことじゃなくて、

きっと世の中、本当にそんなふうに、変化してきているのだと思う。

目に見えないところで、でも確実に、しっかりと。

 

ひとりひとりが自分の人生に責任をもって、自分にだけ集中して、

自分の意志で人生をより良く切り開いていく時代◎

 

その途中途中にカオスな時期(今回で言うならば、せっかく心や目に見えないものの存在が知られていっても、それを言い訳に使ってしまう人たちが出てくるような時期)はあったとしても、

やっぱり確実に、

世界は、時代はどんどん良い方向に向かって進んでいっているなと◎

 

そう感じています^^

 

でね、あと、もうひとつ。

 

わたしはその「いろいろあったかもだけど、今の自分とは関係ない」という自己責任な生き方(あり方)を、

旦那のジョーさんと出逢って感じて、「わたしもそうありたい!」と思って今日まで生きてきているんです。

(まだまだわたしも発展途上ですが◎)

 

なので講座生にも、ジョーさんのちょっと、ブログには書けない過去の話みたいなことをちょっとお伝えしたんです。

 

そしたらジョーさんに対して、講座生が、

「境遇をむしろバネにして、力強くプラスに生きてる人」と、

それに対して、

「素敵ですね!」というようなことを、書いてくれたんです。

 

それで、それはそれで嬉しかったんですけど、この太字の部分。

 

境遇をむしろバネにして、力強くプラスに生きてる人

 

…こういうのも、もう、新しい時代では違うようになってくる、と思ったんですよね!

あ、ジョーさんを素敵と言ってくださったことはもちろん嬉しかったですよ^^

 

何が違うかっていうと、これって結局、「逆境」というような意味だと思うんですけど、

そして世の中的に、「逆境をバネにして力強くプラスにして生きる」みたいのが【良いこと(素晴らしいこと)】とされていると思うんですけど、

 

その逆境っていう言葉(認識)さえ、

それがあったほうが都合が良い人がいて存在(認識)してる言葉だと思うんです。

 

わたしが思うに、それは、

一時代前で成功を収めた(ということに自分たちがしておきたかった)男性たち、だと思うんです。

 

わたしが銀座のクラブで一時期ホステスをしてたときに、いたな〜って思う。

 

「オレは逆境の中、ここまでやってきたんだよ」みたいに、

過去の出来事、育った環境、みたいなものを、

武勇伝みたいにして語るオエライおじさんたち。

 

でもそれって、逆境があったこと(逆境というものが存在すること)が、その人達の

メリット、都合の良さになってる、ってこと。

 

ちなみに、「逆境」という言葉の意味も調べてみました。

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ここでいう「不運」とは。

 

多くの人にとって、「自分にとっての」ではなく、

「世の中的に見て(不運と言えるか)どうか、決めている」のだと。

 

つまり、「外向きの言葉」なんですよ。

それを不運として評価する他者が存在する(という計算のもと)語られる言葉。なんです。

 

つまり、他人に語るためにある言葉、みたいになってる人がとっても多い。

 

主にそれを行使しているのは、何かを自分がなしえた(ということを人に認めてもらいたい)おじさんたち=一昔前の男性たち。

 

そして「逆境をバネにして、力強くプラスに生きてきた自分」を、「特別である」として他者と境界線を引きたいから、

「逆境」っていう「存在」が「必要」なんです。

 

そういうところで、「他者と自分の違い(特別)」を主張して、

自分を際立たせたい、ただ自己顕示欲が強い、社会や他者からの評価を求める男性たちが作ったのが、そういう言葉であったり、いわゆる「成功哲学」と言われるものたちであるとわたしは感じてます。

 

で、そういう人たちの発言権というか、言葉の影響力が大きいから、

「そういう思想」があたかも「素晴らしいもの」「正しいもの」かのように認識されているんだと思う。

 

けど、そういう見栄っ張りの、かたちだけ体裁整えた「成功」や「幸せ」や「強者」というものの定義は、

それはこれからの時代、必ず崩れていくと思う。

 

というかすでに、内部から徐々に崩壊していっているよね。

あちこち、ほころびているのだと思います。

 

わたしがジョーさんを素敵だな、って思ったのは、

逆境をバネにしてプラスにして生きているから、ではなくて、

 

そもそも自分の人生に起きたことを、逆境だなんて思っていない。

ということなんです。

 

というか、ジョーさんの頭の中の辞書に、「逆境」という言葉がない。笑

 

だって、必要がないからです。

そうであることにするメリット(=自分がすごい、自分が特別であるとみなしてほしい)を握っていないから。

 

もしかしたら、他人から見て、それを「ひええ。。。(それはさぞ大変だっただろう。)」という過去も、育った境遇も、

 

