「すみません、ただのオンナに戻ります」。

良い子を卒業して、「ただそのままの自分(ただのオンナな自分)」を大切に、がんばらずに生きる方法をお伝えしてます◎

「問題解決」「社会貢献」「正義」の落とし穴❤「ただ好きでやってるだけ」で済ませられないのはどうしてだろう?❤

昨日、とっても素敵なお便りが届きました〜!❤

 

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綺麗な字でびっしり!!Hさん、届いたよ〜!!本当にありがとう〜〜!!

 

こんな粋(いき)なお手紙送ってくださった送り主は、

このとき伊豆の自宅での初めてのレッスンを受けてくださったHさんです^^

 

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それで気がついたんですが、東京に通いでお仕事するスタイルをやめると決めて、

最初の伊豆の自宅でのお仕事からちょうど丸2ヶ月が経ったんですね。

 

タイムリーなことにちょうどこのお手紙が届く直前、

この2つの記事を見返していたのです。

 

そして改めてちょっと驚いたことは、

この頃はまだ、伊豆でやることに対して、やるとは決めて実際スタートし始めたものの、

思ったよりたくさんのことを気にしていたなということです。

 

それはたとえば、都会と比べたときのアクセスや利便性の悪さとか、

自宅っていう普通っぽさ?とか、素敵空間じゃないこととか

仕事のお客さんに自分のプライベート空間=自宅を見られてしまうこととか、

わたしのことを直接面識のないお客さんが自宅まで来るのは、お客さん側が抵抗ないかな、とか。。。

 

そんなことを感じてドキドキしていたんですね。

 

けど、今のわたしはというと、

 

そのどれも、もう、一ミリも気にしてないな。

 

ということに気が付きました。笑

むしろ、「へー、2ヶ月前はそんなこと気にしてたんだっけか!」という感じです。笑

 

それってやっぱり、「決めた」からだろうな、と思うのです。

 

「決めた」そのときは、不安があっても、気持ちがザワついても、

それでも、もうそこで遊ばない、

自分のしたいようにする(そう在る)と決めて自分なりに進んでいくと、

 

そのとき確かに感じていた不安もこわさもいつの日か遠くなって、

あっという間に過去の背景になっていく(=「そんな風に思ってたときもあったなあ」という気持ちになる)という魔法。

 

それはこわさや不安を抱えながらも、決めて、

そのモヤモヤした気持ちもふたせず誤魔化さず振り切らずしながら、自分の中に存在するうちはともに進むと決めた人にだけ起きる魔法だと思うのです◎

 

そうして生きていくと、人生に起きる変化もものすごいスピードになってくるし、そのぶん、自分好みの様々なことが体験できて、人生がますます色濃く、楽しくなっていく^^

 

たとえば、会社を辞めたいと悩んでてもう数年が経つ、とかって、

やっぱり「決めてない(やめるも続けるも、どちらにしても決めてない)」からずっと状況も変わらないし悩みも終わらないのだと思います。

 

それはその数年間を無駄に浪費しているということでもあるし、

決めてしまえば、それがたとえ「嫌でも続ける」という選択肢だったとしても、

その、自分でコミットして決めて能動的に生きた時間は、

自分の意志で、必ず実りあるものにすることができると思います^^

これともちょっと関連しているかな◎↓

 

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「どんな経験も無駄にはならない」という言葉はとても聞こえがいいですが、

それは思考停止でダラダラと悩んで何もしなかったことがそうなのではなくて、

自分で自分の責任と意志をもって、能動的に引き受けた(選択して取り組んだ)人だけに言えるのかなと。

 

そこに自分の意志で決めていることがないのなら、

それは明らかに【無駄な時間と無駄な経験】です。笑

 

耳障りの良い言葉に安心して、思考停止して誤魔化さないように。笑

 

そうやって能動的に生きようという姿勢の人だけが、

すべての経験を(結果的に)無駄なく糧にしていくことができるとわたしは思いますよ❤

 

 

…と、適当に仕事の例で挙げたけど、Hさんのお手紙には仕事のことで悩んでると書いてあったな。上手く繋がった?

