「すみません、ただのオンナに戻ります」。

良い子を卒業して、「ただそのままの自分(ただのオンナな自分)」を大切に、がんばらずに生きる方法をお伝えしてます◎

母の涙と「わたしはわたし」。最初から誰とも同じではない、自分ひとりの人生(命)を受け入れて生きていくだけ。

昨日のブログを書いてから、

実家の母にも電話をしました!フツー順番逆やろ〜!ですね!^^;

 

いつも冷静というか、ほとんど動じない母が電話越しに

「えぇえ?!」と涙声になっているのを聞いて、

すごくびっくりしたし、

 

(未だに小さい頃の思い込みで「母はわたしのことでそんなに喜ぶことはない」って当たり前に思っている自分を発見しました。もはや母に失礼ですね。。。)

 

わたしまでつられて泣いてしまいました。

 

それは今後の心配なしに、手放しに

「ばんざーい!!」という喜びからきた涙ではけっしてなくて、

 (だって本当に、この先どうなるかなんてまったくわからないですものね。)

 

ただ、先日のお彼岸に母がお墓参りのためにこちらに来たとき(まだ妊娠してるとはまさか思ってなかったとき。そして結局積雪のため、お墓参りには行けなかったとき。汗)に

一緒に温泉に入って、

その時なりのわたしの「赤ちゃん」についての気持ちを話していたからだと思うんです。

 

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(いつもの温泉にて◎)

 

 

このブログの長い読者さんならご存知のとおり、

わたしには3つ上の姉がいて、

わたしの中では長いこと、

この姉へのコンプレックスが大きかったんですけど。

 

姉は小さい頃小児がんになって、その後遺症で左手は短いけれど、

でもいつも明るくて、社交的で、友達も多くて、

就職氷河期にも、障害者枠というかたちでわりとすんなり大手企業に就職して、

 

いわゆるOLさんらしい青春を謳歌して、

いつも彼氏が途切れなくて、更にその恋愛は、わたしから見るといつも華やかな感じで、

(イケメン重視とか…ちやほやされてて当たり前とか…)

 

その後、わりとすんなり若くて真面目で堅実な今の旦那さんと出逢って、

わりとすんなり結婚して、

 

そしてすんなり子どもに恵まれて、

今では二児の母になり。

 

わたしにはそうやって、姉が

「いつもすんなり、あっさり、簡単に」しあわせを掴んでいけている気がして、

(心を開いて話してみれば、そんなことばかりでは無かった、と今ならよくわかるんですけどね!)

 

対してわたしはいつも不器用で、

些細なことに躓いて、変なことにいつも遭遇して(汗)

なんだかいつも悩んでる、

なんだかいつも「わたしはスムーズにいかない。」という気持ちがありました。

 

それが、心のこと、目に見えないもののことを知って、

生き方を変えていったら、

すごく今までがウソのようにトントン拍子でいろいろなことが簡単にクリアしていくようになって、

 

でもそうやってトントン拍子に来て、

好きな仕事も満足してる、

結婚もできた、

新しい住まいも得られた、

旦那のジョーさんの仕事もどんどん発展してる、

 

そしたら次は子どもを授かりたいな♪なんて考えてたときに、

ここにきて、自分の中で、

今までの「トントン拍子」の「スピード」ではなかなかかたちにならないな、という感覚が生まれました。

 

それが、すごく嫌だったんですよね。

 

停滞しているみたいで、後退しているみたいで、

なんでもスムーズに、トントン拍子に行かなくちゃ嫌だ!みたいな気持ちが正直なとこだった。笑

 

今振り返ると、自分が気持ち良く、心地よくあることよりも、

「スムーズであること」にこだわってしまっていたんですよね。

まさに本末転倒。

しかもそうはいっても、結婚式を終えて、伊豆に越してきてまだ半年のことです。

 

