「すみません、ただのオンナに戻ります」。

「ただそのままのわたし=ただのオンナ」に戻って生きる喜びとその日々を綴っています◎

人が再生していく物語。

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駅から我が家に向かって続く「松川」通りの桜が、ここ数日で一気に花咲いてきました!

これは昨日撮った写真だから、たぶん今日明日はもっと開花が進んでいるはず。

 

つぼみが芽吹くまではなかなか時間がかかるように感じるけれど、

咲く時は本当にあっという間ですよね。

 

人もおんなじ。

 

ちょうど先日、コミュニティのメンバーさん(Aさんとします)がまた一人、

つらい思い出から自分で自分を解放し、

その方なりの素敵な花を咲かせてくれましたので、

今日はそのことについてご紹介したいと思います。

 

かなり、プライベートなことを勇気をもってコミュニティ内に投稿してくださったのですが、

同じような傷を持っている方もいるのじゃないかな、と思い、

ぜひ一人でも多くの女性に目を通していただきたくて、

ご本人にお願いしてこちらで一部割愛と表現を変えつつ、掲載させていただきたいと思います。

 

こんばんは。お久しぶりです。

みなさん、お元気ですか?

日増しにぽかぽかあたたかくなり、今年も桜をみることが楽しみでしかたありません♡

 

今日は、真穂さんの昨日のブログに書かれたことが、

自分の中の大きく苦しかったことについて振り返るきっかけになりました。

 

私には、△△代半ばで好きになって付き合っていた人がいて、

その人が私と一緒にいるようになってからよくないことが続いて、それで

 

「お前といるとよくないことが起こる。お前は人を不幸にする」

 

と繰り返し繰り返し言われ、

 

「そうか、私は人を不幸にするんだ。

そういえば、友達にこんなことがあった。

家族にあんなことがあった。

前に付き合って人にもあんなことがあった。

全部私のせいだ」

 

と思い込み、

その人から「お前のせいで不幸になったんだから、あれをしろ、これをしろ」と言われて、

なんでもしないといけない気持ちになっていました。

 

今思えば、別れたくなくて、いやだと思いたくもなくて、

自分が人を不幸にしてるんだからこれで帳消しにしてもらおうと、

自分をひっぱたきたくなるような思い込みで、

本当は愛されてないんだ、つらいんだ、いやなんだ、という気持ちに蓋をして、

何年も過ごしていました。

 

それでも、◯年近く一緒にいて、(中略)その人と離れることにしました。

 

だけど、自分にしみついた「私は人を不幸にする」という思考は根強く残っていて、

人に何かあるとすぐに責任を感じてしまう癖が当たり前のようにありました。

 

その考え方が自然すぎて、真穂さんのブログを読むまで、

思い出せなかったくらい当たり前にありました。

 

(でもそんな経験も経て自分を大事に生きることを学んで)

いやなこともいいことも、それは感じ方で、

本当に嫌なことかいいことかもわからないし、

本当に私は人を不幸にしてしまう人なのかもしれないけどそれもわからなくて、

自分に起きたことだけ向き合って責任をとればいい、

他の人の出来事はその人のもので私が横取りすることじゃない、

今までのこだわりおつかれさま、という気持ちがわいてきて、

なにかすとんと楽になりました。

 

(※先日のわたしのブログについて)簡単に触れてはいけないことかもしれなくて、

それは本当に真穂さんに申し訳ないのです。

だけど、感謝でいっぱいになったので、ありがとうをお伝えします。

本当にいつもすてきな気付きをありがとうございます。

 

そしてその後のやりとりで、こんなことも書いてくれました。

そんな最近の私は、真穂さんのゴムの話と、(※コミュニティ内でシェアしたたとえ話のことです!)

