「すみません、ただのオンナに戻ります」。

「ただそのままのわたし=ただのオンナ」に戻って生きる喜びとその日々を綴っています◎

わからないことだらけだけれど、これがわたしだ。これがわたしの人生だ。

長すぎて申し訳ー!ですがこちらの記事の続きです

santasantasan.hatenablog.com

 

そう、最期に少し書いたとおり、

わたしとジョーさんのエネルギーが最初からとてもデカかったからこそ、

そしてそのエネルギーを向ける矛先を、恐れず真逆に変えたからこそ、

とことん真逆に触れて、

「ちょー闇の世界(人生)」から

「ちょー光の世界(人生)」

に180度、

人生が好転して、光ばっかりに感じていたここ数年。

 

でも、そのことでわたしは、

前回の記事内で書いた

「もともと自分が持っていた(引き継いで生まれた)ものの性質」を 

忘れていたというか、

もう、「無くなったんだ(解決したんだ)」とどこかで思っていたのだと

今回気付かされたのですよね。

 

自分が生き方を変えて、

良いことばっかり起きているというか、毎日がHAPPYだったので、

全て、どんなことも、

自分の生き方でクリアすることができた、と

 

言ってしまえば傲慢になっていたのだと思います。

 

先日起きた出来事というのが、人の命というものに関わるものだったと少し書きましたが、

そのことに遭遇したときに、それ自体もとてもショックだったのですが、

 

とっさに浮かんだのが過去のわたしの身の回りで起きていたそうした、

光か闇かといえば、闇の部分の出来事で。

 

と同時に、頭にかすめたのが、

「またわたしは気づかないうちに、そういう出来事にたまたま居合わせたというか

人生がそうしたことと重なったことで、

わたしは何か、そこに”寄っていくような生き方”をまたしてしまっていたのかな」

という不安や、自分を責めるような気持ちでした。

 

でも、いろいろ日が経ってみたり、

周りに温かい言葉や想いをかけてもらったり、

感謝の言葉をかけてもらったり(実際、わたしとジョーさんが気づかなかったらどうなっていたか…というのがありました)

 

そういう中で、

わたしが不安に感じることはそうじゃないんだということを感じました。

 

結論から言うと、

何もわからない。

 

そもそもなぜあんな場所で、あんなタイミングで?

そしてそもそもどうしてそのことに居合わせたのが、気付いたのが、

わたしとジョーさんだったのか、

なぜわたしたちの人生が、たまたまそこに重なったのか、

 

わからないことがいっぱいある。

後から知ったことの中で、「不思議だね」としか言いようのないこともたくさん出てきた。

 

そしてそれが、

わからないことが苦しいから、

何かそれに意味づけをすることもできるけれど、

でも本当のところ結局は、やっぱり、

何もわからなくて、それ以上でもそれ以下でもなく。

 

外側の出来事に対してできるのはただそれだけ。

 

ただ、わたしの内側を感じてみたときに、どこかで、

過去を思い出して、

「もうこういうことは(わたしやジョーさんの人生に)起きないはずなのに。」

って思っている自分に気が付きました。

 

どうして?どうしてもう起きないって思ってるの?と自分に問うたら、

「だって生き方を変えたんだから。」って出てきた。

 

そのときに、わたしがわたしに対して、

すごく無意識で傲慢になっているってことに気付かされました。

 

結論から言うと(わたしなりの結論を書くと)

前の記事で書いたとおり、

わたしとジョーさんにはたぶん、

何か、特異な出来事を人生の中でひきつけてしまう性質をもともと持っていて、

たぶん今もそれは変わらない。そして、その性質があるからこそ、「特異的に良いこと(嬉しいこと)もわたしたちの人生の中に多いのだと。「良いこと(嬉しいこと)だけ」っていうのはあり得ないのだと。

 

確かに生き方を変えて、

自ら負のほうに進んでいくようなことは無くなって、

結果として良いと思われることのほうが際立ったけれど。

でも根底の性質自体はきっと、変わっていないんですね。

 

