「すみません、ただのオンナに戻ります」。

良い子を卒業して、「ただそのままの自分(ただのオンナな自分)」を大切に、がんばらずに生きる方法をお伝えしてます◎

【今、目の前のことをひとつひとつ、丁寧に丁寧に。①】「自分と関わってくれる人に、自分の命をどう使ってほしいか?」という視点。

「今、目の前のことを一つ一つ、丁寧に丁寧に。」

 

ここのところ、絶望したり、自分を通していろいろなことを見つめ直していて、

まとめるとこんな気持ちかなーって思っています。

 

ちょうど星の流れ?的にも、

今週一週間あたりは「自己価値を見直す」というような時期なのだそうです。

 

これ、自分の価値をもっとしっかりと認めよう!とかいう意味よりも、

私的にこの捉え方↑はキモくて好きではない。自分の価値とか知らんがな!それは人が決めるもの。自分は黙ってやることやるのみ!

わたしの今の感覚的には、

 

「自分と関わってくれる人に、

 

自分の命をどう使ってほしいか」。

 

それを今一度改めて認識し直したい時期なのだろうな、と捉えました。

※あくまでわたし的解釈です

 

 

わたしは自分なりのローペースではありますが、今の仕事をしていて、

価格が基準となってお客さんに選んでもらえているという認識はありません。

 

それはたとえば、

「安いから」とか、

「これくらいの価格なら失敗したとしてもまあいいかと思える金額(だからまあいざとなったら失敗してもいいし、ダメ元で申し込んでみるか)」、とか。

 

今のわたしの提供しているものの金額が高いのかはわからないけれど、少なくとも、

お客さんとなる方たちが、上記のような気持ちを持ちながらいい加減な気持ちでお金を出せる価格にはしていないぞ、という自負みたいなものがあります。

 

それはもちろん、わたしの中に、

どんなお客さんでも、

そういう最初からダメ元みたいな気持ちでは参加してほしくないな、という想いがあるからです。

 

本人がそういう気持ちで最初からスタートしていれば、どうしたって、

良い結果は生まれない、と思っているからです。

 

なので、敷居が高いという雰囲気ではけっしてないけれど(わたしのキャラ的に…)、

けっして敷居を低くしようとは思わないんです。

 

そして今回からは講座の開催場所も

東京都内のアクセスが良く、誰もが知っているような(イメージできるような)ホテルのラウンジ等ではなく、

こんな辺鄙な伊豆の田舎になりました。

 

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伊豆の町。海と山の町❤

 

しかもその辺鄙な田舎の中の、開催場所はさらにわたしの自宅。

 

そのためにこのスタイルを決めたわけではもちろんないですが、

これでさらに、別の意味での敷居はますます高くなったのではないかとも思います。 

 

そして先日ジョーさんと話していて、わたしはすっかり忘れてたのですが、

ブログを通して多少なりともお金をいただくという「この仕事」を始めたとき、

ジョーさんがひとつだけ忠告してくれてたことがあったと。

 

それは、

 

「誰であってもブームは必ず過ぎるから、そのときどうするか(どう在るか)は大切に」

 

というような言葉でした。

(と、言われて思い出した。)

 

そういう意味で、ジョーさんとも話していたんですが、こうして振り返って「今」を見てみると、

わたしもこの仕事もある種、“ブームの時期”みたいなものはとうに過ぎたと思うんですよね。

 

今振り返れば、一昨年の年末から去年の年始あたりまでが、

絶頂期だったのではないかな??と思います。

 

ブログ書いてセッションしまくって、値段を上げ続けても一ヶ月先まで次々に申し込みが来て、もうてんてこまい、みたいな。笑

 

そしてそのときに来てくれた方というのも今と同じく、

けっして値段基準で来てくれていたわけではなかったと思うものの、

今振り返れば、

 

わたしやこの生き方を通じて、

ただラクになることが目的だった。

 

という人もいたように思ったのです。

 

今が苦しいから、ラクにさえなれればそれでいい。

 

そうして望んだとおりに、そのときの苦しさからは、ラクにはなった。

でも、その先は?

