「すみません、ただのオンナに戻ります」。

良い子を卒業して、「ただそのままの自分(ただのオンナな自分)」を大切に、がんばらずに生きる方法をお伝えしてます◎

人生思い通りに!も、そこに喜びを見出すことも、女性として本当は、自分で自分の首を締める生き方。

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「女性のための生き方講座をするぞ!」と決めたら、

 

santasantasan.hatenablog.com

 

昨日から伝えたいことが溢れてきて、

今の頭の中に溢れてるものをとりあえずたくさん書き出しました❤

皆さんに配布するためじゃなくて、皆さんに伝えるときのためのわたしのあんちょこみたいなもの。笑

 

まずは一気に3枚書き上げたけど、それは「仕事のためにまとめないと!」って絞り出すような力むような感じじゃなくて、

このことと、このことと、このことを知ってほしいんだよね、そういえば!みたいなただ自分の中に溢れてくるものを書き留めているだけで、

それがただとても楽しい作業になる^^

 

体調のこともあるし、ちゃんとこのまま赤ちゃんが育つかというのもあるし、

イメージしている時期に開催できるのか、

そもそも開催の機会がちゃんと持てるのか、それはもちろんまだわからないけれど、

そんなの関係ない!で、ただ今溢れてくる気持ちに素直に動けていることが

しあわせだなって感じています❤

 

さて、そんな中で、レジュメにも書いてない大前提として、

これまで開催した講座型のもの(スクールとか)の中ではたぶんお伝えしてこなかったことで、

最近は一番伝えたいなって思うのは、

 

「この生き方をするのは、

 

何か、嫌なことに遭遇しなくなるためでもなければ、

 

嫌な想いを感じないで済むようになるためでもなく、

 

まして自分の望むとおりに

 

人生をコントロールしていけるようになるためじゃないよ」

 

ってことです。

 

これはブログやコミュニティでも何度も書いているし、

ご縁があって会いに来てくださった方にはたぶん必ず一度は伝えているはず。

 

なのですが、必ず、一人一回は、

何かショックな出来事が起きたときや、嫌な想いをしたときに、

 

「わたしの何かが間違っているということなのか?」

 

(こんなことが起きるということは、こんなに自分が動揺してしまうということは)まだ努力が足りないということなのか?」

 

というようなことをおっしゃられます。

そうおっしゃることが悪いということではないです!

むしろ、気づきのきっかけになるので、素直にそうやって感じたことを伝えてくださるのはとても有り難いです❤

 

ですが、長くおつきあいのある方でも、どうしても、

上手くいっているとき(良いことが起きているとき、自分の気分も良いとき)はいいのですが、

何か、悪い(と思われること)が起きたとき、

ものすごく動揺して、

そしてその動揺がつらいために、

そのことを「なんとかしよう」と躍起になられたり自分を見失う方が少なくないな、と感じます。

 

この生き方をすると、

かなり早い段階から、そしてわりとあっさりと、

人生が好転するようなことが起きることが多いんですよね。

 

それは、自分がいかに物事や人生を複雑に問題化させていたか、ということでもあって、

それに気付いて自分から自然と選択を変えていけるようになるからであって、

その結果として、

まず自分の心がとってもラクになるし、

自分を取り巻く世界もスコーン!と変わっていく方も少なくないからなんですけれど。

 

なので、

それこそ、奇跡というか、

「人生大逆転!」みたいな気分になることも多いかと思うんです。

 

それを、飛び跳ねるくらい嬉しくなったり、

やった!!って思う気持ちも、

あっていいと思うんです。

わたしもありましたよ!

 

でも、そうはいっても、人生まだまだ長くって、

その中ではいろんな出来事が起きる(こともある)じゃないですか。

 

だけど、いっとき、上手くいったことを、固定化して見てしまうと、

いざ、何か、不慮の出来事というか、

嫌だなと思う出来事に遭遇したときに、今度は

「受け入れる」とか「待つ」とかいうことが出来ない方がとっても多いということに気づきました。

 

一度「上手くいった体験」をしてしまうと、

「あのとき、自分次第で上手く嫌なことを無くせたんだから、

今度もきっと、自分が何かすれば、

この嫌なことを無くせるはず!」とか、

「この嫌な感情を感じないで済むはず!」とか、

ものすごく焦って、(心の中で)右往左往してしまうことってありませんか?

