「すみません、ただのオンナに戻ります」。

良い子を卒業して、「ただそのままの自分(ただのオンナな自分)」を大切に、がんばらずに生きる方法をお伝えしてます◎

【あえての制限で、好みの方へ知性を磨く❤】日本を代表する男性たちの在り方から確信する❤【先日のワールドカップ日本×セネガル戦が教えてくれたこと❤③】

こちらの二記事の続きです❤

 

santasantasan.hatenablog.com

 

santasantasan.hatenablog.com

 

 

周りを見ている暇があるなら。

 

それに合わせようとそこにエネルギーをかけるくらいなら。

 

それに思考停止になって、安心しようとするくらいなら。

 

それは「怠慢」なのです。この唯一無二の自分に対する。

 

 そして一記事目に書いた

 

でも、それに対して日本の選手は、

苦しいときとかピンチのときがあってもあんまり感情を出さないというか、

なんとゆうか、

 

耐える。(苦虫を噛み潰したかのような感じで。)

 

みたいな印象。

 

けど、たとえば審判にアピールするときとかは、

感情をあえてあらわにして、そのことでものすごく主張していこうと、希望を通そうとしている感じ。

 

そう、

感情というものに振り回されるのではなくて、

感じた上で、それを表に出すことと、出さないこととを、

 

意図してコントロールしている感じ。

 

それはたぶん、チームのために。

 

すなわち、自分自身のために。

 

 

…感情を感じないようにするのじゃなくて、

あくまで「感じた」上で、

それを表現しないか?するか?

するならどんな風に??ということを、

 

自分のために(チームのために)瞬時に判断して、そのとおりに「在ろう」としている。

 

日本人の良いところとしても悪いところとしてもよく挙げられるのが、

「感情をあまりあらわさない」ということだと思うのですが、

それは良い意味では我慢強さ、周りやそのまとう空気を大切にする・尊重する、という意味でもあり、

悪い意味では、コミュニケーションが下手だとか、周りのことを考えすぎて、我慢して自分を抑えてしまう、みたいに言われる部分なのだと思う。

 

けど、そんな中で昨今、「自分の感じたことを、感じたままに放つ」みたいなことが「自分を大切にすること(とか、ご自愛)」とかってみなされるような風潮も一部出てきて、

なんでもかんでも、自分が感じたことを感情のままにぶちまけているようなブログもときどき見かけるし(そしてそれはなぜかいつも、得意げな印象。「言ってやった!!」という感じさえ見受けられる。)、

わたしと同じような仕事で、そういうことを勧めているような人もいるみたい。

 

けど、それって本当に自分のためになるかな??と思うし、

その「ぶちまけるか、ぶちまけないか」「感じるか、感じないか」の「どっちか」でしか物事を考えられないことがどうかと思ったりする。

 

わたしはこのブログでわりと思ったことをハッキリ書くし、

キツイようなエグいような表現をすることもあるけれど

それはやっぱりあえてそうしているのであって、

本当に感じたこと、本当の醜い気持ちは、

ジョーさんにしか言わないです。

 

ぶちまけてスカッとするためにブログ書いているわけじゃないし、

伝えたいことがあって、それがどうしたら響くか考えて、意図して、あえてそうしてる。

 

それは人のためのようであって、結局は自分のためなんです。

 

感じ取ることそのものをコントロールすることはできないけれど、

感じ取った上で、その気持ちを、

どこにどう向けていくかは、自分の意志でコントロールすることができると思う。

 

「誰かがこう言ってるから、こうしたら良いんだ(こうしても良いんだ)」っていう

短絡的な受け止め方で在り方を決めてしまうのじゃなくて。

 

いろいろなことを感じ取りつつ、

それを自分の繁栄のための方向に、意図して向けていく(表現していく、あるいはしないでおく)という判断をすることが

人間たる素晴らしさ、すなわち

 

知性

 

ってことだと思うから。

 

そして、わたしたち人間は、知性を磨くことで、ここまで進化したのだから。

そこ、磨き続けることを怠るなよ❤と思う^^

 

そしてそれは、いわゆる学歴社会の成績の優劣を左右するものとは、まったく異なるものだと思う。

 

サッカーは体力と身体的能力を磨いて高めて戦うスポーツだけれど、

プロとして世界で戦う日本選手たちの在り方、

そこにはとっても豊かな知性もまた、しっかりと感じたのです❤

 

 

そしてもうひとつ面白いなと感じたことには、

サッカーというのは、ある種、

基本的に(障害とか特になければ)、両手足が使えるという人間の自然な状態の中で、あえて

手を使ってはいけない、足(と、ときどき頭(ヘディング)?)のみで勝負をする、っていう制限を設けて

ゲームとして成り立ってるものですよね??

 

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これやっちゃダメ!という制限。笑

 

 

試合の中で、もし、両手も使えたら、使ってしまったら、

もしかしたらもっと自由が利いて、

もっともっと互いの勝利は近づくかもしれないけど、

それじゃつまらないという。

 

その、あえて制限をかけることで、その制限の中で、自分自身に磨きをかける、っていう基本姿勢も、

なんかわたしは好きだなーって思ったし、

人生に重なるものを感じた❤

 

だって人生なんて、基本的に、どう生きたって自由なんですよね。

 

でも、自由だから何したってなんでもいい!!よりもずっとずっと、

自分好みの何かしらの制限をあえてその中にかけることで、

人生をより自分らしく濃厚に楽しむことができると思う。

 

どう在ったって自由だけれど、あえて、こんな風に自分は生きていきたいな、とか。

そしたらそれを誇りに思えるな。思いたいな、とか。

こんな人になりたいな、とか。(それは、自分を否定するたぐいのそれではなく。)

 

そのために、なんでも在りかもしれない中で、

「わたしはあえてこれは選ばない」とすることは、

サッカーで手を使えないのと同じように、ちょっと「大変」になるかもしれない。

けど、

その「大変さ(制限)」への挑戦は、

ものすごく人生を、夢中になれる面白さへと、そして豊かさへと導いてくれると思うのです❤

 

そしてその制限は、

「上手くいきそうだから」とか、「人からすごいと思われそうだから」とか、

「こうしておけば安心だから」とかじゃなく、

自分の意志で、自分の好みで、かけていきたいし、かけていくべきもの❤

 

こんなに豊かで自由な時代だから、がんばるのは損だとか、労力やエネルギーかけずに簡単に欲しいものを手に入れられるほうが得だとか、そういう在り方じゃなくて。

 

あえての制限の中でこそ、自分自身を磨いていく❤

それを助けてくれるのもまた、知性だと思うのです❤

 

最後にもうひとつだけ、次の記事に続きます❤

(今晩の試合が始まる前にアップしないと〜!笑)