わたしはきっと、欲しいものや学びたいことがあるととことん追求するその勢いみたいな(イノシシみたいな。。。)姿勢が良いところでもあるのですが、

如何せん、それが上手くいかないときは、

ウキイィーーー!!みたいなちっささがめっちゃあるんですよね。

 

つまり一言で書くと、すごい未熟(子ども)ってことだと思うんですけど。^^;

 

それで、そんな未熟な、子どもな、そのときの「今」の自分とまた向き合いながら、

丁寧に自分を見つめていくことをまたはじめました。

 

そうしたら、呼応するように、

いろいろと考えさせられる出来事も起きてくれて、

そのときはもちろんつらかったんですけど、そのおかげで、

 

「あ、わたしは、わたしじゃない誰か(=スムーズな人)になろうとしてるからつらいんだな」

 

 

「赤ちゃん授かりたいっていうよりも、

スムーズに行かせたい(人生を)のが本音だったんだな。

 

 

って気付いた。^^;

 

ブログにも少し触れましたが

私的にとっても強烈な出来事に今月初めに遭遇して、

 

その出来事の強烈さゆえに、

すごく自然とその気持ちを自覚して、

そして「スムーズ、無理だ」って、

なんかよくわからないのですが、

良い意味での諦め、というか

降参の気持ちが芽生えました。

 

わたしの魂みたいなものが、

そもそも不器用で、だから今こういう生き方をしてるんだったってこと。

 

だから、妊娠や出産も、

そもそも望めるかわからないし、

望めたとして、すごーーく時間がかかっても仕方ないんだろうな、と。

 

それが嫌でも、どうであっても、

 

わたしはわたしなんだ。

 

 

いろいろな葛藤の末に自分を見つめ続けて、

すごく自然と、そういう気持ちに至りました。

 

そしてそれは、自己卑下とか、自己否定とか、

自分に価値が無いとか思っているのとは少し違うんです。

 

よく、「自分には受け取る価値無いなんて思っちゃダメ!!そんなことないよっ!!」などで、

高いものを買ったり、

高級なところに行くことを勇気を出してやってます、とかってありますよね。

 

それ自体が悪いとは思わないのですが、

でも、その「価値」って、

そもそもが「他人目線からの”価値”」じゃないかな?と思うのです。

 

上手く伝えられるかわからないんですけど、

高いもの、高級な場所に行けること=価値 ってしてるならそれは

「他人や社会がすごいと思うことを価値としている」のだと思うのです。

 

同じように

「妊娠を望めないかもしれない、だなんて、

そんなふうに自分を小さく見積もらないで!あなたには価値があるよ!」

って言うのであれば、

それは

 

妊娠できることが人間の価値と関連してる、って

強烈に意識してるから出てくる言葉

 

だと思うんですよね。

 

自分には価値がある。

 

それはわたしも、今も当たり前に思うのですけど、

かといって妊娠できないこととか、

スルスルと上手くいかないこともあるのかもしれないな、と今はフラットに思うし、

 

それは、なんか今までそういう人生だったし、

だからわたしの”命”って、

そういうことから学んでいくことが好きなのかもしれないな。と。

 

きっとわたしは、同じ心のこと、生き方について、実践することや学ぶことの原動力として、

今まではどこかで、

それによってスムーズに行かせたい、があったのだなあと。

 

それはやっぱりどこかで、

姉や周りの友人と比較して、という気持ちや焦りがあったからだと思うのです。

 

特に姉に対しては、

「同じ環境で、同じ両親のもとに育っているのに、なんで?(なんでわたしはこうなの??)」

 

という、なんとも納得いかない気持ちが強かった^^;

 

そして学生時代の友達に対しては、

 

「同い年で、

同じ学校に入学して、

同じ環境で数年間を過ごして、

同じように卒業していったのに」と。

 

そんな風に、

一緒(なはず)なのに(なんでわたしはスムーズにできないの?)

