「すみません、ただのオンナに戻ります」。

「ただそのままのわたし=ただのオンナ」に戻って生きる喜びとその日々を綴っています◎

父は遺骨収集同窓会❤無数の先人の魂と想いというギフトを引き継ぎ、生きていく❤

今朝、そうそうと母は自宅(神奈川)に帰っていき、

父は今日は大学時代の遺骨収集仲間との同窓会で川奈のお宿に向かっていきました❤

今回、両親がうちに来たのはそれが目的❤(母は便乗してわたしに姉からの妊婦グッズと大量のごはんを届けてくれた。笑)

 

うちの父は、大学時代に遺骨収集団というのに参加していて、

大学4年間に

ビルマ、ガダルカナル、テニアン、あとどこだっけ…もう一箇所、

計4箇所の海外とプラス沖縄に

戦没者の慰霊と遺骨収集に行っています。

と、行った国は今日初めて聞いたのですが^^;

 

うちの父は3年ほど前に定年を迎えるまでは警察官として30数年間勤め上げましたが、

もともと学生時代はどちらかというと左翼的で(笑)

警察や自衛隊なんかをとっても斜めに見ていたそうで、

それがこの遺骨収集の経験で価値観が真逆に一変したんだって。

 

そのことが、警察官の仕事に就くきっかけになったのだそうです。

 

本当は自衛官か教師のほうが父の第一・第二希望の仕事だったそうで、

就職留年までしてそれらを目指してたのだけど、

どちらかは面接で面接官とケンカして落ちたらしい…。

 価値観が真逆に変わることで生き方が変わる素直さも、ケンカっ早いところももしや血筋か…?

 

そしてわたしの両親の出逢いは、

この父の遺骨収集参加がきっかけです❤

 

わたしはこの両親の出逢いのエピソードが大好きです❤

なのにブログで書いたことなかったという!

だから今日はそれを書きます❤笑

 

うちの両親は同じ伊豆の出身で、家もわりと近所で、高校も同じなっんですけど、

その頃はほぼ接点が無く、

どちらかというと校内でも変わり者の父に、母が近づくまいと牽制しまくっていたらしく…笑

 

けど、そんな母の父(=わたしの母方のおじいちゃん)にはビルマで戦死した年の離れたお兄さんがいて、

うちのおじいちゃんはきょうだいの中で一人だけ丁稚奉公に出されてすごく苦労した人なんだけど、

このビルマに行ったお兄さんだけが、

きょうだいの中で自分をすごくかわいがってくれたお兄さんだったんだって。

 

でも若いうちに(まだ20代前半とか…)家族も持たないうちにそのお兄さんはビルマで戦死してしまって、

おじいちゃんはずっと弔いの気持ちがあったみたい。

 

そんなときに、娘の高校の同級生(=わたしの父)がビルマに遺骨収集に行くというのがたまたま地元の新聞だか何かに載ったのをおじいちゃんが見つけて、

 

「自分の兄もビルマで亡くなったから、ぜひ兄のことを想って手を合わせてきてほしい」

 

ってわざわざ自宅に父を呼んで伝えたということがあったらしくて。

 

そのときに、父が母のお父さん(=しつこいけど、わたしのおじいちゃん)や、

改めて家族の中での母の様子を見て、

そしてそのおじいちゃんを中心とした家族の在り方(家庭の雰囲気)にすごく理想を感じたらしくて、

 

「自分も将来家族をもつならこんな家庭にしたい!」

 

って思って、

そこから父が母に猛アタックし続けて、母がそのしつこさに折れて(うちの母はおじいちゃんのことはすごく尊敬してて、おじいちゃんが父のことをすごく良い青年だ、って認めてたのも大きかったみたい^^)、

 

二人は結婚して、わたしたち(わたし&姉&弟)が生まれたんだと❤

 

だからわたしたちはその、ビルマで亡くなったおじいちゃんのお兄さんのことを

「ビルマのおじさん」と勝手に呼んでいて、

父と母の縁、そしてわたしたちが生まれてこれたことは、

そのビルマのおじさんがつないでくれたご縁なんだな、って勝手に思っています❤

 

で、わたしはそんな両親の出逢いのエピソードがすごくロマンチックに感じてて

(今じゃおかーさんはしょっちゅうおとーさんのことブツブツ言ってツンデレな感じが定着してますが。笑)

 

だからわたしもどこかで、

 

自分にも未来のパートナーがいるのなら、

ご先祖様や両親や家族が、そのご縁の橋渡しをしてくれるんじゃないかな?

