「すみません、ただのオンナに戻ります」。

良い子を卒業して、「ただそのままの自分(ただのオンナな自分)」を大切に、がんばらずに生きる方法をお伝えしてます◎

傲慢だったな、って思うこと。

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足湯のお供に、ノート❤

 

 

このブログを始めて、早いもので2年と半年になろうとしています◎

昨日、はじめて、これまでの総アクセス数(総閲覧ページ数)を見てみたら、

94万アクセスを越えていました。

 

通りすがりの方も含めて、とても多くの人が、このブログを見に来てくれていたのだなあと思うと、

なんだかとても感慨深く…。

 

それと同時に、最近、自分を振り返って、

「傲慢だったなあ」と感じることがたびたびあります。

 

きっかけは、昔よくブログを読ませてもらっていた、

自分を生きることや子育てのことを伝えている女性経営者さんのブログを

久しぶりに開いたことだったかな、と思います。

 

その方は、お会いしたこともなければリアルでもSNSなどでも何も繋がったこともないのですが、

当時からとっても発言が過激で、過去のわたしレベルのそれとは比較にならないほどに。笑

でも、とっても過激だけど、それは愛や情熱ゆえというか、

ご自身の子育てで実践されてることも実際、とても説得力があって、

だからこそその自信ゆえなんだろうな、

って感じていました◎

 

テーマは子育て、だったけれど、

わたしは、対象が子どもであっても、パートナーであっても、親であっても、会社の上司や同僚であっても、

【自分 対 自分以外の人間関係】という意味では全部一緒なのじゃないかな、と、

そしてそういう目線でこのブログも書いてるので、

 

子育ての話であっても、過去にはその方から(直接面識は無くても)

ものすっごくたくさんのインスピレーションをいただきました^^

 

わたしは、自分が本質さえ汲み取ろうとすれば、

あんまり、言葉のきつさとか、偉そうさとか、宗教っぽいとか、

そういう表面上の様子はあまり関係ないかな(わたしには。)、といつも思っていて

 

通りすがりの嫌な人でも、嫌な出来事でも、

自分が受け取ろうとすればいくらでも何からでも受け取れるということ、

お客さんたちにもそれを伝えているつもりだし、

自分もやっぱりそれだけだな、と思ってます。

 

※ただし、「人生嫌なことばかりが当たり前」とか、そういう意味じゃありません^^;自分で選べる部分・選んでいる部分もたくさんあること、その事実からさえも逃げて「人生はこんなもの(みんな我慢してるし)」と決めつけてしまうのは、ただの自分自身への怠慢だと思います。

 

 

で、その人のブログを、

とても久しぶりに見に行きました。

子育ての記事、今まさに読み直してみたいなあと思い^^

 

そしたら、あくまでわたしの印象ですが、

ものすごく変わってしまったように感じました。

  

言い方のきつさも、偉そうさ?も変わっていなかったように感じたけど、

以前はそれが情熱ゆえ、伝えたい想いゆえ、って感じたのが、

ただ人を見下して不満をぶちまけて吠えているだけのように感じました。

 

それが、嫌な感じがして、というよりも、

もうめっちゃ余計なお世話というか、お前誰だよって思われるかと思うんですが^^;

ものすごく強気なようでいて、

実はそうやってめっちゃ強気に、めっちゃいきり立ってるご本人がつらそう…と

そんな風に感じました。

 

 

もともとその人は、わたしがこのブログを書き始めた頃にすごく参考にさせてもらっていたもう一人の女性経営者さん、

その人のところにはセミナーにも、一度参加させてもらったことがあるのですが、その方ともとても仲良しそうで、

お互いのブログに頻繁にお互いのことを紹介しあっていました。

 

でもそのお二人の関係性が決裂してしまって、

とゆうかそれ以前にも何度も、その方たちの人間関係の中で

すごく「仲良しです❤」「大好きです❤」と言い合って一緒にいる人たちと

最終的にいつも、ひどく決裂してしまう様子を見て、

 

(昨日まで、「大好きです❤」って言っていた人のことを、実名は出さなくても、誰もがそれとわかるかたちでいきなりブログ内で、「いかにこの人が間違っているか」ということを書き連ねるようになる、というか…)

 

