「すみません、ただのオンナに戻ります」。

「ただそのままのわたし=ただのオンナ」に戻って生きる喜びとその日々を綴っています◎

「仮初の安心(快楽)」を越えて、本当のどっしりとした安心感と幸福感へ♡わたしはせっせと環境づくり♡

昨日の記事の続きの前に、少し書きたいなと思うことがありましたので、

先にそっちを書こうと思います。ちょっと関連してるとも思うので、まあ読んでいただけましたら嬉しいです!

 

※今朝ほど群馬から遠隔講座のお申込みをしてくださった方ありがとうございました!

お返事の前に先の記事更新ごめんなさい、また今日中に改めてお返事させていただきますが、おそらくお引き受けできると思います^^またメールさせていただきますね!

 

最近、Facebookグループでのコミュニティでのやり取りや、

遠隔講座ご参加の方のフォローにおいて、

いくつかやり方を変えました。

変えたと言うか決めたと言うかルールを設けたと言うか。

 

何を変えたかと言うと、簡単に書くと、

 

わたしが今に至るまでにやってきた、自分と向き合う方法(自分を生きる方法)=実践の流れみたいなもの(具体的には①〜④まであります)をお伝えして、

まずはそれだけをやってください、とお願いしました。

 

つまり、やってもらいたいことをあえてこちらで限定したんです。

※今までは特に限定しないで好きなことを投稿してもらっていた

 

どうしてこんなかたちにしたかというと、もうそれは昨日の記事にも書いたとおり、

santasantasan.hatenablog.com

 

自分と向き合ってもらうため。

 

これに尽きます!

 

今まではわたし、けっこう皆さんの裁量(判断)にまかせて、

自由に好きなことを好きなときにコミュニティページ(フォローページ)に投稿してもらっていました。

 

でもそうしてきた結果、自由がゆえにラクなほうに逃げてしまうというか、

なんだか本質(=本当にその人にとって必要なこと・大切なこと)からズレたことばかりを投稿していたり、本質的ではないところに「気づきました!」と言ってばかりいる人もチラホラと出てくるようになり、

「本人の自由(裁量)」に任せるのはもうやめようという想いにいたりました。

 

その人に問題があるというよりも、人間の性(さが)というか、

変なところで甘えることができる、逃げることができてしまう環境があれば、よっぽど自制心の有る人でないと、多くの人はそこになびいてしまうものだということを自覚して、

 

ならわたしがすべきことは、「自由を提供しているイイ人」になることではなくて、

できる限りみんなが自分と向き合う環境を作っていくことだなと思いました。

 

それがわたしの願いだし、本当は皆さんの願いでもあると思うし。

(皆さんの願い=自分と向き合った先に、自分の力で自分を生きることができるようになって、本当に安心してHAPPYでいられること だと思っています!)

 

人を変えることは他人であるわたしには完全には出来ない中でも、

できる限りほんとの意味で良い環境づくりをしよう!と今、わたしなりにがんばっているところです◎

 

そしてこれは、遠隔講座に参加してくださった方のフォローも、7/7の女性のための生き方講座も、

すべてこのベースで進めていくことに決めています◎

 

けど、これに対して、

すごくいろんな心のざわつきも出てきました。

 

もしかしたら窮屈に感じた人もいるかもしれないな。とか。

自由に書きたいことを書けなくなったとか、

暗に強制されてるようでかえってやりたくないよ、とか。

 

もっと、向き合わなくてはいけないところを、

より相手が楽しく向かえるように工夫するのが、

こういう仕事の指導者の役割でしょ?って思う人もいるかもしれないな…とか。

 

もっと褒めてよ、とか。

もっとやる気が出るように乗せてよ、とか。

  

そんな風に思われて、みんなが離れていくんじゃないかな、という不安がありました。

 

他ならないわたし自身が、長年、

そういう風に自分(とその仕事)に対してどこかで思っていた、ということなんですよね。

「こうしたい(こうしたほうがいいだろう)」という自分の見解よりも、

「こうあるべき」というのをどこかで持っていて、それを採用してきた、ということ。

 

それは具体的に言えば、

 

・ダメなところより、良いところを見つけて伝えてあげなくちゃ。

 

・やる気が出るようにノセてあげなくちゃダメ。

 

・自分から気づきが訪れるのを待ってあげなくちゃダメ。

 

・それが優しさなんだ。良いことなんだ。

 

 と。

 

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こんな感じの「わかりやすい」のが、優しさや愛だと思いこんでたかもしれない…

 

これはたぶん、このブログを書き始める前に長らく学んで個人エージェントとしても勤めていた組織で染み付いた「心の仕事をする上での常識(マナー)」なのだと思います。

 