 

そんなときは、つらいことを、「ああ、つらいなあ。。。」って、

ただ受けとめる器を育もうとしていない。

 

手放したいからと、すぐになんとかしようとするほうに躍起になってしまう。

 

ノートに書くことや、見えないものを学ぶことも、

その「コントロール(思い通りにしたい/なんとかしたい)」の動機のために学ぼうとしてしまう。

 

そんなときが、わたしもありました。

 

だから、いざ、躓いてしまうと、すごくだんまりになってしまうし、

(黙って時が過ぎるのを待つという意味のそれではなくね)

なんというのかな、

すごく、「自分ばっかり」に視野が狭くなってしまう。

 

そしてそんなときに、

誰かにおめでたいことやしあわせ(そうと見えること)があると、

言葉をかける余裕すらなくなる。

どこかで

「わたしはこんなにつらいんだから仕方ない」というのがあるのだと思います。

 

さらには、こじらせて、

 

「自分を大切にするということは、自分の気持ちに素直になるってことだから、

自分がこんなにつらいときに人のしあわせなんて祝うのは全然ご自愛じゃないし!」

 

みたいに自分の行動を正当化?してしまうことさえ、ありません?

 

でも、そういうことやってると、

たとえ友人だろうが身内だろうが、人の気持ちは必ず離れていくんですよね。

 

わたしも、所詮ただの人間ですので、

いつも相手の調子の良いときはペラペラと語られるのに、

そしてそれに対しては、ねぎらいや喜びの共感の声をかけるのに

(ただしそれが、明らかに「ん?」という喜び方(優越感とか)だと、お客さんに対してはツッコミ入りますが^^;)

 

そしてその逆に、相手が不調なときは、とくとくと相談され、

それに対しては心配や寄り添いの言葉をかけるのに、

 

いざ、自分がしあわせなとき、それを素直に表現して、相手がスルーならば、

「なんかもう、この人には気持ちかけたくないな」って、やっぱり思ってしまいます。

 

所詮、どういう関係であっても、心は、

ただの人と人との関係性でしかないので、

そこにお互い様という関係をある程度保てないのならば、

心(気持ち)までは割けなくなるのが人間というもの。

 

で、そういう人の場合は、また本人の調子が上がってくれば、「聞いて聞いてー!」になることがとても多い。

 

わたしの場合は、たぶん、母や姉に甘えの気持ちでこういうことをやってた時期がありました^^;

 

でも、自分の体験としても、

「それやってたら、ずっと波に飲まれて振り回されて苦しくないかな?」と思うのです。

 

ずーっと、人生で起きることの良し悪し(と自分がみなすもの)に振り回され、翻弄されるだけ。

良い時は良いけど、悪いときはたぶん必要以上にすっごく苦しくなる。

 

そして、

翻弄されるか?

それとも

コントロールするか?って、

真逆なようでまったく同質・同じなのです。

 

そのことに対して、

自分がものすごく意識をもっていかれている(=エネルギーロスしている)

 

という意味では。

 

で、わたしは、そんなかつての自分のような「調子のる女性」を増やしたいわけではなく。^^;

 

「良いことばっかりを、人生に起こしたい!」というのも、

そんなノウハウを持っている人もいるのかもしれないけど、

わたしは知らないし、無理だろうな、と思うし、

(目指してもいいけど、それを目指したらたとえ人生で良いことの割合がちょっと増えたとしても、いざ、不調と感じることが起きたらよりいっそう苦しさも増すだけだと思う。)

 

「嫌なことや悲しいことが起きても完全に動じない自分になりたい!」というのも、

これについてはちょうど昨日コミュニティでも話していたのですが、

出家でもして山にこもって滝にうたれて修行ウン十年…とかしても、そんな悟った人間になれるかどうか?という感じだと思うのです。

 

むしろ、

 

良いことだけ起こそう!

悪いことは避けよう(無くそう)!という発想自体がもう

女性のそれじゃない(=完全に、男性的な発想)

 

ということに気付くことがスタートなのだな。と思い、

今度の生き方講座ではその大前提から伝えていけたらな、と思うのです。

 

ここを見ていくと、「喜び」に関しても、

じんわり、とか、ほっこり、とか、しっとり、とかではなくって、

「よっしゃー!」とか、

その、飛び跳ねるような「ハイな喜び方」って、たぶん、

ちょっとフェイクなんです。

それってすっごく、男性的。

 

でも、イマドキ女性(女子?)は、

そういう強い喜びをたくさん得ることこそしあわせだと勘違いしている人がたくさんいると思いますし、

だからといってそれが悪いわけじゃなく

(「女子たるもの、そんなはしたない喜び方をしてはいけない!」とかって意味ではもちろん無く^^;)