肚をくくる話と全部自分の責任の話をぐるぐる落とし込んで、

突然どれだけ自分が自分の人生を生きてなかったのか見えて、感動していました。

 

この世界があって、私がいて、

私はどう生きるか、先のこととか人の目とか正解とかにエネルギーを割かないで、

ただ自分の人生楽しく自分でつくろうと、

(それは)どうなるかわからなくてこわいけど、

私で生きてやってくしかないとようやく自分が自分の中心にすわることができました。

 

まだまだブレブレですが。ようやくです。

これかーー!!って感動していました。

 

自己肯定感について検索していて、真穂さんのブログを知って、

ちょうどジョーさんのとった桜と真穂さんの手が優しい写真の写真にひかれて、真穂さんのブログにひかれて、

(※スクールに参加したのが)4月の半ばだったから、1年もかかってしまいましたが、ようやくスタートにたてました。

 

やっぱり感謝しかでてきません。ありがとうございます。

 

 

見つけてくれた写真とは、この写真のこと、ですね!

 

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わたしもとてもお気に入りの写真なので、

この写真がAさんとのご縁のきっかけとなったことがとても嬉しいです。

 

そしてこの時の記事、少し状況は違うけれど、

やっぱり同じように、そのときのステージで

「同じ初心」に返っているのだな、と。

 

いつも結局は同じところに戻ってきて。

でもそれは同じところをグルグルしているようで、

きっとそのステージは、少しずつ変化してきている。

santasantasan.hatenablog.com

 (記事内で触れている音声購読についてはすでに終了しています◎)

 

 

さて、Aさんの、かつての恋愛を通じて出来てしまった傷を知って、

とても胸が痛んでしまい。

 

「私は人を不幸にする」と思い込んでしまったこと、

さぞおつらかっただろうなと、泣きたいような気持ちに駆られました。

 

そして、長年抱えてご自身を縛り付けていたその重い鎖から、

自分で自分を解放したこと、

 

本当によくがんばられたなあ…と。

 

そうして、自分の中でその過去に区切りをつけて、自分自身を生きようとしたAさんのその後はとても、

生き生きしていて、喜びに溢れていて、感動が伝わってきて、

 

わたしもすっごく胸がジーンとしてしまいました。

 

わたしがブログにてこのAさんの体験をシェアさせていただいたのは、

こういった傷を抱えたままに、

自分を深く閉ざしてしまって、あるいは自分で自分の存在を何らかのかたちで否定して、

そうして長いこと、それを疑いもせずに重さを抱えて生きている女性って

ものすごく多いのじゃないかな、と思ったからです。

 

それはわたし自身もそうでして、

 

何度かこのブログには書いていますが、わたしには3つ上の姉がいて、

姉は小学校に入ったばかりの頃に小児がんになって、完治はしたものの、

左手が短いという、いわゆる障害を抱えてます。

(しかし全然そこをマイナスに捉えていない。そんな姉をかつては嫉妬しまくりでしたが、今はとっても尊敬してますし大好きです^^)

 

で、わたしは3人きょうだいで下に7つ離れた弟もいるのですが

(弟は姉が完治して随分経ってから生まれています)

その姉の治療が続いた時期、わたしは3歳〜5歳頃だったので、

たびたび祖父母宅に預けられて生活していて、

そうするとたびたび、親戚や祖父母から

「今はお母さんもお姉ちゃんが大変なときだから、ワガママ言っちゃダメだよ」

と言われるんですよ。

 

今思えば仕方ないというか、親戚のおじさんおばさんもおじいちゃんおばあちゃんも優しかったからこその言葉なんですけどね!

 

そして姉の治療がまだ続いていた頃に一度母が妊娠して、妹か弟がもう一人いたはずだたのですが、

でも結果的に流産してしまって、そのときに母が

「今はお姉ちゃんが大変なときだから、家族のことを考えて空に還っていってくれたんだ」

と言っていたのを聞いて、

「わたしはお姉ちゃんが大変なときなのにいて迷惑ばっかりかけてるな…」とか

思ってしまったんですよね。

 

これも今となっては、

なんでやねーん!!

