「すみません、ただのオンナに戻ります」。

「ただそのままのわたし=ただのオンナ」に戻って生きる喜びとその日々を綴っています◎

“わたしの思うお母さん”という都合の良い握りしめをやめることのデカすぎる恩恵。【今日は母の日♪】

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昨日は夕方の17時からローマにお住まいのKさん(時差7時間であちらは朝の10時!)とLINEでの初レッスンをして、

終わって2時間後の19時に母が伊豆のわたしたちの自宅に到着。

(※母は母でこの日、小田原で生徒さんに絵(トールペイント)の教室開催をした帰りで、昨日一晩泊まりに来ることになった)

 

それから、間、いつもの温泉に入りに行った時間も含めて日付が変わるまでずーーーっと女二人で話続けて、

翌朝の今日はまた8時くらいから起きて、洗濯物一緒に干しつつ、歩いて10分ほどの母の実家(現空き家)の様子を見に行きつつ、

12時にジョーさんも含めてランチを外で食べて見送るまでの間、

ほんとにずーーーっと、喋り続けてました!!二人で。

 

何をそんなに話すことがあるのか!とゆうくらい。

(実際何をそんなにずっと話してたのかもうほぼ覚えてない。)

 

それで、いっぱいしゃべって疲れて昼寝してたら気づいたらもう夕方になってました。←今ここ

 

ちょうどタイミングよく母の日ということで、

わたしからは、お腹が冷えやすい母様に腹巻きをプレゼント。

色気もへったくれもない。お花とかじゃ無いてゆう。実用性重視なの。ちなみにジョーさんのお母さんにはリクエストにお応えして干物を。。。

 

 

それで、何をそんなに話してたんだかは、やっぱりあまり覚えていないんですが、

またひとつ、母に対してとか、母との関係とか、自分が母親になる、とかってことに対して、

一皮も二皮も、つるんっと剥けた感じがした昨日今日で。

 

母と会うと、ほんとうにね、

「わたしが思い込んでいる母の姿のある一面(でしかないもの)をいかに強烈に思い込んで握りしめていたか」、ということに毎回毎回気がつくの!!

 

それでね、わたしは先日、この記事

 

わたしは自分の母親が専業主婦で、

自分のことよりも常に子どものこと!子どものために!という人で、

それはそれでとっても尊敬しているけれど、

ちょっと自分はとてもそうはなれなそう…っていう気持ちがあって。

 

とか書いたんですが、

これ、書いたのほんの数日前ですが、

そしてたぶんこの気持ち、高校生くらいからずーーーーっと思ってたことですが、

今回いろいろ話しをしていて、なんかもう、あっさり前言撤回。

 

母みたいにわたし、なれるわ。

 

てゆうかもう、なってるわ。

(=ダイジョブダイジョブ!)

 

と。

来たる子育てに対して、またいっそう、壁が無くなったのです。

 

それはどういうことかというと、わたし、このブログを読んでくれている方や卒業生、コミュニティのメンバーさんたちから、わたし自身がどう映ってるかは正直わからないのですが、自分ではめちゃめちゃ、

今も少女のように夢を見て、その夢をずっと生きているっていう自覚があるのですが。

 

それはたとえば、最近Twitterで再紹介してる数年前の過去記事に書いてあるまんまのとおり、

↓ 

santasantasan.hatenablog.com

 

 

好きな人のお嫁さんになりたくて、

でも自分を偽ったり無理したりとかはしたくなくて、

だから何も無理せず何も克服せず、何も立派にならずして、

 

ただのこのわたしのまんまで、

ニコニコふんわりゆるゆるしながら、

自分の夢を全部叶えて生きていきたい。

 

とか、

ある意味ちょっと、「どんだけ夢見てんだよ(オマエ、子供か?)」って感じだと思うんですよね。

 

実際にそれで全て叶ってきている今があるから、皆さん認めてくれている?だけで、

上記の記事に書いたとおり、当時、「頭おかしいんじゃない?(現実を見ろ!)」と言ってきた見ず知らずの人はいっぱいいて、

それは至極まっとうな意見だと今でも当時でも思いますし。

ただ、「あなたには関係ないんだからほっとけばいいじゃん…」とかは思いましたが^^;

 

 

そしてそれは、こちらの記事で卒業生のご感想ご紹介したとおり、

当時わたしが望んでいたことが「まったくきらびやかじゃない望み(夢)ということが感慨深い」と言ってくださった方もいましたが、

だからといって清貧的に美しく生きていたわけではけっしてなくって、

その都度その都度、ただの興味と好奇心だけで、それこそきらびやかっぽい浅いっぽい夢も

いっぱい描いて全部叶えてきたのですよね!

