「すみません、ただのオンナに戻ります」。

良い子を卒業して、「ただそのままの自分(ただのオンナな自分)」を大切に、がんばらずに生きる方法をお伝えしてます◎

甘ったれで人生ナメてて弱々のままに。その性質を、どこにどう向けていくかを選んでいくということ◎

週末は伯母さんからもらった大量の甘夏を、

 

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ママレードに仕込んだりして、忙しくしていました。わたしの忙しさ、そのレベル。

 

前回の記事アップ後、どう食事と向き合うかということだなあということがわかり、

作ること・食べることがとても楽しくなってきました❤

つわりであっても、食をHAPPYなものにすることは可能なんだな、と^^

もちろん、人それぞれつわりの程度はあると思うのですが!

 

さて、そして昨日は、ちょっとプライベートの人間関係でモヤモヤ〜っとしたことがあり、

朝から姉→母 の順番で電話して、

たくさん話を聞いてもらいました〜〜〜

 

姉も母も、基本的には何があってもわたしの味方でいてくれますが、

母の場合は気持ちとかも、完全にわたしの味方(=わたしが「こういうことがあって、ムカつくんじゃ〜〜!!」とか言うと、100%「マホの言うとおり!」ってなる。笑)になってくれる一方で

姉の場合は、

少し先に子どもを産んで、二児のママとして、自分が葛藤したこととか、

周りの友達ママのこととか、

そういうの踏まえて、「モヤモヤムカムカ真っ最中!!」のわたしでは見えてない視点をくれるのです。

 

「まーちゃんの気持ちもわかるけど、もしかしたらこうなんじゃないかなあ〜〜」とか。

 

同じ味方でも、

自分の気持ちに100%同調がほしいときと、

ムカついてはいるけど、どこかで、ちゃんと冷静な目線を取り戻したいときと。

 

母と姉、頼る先を使い分けさせてもらっています。笑

 

特に姉には、妊娠してからより、素直に頼ったり甘えたりできるようになれたこと、

そしてそのたびに、姉の素敵なところ、尊敬できるところを発見できることが、

自分としてもとてもうれしくて*^^*

 

今回のことも、わたしがモヤモヤ〜っとした相手(姉も知っている、この人も妊婦さん)のことを、

姉は子育ての大変さがわかるぶん、本気で心配して、「わたしで力になれることないかなあ〜〜!!」って言ってましたから。笑

 

いつも、

 

「お財布に10円しか入ってない!!(お給料日前!!)」

 

とか、

 

「冷蔵庫の中カラッポ!!(母が姉宅に行くといつも冷蔵庫の中カラッポらしい)

 

とか、

 

何かとどう聞いていても余裕がないであろう発言をしている姉ですが、

それでも、

いつも人のこと心配したり、手を差し伸べたり、機会があれば人に何かプレゼントしてたり。

 

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マタニティマークも「駅まで取りに行くの大変だろうから!」って
心拍確認できた翌日にわざわざ自分が使ってたの郵送してくれたの…涙

 

 

かつてのわたしの、母と姉との関係(とゆうかわたしが二人に向けていた気持ち)がいかにドロドロだったかは、

もうこのブログの過去記事で散々書いていますので割愛するとして、

(気になる方はブログ内検索で「姉」とか「甥」とか入れるといろいろと出てくるのではと。笑)

 

 

でも昨日、姉との電話を切って思ったことは、

わたしはたぶん、昔から姉のことが大好きで、甘えたくて仕方なかったんだなあと。

 

「コイツ(←※姉)、ありえない!!」

「なんでわたしばっかり!!」

「ホント、大っ嫌い!」

 

って思ってたときから、たぶん、本当は姉のことが大好きで、

「すごいな〜」「かなわないな〜」「(自然とそんなふうにいられて)うらやましいな〜」って感じてて、

自覚はまったく無かったけど、その気持ちは今とまったく変わってなくて、

 

ただ、甘え方が変わっただけ

 

なんだなあと。

 

昔の甘え方は、同じ「甘え」でも、

 

可愛げなさMAX。

 

迷惑度、MAX。

 

姉氏も、嫌だったし、苦しかったろうけど、

 

それやってるわたし自身も、

 

相当苦しかった「甘え方」だったな。

 

と。

 

それはたとえば、

 

