「すみません、ただのオンナに戻ります」。

良い子を卒業して、「ただそのままの自分(ただのオンナな自分)」を大切に、がんばらずに生きる方法をお伝えしてます◎

【完結】「子どものために」というおこがましさと、滑稽さ。モヤモヤ事件が思い出させてくれた大切なこと。③

こちらの記事の続きです!

↓ 

santasantasan.hatenablog.com

 

 

この「たぶん全部バレてら。」という根拠のない確信をもったとき、

そこから更に、以前から「これってどうなんだろう?」と感じていたいろいろなことが芋づる式に(わたしなりに)腑に落ちてきました。

 

それはたとえば、よく聞く、

  

「赤ちゃんは空からお母さんを見ていて、

お母さんを選んで生まれてくるんだよ❤」

 

という話について。

 

わたしはこれに関して、自分が授かってからも若干「そうなのかな??」という感じだったのですが、

なぜかというと、そういうことにしてしまうと、

ちょっと、その、そのこと自体が、

「赤ちゃんを授かれた自分」に対してプライドというか、

ちょっと変てこなほうに自尊心に持つことになる気がしたからです。

(あくまで今のわたしなりの考えで、その考えを持ってらっしゃる方がそう!ということではありません^^)

 

「赤ちゃんに選ばれたわたし❤(ドヤ。)」みたいな。。。。

 

赤ちゃん授かってない人が、選ばれてない(何かが足りない)わけじゃないじゃないと思うし、

じゃあ「お空から選んで」いるのなら、

なんで堕胎が日本ではとっても多い(らしい)のだろう??と。

 

「それは生まれてこないということを決めているんだよ」とも聞くのですが、

それも含めてなんか、

そもそも無限でわからないことまみれのこの宇宙の法則(命のこと)を

人間がそれぞれの都合の良いかたちで、

納得してスッキリできる解釈を半ば無理にこじつけている気がしてしまっておりました。

 

そう思うと、わたしにはこれらのほうが、

しっくり来たというか、好きだな〜って思ったんです^^

↓ 

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結局、何が正しいのかなんて証明すらできないことなので、

みんな、自分が好きなほうを採用すればいいと思っているんですけど◎ 

 

で、この「選んでる」の件などにも、

今の自分なりの一つの答えが出たような気がしました。

 

というのは、

 

ある意味では確かに、選ばれているんではなかろうか。と。

 

ただしそれは、

 

そのお母さんが、

 

立派だからでも、

 

何か優れているからでもなく、

 

赤ん坊、たぶん、けっこう、

 

大して何も求めてないんではないか。

 

むしろ、何というか、良い意味でいろいろと、

諦めてくれている。

 

のでは??と。

 

そんなに、自分の母親が立派じゃないこと、

諦めて、明らめてるんじゃないかなー??と。

 

 

ある程度、母体の身体と心の条件が整えば(たぶんほんと、「ある程度」レベルだと。しかもきっと間違えた!てなることも多々あるくらい、雑なのではと。)、

命・赤ちゃん・魂?は「いいっスーーーー(ハイ、お腹に入りまーーーーす)」とかいってどの母体にでもゆるく、でも本気で宿ろうととするし、

そこから先のお母さんの選択やいろんな状況・環境については

彼らもリスクを伴っているのじゃないかなあ、と。

 

そして、お母さん(の人格)を選んでいるという意味で言えば、

むしろ、立派だからとか、優れているからとかでもなんでもなく、

 

お母さんの足りないところ(ダメなとこ)を通じて、

 

いろんなことを学びにこの世にやってくる

 

のではないかな、と思いました。

 

つまり、赤ちゃん授かるのはお母さんとして(一般的にわたしたち人間が思うような)ふさわしい人格や品格を何かを持っているから、

なのじゃなくて、

 

むしろ、

その逆なんじゃないかな、って。

 

だから、何か身体的なものや、何かわからないもののために子どもを授かれない人が、

自分は劣っていると感じる必要って、

本当にまったく無いんだな、って。

(だって、何か優れてるから子を授かるんじゃないんだからね。)

 

もちろん、まだ可能性のある女性で、妊娠を望んでいる人が、

「子どもがいないことを劣っていると思う必要はない!わたしはこれでいいんだっ!」ってムリに振り切って、

自分の望みに蓋しちゃうのはそれも全然違うと思いますが!!

自分の気持ちは大事にしてほしい! 

