「すみません、ただのオンナに戻ります」。

良い子を卒業して、「ただそのままの自分(ただのオンナな自分)」を大切に、がんばらずに生きる方法をお伝えしてます◎

「悪」「問題」「間違っていること」があることにしてしまうメリットとは❤【「問題解決」「社会貢献」「正義」の落とし穴❤②】

 

ちょっと聞いてくださいよー!!!!

 

昨日、すごい嬉しいことがあったの!!!

コレ!!!

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なんと、高校時代の友人も妊娠していました!!❤

 

しかも予定日ほぼほぼ同時期!!!2週間しか違わない!!❤

 

 

嬉しくてコーフンしてすぐ電話しちゃいましたー笑

「わたしも実は妊娠してて、最近安定期入ったばっかなんだっっ!!」と。笑

Facebookの投稿とかのわたしの服装とかで、なんとなくそうかな?って思っててくれたらしい*^^*

 

友人の数が非常に少ないわたくしですが(笑)

高校時代はこの子と、あと2人仲が良くて結婚式にも行ったり来てもらったりしてるんだけど、

あとの2人はすでにお子ちゃんが2人ずついて、

わたしと彼女だけまだ子どもはいなかったんだよね!!

 

だけどわたしは自分が子ども授かっても授からなくても(友人が子どもいてもいなくても)

そのことで関係が崩れてしまうのはイヤだったから、最後に二人で飲んだときに、

 

「もし子どもできても、わたしに遠慮とかしないで言ってね!!(そのときわたしが授かってなかったら)やっぱり焦ったりちょっと凹んだりするかもしれないけど、でもやっぱり絶対嬉しいと思うし、友情がそれ次第(どっちかに子どもいてどっちかにいないとか)になるのは絶対ヤダから!!」

 

…とかって、熱く語った記憶がある。笑

 

そしてお互いそれぞれに、悩んだり抱えてる事情とか、

過去や家族にいろいろあったこととかも、よく知ってるし!

 

だから実際こうして連絡くれてすごく嬉しかったし、

「友情のいかん、子どもいるいない次第」はもちろんありえないって思ってたけど、

そうはいってもこうして同時期に子ども授かって、

「お互いに良かったね!!」って言えることは本当に嬉しい!!❤

 

すでにママである友達もめちゃくちゃ喜んでくれてて❤

(まだもうひとりには連絡してないんだけど!)

 

早速、会えるうちにみんなで会おー!!てなって、来月末に東京で集まれそうだよー❤

 

そして実は元職場の先輩も、6月に出産していることがわかってですね!!

 

この先輩は、わたしの結婚式にも来てくれたんだけれど、その後一人目のお子さんを流産してしまって、すごく気になっていたのだけれど、

気づいたら妊娠されてて、気づいたら出産されていた!!!笑

 

みんな、しあわせが赤ちゃん次第になることはないけれど、

やっぱり本人が授かりたいと思ってるのなら、

そうなったことは本当に良かったことだし、とても嬉しく喜ばしいことですよね❤

 

そして改めて、日々、自分のHAPPYを一番に構築していくことが一番大事だなあ。

 

と。

 

だってこういうときに、

自分がしあわせだからこそ(自分がしあわせで在ることを一番大切にしてきたからこそ)、

人のしあわせもまた素直に喜べて、

しあわせそうなわたしの姿がまた、友人たちもしあわせにすると思ったんです。

 

それは、持ってるモノや、状況次第じゃなくってね。

だってそんなの、いつも無限に変化するし。波あるし。

 

だから、どんなときも、勝手に自分がしあわせで在ればいい。

けど、望む未来があるのなら、周りの目なんて気にせず、そこに素直に手を伸ばしつつ。

 

改めてそういうことだと実感し、友人の吉報に心底喜び&コーフンしつつ(笑)

自分の積み重ねてきた生き方や選択にも誇りを感じました❤

 

***

 

さてさて、そんなこんなで明日はいよいよ女性のための生き方講座@伊豆 の開催ですがその前に、

昨日の記事の続きですよー!!