 

それも全てこのブログに書いてきたけれど、

ウン十万円するハイブランドのバックやらお財布やら買ったり、

結婚式もひとつの妥協もなく好きなところで好きにやらせてもらったし、

(ウェディングドレスまでオーダーメイドしちゃったし)

 

好きなものほしいと思ったものしたい体験、

たぶん我慢したり妥協したことは一度も無くて、

振り返れば全部手に入れてきてる(経験できている)と思うのです。

 

それはもちろん、優先順位は

「ジョーさんとの関係」というところから一度もブレずに逃げずにやってきた上で、ではあるし、

他人から見てどうか?(うらやましがられるか?等)ではなくて、

純粋に自分が経験したいこと、欲しいものだけを、常に自分で考えて、自分の優先順位でお金や時間やエネルギーを割いてきた上で、ではあるのですが!

だから、私的な優先順位では誰がどう見てもボロボロの家に住んでたときも、引っ越しは別にすぐに必要ないな〜みたいな結論になったりするのです。笑 もう、基準が全て「私自身にとってどうか??」なわけですよ。人から見て理解不能でも。笑

 

そしてそれを、「ちょっと良い気分♪」とかに浸るためにやったのではなくて、

つまり現実にちょいちょい夢を挟んでフフン♪ってするためじゃなくて、

フワフワ、現実逃避してやりたいことをやってたんじゃなくて、

「経験して、自分が何を感じるか?」の純粋な好奇心で、

この現実で地に足つけて、とことんやり尽くしたのです。

 

だから、ある日突然、「まー、もういいか(やりたいだけやったしな。)」ってなったの。

 

昨日そういえば母にも言ったわ。温泉で。

「もう私的には(物質的なこととかお金的なことで)やりたいことは、今の時点では大体やり尽くしたから、飽きたんだと思う。」みたいなことを。

 

またそれでこの先、物欲や経験欲(たとえば、この広い世界を見てみたい!とか)が突如ムクムクと湧いてくることはあるかもしれないけど、

今の時点まででは思いつく足元のことを全てやり尽くしたから、

だからこんな田舎にいて引きこもってても、

今は自分から湧いてくる気持ちとか、気づきとか、

妊娠してみての変化とか、お客さんとのご縁・交流とか成長とか、

そういう目に見えないもの的な豊かさが

純粋に楽しいのだろうなーって思うのです。

 

そしてそれは変化してもいいし、しなくてもいいし、

物欲は低俗で精神的な豊かさは高尚だとかそういうことじゃなくて

(そういうものの見方こそ浅はかだと。そういうことにしておきたい自分がもしいるなら、そこちゃんと直視することかなと!!)

 

今のわたしは少なくともそうだってこと。

 

どっちが良い悪いじゃなくて、人間性がどうとかの関連性はそこになくて、

誇りに思っているのは、少なくともいつも、そのときの自分の望みに本気で地に足つけて向き合って、全力で叶えてきたってこと。

 

そしてそれはジョーさんも同じで、

昔は、ジョーさんはジョーさんなりに叶えたいことがあったから

そのためにちょっと道を踏み外すことにはなったけど、

でも、自分のそのときの望みのためにリスクもしょって、そこまでやりきったってことなのです。

 

そんなジョーさんを尊敬してるし、

だからわたしも、ただ「いつか…❤」なんて妄想したり、ちょっとそれっぽいことかじってみたりして(たとえばちょっと素敵なラウンジでアフタヌーンティーをして姫体験❤とか。。。)自分に酔うのがしたいわけじゃなかったから、

 

でも現実で叶えようって思ったときに、やっぱり自分の力・お金だけでは到底できない経験がたくさんあって、

それを社長さんやお金ある人に助けてもらったから、

出来たことがいっぱいあると思うのです。

 

だけど、それをも全て受け取って、ガンガン活用させてもらって、自分なりにやりきった。

 

とともに、自分でも、貯金が底を尽くレベルまで、限界までやりきろうと思ってなんでもトライした!

(プーになるとかの選択も含めて!)

 

だから、満足できたのだと思うのです。

 

その満足度の度合も、やりきりの度合いも、

人によって到達する速度とか好みも違うから、

やりきったら必ずどうでも良くなるとかは違うと思うし正解はないのだけれど。

 

ただ、同じ夢を生きるでも、

夢の中で生き続けるでも、フワフワと夢を夢としてつまみ食いして生きるんじゃなくて、

 

やるなら本気でとことんやる。

 

地に足つけて、この現実で!!