そんな様子に個人的にかなりビックリし、

とても学びの多い人たちや世界ではあるけれど、

人としては心惹かれなくなってしまい、※あくまで「わたしは」の話です!そういうので辟易してしまうわたしが子どもなのかもしれませんし。

 

外から、誰かから何かを学ぶことはもういいな、

いつかまた、したいと思うことはあるかもしれないけれど、

それはいったん置いておいて、

自分の内側や生活からの気づきを大切にしよう、と思うようになりました。

 

そんな感じで月日が経って、改めて今のその女性の様子を見て、

愛とか情熱とかではなく、

人を惹きつけよう惹きつけようとして

(当時からその人にとっての自分のウリというか、戦略?が「キツイ赤裸々な言葉を強気に放てるわたし(それがカリスマ性)」になっていて、その”表面のキャラクター”みたいなものに今もこだわっているのかなという印象でした)

どちらかというと焦りみたいな気持ちから、

ひたすらに世の女性・お母さんたちを罵倒しているように映り、

 

そこから本当にいろいろなことを感じました。

 

それは、

「この人、こんなになっちゃって…」という嘲笑の気持ちとか、

「うわー、最悪!」っていう嫌悪感とか、

そういう「その人のこと」ではまったくなく(そんな失礼なこと思いません。笑)、

 

すっごく、「自分のこと」を考えました。

 

 

傲慢になっちゃいけない、と思ったんですね。

 

長いブログの読者さんならご存知のとおりと思いますが、

わたし、伊豆に引っ越すまでバリバリと仕事をして、

その頃はすっごく強気で、人にグサグサと刺さることをガンガンに言っていました。

 

それは自信があったから、伝わってほしくてあえて刺さるように挑発的に書いていたとか、根底には情熱と愛情があったからだと思っているし、それを後悔はしていないんですが、

ある意味、傲慢だったところもすっごくあったと思うんです。

 

だから、その女性経営者さんとわたしは、きっとそんなに変わらない。

 

選んできた道は、そんなに変わらない。

 

そして、いっとき、傲慢であろうがおこがましかろうが、

ガンガンに進んでいくときがあってもいいとも思ってます。自分にも、他人にも。

 

これから生まれてくる(予定)の自分の子どもにも、

死ななくて、人の命を脅かすことさえしなければ、

ある程度何をしてもいいと思ってます。

 

それで人の迷惑になっても、誰かを傷つけることになっても、

その責任さえも引き受けて、

本気で自分の責任で生きてみてほしいと、思います。

 

そういうことを恐れて、周りの気持ちや目を優先させて、

自分の人生に責任が取れなければ、

ゆくゆくは、自分が怖くて選ばなかったくせに、

心の中で、自分の人生の不都合(と感じること)を、

他人や周りのせいにして生きるようになると思うからです。

 

そんなになるくらいなら、迷惑かけても傷つけてでも本気で生きろ、と思います。

 

「お母さんも、お父さんも、そうしてものすごい間違えまくって、人にいっぱい迷惑かけて、いっぱい傷つけて、道を誤りかけたこともあるけど(←特にお父さん)

だからこそ周りに、過去に出逢った人に、今、本当に感謝だし、

そこから何を学ぶかだ!」

 

って伝えたい。

 

なので、傲慢という道を通ってきたことなら、

その女性経営者さんも、わたしも、ジョーさんも、そんなに変わらない。

 

だけど、これからどうするか?どうあるか?は、

同じではいけないと思いました。

 

怒っちゃいけないとか、突き刺さるものの言い方をしちゃいけないとか、

感情をあらわにしちゃいけないとか、

まして親になるからとか、そのどれでもなく、そういう表面的なことじゃなく、

傲慢なままの自分に甘えていたら、

絶対に自分がいつか苦しくなる、と。

 

 

有り難いことに、クソ生意気に傲慢な頃のわたしでも、

その表面の様子の奥の気持ちを受け取って糧にしてくださったお客さんがほとんどで、

しかもその半数はわたしよりずっと年上の方も多かったです。

 

そして、コミュニティで今も学ぼうとしてくれたり、

妊娠がわかったときに、わざわざお祝いのメールをくださったり、

「(わたしなんぞとのやり取りを)原点です」と言ってくださったり、

もちろん何も連絡を取っていないけれど、今もブログを読んでくださってる方もいると思います。

 