ただの「(人生の)違い」であり、

ただの「(人生で起きる)波」でしかない

 

んです。

 

真実は、真理は、そうだと。

 

そこに人が、なんらかメリットがあって、都合よくしたくて、悦になりたくて、あるいは被害者でいたくて、悲劇のヒロインでいたくて、

「不運」だとか「幸運」だとか「成功」だとか「素晴らしい」だとか「素晴らしくない」だとか、

くっつけてるだけなんです。

 

くっつけて、どれだけ、他者にもそのように見られて、

賞賛されたり、あるいは同情されたり、

そういうことの数を得ることでご満悦になる(もしくは安心する)ゲームを

チビチビとこの人生で楽しんでるだけ。

 

そんな人達のつくった価値観に、多くの人が踊らされて、

「こういう人間であれば素晴らしい」などと、

ときにはそれを目指したり、自慢したり、躍起になってるんですよ。

 

マジでくだらない。笑

 

わたしももちろん、旦那・ジョーさんのことを心から尊敬しているし、

素晴らしい人だなーって思っていますが、

それは繰り返しますが逆境をバネにして強く生きているからではなく、

 

そもそも自分の過去を逆境だなんて思ってないし、

思ってないからひけらかすこともないし、

ただわたしたちが夫婦でお互いのこと色々話したり聞いたりする機会が多いから聞いたことあるだけで、ひけらかされた記憶は一度もない。笑

そもそも自分の唯一無二の人生の唯一無二の「違い」や「波」を

他者と比較するなんてことを一切しないとこ。

 

だってそもそもみんなそれぞれに、「違い」や「波」を抱えて生きているのだから。

あっちの人生のほうが良い!とかはない。良いとこだけ取って生きれている人はいない。

 

で、そもそもそういう「違い」「波」のすべてから人はプラスの糧にしていけるし、していきながら生きていくのであって、

それはもう、人として当たり前の行為。なんです。

 

「逆境」をプラスにすることが偉いとかすごいのではないんだよ。(そもそも「逆境」なんてものが存在しないのだって!)

 

そういう旦那さんのフラットなものの見方、生きる姿勢を素敵だな、とわたしはもちろん感じていますが、

それもジョーさんだからではなくて、

きっとそういう人はいっぱいいるし、

むしろどんどん増えていると思うのです。

 

そういう、ハリボテの今までの一部の男性たちが(自分たちにとって都合が良いゆえに)語ってきた成功哲学、価値観が

今、内部からどんどん崩れているし、

これからの時代、きっと一気に崩壊して、まったく違う価値観が生まれてくると思うよ。

 

たぶんそれは、そう遠くない未来に。

 

そしてそれは、【今の】世の中ではまだまだ【それが男性という生き物】という認識をされているけれど、

男性という性の素晴らしさの実態も、認識も、

それとともに絶対に変化していくとわたしは思う。

 

本来あるべき姿に戻っていくのだと。

今はそれらの価値観に踊らされた、ハリボテの男性がほんと多いと思うし、それらを「男性という生き物」と社会がみなしているけれど。本質はそこじゃないと思う。

 

 

わたしはある種、

「コレ言っときゃ間違いない」みたいなのが本当嫌いで(キモくて)

それはさきに挙げた

「親子関係や育った環境に今の自分の人生の不具合の原因がある」

とか、そういうやつもしかりだし、

「逆境は勲章」みたいな世の中の風潮もそう。

 

「世の中の大多数」が認識してる「常識になってきたもの」を言っときゃ、

影響力のある人が言ってることを言っておけば、

それで間違いないでしょ、っていう怠慢な姿勢が、キモいんです。笑

 

あ、当たり前ですがジョーさんを褒めてくれた講座生が、ってことではなく、

むしろ、こういう発信をしている立場の人間や、

それを仕事にしている人間において、ってことね!

 

それではあまりにお粗末でしょうと。

 

もちろん、他者の言葉によって繋がって、「わたしもそう思います」となることはわたしも山程あり、それは影響を受け合える人間の素晴らしいところだと思う。

 

けど、

「大多数(もしくは影響力ある人)が言っていることだから、間違いないに違いない(からそう言っておけ)」という姿勢は、結局、

自分で感じて考えず思考停止していることと、同じだと思うから。

 

周りや日常から気づき・考えるきっかけという恩恵を有り難く享受しつつ、これからも、一人の、ただのオンナとして、ただの人間として♡

自分で感じて考え言葉にしていくことを、

大切にしていきたいなと思います♡

 

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オマケ写真♡数日前のお散歩カフェタイムの一コマ♡

 

 

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遠隔講座のお申込みは今週末8/26(日)までにお願いいたします♡ 

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