これから先、その前提自体に含まれる負のものが無くなっていくかもしれないし、

何も変わらないかもしれないし、

それも何もわからないけど、

でも、それも含めて「わたし」なんだということをまずは受け入れることに対して、

わたしのこころには納得がいかないというか、

そこに対して頑なになっていたところがあったんだなって思ったんです。

 

だってそれも抱えて生きるのは「生きづらい」という想いがあるのです。

 

こうやって、そうしたことに遭遇すれば、

結果的には今回のように、周りから感謝されることになったとしても、

ショックは大きくて、やっぱり苦しくて生きづらいというかそれに気持ちが引きずられると、

過去のわたしは何度もそれも経験してるから、できればもう嫌なのです。

 

何を経験しても、何からでも人は学べると思うから、

なら、嫌な経験、心が傷つく経験は、なるべくしたくないししなくていーじゃん、っていうのがわたしの今の考え。

 

(マイナスに感じる出来事を経験することで、「これのおかげで人の痛みがわかるようになる」とか、無理してプラスに転じず、「どんな学びになろうがでも経験したくなかった。嫌だった。つらかった」という気持ちに正直になることのほうがわたしはまず大事だと思ってる。)

 

 

しかも世の中には、

「それも自分がやってる(そういうことが実は好きなんでしょ)」という風に、

そこで「負け」として見てくる人もいるから、

(確かに昔の自分はそうしてそのメリットを選んでたと思うんですけど。。。)

その土俵で勝手に負かさないでほしいな、嫌だな、って思う気持ちがとってもあった。

 

それで、この感覚、

別のことで、同じような感覚を持つことがあるなと思ったんです。

 

それが、今のわたしには妊娠・出産のことでした。

 

伊豆に越してきてから生活がとても落ち着いて、

妊娠したいな、出産したいな、と思いながら過ごしていて、

半年たって、今のわたしはまだそういう兆しがなくて。

 

これまですーごくいろいろなことが順調にスムーズに行っているようにしか思えなくて、

でも、ここではじめて、「スムーズにいかない」って感じた。

 

これ、自分の何かがそうさせているのかな?って

やっぱり同じように

「自分の関与できる領域」をいつも疑ってたのです。

 

それを見つけてクリアしていければ、

そしたら妊娠に近づけるのかなー、って思いながら。

 

でも、違うんですよね。

 

もちろん、さんざん、まずは自分を疑った上で、

でも、

 

・なんで妊娠いま、まだできていないのか?

・なんで今回のことのような出来事に遭遇してしまうのか?

 

結論は、

わからない。

 

望んだつもり、無い。

そういうことを、どこかで想像したり、心に描いでたつもりも、無い。

 

人が、自分の無意識の気持ちや選択で、

実は願ってることと違う現実を自分の意志で叶えているケースをこれまでたくさん見てきたし、

それに気付いて自分の責任に置き換えたときに、現実が大きく変わる奇跡のようなことが起きることも、

たくさんたくさん見聞きしてきたし、

わたしもたくさんたくさん、それを経験してきた。

 

だからこそ、まず「自分がそうさせていないか?」を疑うし、

お客さんにもそれをまず見てほしいと伝えているし、

これからもその姿勢は失わないけれど、

でもやっぱり結論は、

 

わからない。

 

 

そして実際、「わたしの今の現実」は、そうであること。

 

変?というか特異な出来事に何か遭遇してしまうし、

妊娠もしていない。

 

わからないけど、事実、そうなんだ。

 

なんかもう、それをまるっと受け入れてしまおう、と思った。

だってそれも「事実わたし」なのだから。

 

 

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わたし、結婚も、すごーく時間がかかって、

それはジョーさんも自分も、いろいろなものを抱えて、

そこから解けていくことにとても時間を要したから。

 

じゃあ妊娠も一緒かもしれない。

 

わたしはそもそも、すごく不器用で、生きることも下手で、

だから人生がこれまでずっと「スムーズに行かな」くて、

結婚もそうだったし、妊娠もそうかもなあ、と。

 

何か、そのわたしの性質自体を変えられたように思っていたんですよね。

これまで、この生き方に変わって、良い(と思われる)ことばかりだったから。

 