 

と。

 

そう思っていたなあ、と。

 

でも、

 

違うんですよね。

 

いくら育った環境が同じでも、

 

姉妹でも、

 

まして、同じ学生時代をともにした友人だとしても、

 

何も一緒ではない。

 

 

むしろ、全部違う。

 

わたしも、姉も、わたしの友人たちも。

 

みんな一人一人、別個の人間で、

 

ひとりひとり、違う魂を抱えてこの世に生まれて、

 

それぞれ違う別個の命を、

 

別個の人生のスタートを、

 

それぞれに切っただけなんです。

 

 

たまたまそのとき、

 

生まれた両親が一緒だっただけ。

 

たまたまそのとき、

 

一緒の学校に通った期間があっただけ。

 

ただそれだけ。

 

 

最初から、誰とも同じではない、

自分一人の命であり、自分ひとりの人生を生きているだけなんだと。

 

 

それが、ほんとうに無理なく自然にすこーーーんと落ちたので、

 

あの日、お互いにすっぽんぽんの温泉の大浴場(笑)でそのことを、

母にわたしなりの言葉で伝えたんです。

 

「32にもなっても、

これからもわたしはスムーズにいかないこともあったり、

いちいち立ち止まって悩んだり、

だからお母さんが隣で見てて、

こんな年になってもまだ、心配させちゃうこともあるかもだけど。」

 

「お姉ちゃんのようにはスムーズに安心させることもできないかもだけど。」

 

「でもわたしはわたしでちゃんとしあわせだから。」

 

と。

 

気負うこともなくサラ〜っとそれを伝えられて、

なんかこのときやっと、

シスコンもほんとの意味で卒業できたんだな〜と思いました。笑

 

結局、全然タイプの違う姉のことが大好きだからこそ、憧れるし、

比べて凹んだりするんでしょうけどね^^;

 

でも、もうそこは、「大好き」「すごいなあ」だけでいいかなと。

 

そんな感じで

わたしの中ではもう、

 

子どもはのんびりゆっくりわたしたちなりのペースで望めたら望もう〜♪と悠長に構えてたので、

待てど暮らせど生理が来なくても、

「あれ?」と思いながらも

 

「まあでもわたしは親になるのは当分先、時間がかかる人だから〜」みたいな強烈な思い込みが今度はできて ←一度思い込んだらとことん外れないタイプ

 

なので本当に、なんとも思っておらず、まさか、という感じでした。

 

気付けたのは、ちょうど23日の先週末に、もともとその生理前後の右下腹部痛が気になって聖路加で婦人科検診を予約していたので、

(生理がそれでも来ないので)

まさか妊娠してたら検診できないだろうな、と思い、

検査薬を試す必要があったから、なだけだったのですね。

 

そんなこんなの経緯も電話越しに母に話して、

そしたら母はちょっと泣きながら、

 

「お母さん、真穂の話を温泉で聞いて、

神様に「子どもたち3人(わたし・姉・弟)、それぞれの悩みや葛藤があって、

でも生きていこうとしてるから、ありがとうございます、どうぞお見守りください、って

そう毎日祈れるようになった。」

 

「今までは、やっぱり、「上手くいってほしい(子どもたちになるべく苦しい思いをしないでほしい)」という気持ちが強かったけど、

それよりも、

今が有り難いという気持ちのほうが自然に持てるようになった。」

 

と涙ながらに話してくれて。

 

そのことには、やっぱりわたしも泣いてしまって、

すごく母の気持ちがありがたかったし、

改めて赤ちゃんをこうして授かれたこと、

昨日のブログを書いた時点では感じていないかった

何かこみ上げるような気持ちをを感じました。

 

やっぱりわたしも、母のお腹で育って、生まれてきたから、

母の言葉で何か別のスイッチが入ったのかな^^

 

確かに別個の命なんだけど、そこにはちゃんと繋がりがあること、

実感したというか。

 

上手く言えませんが、そんな気持ちになった母との電話でした。

 

ひとまず、この記事はそんなところで^^