 

ってけっこうマジメに(しかし全くなんの根拠もなく)感じてて、

なかなか出逢いがなくて悩んでたときは、

ビルマのおじちゃんのお墓参りに行って

「わたしにもどうか良いご縁ができますよう見守っていてください!」

って超真剣にお祈りしたこともあります。笑

聖路加にも行ったな。笑

 

でも結果的に、

姉からのご縁で旦那のジョーさんと出逢えたこと、

そしてジョーさんが、姉の結婚式をきっかけにわたしの両親の夫婦の在り方に惹かれてくれたことが、今、ジョーさんと過ごせていることにつながっているわけで、

 

実際あの当時感じてたとおりになってるからすごい…とちょっと改めて思っています。笑

 

そしてそのビルマのおじちゃんはもちろん、

今日、父を同窓会に連れて行った(笑)当時の遺骨収集団のお仲間の方々も、

両親が出逢い、わたしがここに存在する「今」に未来をつなげてくれた、

貴重な恩人の方々だよな、と思うのです。

 

そしてそのご縁のつながりは、

こうして今わたしのお腹にいるベビぼんにもつながっていき…。

 

こういう【ただの事実】をただ直視すればするほど本当に、

 

いま自分がここに存在することは、

(そうして更にそこから新しい命が生まれるということは)

 

どれだけの人との出逢いとご縁と奇跡が積み重なった結果だろう?

 

と思うのです。

 

だからなのか、わたしは、

 

自分の命も、この肉体も、この人生も、

 

そもそも自分のもの、という感覚があまりありません。

 

いただきもの。という風に感じてます。

 

 

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それはつまり、

自分の中にある強さも弱さも、

自分が何に心惹かれ、何に心震えるかも、

自分のもの(意志)のようであって、自分のもの(意志)ではない、という風に感じてます。

 

たとえばわたしがこのブログを書き続け、この仕事をしていることは、

わたしがこのことにとても情熱を感じているから、だと思います。

 

でもその、情熱の源泉は?

 

 

「わたし」が生み出しているものなのか?

 

だとしたらそれは、「わたしの中の何が」、生み出しているのか?

 

 

わたしがこのブログや仕事を続けている情熱を言葉に表すならば、

 

「自分という個を通して、その命を大切に生きてほしい」

 

ということだと最近切に思うのですが、

たとえばこの気持ちは、

父が遺骨収集に行き、戦死した方たちを想って、

なんらか、自分の将来の在り方や仕事に繋げたいと想い、そこに向かった気持ちと、

わたしはどこかに共通しているものがあるな、と思うのです。

 

自分の情熱の源泉が、

父自身が先人から受け取った父なりの想いと、

無関係だとはなんとなく思えないのですよね。

 

わたしは父と性格も顔もそっくりだとよく家族や親戚から言われますが

(よくもわるくもという意味で…笑)

 

DNAとして引き継いでいるのはその性格や容姿の部分だけではない、

もっと目に見えない想いや信念みたいなものも、

同じではないかと思うのです。

 

そしてそれは、父に限らず、

母の、祖父の、ビルマのおじさんの、

 

たくさんの先人からのそれがわたしの中に無限に引き継がれて、

 

今のわたしがここに、

 

わたしとして存在していると思う。

 

 

だから、わたしが何に心惹かれるか、心震えるか、

どんな弱い部分を持っているかも、どんな強い部分を持っているかも、

すべて授かりもの・いただきものだと思っている。

 

わたしの中に、わたしの命をここまで紡いでくれた人たちの「想い」のすべてが入ってる。

 

そしてだからこそ、

 

すべての人が、

自分を大切に生きなくてはいけないと思うんです。

 

 

自分のここが嫌い、

ここを隠したい、

人に合わせて生きていきたい、

人に評価されるように、愛されるように生きていきたい、

 

そんなのはすごく傲慢な考えだと思う。

 

 

だって、「いただきもの」ですよ?