だからもうこの先も、全部スムーズに行ってほしかったし(だってそのほうがラクだから!)、

もう、よくわからないナゾの性質も、

まるっと無くなってくれたのだと思っていたかったんです。

 

どこかに、もうこれで全部OK!という見えない境界線があって、

そこの先を飛び越えて生きてしまいたかったんだなって。

 

でも、

・なんかよくわからない性質は今も残ってるみたい。

・なんかわたしは相変わらずスムーズには人生進まないこともあるみたい。

 

「それもわたしなのだ」と、まるっと受け入れようと思った。

 

それを「負け」「可哀想」「あなたの努力が足りないから(あなたがそう設定してるから)」と見る人ももしかしたらいるかもしれないけれど、

もうそれはいいや、そこに意識を向けて仮想敵と戦うのはもうやめよう、と思った。

(そもそも誰もそんなこと思ってないかもしれないし、やっぱり自分なんですよね。そうやって「勝手に負けて」いるのは。)

 

そしたら、同じように特異なことが起きても、

周りの大切な人がそうなっているわけではないし、

何もわたしたちの大切なものを侵されていないし、

ショックではあったけれど「不幸なこと」ではなかったこと、

むしろ周りは支えてくれて温かさしか無かったということ、

 

そして妊娠はしていなくても、むしろこのまま、授からないという人生もあるかもしれなくても、

でも、

そもそもあのとき、生き方を変えていなかったら、

そもそも結婚さえ出来ていなかったな、と思うと、

「わたしたちにしては」、上出来というか、二歩も三歩も今世で進むことができたのかもしれない、とフラットに今は感じるのです。

 

(それは、「これで十分と思おう」ということではなくて。

無理して「今でも十分しあわせだし」ということにしようとするのじゃなく、

大好きなジョーさんとの子どもを授かれたらいいなあという正直な気持ちには蓋せずに、ただ、フラットにそういう気持ちも湧く、ということです。上手く伝わるかな。。。)

 

なんだか、この仕事をしていて、このブログを書いている以上、

やっぱりどこかで、

「完璧でないといけない」「ある一定の水準は越えていないといけない」

みたいなよくわからない気持ちに肩に力を入れていたんだなと気付かされました。

 

そんな、よくわからない特異な性質がときどき発揮されるとか、

女性として、子どもがいないこととか、

 

そんなことはあってはいけない、みたいに思っていたのか、

あえて書くことではない、というのがあったと思うのです。

 

でも、やっぱり、

どこかは見せてもよくて、

どこかは見せてはいけない、

 

そんなものがあることは苦しいのですよね。

 

わたしは、そんないろんなでこぼこも抱えて生きてる、

むしろどっちかっていうとその”でこ”もデカければ”ぼこ”もデカイ、

たぶん今まで来てくださったどのお客さんよりも、

このブログを読んでくださってるどの方よりも、

もともと抱えているものは根深くて複雑なのだと思うのです。

※「人よりつらい経験をした」という意味ではないです。どっちかっていと受け皿であるわたしの感受性の鋭さとか繊細さみたいなもののほう。

 

でも、だからこそ、

そんな(もっともひどい)わたしでも、

確かに変わったこと、変われたことがあるから、

だからお客さんは、もっとスムーズに変わっていくのかな、と思うのです。

 

きっと、伊豆で、自宅で人とご縁をいただくっていうことは、

それが求めてもらえるかどうかは別として、

もっと自分が開いていかないとできないことだと思ったのです。

自分を取り繕っていると、何かチグハグになるのですよね、きっと。

 

でも、それ相応のことが無いと、わたしは開けなかったと思うのです。

だから、ひとつの貴い命が、わたしの人生に重なってくれて、

わたしをこじ開けてくれたんだなと思います。

だから、やっぱり「感謝」なのだと思います。

 

 

わからないことだらけだけれど、

 

これがわたしだ。

 

これがわたしの人生だ。

 

 

 

…今回の出来事からのわたしの気づきや想いについては、これにて完!

次こそ、伊豆でやるよの記事を書きますよー!

長編をおよみいただき感謝を込めて!