「責める」という甘え方とか、

「ジャッジする」という甘え方とか、

 

ですね。

 

同じ「甘える」でも、ほんとに、

誰も得しない(HAPPYじゃない)「甘え方」

 

っていう。

 

何よりも自分が苦しいしね。。

 

そして何よりも残念過ぎることに、「甘えてる」って自覚が無かったんですよね。

 

姉に、家族に、

 

そんなにも「こだわりたかった自分」に、

 

自覚が無かった。

 

 

だから、たとえ今のわたしが、過去のわたしに会いに行って、

 

「ねえねえ、ほんとはキミ、お姉ちゃん大好きで甘えてるんだよね。

だったら、もっと素直に大好きって表明して、素直に甘えれば?」

 

ってアドバイスしに行ったところで、

 

宇宙語くらい通じなかっただろうな、とも思うのですが。

 

 

全てを

「振り回されてる」と捉えてしまってるから、

 

誰よりも自分自身が、

 

「振り回されたかった(=こだわりたかった)」

ということに気づけ無いでいたのだな、と。

 

大変お恥ずかしい(てゆうか迷惑)な話ですね。^^;

 

 

そして、そもモヤり電話を通じて、姉から言われてハッとしたのは、

「そうは言っても、まーちゃんは恵まれてると思うよ!」って言うことでした。

 

こうやって、ちょっと嫌だなあって思うことがあれば、

電話していつでも話を聞いてくれる家族がいたり、

「妊娠したら、出産したら、◯◯ができない」とかって思うことがほとんど無いのも、

そもそも、“何かを得たら何かを失う”という発想が無い。

 

実質的にできなくなることがあったとしても「失う」という発想にならないのも、

あまり妊娠中の、出産後の「やっていけるか」という不安がないのも、

もちろん、流産とか、自分でコントロールできない領域への不安は人並みに今もありますよ!

 

ジョーさんがいつも家にいてくれて、家で仕事しながら家事もサポートしてくれて、

父も母も、出産後は「がっちりサポートするぞ!」ってもう決めててくれてて

(姉へのサポートっぷりを見ていればもう大体わかる。そしてここは父の生家なので、姉宅よりも出入りしやすいと思う。)

ジョーさんのお母さんも、嫁に来たのだからこれをしろ、あれをしろ、とか無く応援してくれるし、

 

そういう家族のサポートがものすごく当たり前にあって、

一人で育てるとか、(実質的にもメンタル的にも)独りになるとか、

想像したことがない。

 

誰か、助けてくれるだろう〜って

当然のように思えてること。

 

それってとっても、恵まれてることなんだよ〜、って。

 

もちろん、そういう環境を作ってきたのは、

コツコツとした積み重ね、家族やパートナーとの関係をひたすらに育んできた

ものすごく地道な過程があったからで、

けっしてただ受け身で待っていてこうなったのではなく、

 

旦那さん(ジョーさん)がそばにいて当たり前に助けてくれることも、

まだまだ不安定な体で、無理をして職場に向かう必要が無いことも、

 

そのかわり、自営業ということで、今は何も問題なくても、

来月は、一年後は、

どうなっているかわからない予測不可能な中を歩んでいくことを同時に引き受けているからでもあって、

 

やっぱり、責任をもって自分の頭で考えて、

自分の意志で選んで、

付随する全てのものを引き受けてきたのです。

 

だから、ズルいとか、羨ましいとか思われるのは違うなあと思うし、

どっちのほうが良い選択・悪い選択(正解・不正解/勝ち組・負け組)とかいうのは無く、

ただ、わたしはわたしの気持ちに従って選択してきたらこういうことになったよ、というだけなのです。

 

とゆうか、そういう意味なら、みんなすでに今という現実は何かを「選んできた結果」ですよね。

自分の気持ちで^^

その選択の基準や、優先順位は、

人それぞれ違っていい。自由なんですよね❤

 

そして「恵まれている」ということも、だからといって誰かが「可哀想(恵まれていない)」とも思っていなくて、

ただ、「今」をとても豊かだなって思えているし、

ただ、自分にとって豊かだと感じられることを選んでこれたことも、

良かったな、って思っていて、

でもそれも、「自分がやったんだ!」とも思っていなくて、

周りの理解やサポートあってこそ。

 