 

人生いろんなことがあるけど、大事なことは「上手くおさめる」ことじゃなくて

(もちろんそうしたいけど、それだけ目指してなんとかこさえても、また同じような問題が起きたりするしね)、

 

そのことを通じて何に気づいて何に学んで財産としていくか?ですよね。

 

今はしんどいかもしれないけど、逃げずに自分を明らめて、

どうか今までのパターンとやらから抜け出てほしいなあと思います❤

そしたら、おんなじパターンはもう二度と起きなくなりますからね❤

 

どうにも自分だけでは明らめどころがわからない!!とか、つい逃げちゃう!!となったときには(笑)

コミュニティもあるから、いつでも戻っておいでね〜♪

 

おかげさまでわたしも(たぶん)ベビちゃんも元気です!❤

夏は暑そうだけど、いっぱい裏の畑の野菜食べて、寝て、乗り切りますよ〜〜!!

 

陰ながらこの土地から二人で(ジョーさんも^^)Hさんのこと応援していますからね〜!!fightです!!❤

 

…以上、筆無精なわたしからの公開お返事でした❤笑

本当に、忙しい日々の中、素敵な心のこもったお手紙どうもありがとう!!!

 

***

 

さてさて、そんなありがたい日々の中で今日の記事の本題なのですが(ここからが本題なのかという!)

ちょっと、昨日のコミュニティでの遠隔講座生とのやり取りで感じたことがあったので、

こちらでも書きたいと思います◎

 

テーマは記事のタイトルどおり、

 

「信念」「大義」「理想」「素晴らしさ」という落とし穴❤

「ただ好きでやってるだけ」で済ませられないのはどうしてだろう?❤

 

なんですけど^^

 

今、遠隔講座受けてくれてる方のお一人は、

いわゆる、とても社会性のあるビジネスをされてる方なんですけどね。

 

いわゆる社会性のある仕事っていうと、いろいろありますよね。

 

介護とか、福祉とか、安全な食とか、農業とか、地域活性とか、発展途上国支援とか、環境に優しいとか、、、

 

あと、わたしのしてるこういう仕事、

いわゆる心のこと(生きること)で悩んでる人に対するサポートみたいな仕事も、

 

世間一般では「社会性のある仕事」的に見られますよね。

 

いわゆる、「世の中にある問題(とされる何か)を解決するための何か」ということでしょうか。

もしくは、いわゆる「弱者」と呼ばれるような存在の人たちがいて、

その人達を助けなければいけないとか、もっと世の中に知られなければいけないとか、理解されなければいけないとか、

そういう意志がベースで情熱をたぎらせている方たちもいると思います。

 

そういう方たちは、継続のために営利への意識ももちろんありながらも、

情熱や、かなり確固たる信念・理想・世の中への問題意識があってこそやっている、という方が比較的多いように思いますし、おそらく正義感も強いのだと思います。

 

そして世の中は基本的には、そういう方たちを賞賛したり、素晴らしいことをしているとみなす人たちがほとんどだと思います。

 

かくいうわたしも、世の中には確かにいろいろな問題というか課題があると思っていて

(こういう業界の人が言う、問題なんて何も無い、そう思う自分の心が作り出しているんだ、とかはちょっとわかる部分もありますが、言葉だけが先行して認識されててちょっと違うかなあと。)

 

知ることで意識したり心がけたりすることもあるし、

体や環境に良い商品など提供してくれる企業やそこで働く人達に対して、

尊敬や感謝がとってもあります◎

最近も、すごく素敵な商品を見つけたんです〜!そういうのも随時紹介していきたい^^

 

 

介護の仕事とかも、母方の祖父が寝たきりだったときにサポートしてくれた専門の方たちの気配りや温かさに救われたこと、

介護をしていたわたしの母は数年経った今でも少しも忘れないと言っているし、 

わたしも、一度だけご挨拶させてもらったことがありますが、

皆さん笑顔でテキパキ気持ちよくおじいちゃんに接してくださって、

本当に感動したり。

だって“フツー”、介護の仕事とかって大変だし、雰囲気も暗くなったりしがちじゃない?!とそれまでは思ってたんですよ!

 

 あとあと、最近では、

検診受けてる地元の病院では、

知的障がいの方たちが働くカフェが併設されてて、よく時間が中途半端なときはジョーさんとそこでお茶するんですけど、

 

妊娠してから、そういう施設やそこで働いている方たちを意識するようになってね。

 

今まではやっぱり、どこかで他人事だったんだけれど、妊娠してからは、

 

「もしこの子が生まれてきたときに何か障害をもってたとしても、日本にはこんなに身近にこういう場所があるのだから、

ちょっと安心だなあ。ありがたいなあ。」

 

と思うようになったんですよね。

このことに関しても、書きたいことある!放ちたいのに書けてないことがたまり過ぎだ…

 

そして介護のこともそうだけど、それには、現場の人たちだけじゃなくて、

法律やお金っていう部分でそういう事業を大きく支えてくれてる行政の存在がものすごくあるじゃないですか。

 