でも、そこの教えてくれたことがが悪いとか間違ってるとか言いたいわけではなくて、

どちらかというともし間違っていたことがあるとすれば、

 

そこの言っているとおりにするのが正解なんだと【勝手に自分で決めつけて】、

何がお客さんにとって本当に良いのか、【思考停止させて自分の頭で考えることをせずに】、

【正解そうなこと(だから「それでいいや!」と)】長らく依存していた(ことにさえ気づいていなかった)私自身

 

だと思うんです。

 

で、その怠慢さがこういう絶望につながったと本気で思っています。

 ↓

santasantasan.hatenablog.com

 

この卒業生たちに対しても、わたしが最初から、もっと、「こうあるべき」ではなく、自分の心と頭で考えてこの卒業生たちと向き合っていたら、

同じ結果にはならなかったかもしれない、と思っています。

 

人は変えられないけど、わたし次第でもっとできたこともあったかもしれないな、と思います。

 

それをとても後悔したからこそ、

同じことを繰り返さないためにはどうしたらいいか?を

この半年間ずっと考えてきました。

 

そのいろいろ考えた上で出した答えが、

 

もう、

お客さんから一方的に出てくるもの(お客さんが言ってくること)は相手にしないぞ!!

 

ということです。

 

言葉だけ見ると、すごくヒドイ感じしますよね。

 

けど、いつまでもどこかで逃げ腰だったり、自分のものの考え方・見え方・受け取り方を疑えない相手の弱さに合わせて、それを相手にしてあっという間に講座期間が終わったら、

一番困るのその人自身です。

相手の中にきっと眠ってる本来の力を信じようとしないで、引き出そうとしないで、

弱い部分を相手にして、

「合わせてあげなくちゃ」としてなあなあにその期間を終わらせるほうがよっぽどヒドイ。

相手のこと、つまりナメているんです。

 

そして、だからといって「気合があれば、本気なら、きっとなんでもできるはずだ!!」といって丸投げするのも無責任過ぎますので、

「これをやってください」「その上で、わからないことまだ至らない点は、サポートもアドバイスも全力でしますよ」という意思表示をした、という感じです。

 

なので、「これをまずはやってください」の「これ」をやってくれていない上での

「こんな気付きがありました!!」

「こんな嬉しいことがありました!!」

 

というのも、全て対応しません、とお伝えしました。

 

これもとってもヒドイことに聞こえるかもしれません。

 

わたしも以前は、すべての「こんな気付きが…」「こんな嬉しいことが…」というのに

ひとつひとつお返事していたんですよね。

 

でも、あるときから気づいたのが、

「これは、その人自身の今までと同じものの見方・捉え方の枠の中での“気づいた”を喜んでいるんだ」

ということです。

 

上手く伝わるかな…

 

つまり、発展が無いんです。

 

たとえるならば、同じグラウンドをすでに何周もしていて(これがつまり今までの人生ってことです)、

それに疑問や何かしらの不満や引っ掛かりをもって、

新しい視点を得ようとわたしのところに来てくれているだろうに、

ここに来てもなお、

「今の自分の枠の中の気付き」を大事に握っているんです。

 

その先を越えていこうとしない。

 

それは、今までの自分のやり方をいつまでも握っていて、

こちらがお伝えしている「新しいやり方」を愚直に取り入れようとしていないからです。

 

やり方が変わらなければ当然、

今と同じものの見え方・捉え方を越えられないんです。

そのもう一歩先へ、

新しいステージ(グラウンド)へ進めない。

 

結局、走る周数が、同じグラウンド(ステージ)内で増えるだけです。

 

たくさん汗をかいて、

「わたし、こんなに走りました!(こんなに気づきがありました!)」っていう仮初の安心感が増すだけです。

けど、汗をたくさん書くことが良いのではなくて、

どんどん次の(自分の望む)ステージに自分が進むことが大事ですよね?

イチローも、近所のバッティングセンターで打てる確率を上げていくことも大事だけれど、

本質的に大事だと思って目指していたのは、

プロ選手になること、

メジャーリーグに行くこと、

そこで活躍すること、

ですよね。

 

そのために近所のバッティングセンターで練習していたのか。

それとも「近所のバッティングセンターでこれだけ今日も数打った自分に安心していたいのか」。

 

これ、表面的には同じ行為に見えても、

中身全然違いますよね。

 

後者であったら、後者のように、仮初の安心(快楽)にとどまっていたら、

イチローの未来は全然違うものになってたと思います。

 

またもとても長くなったので、次の記事とわけます!

 ※続きの記事↓

santasantasan.hatenablog.com