 

 

santasantasan.hatenablog.com

 

 

そもそもみんな、好きなこと好きでやってるだけで、

そこに「どっちが素晴らしくて、どっちが素晴らしくない」とか「どっちが正しくてどっちが正しくない」とかない。

 

なんせ正しさというものは、時代の価値観によって簡単に変わりますからね!

 

今は人を殺すことは悪だと誰もが認識しているけれど、

戦争中は人を殺めることが正義になる。勲章だってもらえることもある。

けど、その(戦争の)勝敗如何で、賞賛され尊敬されてた人が急に罪人扱いになることもある。その逆もある。

 

カップヌードルは体に悪い!って誰もが認識してると思うけど、

戦後の貧困期に日清のカップヌードルは開発されて、

それによってたくさんの子どもや家族が救われた、と聞いたこともあります。

 

急激な経済成長で環境汚染の問題は起きたけど、

それによって雇用が増えて、世帯の収入も増えて今の日本の豊かさがある。

 

どっちが悪か、どっちが正しいかなんて、一概にいえない。

物事にはいろんな側面がある。

 

けど、

 

そこにあえて「正義(正しさ)」を持ち出して、振りかざして、その対極に、

 

「悪」を設ければ、

 

「間違っていること(正さなくてはいけない問題なこと)」を設ければ、

 

ラクだしスッキリできるんですよね!

 

 

「わたしは正しく素晴らしいことをしているから!」って、

そのすべてを正当化できるもん。

 

その対極に「悪」があることにしたほうが、

これは「正」これは「悪」って境界線くっきりわけちゃったほうが、

いちいち立ち止まって考えなくていいし、人の共感も同情も得やすいもん。言い方悪いけど、扇動もしやすいもん。

答えと正解のないその都度その都度の選択に、人間関係に、

頭を悩ませたり、感情を揺さぶられたり、

そういうグレーであることの心地悪さを自分の中に抱えなくって済むからスッキリするもん。

 

「こっちが白(こういうことが白=正しい・素晴らしい)」

 

「あっちが黒(ああいうことは黒=間違ってる・問題・悪)」

 

っていうことにしちゃったほうが。

 

 

もう少しわかりやすく書きますね。

 

たとえばわたしでいうと、ブログを書いていて、

「こういうの不潔です」とか「もうこういう人は大事にしない」とか、

そういうけっこうきつめのことも書くことがあると思います。

 

それはもちろん、わたし自身がわたし自身の好みにおいて、

不潔と感じるし、どうかと思うから、

そのように「わたしの感じること」を書いているだけで、

「相手が間違ってるから」ではなく。

 

「わたしはこう思うし、それって絶対苦しいだろうと”わたしは”思うし、だからやめたほうがいいと思うんだけど、同じように感じる人ってもしかしているんじゃない?」

 

って、いう気持ちで投げてます。

 

そして「わたしが感じたこと」を通じて、「あ、確かに自分はそれで苦しいのかもしれない。なら、もうやめたいな」って思う人がいるなら、

一緒にがんばっていこうよ、って思っているから、伝えたいことがそこにはあって。

 

で、そういう「同じだな」って感じる人が潜在的にこの世の中に存在するのなら、

何か気持ちに引っかかってほしい、少しでも(感覚的にでも)伝わってほしい(なぜならそれが正しいからじゃなくて、ただわたしが伝えたいから)、と思うから、

 

あえてエグい言い方、挑発的な言い方を選ぶこともあるんです。

 

だって、綺麗事じゃ届かないと思うから。

 

「伝えたいなら、もっと優しく言えよ!もっと気持ちよくさせろよ!」って思う人もいるかもしれないけど、

 

わたし、分野は違えどこういう人に何かを伝える仕事をみっちりやってきて、もうかれこれ10年近く経つのですが、その経験から、絶対的に、

 

この伝え方のほうが、このやり方のほうが、人に届く。

 

人の心に響く。

 

しかも、本気の人たちに。

 

といまのところ確信してるから、それをあえて選択しています。

 

この10年の間、一通りのやり方はすべて試し尽くしましたよ!!