 

話がそれましたが、むしろ、

「お母さんであるワタシッ!!」にそんなに誇りを持たれたら、

赤ちゃんウザいだろうな、と。。。

 

だから、とっても話が膨らんでしまったけれど、

わたし自身のこと!を思ったときに、

 

赤ちゃんのためだろうが、自分のためだろうが、どっちにしたって、

 

「わたしが何かしたら(もしくは人として何かいたらなかったら)赤ちゃんに申し訳ない」

 

なんて気持ちを持つことは、

パッと見(聞こえ)高尚なようでいて、

良いお母さんしてるようでいて、

実はほんとうは、

 

すごくおこがましくて、滑稽な姿勢なんじゃないかな。

 

と思ったのです。

 

だって、自分次第で赤ちゃんに何か影響を与える(自分の何かが、赤ちゃんに影響を与えられる)と無意識で思ってるってことだから。

 

自分が赤ちゃんの命運を支配してる(できる)って、

どこかで思ってるってことだから。

 

当たり前に、赤ちゃんより自分のが立場上、という認識だと思うから。

(「すごい」て意味というよりも、一般的な「大人と子ども」という認識なのかな)

 

だけど、赤ちゃんのほうが余計な思考や人の目を気にするとか、

そんなものがないぶん、

「ただの命」をまっすぐ生きてるぶん、

よっぽど宇宙とつながっていて、

よっぽどすごい存在なんじゃないかな、と。

 

「守ってあげなくちゃっ!!」とか言ってるよりも、

ずっとずっと、

 

妊娠という出来事を通じて、

 

胎児の存在を通じて、

 

むしろ何をこっちが与えられ、学びなさいと言われているのか??

 

(これはもちろん、妊娠にかぎらず全てのことがそうだと思っていますが!!)

 

そこを受け取ろう、汲み取ろうとすることにもっと、

楽しんで夢中になってればいいんじゃないのかな??

 

と。

 

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命から学ぼう・受け取ろう♪という姿勢❤

 

 

もちろん、尻もちつくとか、お腹を強く打つとか、

明らかに避けましょうって言われいてる酒タバコをガンガンやるとか、

そんなあえて「そこー!!!」っていうことをわざわざやったら、

そりゃ影響を与えちゃうけれど、

そんな極端なことの話ではなく!!

 

そうじゃなくって、

わたしも、このお腹の中の命も、

 

自分で生きてるんじゃなくて、

生かされているんだ

 

ってことだと思ったんです。

 

なのに、わたしごときが、こうあらないと赤ちゃんダメにしちゃう!!とか、

 

そう思ってるってことは、ある意味、

 

そもそも生かされてる、自分じゃどうしようもできない、ってことを、

忘れてる傲慢さがあるってことじゃないの??

 

と。

 

「わたしの赤ちゃん」じゃなくて、

「宇宙の子」。

 

わたしは、子宮を貸してるくらいなもんだと。

 

そっちのことを、強く、思いました。

 

 

こんなに、自分のことしか考えてないわたし。

 

こんなに、いわゆる「良い母親」的要素が(今のところ)皆無なわたし。

 

こんなに、凸よりも凹が多いわたし。

 

 

その上で、

それでも(たぶん超ゆるい選択基準のもと)なんかのご縁でこのお腹にまずは来てくれたんなら、

そもそもそんな期待されてないし、

そもそも人間が思っているほど、

母という存在は新しい命にとって特別ではないのでは、と。

 

最初に出逢う、最初にお世話される人、くらいなもんなんじゃないかと。

 

こう思うと、自分が子供として母親にいかに幻想や理想を押し付けてきたか??

過去の自分にホント、全力でツッコミたくなりますよね。。。

 

母親だって、しょせんただの人間(女性)です。

それだけです。

 

 

そしてわたしはいつも、

「自分のそのまんまを受け入れて生きていくこと!!」とこのブログで書いていて、

だから自分に関しても、こうやって明らかに見て受け入れて生きていくということを今もコツコツやっているんですが。

 

しかし、そうであるならば、

 

むしろこんなにも、

 

すべて「今」だけを受け入れて生きてる存在って、

 

なくない??