 

ってわたしなんかは思うし、

それをやってきた上でのジョーさんだから、

やっぱり今でもすっごく尊敬してるし、

そんなふうになりたくてわたしも、わたしなりに本気で夢を生きてきたよ❤ということなんです❤

 

 で!

 

話戻りまして、そんな、現実のようで現実っぽくない自分なりの都合の良い夢の世界をひたすらリアルな目の前の現実で構築してきたのがわたしの生き方で、

 

大して、我が母様はといえば、すっごくすっごくマジメにまっとうに、華やかなこととか一切求めず質素に生きていた(ようにわたしには映っていた)ので、

そんな母様のようにはなれないなあ=タイプが違いすぎるなあと思っていて、

だからこそ、こんな夢をずっと生きてるわたしが、「母親」っていう立場にちゃんとなれるかな、っていう気持ちがそれなりにずっとあったのです。

昨日までは。

 

だけど、昨日フラットにまたいろんなこと話していたら、生まれてこの方32年、この母様と母娘でおつきあいしてきて、今回初めて気づいたこと。

 

この人、わたしに負けず劣らずめっちゃ夢を生きている人じゃん。

 

なんなら60も過ぎてるのに、わたしよりもずっと少女のままではないか??

 

 

え。60過ぎてもそんな感じでいけるの。ありなの。それ。

 

 

みたいな。

 

なんならこの記事で、

 

そうして、「もし、母になっても、このわたしのままでいたいな(オシャレや洋服に関しても◎)」と自分の気持ちに気づいたら、ちゃんと、

「そうやって生きてるのが自然な人(それが全然不自然じゃない世界で生きている人)」の存在が、

いきなり自分の目に飛び込んできたりするんですよね!

 

て書きましたが、

むしろ最初から、ものすごく身近にそういう人がいて(=母)、

ただわたしが気づいてなかっただけ。

 

気づいてなかった、最初からあった、「自分の気持ち(望み)を自然に生きてる姿(に近い一面)」が、目の前に飛び込んできた。

 

という感じでした。

 

母の場合は、同じ「夢を見る」でも、わたしとは全然違う夢をいつも見ていて、

それは表面的には、地味で、マジメで、まっとうな感じの「こと」だったから、

「望む夢を生きている」ようにはわたしには映っていなかった(=気づかなかった)だけ、だったのです。

 

だけどそれは、わたしから見たらマジメで、まっとうで、、、というだけで、

母にとっては最高に楽しく、純粋にエキサイティングと思えることで、

もう少女のようにひたすらその夢をこの現実で見て生き続けていたんだな、

ずっとそうだったんだな、って

 

気づいたのですよね。

 

なんかもう、母はずっと母のままだったのに、

まったく違う母を知った。って感じ。

 

そしたら、母とわたしの分離が無くなったのですよね。

「はは様とわたしは違うタイプの人間」というのが無くなった。

むしろ

この母にしてこの娘(私)あり。

って感じなのだと。

 

で、はは様はずっとそうだったのだから、

そうしてわたしは育てられてきたのだから、なのでやっぱり、

母になっても、わたしはわたしの好きに生きてそのままで大丈夫。(お母さんもそうやってやってきてる。)

 

ってすっごくストンと落ちたのですよね。

 

これ、頭で考えて「そうだろう(そう思おう)」っていうのと、全然違う安心感なのですよね。

とにかく、「母」と「わたし」の違い(差異)がこの瞬間一切無くなったというか。

 

「母のああいうところが嫌だったから、わたしはそうならない!」でもなく、

「母がすごすぎたから、わたしはそうなれない!」でもなく。

 

上も下もない。

一切、対等。フラット。

 

以前からそのつもりでいたけれど、

今回はその「本当に対等な関係」というところに降りてこれたというか、

その一連の過程が本当に完了したのだな、という感覚がありました。

 

だから、わたしと母は、今回会ったの1ヶ月半ぶりくらいけっこう最近なのですけど、

そのわりに本当に会えばいろんな話できるから、すごく仲が良いってことなんだと思うんですが

(しかしそういう関係になれたのはこの生き方を始めてからです)

 

別にどっちがどっちの話「聞いてあげよう」とかもないし、

ある意味で「母と娘」で向き合ってないというか、

年の離れた、一番深いとこ話せる見せられる友人、という感じなの。

 

それくらい、母親に、特に何もくっつけてない、っていうことなの。

母だからこうあってほしいとか、こうしてほしいとか、こういう関係を築きたいとか、

一切思ってないの。もう。

 