そういうことじゃないやろーーー!!!

(なぜか関西弁)

と思うんですが、

そしてそういう風に思うことで気持ちを奮い立たせてた母の気持ちもわかるのですが、

子どもの頃はこういう勘違いを積み重ねてしまい(汗)

 

姉の病気が治ってからも、母が、

「いつも何か(悪いことが)起きるっだろうって心配しておけば、最悪なことはそうそう起こらない」

というのを聞いて、

「そうか。わたしがそうやって、いつも何か悪いことが起きるだろうって心配をしておけば、

家族みんな元気でいられるはず!」

とか思ってしまい、

本気でいつも、何か悪いことが起きることを常に心配していたり(汗)

 

そしてそれを忘れて人生楽しいなー嬉しいなー、みたいに過ごしてた頃に、

たとえばおじいちゃんが病気になったとしたら、

「自分のせいだ!!(わたしがちゃんと心配するのを怠ったからだ!!)」

と、本気で自分を責めたり…(汗)

 

今振り返れば本当に、

その素直さと健気さと真面目さの向ける方向、カンペキに間違ってるわ!!!と思うのですが(涙)、

 

何か強烈にインパクトを与えた出来事の中で認識してしまったもの

(たとえそれが誤解や、本当に何も根拠の無いものだったとしても)って、

 

ものすごく重い鎖のようなかたちで自分をその後何年も縛ってしまうんですよね。

 

そんな風になって(思って)しまうきっかけは、Aさんのように、

過去おつきあいしていた男性からの言葉かもしれないし、

親との関係の中でできたものかもしれないし、

学生時代のいじめやちょっとした出来事や…

 

きっかけなんてもしかしたら、他人から聞いたらすごく些細なことかもしれない。

 

でも、そのちょっとしたことや、誤解やすれ違いも含め、

それが人生を左右してしまうくらい長きに渡って自分を引きずってしまうこともあるし、

 

そしてAさんも書いてくれたように、

それに縛られること、それを抱えて生きることがあまりに当たり前になってしまって、

そもそも疑いもしない

(自分はダメで、いらなくて、人を不幸にしてて当然の存在、とか)

ということも、

 

本当に恐ろしいけれど、あることなんですよね。

 

それを解き放って、外から与えられた(と感じている)どんな定義も、もう二度と採用せずに「自分の心のままに生きていく」のと、

 

そのまま(知らず知らずのうちに)その過去の言葉や体験から生まれた

何らかの自分への定義づけを採用して、それに縛られて生きていくのと、

 

人生がどれだけ違うものになるか。

 

 

そして過去の出来事や言葉から自分になんらかの定義をくっつけて生きる人生は、

本当のその人の人生じゃないんですよね。

 

でもそれは、誰が教えてくれることでも、

誰が解き放ってくれるものでもなく、

 

自分が自分に許可して、

自分で自分を解き放つことしかできない。

 

 

それには、「仕方ない」と蓋してどこかで見ないふりをしてきた

その中にあるものすごい悲しさや苦しさを自分がしっかり、

「見て」、「感じて」、「受け入れる」、

そんな包み込む母のような愛情を含んだ受容を、

自分が自分に対してしなくてはならないし、

 

そののちに、ただ優しく当時の痛みを受け入れ認めるだけではなく、

その過去は無かったことにはできないのだから、

それも含めた「今」から

ちゃんと立ち上がって、自分の人生を歩き始める、

そこには、過去の出来事・言葉・縁に傷ついて、その他人が示した何かを採用してしまっていた「自分自身」と決別して、

「もうそれは採用しないと決める」、

そんな父のような厳しさ・力強さも

自分が自分に対して発揮しなくてはいけない。

 

誰のせいで、なんの過去のせいでこんなことになったのか?なんていう犯人探しはどうでも良く、

(気がすまないならばそれをしてもいいけれど、それを明確にすればするほどかえって、

許せない気持ちが大きくなって、自分が自分を生き直すことにエネルギーを割けなくなってしまうかもしれないから。)