 

と。

 

「かーちゃん、自分のことしか考えて無くても、仕方ないし。(どーしよーもできんわ。)」

 

「かーちゃん、こんな栄養必要な時期に、マルちゃんソース焼きそば(※)とか食べたいとか言ってても、しょーがないし。(どーしようもできんわ。)」

 

って、

文句も言わず、それらを全受容。(てゆうか、諦め??)
 ※マルちゃんソース焼きそばについてはこちら。笑

 

それを、

 

「酷い!!

 

赤ちゃんはあなたみたいなお母さんでも、選べないんですよっ!!

 

だから受け入れるしかできないんですよっ?!

 

もっと自覚をもってちゃんとしてあげてくださいっ!!!

 

赤ちゃんのためにっ!!!

 

じゃないと、赤ちゃんが可哀想っ!!!」

 

っていうふうに、

「全受容」っていう赤ん坊の存在を、非力な、可哀想な存在とみなして、

「母親がしっかりしないと!」

「ちゃんと食べて、ちゃんと良いママして!!」

ってムチ打って、

“自分”のほんとの気持ちやつわりのつらさを無碍に扱って、

いろんなことを克服しようとして生きるのか??

 

それとも、

 

「全受容、マジすごーーーーー!!!

 

かなわないな、コイツ!! “コイツ”て。

 

むしろわたしがちゃんんとしないとこの子が!!なんて、

 

滑稽にもほどがあるな。

 

だって赤ちゃんのが、よっぽどすごい存在ぽいし。

 

だから、もう余計なこと(できもしないこと)目指して立派な母になろうとするのはやめて、

 

むしろこの子から日々学ぼうーーー!

 

むしろわたしが生徒で、赤ん坊が先生だね!!

 

こんなわたしにご縁を持ってくれて、

 

本当にありがとう❤」

 

って、

「全受容」っていう存在の赤ん坊を、

宇宙と繋がってる、今の変な道徳や世間体にまみれたわたしよりも、

ずっとずっとすごい存在だとみなして、

 

自分の性格の悪さや性質については、

もう、さっさと「仕方ない(だって変わろうと思って変われないし、誤魔化したところでバレてるだろうし)」って潔く諦めて(明らめて)

そのぶんのエネルギーを、今の自分なりにでもできることや、

赤ちゃんへの感謝・尊敬の気持ちに向けるのか。

 

それは、自分で選べると思った。

 

 

だから、わたしは、今回のことを通じて、

どっちが正しいかとかじゃなく、ただ自分の気持ちに素直に、

後者のように在ろう!(在りたい)と決めたのですよね〜〜

 

なので、(ことの発端の話に戻って)ジョーさんにも、

 

「飲みには行ってもいいけど、お友達の奥さん(妊婦さん)のいる病院には行かないで。行ってほしくない。

ただし、ただのわたしのワガママで、正論とかは一切ございません。」

 

と伝えました。

結果として、昨日は飲みにだけ出かけていただきました^^;

 

ただのワガママでお願いすることは、引け目をもちろん感じるけれど、

そのぶん、

ワガママ聞いてもらえたからこそ、

旦那さんに対して感謝と尊敬がますます深まるし

わたしのワガママにつきあえるという尊敬…。

本当に自分の至らなさ、器のちっささを自覚してこそ、

赤ちゃんにも感謝が湧くのです。

 

わたしの場合は、根がもーほんとめんどくさっ!!ってくらい真面目なんで、

いろいろ考え過ぎなだけかもですが^^;

 

それでも「子どもためにこうしないと!(こうであらないと!!)」ということで、

自分を抑えたりムチうったり、自分のほんとの気持ちごと無かったことにしたり、

(実際の生まれてからのお世話的なことで、一時的に寝不足を我慢するとか、そういう「どうしても物理的に仕方ない」ことは例外としてね!)

 

そういうふうに、自分を二の次どころか矯正するような、

そのままであってはいけないというような、

そんな気持ちに縛られているお母さんは、

妊婦さんも含めてけっこういるんじゃないかな??と思います。

 

で、それがもし、今回のわたしのように、つらいと感じるなら、

わたしのように、

後者の選択をしてもいいのじゃないかな、と思います◎

 

で、そのときに、

 

「そんなの自分に許しちゃったら、

赤ちゃんに何かあっちゃうんじゃ??」

 

って不安やこわさはどうしても出るんじゃないかな、と思います。

 

それはどうしたらいいかというとですね…

 

と、完結のはずがほんとにまた長くなってしまったので、

次の【番外編】に続きます!

どこまで引っ張る気ー!!!