 

今が苦しい、ということも、

今がラクで楽しい、ということも。

 

それは「今眼の前を生きている」ということとはまったく違って、

「今」の快(楽・苦痛)にただ翻弄されて、

ただ刹那的に生を浪費しているだけ。

 

そうではなくて、

 

この命を使って、自分はどう生きていくか。

 

自分を癒やしたり、自分の気持を最優先に大切にすることを通じて、人は必ずそこに余裕感が生まれる。

「ラク」がたしかに生まれるのだ。

けれどもその生まれた余白をもってして、

 

「今、ラクになれたからそれでいい。」

「今が楽しければそれでいい。」

 

そういう余白の使い方、自分の命の使い方しか目指せない人は、

いずれ必ず立ち行かなくなる。

自分の中が、いずれ必ず苦しくなる。

 

だって人間は、そのようにできてはないないから。

 

どんなに心地よい風景の中にいても、

ずっといればいずれ必ず飽きてしまうのと同じように、

どんなに満足したように思える「今」も、手に入れたその「ラク」さも、

いずれ必ず色あせて見えてきてしまう。

 

自分からその空いた余白の部分を、自由を手に入れた自分の命を、

自分の意志をもって磨いて輝かせて、

世の中や他者と、積極的につながっていこうとしなければ。

 

だからニートや引きこもりって、つらいんだと思います。

 

人や社会とマストで関わらなくて済むのに、

自分の好きに閉じこもっていればいいのに、

それでいて命の危険にさらされてるわけでもないのに、

心が苦しいのは、自分が一番わかってるから。

 

それで、残念だけれど、自分と縁してくれた方の中にも、

今が楽しければ、ラクになれたからそれでいい、

その次元で考えることをやめてしまったように感じられる人が時々いる。

 

それって結局、目指していたところが違ったんだと今になって思う。

 

自分の人生が苦しくて、

苦しいということは少しも自分を発揮できなくて、自分の命がふさぎ込んでしまっている状態ならば、

まずは癒やしてゆっくりして、自分をとにかく大切にして、

苦しいを感じる場所や人から離れてみたりすることをわたしはやってきたし勧めるのは、

そうしてまずは立て直すことが必要だから。

 

だけど立て直しをしたいのは、今がラクになれればそれでいいと思っているわけではなくて、

立て直した上で、もう一度、

自分を輝かせようとか、

この命を有意義に使ってこの人生を心の悦びもって生きていこうとか、

こわくても自分が進んでみたい先へ進んでみようとか、

自分を犠牲にしないかたちで人や他者の役に立とうとか、貢献しようとか、

 

そういう、

自分の命輝かせるためのチャレンジを

 

再びできる自分になるため。

 

そのときには苦しさやこわさも、また当たり前に出てくるのですよ。

だって、そのときどきの【未知】に進んでいこうとするのだから。

 

その中には、

人から誤解されることも、それによってぶつかったり言い合いになってしまうことも、

それを丁寧にコツコツ紐解いていく地道な試みも、

かつての自分のようにまたうまくいかないかも、ダメになってしまうかもっていうフラッシュバックのようなこわさも、

 

当然に伴うんだよ。

 

当たり前じゃん。

古今東西、有史以前から、

人間はそうして命の限りを生きていっている。

 

赤ん坊だってそう。

お腹のなかにいれば、勝手に栄養くれて、

ラクだからずっとここにいるわ〜なんてしないのです。

 

ときが来たら必ず、羊水がくさっていって、居心地の良い環境から出ていけと「何か」に促されてこの世に生まれてくる。

 

生まれてきてからも、泣いて喚いてればお母さんがお乳をくれるから、

これラクだし寝てりゃいいから、あたしゃ一生寝たきり専門で生きていくわ、なんていうベイビーはいない。

 

どんなに今満足していても、そしてどんなに未知の世界が未知過ぎてこわくても、必ず、

その先に進もうともがいて、

ハイハイして、あんよして、

そうして「先」に進んでいこうとする。

命の続く限り、そのチャレンジをし続けて生きようと当たり前にしている。

 

そうしてみんな、大人になってきた。

 

だから、

ちょっと何か間違って、つまずいてしまった人でも自分を上手に立て直せば、

命の、ただ生きてることのありがたみに気づいたら、

もう一度自分の足で、自分の頭で考えて、

もう一度「先」に進もうとすること、

そんなのみんな当たり前にできると思ってた。勝手にそうなるだろうよ、と当たり前に思ってた。

(少なくとも自分はそうして進んできたから。)

 

だけど、今の便利で豊かで、もう、それがマックス最高値切ってる世の中に生きてる今どきの女性たちは、

 

そうじゃない人もいる。

 

自分で考えて生きるなんて面倒だから、

 

ラクになれればそれでいい、

 

今、痛く苦しくなければそれでいい、

 

今、なんとかなってればそれでいい、

 

失敗するかもしれないならチャレンジしないほうがいい(もしくは失敗しないくらいまでになれたらチャレンジする、とか。←そんな日どんな大天才だって一生来ないわ!!)

 

傷つくくらいなら、SNSやら共通の趣味やらの上辺だけの人付き合いで日々気を紛らわせられたらそれでいい(そんな人間関係なら、同時に深い喜びも一生得られ無いわ!!)

 

そんな思考停止のままでいたい人もいる。

 

以上!

