「すみません、ただのオンナに戻ります」。

良い子を卒業して、「ただそのままの自分(ただのオンナな自分)」を大切に、がんばらずに生きる方法をお伝えしてます◎

ただこの自分に与えられた命を真摯に生きようとすれば、残りの人生は全てオマケのステージ。【最近大きく捉え方が変わったこと。】

先日、とっても素敵なご案内が届きました^^

 

f:id:santasantasan:20180317104936j:plain

 

昨年5月に結婚披露宴を挙げた東京ステーションホテルから、

結婚一周年のお祝いにと、夫婦で宿泊のご招待をいただきました◎

 

昨年末クリスマスのホームカミングパーティの時もそうでしたが、

結婚式を挙げた後にこんなサプライズがあることはまったく知りませんでしたので、

そのウェディングチームの温かさや祝福の気持ちにただただ感動…。

 

お部屋も、結婚式のときに宿泊とさせてもらった

思い出溢れたお部屋を用意していただけるそうです*^^*

 

 

このお部屋です〜◎

 

f:id:santasantasan:20180317110157j:plain

 

ステーションホテルでの結婚式ではこうやって控室ではなく、

前日に宿泊したお部屋でそのまま、メイクやドレスの準備をしてくれるんですよ^^

ギリギリまで寝ていられます。笑

 

2階が寝室になっています。お部屋での撮影も素敵な思い出です*^^*

 

f:id:santasantasan:20180317110220j:plain

 

f:id:santasantasan:20180317110833j:plain

 

挙式をさせていただいた聖路加国際病院の教会ももちろんそうですが、

披露宴をさせていただいた東京ステーションホテルも、わたしにとって、

ただ結婚式を挙げた場所というだけでなく、

このブログを始め、セッションをスタートさせてから、

数え切れないほど何度も通って、いろんな方とのご縁をいただいた場所、

そしてわたしがわたしを生きることをひたすらに積み重ねてきた大切な場所です。

 

先日、伊豆で仕事をしていくことの告知もしましたが、

 

santasantasan.hatenablog.com

 

今年に入ってからもすでに数回は、東京(ステーションホテル)で仕事のため

ラウンジには何度か訪れています。

 

それで、今年に入ってからよりいっそう、

ホテルのスタッフさんの温かさやお気持ちを感じることが強くなりました。

 

それはたぶん、昨年末にわたしなりのステーションホテルでの「受け取りこぼし」に気づき

 

santasantasan.hatenablog.com

 

自分の中で

「ステーションホテル=ラグジュアリーで高級な、特別な場所」では無く、

「ステーションホテル=ホームのような、安心できる、温かい気持ちを感じられる場所」

になったからだと思うのです。

 

そのことで、実際に昨年末のパーティの翌日には、

些細なことだけれど、ホテルの温かさをそこここに感じることができて。

santasantasan.hatenablog.com

 

このことがあったからか、年明けのラウンジでの仕事も、

長くいるスタッフさんたち(わたしが結婚式をしたことも知っている方たち)のさりげない言葉がけがとても嬉しかった。

 

「いつもありがとうございます」とか、

「お久しぶりです!」とか、

「今日も伊豆からですか?今日はお泊りですか?またぜひいらしてくださいね!」とか。

 

ちょうど少し前に、集中講座の受講生さんにこんなことをコミュニティで伝えたのですけど。

他人からどう見られるかを気にしてしまって、

「すごいと見られたい」とか

「素の自分に戻って鎧を外して生きてしまったら、変わった子と思われてしまうかもしれないからそれが怖い」

というような相談の中で、喝を入れたときのコメントなんですが。

 

f:id:santasantasan:20180317114955p:plain

f:id:santasantasan:20180317115037p:plain

 

 

そう、わたしはあのホテルの中で、

スマートに素敵なお客さんじゃけっして無いのです。

 

むしろちょっと、浮いてるっていうか迷惑なんじゃ…?と思うことも、けっこうある。

でも、お客さんと向き合っているときはお客さんに対して100%のスイッチが入ってしまっているので、周りのことに気を向けられない…

そしてわたしだけでなく、たぶんジョーさんも…
ホームカミングパーティのときも、ノリノリに踊りだしちゃって他の参加者カップルさんびっくりしてたしな。。。(でもスタッフさんたちは大喜びしてくれてた。。。)

 

 