だからこそ、新しい母の知らない一面も知ることができるし、受け入れることができるということなの。

 

どんな母であっても、「都合が悪い(それだと困る)」とかが、一切ないから。

 

 

結局は、お母さんにこうされた、

小さい頃ああいう扱いをされた、

だから今これが越えられない、あれが苦しい、こんなブロックがある、

 

そういう想い、多かれ少なかれみんなあるみたいなのだけれど、やっぱり、

 

その母親の過去のほんの一面、

ほんの一つの出来事、

ほんの一握りの言動行動を、

固定化していて握っていたいのは他ならぬ自分自身(娘側自身)

 

なのですよね。

 

お母さんは、こうである。(こうであった。)とずっと決めつけていたいのは、

他ならぬ自分自身。

 

なのですよ。

 

そうしておいたほうが都合が良い何かがあるの。

 

で、そう思っていたいとき、

その願いを叶えるかのようにお母さんは、

自分の思ったとおりの人間でいてくれるの。

その側面だけを、いつまでも見せ続けてくれるの。

 

これ、親もパートナーもきょうだいも、みんなおんなじこと。

 

たぶん、わたしはただ自分を生きるっていうことだけをコツコツ積み重ねていって、

そしたら母親も父親もおじーちゃんもおばーちゃんもパートナーも、誰も何も今の自分の人生の言い訳にはなってくれないっていうことがひしひしわかっていって、

 

そしたら、誰がどうでももうまったく関係ないの。

わたしの人生に。

わたしのしあわせに。

 

だから、関係性を良くしたい、とかさえ思わないの。

こうなってほしい、とかさえ思わないの。

どうでもいいの!笑

そりゃ、よい関係性になれたらいいけど、よく変わってくれたらラクだけど、

相手は変えられないんだからこればっかりは一人の努力ではいたしかたない。

 

「こんな理想の母」「こんな理想の親子関係」、

そういうのが叶ってご満悦になる未来を目指すのをやめるの!!(目指してもどうにもなんないから!!)

 

そしたら、ぶっちゃけ、どんな母でも親でもいいわけじゃないですか。

わたしのしあわせにも、わたしの価値にも関係ないんだから。

 

「わたしを傷つけた母」である必要も、そのとき、同時に無くなる。

いつまでも「わたしを傷つけた母(だから傷つけられたわたしだから、こんな風にわたしはなってしまった)」っていう言い訳どころも必要なくなるから。

 

 

そしたら、そのときにほんとにまっすぐ、親を一人の人として、見れるし、話ができるようになるの。

 

「それはわたしは嫌。」

 

「それはわたしは違う。」

 

「お母さんはそうなんだねー」って、

 

フラットに言えるし、見れるの。

 

同時に、母親の「好き(そのまんま)」も尊重できるの。

 

そしたら、「こんな母でないと(良くも悪くも)困る」の呪いが解けて、

見たい未来を、見たい希望を、夢を、いくらでも見させてくれることがあるし、

そうならなくてもわたしのしあわせには関係ないからどっちでもOK。笑

 

わたし以外の人間に対して、全員、そうやってつながっていくの。

 

これが、わたしの好きなあり方です❤

 

ただしまだまだ、できないとこいっぱいあるけど^^

母やジョーさんや姉にはできても、父と弟はまだ難しいなー!とか。

でも別に克服して、なんとかそういうふうになろう!とかも思ってないし、

自ずから然りでいいと思っているのです❤

ほんとうに、どっちでもいい。

 

ただ、やっぱりラクだなー!ってすごく思ったのです。

母さまのこと、わたしはやっぱり大好きで、その「大好き」の気持ちに

素直にストレートで、自然でいられるから^^

 

「お母さんが大好き」、それはこれ読んでるほぼ全員、そうだと思うのですよ。

だってみんな、それだけ「かつてのお母さん」を握りしめているんでしょ?笑

めっちゃ「こだわって」いるんでしょ??笑

自分の今に、めっちゃ「関連付けて」いるんでしょ?笑

 

それ、大好きってことですよ。笑

 

 

なら、同じ大好きなら、自分も苦しくて相手も苦しめる大好きの向け方よりも、

どっちも気持ち良いHAPPYな大好きの向け方をわたしはこれからもしていきたい^^

 

で、それにはやっぱり、親を許そうとか、ブロックトラウマ解除しようとか、

そんなことじゃなくて、

自分がさっさと勝手にHAPPYになってしまうことですよ❤

 

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