 

そういう喜び方をいつまでも疑わず欲し続けるからこそ、

 

つらい、苦しい、望まないことが起きたときにもグワ〜〜ンと、

 

自分ごと飲まれて翻弄されてしまうほどの落ち込み(悲しみ)方になってしまうんだよ

 

ってことなんです。

 

わたしはそれを男性的、と表現しましたが、

当の男性でさえ、

そんな生き方で限界来てる人、ゴマンといるのですよ。

 

表向き、すべてを持っているように見えても、結局は、

そういうゴリゴリのコントロール思考で来てしまった人は、

どこかに歪(ひず)みを抱えて重さを感じて生きてる人、

たくさんいる。

 

さらにその重ささえ、コントロールしようとしたり、

表向き、すべて上手くいってるように見せようとして(これもまた自分をコントロール)、

心の内ではよりいっそう、自分で自分を苦しめてることも。

 

 

だから、男性的、と言ったけど、

男性でさえ、それとはしあわせはもう違うんだ、って感じているはずなのです。

なのにその表面的なところを見て、

女性までそれが当然なんだと、そうなればゴールにたどり着けるんだと

どんどんそちらに「寄って」いってしまうから、

結果的に女性であればますます苦しい。

(本来の得意分野と、男性以上に、ますます乖離しているから!)

 

だからこそ、随分前から「女性性の時代」って言われているし、

そしてそれは、「命の時代」ということだと思うんです。

 

命の在りようの通りに生きましょう、っていう、

シンプル過ぎるほどシンプルな答え。

 

それを、感じ取ることが一番できるのが女性だから、女性性の時代、と言われているのだと思う。

それは、妊娠・出産しているに限らず、

女性であれば、誰もが感じ取れる答えだと思うのです。

(このこともお話ししたいです。)

 

だから、いくら自分と向き合う方法、伝授したところで、

根本が、本質が伝わっていなければ、

それすら男性的に活用しようとしてしまう。

けっして女性的ではない在り方で、知識や情報すらも、飲み込んでしまう。

それはその時時でちょっとの違いなのだけど、

そのちょっとの違いが積み重なって、大きな違いになってしまうんだな、と。

 

(勘所の良い人は感覚で伝わっている感じがするけれど!

 そして全員に平等に、端々で、いたるところで、常に全力で伝えてはいるのだけれど、なかなか繋がっていかないのだろうな、と。。。)

 

それ、やっててもいいけれど、自由なのだけれど、絶対ほんとうは自分が苦しいよね?と。

 

だからわたしは、人生どうなるかわからないけれど、そのわからない中で、

いつもほっこりじんわり、安心しながら豊かさ、しあわせを感じたいし、

外側の何に振り回されて、全部持ってかれて、

オロオロと右往左往する生き方はしたくないな。

 

自分のこと、自分が他人から見てどうか?ばっかりいつも気にして、

そこに人生の選択を左右される生き方はしたくないな。

 

つらいことが起きても、そこをラクにしたい・無くしたいと躍起にならずに、

しんしんと「つらい…」って受け入れられる自分でありたいし、

 

たとえ自分の人生が順風満帆と感じられないときでも、

大切な人の喜びや悲しみに共感して一緒に反応できる自分でありたいと思うし、

 

そういう、自分のことのように自然とつい一緒に喜べちゃう、

つい一緒に悲しんじゃう、

そういう反応に自然となっちゃう人が周りに溢れてる人生がいいな。

別に自分のことじゃないしな、って何も大して感じない人生よりも。

 

全部、

「そのほうが人として美しいから(正しいから)」

じゃなくて、

ただ、

「そのほうが自分が気持ち良いから(より、豊かさを感じられる、しあわせを感じられるから)」なだけ。

 

つらいと感じないくらいの境地に!とか、人の目まったく気にしない強さを!とか、

誰をも愛せる人間に!とか、そんなところは目指していない。笑

 

目指してないし、強要もしないし、けど、それでも、

良いことばっかり起こしたい!とか、

人生大逆転狙いたい!とか、

誰かに羨ましいって思ってもらえる人生にしたい!とか、

勝ち組になりたい!とか…

 

そういう想いの人は、わたしのブログもわたしの話も何も役に立てないと思うので、

他を当たってくださいね!

 

わたし自身も、まだまだ発展途上だからこそ。

自分自身を見つめながら、同じような気持ちを持てる女性たちと、

ともに育みあって、喜びあっていけたらいいな、と思います❤