 

なんだと。

 

そしてその「一時的な安心感(これでいいってことにしたい)」のために、けっして安くはないお金を払う人もいるし、

そうしてかつてのわたしは、意図せずしてそういう人のお手伝いをしてきた部分もあったのだろうということ。

 

 

(わたしにとっては)めちゃくそくだらないこと(人)に、

自分の命を使ってもらった部分もあった、ということ。

 

 

それがもう、めちゃくそ悔しい!!!(自分が自分に。)

 

子供だけど!!!涙

 

 

だから、最初の話に戻って、

 

「自分と関わってくれる人に、

 

自分の命をどう使ってほしいか」??

 

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家の庭(畑)から見えた、ある日の綺麗過ぎる夕焼け❤

 

 

わたしはわたしと関わってくれる方に、

ラクになってほしいとか、できるだけ嫌な想いをしないでほしいとか、

できるだけ人生の中で良い想いをしてほしいとか、

良い出来事に遭遇してほしいとか、

人よりも勝てる、自慢にできる人生を歩んでほしいとか、

そういう気持ちは全然無くて、

ほんとそういうのハッキリ言ってどうでもいい。正直言って、興味ない。

 

ただ生きてること、生かされてることに感謝できるようになって、

今目の前の人生に溢れんばかりの豊かさを見いだせるようになって、

そうして勝手に満たされて勝手にしあわせになって、

そうして勝手にそうなったらば必ず、

「(もうすでに満たされてしあわせでこんなに豊かなら)もうなんでもありじゃん」って気持ちになるから、

そうしたらそのときに、

「(どうせなんであってもいいのなら)自分の心が、命が本当に望むこと」がなんなのか、

自分の心と頭で真剣に考えて、

そうしてそこに素直に手をのばす勇気と選択と行動を持ち続けて欲しい。

 

そこにはもちろんこわさとか、不安とか、あるのだけれど、

なら怖いから、不安だから無かったことにしよう、このままでいいことにしよう、なんてクソくだらない、そもそも人間の本能に反したような生き方しないで、

こわくても不安でも、望む方に素直に手を伸ばそうとする生き方。

 

だって必ずできるはずなんです。

今がすでにしあわせで、誰も何も自分のしあわせに関係なくて、、、ってベースで生きられるようになったら、

何にチャレンジしたって何にてをのばしたって、

失うものは何も無いってわかっているから。

 

だからある意味、今のままでいいです、ってしてる人は、今のままでいいことにしておきたいだけ、なのだと思うけれど。

その嘘が一番響いているのは自分自身なのだよね!

 

話戻って、そんな「すでにしあわせ」ベースの上での個人が望む方向というのは必ず、それがどんなことであっても必ず、

「自分だけ良ければいい」にはならないのです。

 

絶対に期せずして、周りの人や社会にも良い影響を与えることになるのです。

 

だから、堂々と誰にも遠慮せずに素直にのぞみのままに生きていいし、

そうしてますます循環してみんなで繁栄してく。

誰かが犠牲になることが無いんだよ♡

 

もう、そのことだけ、もっともっと伝えていこうと思った。

そうやって、前に、先に進んで生きていこうとすることは、

命や生かされてることに対して感謝してるからこそ、誠実であるからこその象徴なの。

自分を犠牲にしたり、人の目を気にしたり、なんなら満足してることにして、目の前のラクさだけに逃げる生き方ではなくて、

 

与えられてる命、生かされてる命だからこそ、

真剣に本気で受け取って生きます!!!

 

っていう意思表示なのです。

 

「自己価値を見つめ直す」ということでいうのであれば、

わたしはそういう風に生きていきたい人に自分の命の一部を使って欲しい、と思ってるし、

そうなればもう勝手に出会う人も起きる出来事も良くなるしか無いから、

だからそこを第一義にはしなくていいのです。

もう、勝手にそうなるから。

 

で、ただのオンナというわたしはそういうことを思ってる人だよ!っていうことが、

もっともっとちゃんと伝わる努力を今、目の前のこと一つずつ丁寧に丁寧にやってくことでしていきたい、って思いました。

 

金額がそれなりであれば本気の人が来てくれるだろう、っていうのはある意味浅い考えだった!

それはある意味、「本気違い」だった!!本気で今ラクになりたいだけの人、もいた!!笑

 

今そう決めて、まだ決めただけであっても、

決めた心で見渡せばできることすべきこといっぱいあるはず。

 

そしてすでに、決めたほうに向かって動き出しているとも感じられるギフトがいくつかありました◎

 

この絶望、ずいぶん長くて、まだしばらく引きずりそうだけれど、

それさえも必ず糧にして、次に生かして。

わたしなりに、今目の前のことをひとつひとつ丁寧に。やっていきたいと思います!!