そういう法律や金銭的援助っていうのはもしかしたら、専門家や当事者の方たちから見たらまだまだ整備不足で、問題も課題も山積みかもしれないけれど、それでも、

そういう保障やシステムが「ある」ってことだけでも、

本当に本当にありがたいことだと思うのですね。

 

無い国だっていっぱいあるわけだし。

 

そしてその実現には、誰かっていう「人」たちが

頭をひねって、そのときなりに最善を尽くして作り上げた制度だと思うんです。

 

けっして、わたしたちと違う特別な、

なんか神みたいな人達(笑)が作り上げたものじゃないと思うんですよ。

 

もちろんエリートというか頭がすごく良い人達とかがやったことだとは思うのだけど、たぶん、

基本的にはわたしたちと「同じただの人間」が作ったシステムだと思う。笑

 

ってことは、穴があって当たり前、課題があって当たり前だと思う。笑

 

特に時代なんてどんどん変化してて、その変化に追いつくことなんて並大抵のことじゃないだろうしねえ。。。

 

わたしたち個人事業主くらいならともかく、

大きな組織ほど、人も何もいっぱい関わってて、

そんな簡単に動けないし変えられないのだろうから。

 

だから、批判するのは簡単だし、批判ももちろん必要で、大切だけど、

感謝したり理解しようとすることも、とても大切だと思うんです❤

 

santasantasan.hatenablog.com

 

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そしてやっぱり、そんな行政の保障っていうのは、

 

お金持ちの納税によって成り立ってると思うのですよ〜〜〜〜(しみじみ。)

 

 

税金こんだけ払ってやってる!!(なのに行政ときたらうんぬん)とか言う人もいるけど、

そもそも絶対、、ほぼ大多数の人が、

払ってきたぶんよりもらってきたもの=保障とか のほうが断然大きいと思うよ。。。!(当然わたしもだよ。。。!!)

 

だからやっぱり、現場の人たちも、行政の人たちも、お金持ちの方々も。笑

おかげさまだし、感謝しかないよねえ。

 

なんなら、そういう意味でいったら、

世の中におかげさまで感謝でない仕事っていうのは、

基本的にはありえないですよね。

 

どの仕事は素晴らしくて、どの仕事はダメとか、ないよねえ。

 

安全な食を提供している(それによって農業が守られる)とかっていう素晴らしさもあれば、

添加物まみれのコンビニのごはんのおかげで手軽に安く誰もがとりあえず食べることができるという素晴らしさもあるよね。

 

どっちが素晴らしくて、どっちが素晴らしくない、とかはないんだよね。

 

同じように、

 

どっちが正しくて、どっちが正しくない、とかはないんだよね。

 

基本的にみんな、

好きなほうを選べばいいだけ、だと思うんだよね。

 

売り手も、買い手も。

 

だから、どんなに素晴らしい、社会性のある事業をやってる人も、

そこに対する信念や情熱は持ちつつも、

 

「(基本的には)ただ自分が好きだからやってるだけです❤

(=好きで、どうにも気になっちゃうから、止まらないんです❤)

 

だけなはずなんですよね。

 

わたしもそうですよー。

自分をごまかして生きてる人がいたら、もったいない!!と思って気になって気になって仕方ないからこうして言葉がほとばしるだけで、

「正しくないから(ダメだから)」と思ってるからやってるわけじゃないよ。笑

 

“どうにも気になって仕方ねえ!!(ほっとけない)=好き”ってことなんですよね、結局は。笑

 

わたしの場合はめっちゃ蛋白なので、

お金払ってまで真剣に求めてる人以外には、余計なお世話する気はないけども。笑

 

だから基本的に、全員が、

ただ好きだからやってるだけなはず❤

 

たまたま、自分の夢中になれる、好きなことが、人様や社会からも評価される分野だっただけ❤なはず❤それで全然いーじゃん❤

 

なのに、もし、

 

「わたしのやっていることはこんなに世の中に必要で、正しくて、

わかろうとしないダメな人たちがいるからやっているんだ!!!」

 

って言いたくなるのだとしたら、

 

“正しさ”“素晴らしさ”“必要性”を語りたくなるのだとしたら、

振りかざしたくなるのだとしたら、

 

もしくは誰かをジャッジし「問題」「悪者」扱いしたくなるのだとしたら、

 

そこは、

 

「それってどうして??」って

自分のほうを疑おうよ❤

 

と思うんです❤

 

次に続く❤