 

どうして人からいただいたものに、文句を言うの?

 

より好みをするの??

 

 

親やおじいちゃんおばあちゃんのことを否定する人たちも、わたしからすると同じことなんですよ。

親だって、おじいちゃんおばあちゃんだって、きょうだいだって、

全部いただきものでしょ?

 

どうしてそれに文句をつけるの?

 

 

黙ってそれ、有り難く受け取ろうよ!

 

 

文句があるなら、それらの人の想いのすべてが入っている、「その自分自身」を磨こうよ!

 

 

文句を言いながらも、日々、そのいただきものの自分という存在を生きているくせに。

 

なんだかんだ言いながら、「生きる」という選択を日々、しているくせに。

 

 

「こんな自分は(親は)嫌だ」と文句言いながら、外ばかりを見て周りと同じものを得たいとか、良い思いをして生きていきたいとかって生きているのならば、

もうその存在、生き様自体が究極的に矛盾まみれなんです。

 

だから生きることが苦しくなるのはそりゃ当たり前なんです。

 

そしていただいたものを、黙って受け取って自分なりに磨くということをせず、

文句タラタラたれてるだけの人間が、

 

与えてくれた側の存在からこれ以上応援されるわけがない。

 

今、与えているものさえも感謝して受け取ろうとしない人たちが、

それ以上に応援され、助けられるわけがないです。

(というか、それでも「今」、死んでないだけ十分愛されてます!)

 

どうしてそんなに良いパートナーシップが実現できているのかとか、

どうしてそんなに両親やきょうだいと良い関係になれているのかとか、

どうしてそんなに好きに自分のことだけ大事に生きていて愛されるのかとか、幸運やお金にも恵まれるのかとか、

 

そういう表面的なところを見て表面的な行為を真似るよりも、

もっとその奥を見て欲しい。

その奥の意図を知ってほしい。

 

そこをちゃんと、直視して受け取ってほしい。

 

 

昨日おとといとこの記事の引用もしましたけれども、

 

santasantasan.hatenablog.com

 

Twitterで紹介してくれた際にリツイートしてくれた方が、

「◯◯(※その人のニックネーム)@きょうだい児」というアカウント名で

こんなツイートを固定して表示していたんです。

 

たしかに、病気や被害に人生を取られちゃいけないように、 きょうだい児であることに人生を取られちゃってはいけない。

 

リツイートしてくださったのはとてもありがたかったのですが、

わたしが自分の体験を通して伝えたかったのは、

 

その「取られちゃってる」という「表現をしたくなる自分自身」を見てみませんか?、ってことなんです。

 

「きょうだい児」という言葉にこだわってる自分を見てみない?、ということなんです。

 

「取られちゃってる」じゃなくて、「(自分自らが選んで)取っている」、そういう自分自身を明らかにして見つめたら、違う生き方が生まれてこないかな?、っていうことなんです。

 

少なくともわたし自身は、

そのくくりや過去を足かせにしてもがいているようで、被害者でいるようで、

むしろそのくくりを今も必要としている、そのくくりがあることの都合良さ(=過去や親のせいにしておけるというメリット)を選択し続けているのは自分自身だということを、明らかにして直視したんだよ、ということなんです。

 

そしたら他ならない自分自身が救われませんか??

 

親やきょうだいと仲良くなった、とか、その後の人生がとっても好転していった、というのは、ただのそのオマケなんです。

大事なのはそこじゃないんですよね。

 

 

同じように、最近卒業生のブログにとても残念な記述を見つけたのですが、

「毒親持ち」とか、わざわざ言いたくなる自分を疑おうよ!って話なんですよ。

 

流行りなんですか?これ?

 

「毒親持ってるのにがんばって自分を生きてるわたし」っていうのが世間的にカッコイイんですか?