それはもちろん、わたしなりに皆さんのお役に立てたところがあるからなのだと思います。

認めてくれているのだろうな、と。

 

でも、それと人間性みたいなものはきっと別物で、

どんなに人を見抜く目があったとして、

人を良い方向に導く力があったとして、

どんなに言ってることが正しくて、そしてそれを実際に自分で体現できていたとして、

そしてそのことで、ある程度人に認められ尊敬されることができたとしても。

 

それと人間性とは、違うんですよね。

 

極端な話、傲慢なままの自分であっても

人を見抜くことも、導くことも、体現することも、人に尊敬され、人がついてくることも、できる。

 

そう、できてしまうんですよね。

 

できてしまうけど、それとしあわせとは、違う。と思いました。

傲慢なままでもできるから、いいや!このままの自分で!だってこれがわたしだもん!

そして実際わたし、すごいもん!とか(←たとえばですよ!)

 

そんな風に逃げてしまっても、

それでも、通ってしまうところが、

特にビジネスの世界は強いと思う。

結果さえ出していれば、みたいなところ。

※結果を出している人=人間性が無い ということでは、まーーったくありません!

 

特に、こころのことを扱う業界では、

パワーバランスというのがどうしてもあって、

自分が強気に、さも正しいかのようにブレずに伝えていれば、

その両極に存在しているような、

弱気で、自分に自信がなくて、正しそうな・強そうな人によりかかりたい(その人についていけば大丈夫だろうと思考停止してしまいたい)人を、

惹き付けることはできてしまう。

 

だから、傲慢なままであっても、何かひとつ、得意分野があれば、

それである程度の結果を出せていれば、

通っちゃうところがあると思います。

 

そして、わたしには、その女性経営者さんが、

そこに甘んじているな、って感じてしまいました。

 

すごいことを実際に成し遂げていて、

実際に、本質的なことを言っていて、

 

でもそれを見抜ける眼力や、それを積み重ねられた自分の実績に、

それらさえあればオールOKと、その才能のようなものに甘えて、

自分の人間性や傲慢さは放置したままにしている、と思いました。

 

それで、繰り返しになりますが、それが悪いと思うのではなくて、

そこから、自分のことを考えた、ということです。

 

きっとその女性経営者さんに感じたものが、

わたしの中にもあるのだと思います。

 

わたしも、甘えていたところがまだまだあったな、と思ったんだと思います。

その方は、わたしよりもだいぶ年上ですが、

気づいた【今】、それに向き合わなかったら、

その人と同じ年齢のとき、

わたしもきっと、その人と同じようになってる。

 

それは、嫌だな、と思いました。

正しいか、間違ってるかじゃないのです、

わたしがその人に感じた印象が正しいのかどうかも関係なく、

ただ、自分が未来にそうなっているのは、自分が嫌だなと思ったのです。

 

それには、今ここからだな、って思いました。

今、仮に、たとえ同じ穴のムジナみたいなものだったとしても、

その「今」からどっちに進んでいくか。

 

今までと同じ道に進んでいくのか。

それとも数ミリずつでも、斜めに違う道を進んでみようとするのか。

 

それだけだ!と思いました。

 

…と思って、昨日は、

お返事しそびれていた卒業生のメールに数件、数日経ってしまいましたがお返事をしました。

妊娠のお祝いのメールいただく→それに御礼のお返事する→それにまたお返事いただく

…という流れの中で止まっていたお返事なので、マストではもちろん無かったと思うのですが、

やっぱり、これもちょっと傲慢な気持ちがあったと思ったので…。

 

そしたら、かえって恐縮されてしまい、

今までどれだけ、

「真穂さんてメールが返ってこないのがフツーの人」っていう感じのくくりで

卒業生の優しさというか寛容さに甘えていたもんだったのか…と痛感しました。。。

(もう、あんまり返信なくて当たり前というふうに許してもらってるんだなと。。。)

 

人の機嫌を取ることや、誰彼かまわず人に合わせることが「傲慢でない」ことではないと思っているので、

これもあくまで自分基準ではありますが、

改めて、気づいた「今」の自分の心のままに生きていきたいな、と思います❤