けどだからといって、

周りの理解やサポートがない人であれば、

どうもしようがない(周りの支えが無ければ仕方ない)ということでもない

とも思うんです。

 

上手く言えずにもどかしいですが、やっぱり、

まずは自分の「在りよう」だと思うんです。

 

 

ただ、すごく今のしあわせっていうものを、姉と話して改めて感じさせてもらって、

(それはもちろん、誰かと比較してということではなく。)

それも、赤ちゃんが運んでくれたギフトだなと思ったんです。

 

やっぱり、無事に育っているかな、とかの心配はあるのですが、

心配してもいいけどまず感謝だな、というのを改めて感じました。

 

どうなるかわからない未来の心配に持っていかれるのではなくて、

まず目の前に与えられている「今」を、

まず、受け取らないとだな、と。

 

すごくそんなことをじんわり改めて感じたのでした。

 

そしたら、昨日のモヤモヤしたことも、やっぱりちゃんとギフトで、

(ギフトと「思おう」と無理やりポジティブシンキングするんじゃないですよー!笑)

おかげさまで「女性のための生き方講座」用に、

 【モヤモヤから、手放しまでのプロセス】をちゃんとまとめることができました。

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あくまで自分用のメモなので、汚いのはご理解を…^^;

 

 

こういうのって、まとめよう!と思ってもできなくて、

「ホントに自分がモヤモヤしてるとき」で無いとリアルに書けないのですよね^^;

 

そして感じたのは、今までは、

こうやってモヤモヤして、そこからまた見えるものがあれば、

こうして紙に書き留めるのではなく、

すぐにブログに書いてシェアしていたのです。

 

だけど、今は、

「いったん、置いて」

書き残して書き貯めていこう、という姿勢になりました。

 

なんとゆうか、その時の気持ちや気づきをバンバン出していくというよりも、もっと、

しっかりと育てていこう、という気持ちになったのだと思います。

 

これ、きっと妊娠と一緒だなあ、と。

 

赤ちゃんできた!!ハイ!!すぐ産みます!!!

ていやっ!!

 

ってできないし、ならないですもんね。笑

 

なんだか今まではもっと、もっと刹那的に生きていたけれど、

じっくりゆっくり、育てていけばいいじゃない、っていう

そんなゆとりや気持ちが生まれてきたのだと思います❤

 

そして今日のタイトルのとこ、

「甘ったれで人生ナメてて弱々のままに。」というの、本当に、

甘ったれーで、

人生ナメててというのは言い過ぎかもですが、

「そんなんで人生、生きていけるはずないでしょう!」っていうくらい弱々だったとして、

問題がたくさんあったとして、

 

それを克服するのじゃなくて。

 

その自分のまま、生きていっても良いんだよーーー

ってこと。

 

なんですよね。

 

そもそも「克服する」って

女性の性質の中に、無いよー!!

 

って、これ、まだ検証中のとこですが。

でも、たぶんかなり高い確率で、そう。

 

もともと無い、必要ない性質のものを、

一所懸命やろうやろうとしてるから、

すごく不自然だし、だから苦しいのです。

 

つまり、苦しいの、当たり前!

苦しいって感じるの、自然!

なんですよーーーー!

「みんなやってるから!」じゃないですよーーー!!

 

だから、「克服する」じゃなくて、

もっと、そんな、ダメダメ(と感じる)自分を

なんとゆうか、

 

もっと丸ごと、

丸ごと、飲み込んじゃうような、

包んじゃう感じなのです。

 

ガバチョーーーーー!!!と。

伝わる?←伝わらないわ。

 

「克服する」で「苦しい努力」をするのでも生きていけるし、

「ガバチョ!!」で ←違う「自分であること、女性であることに沿った努力」をして生きていくこともできるよ!

それは自由なんだよ!

 

ってことだと^^

 

わたしも、なので、

甘ったれのまま。

(他人から見たら)人生ナメてる(ように見える)まま。

弱々のまま。

夢見がちなまま。笑

 

生きています^^

 

そしてそれは開き直るのとも、それを正当化しようとするのとも違いますしね!

(これだと、見事に上手く行かなくなって、滞る^^;)

 

そんな微妙だけれどとっても大切な違いとか、

今の日々の中でしたためて、温めて、育てて、

講座で伝えていけたらいいな、と思います❤

 

引き続き、自分で自分を、丸ごとを!

育んでいきたいと思います!