 

そもそも「毒親持ち」と言いながら(=言って親を見下し親に勝ち親に優越感を感じるという手札を持ちながら)

「自分のしあわせは自分で決める」というのはできません!!

 

言ってることがそれぞれ、究極的に矛盾しているからです。(そんな股裂き状態みたいなことしてたら自分が苦しいだけですよ!!)

 

 

てゆうか毒親ってなんですか?

 

どんな親だったら毒親じゃないんですか?

 

どんな完璧な親だったら満足するんですか??

 

 

なんでも親のせい、社会のせい、人のせい、過去のせい、

それを握っておきながら、「弱くて何もできないただの自分」に戻りたいとか、

良いとこ取り=頼れるとこだけ頼りたい、何もしないで愛されたい、とか、、、

 

 

不潔です。

 

 

その不潔な自分をまずはちゃんと見ようよ!と言っているのです。

同じ不潔出身者として!!!!笑

 

そのためにわざわざわたしの過去の恥も晒してるのです。

 

かつてこんなに不潔まみれの他人のせいまみれのわたしでも、

こんな風に自分の責任で自分の人生を生きることができるよ!!!って。

 

それってすっごく希望になりませんか?!笑

 

 

てゆうかわたし、目に入ればいろいろとどうしても気づいてしまうので、

あえて卒業生のブログの読者をすべて解除したのですが(いちいち気にされるの相手も嫌だろうなと思い。嫌いだからじゃないです!笑)、

そしてそのことをその方にはたまたま機会があったので直接伝えたのですが、

なぜかわたしにわかるかたちで新しいブログのリンクを通知してくるという。

 

「真穂さんと自分の考えが一緒かをどうしても気にしてしまう自分が嫌だから、

一人になって自分の感覚を大事にこれからはやっていきたい」と言っておきながら、

なぜ自分の新しいブログをわたしにわかるかたちで通知してくるのですか??

 

一人でやっていきたいのか?

見ていてほしいのか?

一体どっちなのか?!笑

 

その、「言ってることとやってることがなぜか全然違う」自分を、

明らかにして見ようよ!ってことなんです!!

 

ひとつひとつの行動を、選択を、

明らかに見てひとつひとつ決めていないからこういう矛盾しまくりの行動になってしまう。

 

ちゃんと明らかに見ないで、

そのときの気持ちだけ、感情だけ、

つまり思いつきでやってるからです。

 

不安な気持ちや自分の中に渦巻く黒い感情、

ただ明らかに見てあげればいいだけなのにしないから、

自分がその渦に飲まれて自分が自分に勝手に負けて、結果、感情的な思いつきで動いちゃう。

 

その自分を自分の責任に置き換えたくないから(=明らかに見たくないから)

そのための言い訳として、「親や何かのせい」という手札を握り続ける必要が更に出てきてしまう。

もう、超悪循環!!!です!

 

そうして結局、良いかたちで卒業したことも、自分の足で歩き出した勇気も、自分で台無しにしてしまっています。

 

怒っているのでも軽蔑しているのでもなく、

ただ、本当にもったいないと思うのです。

本当に残念だと思うのです。

 

そしてきっと、親御さんも、ご先祖様も、きっともっとその先の、わたしたちを生かしてくれている神様みたいな存在も。

 

きっととっても悲しいと思う。

でも、それでも黙って愛を注いでくれてるんだよ。

他ならないあなたに。

 

親を好きになれないままでいい。

自分を好きになれないままでいい。

ただ、そのままでいいから、

その奥の愛を受け取ろうとする人になってほしいんです。

だからこれを読んで何か弁解したくなったとしても、それはわたしに連絡してくるとかではなく、自分に向けて淡々とやってくださいね!わたし、それは受け取りたくありませんし、言い訳じゃなく自分自身のためにエネルギー使ってください!

 

自分のちっぽけなプライドや責めていたい気持ちを大事に握るよりも。

 

それで自分のしあわせを遠ざけるよりも。

 

そんな不潔な生き方はさっさと卒業し(ここにほんとの意味で“卒業”してほしい…!)、

自分の中にある、無数の先人の想いと魂。

無限に引き継いで、無限に磨いて生きていこう❤