 

丁寧に丁寧にそれをやっていくこと。

 

それは、本来は自分にしかできないことなのです。

 

100人が100人、

「そんなことないよ(あなたは人を不幸にしたりなんかしないよ)」と言ったところで、

たった一人の自分がその過去につけた定義を自分に採用することを止めないならば、

どんな言葉もあなた自身を救うことはできないから、なんですよね。

 

わたし=他人ができることは、それを見守ることとか、

自分の背中を通じて、それができること、そうして再び自分の足で歩み始めることがどれだけ人生に喜びを与えてくれるかを伝えることとか、

きっとそれくらいしか無いんだけれど。

 

でもわたしも、旦那のジョーさんに出逢って、

過去にとらわれない生き方ができると、

人は生きながらに生き直すことも、再生することもできるんだと知って、

わたしもそこに向かってがんばってみよう、と思ったのです。

 

わたしがいつも何か悪いことの心配をしていれば、

わたしの大事な誰かに何かが起きることは無いのかもしれないけれど、←これ、我が家は本当に病気はじめいろいろなトラブルが多かったので、高校生くらいから始まって社会人になっての数年間、本気でそう思ってましたので…^^;

 

でも本当は、わたしも、

もっと人生って嬉しいとか、しあわせとか、

安心して安らいで生きていきたいと思った。

 

そうして

誰かにもう何も起きる隙もないくらい、

わたしが笑顔でいることで、

温かい気持ちでいることで、

わたしの大事な人を守ったりHAPPYでいられる力が欲しい、と。

 

そう思って、心のことを学びました。

 

結果的に、そうして生き方を変えて数年が経ってわかったこと、

 

自分がどう在ったって、

 

何か起きる時は起きる。

 

起きない時は起きない。

 

それは、わからないし、

 

誰の責任でも無い!

(しかしそれに無意識でもあえて”寄って”いく生き方をしてるときはあるので、それは注意が必要だし、そこは自己責任。。。!)

 

 

わたしはとっても怖がりで、そしてきっと優しくもあって、

だから誰かに何かあるとき、

それがたとえ通りすがりの人であっても、

とってもとっても心を痛める。

 

その痛みがとてもつらくて、

痛みを感じないように蓋をして生きていたときもあるし、

痛みを感じる出来事が周りで出来る限り起きないようにと

見えないものをコントロールできる知識や力を得ようとしたときもありました。

 

でも今思うのは、

痛いのはつらい。

けど、だからといって感じること自体蓋をしようとするのではなく、

そして痛みを感じる出来事をなんとか回避しようと躍起になるのでもなく、

 

痛みを感じてしまうときもあって、それも人生っていうこと。

 

だから、月並みだけれどその都度その都度、「今」を大事に生きていこうということ。

 

そしてそんな痛みが起きることも、

わたしが、過去、あんな経験をしたから、こんなことを言われたから、

わたしが人を不幸にするから…では無いんだということ。

 

そんなのはなんにもわからない。

なんにもわからないままで、でも自分の人生を精一杯生きて、進んでいくということ。

 

わたしが今、感じているのはそういうことです◎

 

そしてAさんの素敵な共有のおかげで、

やっぱりわたしは人が再生していく様が、本当に心震える瞬間だなと。

 

人が再生していく物語。

 

この物語の中に、

いつも、自分の人生の中で少しでも関わって、

少しでも、わたしがわたしで在ることで、

何か役立っていけたら良いな、というか、やっぱりそれがわたしは好きみたい。

 

 

どんな過去や重しを自分の中に持っていても、

それでも自分と自分の人生をまだ諦めたくはない。

そんな気持ちを今も少しでも持っていらっしゃる方は

ぜひこちらにてお待ちしています^^

santasantasan.hatenablog.com

 

Aさん、素晴らしい体験談をありがとうございました!!