でも、なんか、あのホテルの方たちは受けとめてくれるなというのがあって、

だからわたしも、ただわたしであっる仕事を、あの場所でこれまで貫くことができたのだと思います。

 

そんな、すごく信頼していて、大切な場所なので、

なので、そんな場所がすでにあるのに、

わざわざ伊豆で仕事をするって、本当に良いのかな?って

けっこう長い間決めかねていました。

 

東京のほうが、アクセスも良いし、そしてこうして安心できる、気持ち良く迎えてくれる場所もあるし、と。

 

でも、これは先日書いたとおりですが、やっぱり

「ただの、素のわたし(オンナ)に戻る」っていうことを一番に追求したときに、

やっぱり東京という場所にくっついてくるいろいろなもの(人が多い、せわしない、建物がひしめきあう空気感とか)や、

あの、そうはいっても多くの人にとっては非日常に感じられるあの空間は、

やっぱりちょっとその目的においては、違うのかなって思ったのです。

 

そういう場所を、自分の日常にする!っていうことを目指したり推奨する人たちもいて、

わたしもそういうことを目指したときも確かにあったんですよね^^

 

なのでそれはまったく悪くないのですが、

いろいろな経験を経て、少なくとも今のわたしがやりたいことは、

ただ、心緩めて自然な自分に還っていくこと。

 

それを、わたしは、どちらかというと東京に住んでいた頃も、

この伊豆に何度か足を運んだりする中でより一層自分の中に落ちていった感覚があるので、

ならそれに近いかたちをしたいな、と思いました◎

 

それでわたしが思うのが、そんな緩んだ自分にまずなって、その上で、

そういう一般的に言う「素敵なところ」に行ったときも変わらず、

「緩んだ、変わらないままの戻っていった自分」のままで、

肩に力を入れず、やわらかな気持ちで、

そういう場所を楽しめたり、そこから愛を受け取ったりできたらいいな、と思うのです◎

 

わたしがわたしにおいて在りたい在り方、好きな在り方は、

そういうことかなあ、と今のところ思っています^^

 

そんなこんなで、伊豆で仕事をすると決めたので、

ステーションホテルにもそうそうそんなにいけなくなってしまうかな、と思っていました。

(まだ東京での仕事は残っていますし、それは真剣にもちろんやらせていただきますし、

そして今までが行き過ぎだったと言われればほんとそうですが^^;)

 

なので、ちょっとばかりさみしい気持ちもあり、

でも、それでも、やっぱり自分が思うようにやってみたいと決めて、

 

その結果、このタイミングでこうして素敵な再訪の機会にご招待いただけたのは、

本当に嬉しいし有り難いことだなあと思いました。

 

そしてそれはとってもオマケなことで、

わたしの人生、あと残りもう全部オマケだなあ、と最近は特に思うのです。

 

今まで調子こきまくっていた、若かったわたし(笑)は

「自分を生きたから、だからこういう良いことが起きるんだ!(イエーイ♪)」って本気で思ってましたし、

そうブログでも書いてきたと思います。

 

でも、この前の3/10の出来事から、ものすごく、

ものの見方・考え方が大きく変わっていってるのを感じています。

 

結論から書くと、やっぱり、

わからない

 

それはたとえば、今回のわたしに起きたことを、今までのように、「いわゆる心の世界で言われてることで言うならば」、「それ」は、

 

「手放したから入ってきたんだ」とかいうことになると思います。

 

もう、そういう例についてはわたしも、

自分の経験やお客さんを通じてゴマンと見てきたし、これでもかというくらい経験もしてきているので、

それが間違いだとは今でも思っていないです。

 

でも、なんというのかな。

 

そういう、何か、何かが起きたときに、

そうやって起きたことに関して、「こうだからこうなったんだ」というような「理論」をくっつけようとすることに対して、

そしてそれを、「そういう見えないもののことを自分は知っているんだ」と見せて、

そこで価値をつけて自分を売り出すようなこと、語るようなことに、

 

なんだか不自然さを感じるようになったのです。

 

結局はこじつけだな、という風にしか思えなくなった。

 

それは、目に見えないものを信じない人たちが言う”それ”ではなくて、

目に見えない大事なもの、自分たちよりも遥かに大きな存在を当たり前に信じているからこそ、

 

だからこそ、所詮ちっぽけな脳みそしか盛っていない、ちっぽけな存在でしかない人間が、

起きた出来事に対して、

躍起になるかのようにいろいろとそれらしい理由づけをして、拘泥して、

 