ひたすら優しく寄り添うとか、傾聴するとか、元気よく励ますとか、逆にもう鬼教官のようにとにかく怖さで迫るとか。。。。笑

 

いろいろトライしてみて、あえてのこの今の選択なんです。

(これも、好みです。より伝えたいという気持ちと自分が心地よいというところのバランスを考えたところでの好みね。)

 

 

 

で、そうやって自分なりにいっぱい感じて考えての選択だけど、

 

優先順位だけど、

 

だからといって「コレで良いんだ」と、

 

100%スッキリすることはない。

 

 

 だって正解がないから。

 

 だからいつも、「これで本当に良いのかな?」って行動する前に、言葉を放つ前に葛藤するのは当たり前だし、そのたび自分と向き合うし。

 

ただウダウダ迷ってても時間はどんどん過ぎていくから、

そのときなりにベストと思える判断をしなくちゃいけないと思ってて、

 

けどあのときはこう思ってこうしたけど、あれ間違ってたな、って思うこともある。

反省することもある。

自分のこと、信頼しているけど、でもいつも疑う目線も忘れない。

 

だから「コレで良いことにする」と決めつけちゃうことができるわけないし、

白黒ハッキリスッキリ思えることってないです。

 

とくに人間関係が絡むことだとね。

となるとほとんどすべてのことだわ。

 

だから、ハッキリ言って心地よくないことも多いし、

心もとないことも多々あるんです。

 

「これで良いのか悪いのかまったくわからないけど、今のわたしの好みと責任で、こうする(こう在る)と決める。」

 

というのは。

他人からの「賛成票」は得られないからね。だって本当にただの好みだもん。

 

 

 けど、ここに「正しさ」を持ち込めば、「悪い(間違ってる何か)」があることにすれば、やっぱり、

 

ラクなんですよね〜〜〜。

 

 どうラクかと言いますと、

 

・世の中こういうことが間違ってるから、ってことにしておけばいい。

 

・わたしは正しいことをしているから良いんだ、ってことにしておけばいい。

 

・自分とは真逆の人を見下して、簡単にスッキリしちゃえる。

 

・対象に対して、「正しいっぽいこと」や「いわゆる世の中の大多数の人にありがちなイメージ」を間に挟めば、

簡単に他人に共感して同情・同調もしてもらいやすい。

 

※たとえば、「行政って本当、どうしようもないよね」とか。

「お金持ちってやっぱりそうなんだろうね」とか。

勝手なイメージで簡単に人を扇動できて、

(本人は扇動しているつもりはないかもしれなくても。)

 

それで「あなたは悪くないよ。素晴らしいことをしているよ(悪いのは相手)」と言ってもらえれば、

そこでもまた安心できてよりスッキリできる。

より自分を正当化できる。

 

・なんなら「間違ってる、わかってない誰か(何か)」と「ちゃんとわかってて素晴らしいこと(正しいこと)をしているわたし」があるから

そこのギャップで優越感を持つこともできる。

それを「自信」だと勘違いしている人もいっぱいいるかもしれない。

 

 

だから、正しさを語っておけば、問題(間違ってること)があることにしておけば、

すっごいラク!!メリットありまくり!!笑

 

 

けど、それやっちゃうとやっぱり、

 

自分のいる世界が、

 

安心安全の世界からどんどんかけ離れて行っちゃうんです。

 

これが、たぶん

メリットを1000倍以上に上回る、

 

自分を超絶苦しめるデメリット

 

なんですよ。

 

続く❤