「これは自分がこれこれをこうしたからだ」

とか、

「こうなるってことはつまりこういうことですよ、ほらね?」

 

みたいな姿勢が、

そしてそれを説明できること、わかる(ように見せる)ことで人を惹きつけようとすること、

あたかも自分の力だと見せるようなこと、

 

それってひどく、滑稽で傲慢だと思うようになったのです。

 

 

所詮、人間ごときに、何もわからない。

 

でも、だから、わからないからと、何も自分たちにはできないからと、

そうして最初から自分の人生を放棄してしまうのではなく、

弱い存在として、被害者のような立場に甘んじてしまうのではなく、

 

そんな所詮わからないことまみれなこの世界を、自分の人生を、この命に引き継がれたものを、

この存在の行く末を、

 

わっかねえなあ…、って

絶望したり困惑したりしながらも、

ただ真摯に受け止めて、

その中で精一杯、自分を生きたり、

自分の人生を真剣に考えたり、

自分の心に素直になったり、向き合ったり、勇気を出して選択を変えたり、、、

 

それだけで、人生は大きく変えることもできるんだということ。

少なくとも「今」の自分からは。

 

だから、所詮人間ごときが、とわたしは本気で思うようになったけど、

だからといって、何もできない弱い存在だとは少しも思っていないということ。

最初から投げやりに、わたしの人生を誰かのせいにして生きることはしない。

 

できないこともわからないこともたくさんあると認めた上で、

でもわたしにもっとできることはないのかな?

わたしがどこかで自分と向き合わないことで「そうさせてしまっていること」はないのかな??

 

それをいつも、真摯に自分に問い続けるし、疑問を持ち続けること。

 

そしたらきっとね、

それは必然的に、自分に巡ってきた命のバトンを磨き続ける行為になる。

 

その命のバトンの中に、何が含まれているのか、

その大きさはもしかしたら、自分ごときが今生でなんとかできるものではないかもしれないし、

受け入れなくてはいけない何かもあるかもしれない。

 

だけど受け入れながら、それでも磨き続けることを放棄しなければ、

自分次第で、もしかしたら、

その大きなものも、小さくしていくことができるかもしれない。

 

変えられない運命もゴマンとあったとしても、

変えられる運命もゴマンとあるかもしれない。

 

だから、

逃げるのでもない、最初から放棄するのでもない、

かといって、

見えないものの全部を知り尽くしてコントロールしてやろうと躍起になるのでもなく、

そうして全部自分の人生を思い通りにして、

人より秀でよう、良い人生を送ってやるんだと傲慢になることでもない、

 

どっちにも振れずに、

受け入れながら、でも、逃げずにこの人生を、自分の心に正直に生き抜いていく。

 

そうやって生きていきたいし、

そうやって生きていくことをおすすめしたいのです。

 

それがどんなに素晴らしい喜びを与えてくれるかを、

わたしは知っているし、

そうやって本当にしあわせを感じて生きられるようになったお客さんたちも

たくさん見てきているから。

 

 

…ステーションホテルの話からめっちゃ話がどんどん膨らんでしまいましたが(苦笑)、

今書きたいことだったので書いてみました。

 

わたしも、最初から自分の人生を放棄したままだったら、

自ら鎧を被って生きていたら、

きっとジョーさんに出逢えてさえいない。

 

でも、わたしはこのわたしを生きることから逃げなかったから、

きっと、少し自分の命を磨くことができて、その過程で、

わたしは大好きな人と一緒になることができた。

 

わからないことばかりの中で僅かだけれど今、わかるのは、

生きてるだけですでに与えられてて、それですでに100%。

だけどそれでも、そこからその与えられた命を自分の心に従って一所懸命生きたら、

あと起きることはすべてオマケのステージ。

 

わたし、ジョーさんと一緒に生きていけるっていう最高のオマケをすでにいただいた。

 

f:id:santasantasan:20180317124834j:plain

 

だからもう、十分。

そして十分と思うからこそ、今ただ生きていることを受け入れつつ、

自分の心にもっと素直に、ただのわたしを生きていこうと思える。

 

そんな喜びを噛み締めて、これからも生きていけたらいいな。

 

それでは、今日も素敵な週末をお過ごしください^^

 

<募集中◎>

santasantasan.hatenablog.com