「すみません、ただのオンナに戻ります」。

「ただそのままのわたし=ただのオンナ」に戻って生きる喜びとその日々を綴っています◎

自分にだけ本気で生きていく!その延長線に、ゆるんだり愛されたり笑ったりが自然にできる、あたたかい世界が築かれていく◎

昨日、こんな記事を書きました。

 ↓

santasantasan.hatenablog.com

 

記事内でも何度も連呼しているとおり、

「本気」「真剣」っていうのがわたしの中で今すごく大事に思っていて。

 

そういう想いを強く感じたきっかけは、いろいろあるのだけれど、

わりと今年に入ってすぐ、そういう気持ちを呼び起こしてくれる出来事が重なりました。

 

その出来事自体は割愛するんですが、

そのときに、

自分がどう在りたいのかがわからなくなって、迷ってしまうことがあったんです。

 

わたしは割りと、人が好きで、

一度ご縁があった人は、ものすごく大好きになってしまうというか、

できるなら優しく接していたい、綺麗事を望む人です。

 

一方で、こういう「人」を見る仕事を

なんだかんだ社会に出てからずっとしているせいなのか、

大学卒業後の仕事は女性の起業支援の仕事で、やっぱり女性に対して、
かなり心の深いところまでしっかりと向き合って濃いおつきあいをしていくことが必要な仕事だった。

 

仲良くしたいなあ、楽しく笑って気持ち良くその人を応援したいなあ、

っていう綺麗事なわたしとまったく別のところで、

 

ものすごく冷静に、

その人の向き合うべき部分みたいなもの、

 

ここと本腰入れて向き合えたら、

そのときは痛いをだろうけれど、

この人すっごくラクになれるだろうな。

のびのびふんわり、心が自由になれるだろうな。

(逆を言えば、そこがあるから心が自由じゃなくて、苦しい今がある)

 

みたいなことを、

感覚で感じ取ってしまう自分とがいて。

 

まったく真逆の二人のわたしがいて、

どっちも本当のわたし。

 

更にここ半年は、

前者のわたしのほうが色濃く出てたんですよね。

 

暮らしがのんびりして、以前よりとんがりした気持ちが消えて、

できるなら言いたくないこと言わずに綺麗事な感じでわきあいあいと生きていきたいなと。

 

住まう環境が変わったことで、

そういう気持ちが強くなっていきました。

 

なので、人によっては、

伝え方や言い回しにすごく気を遣って、

その人の目線にどこまでも降りていって伝えるような傾向が強くなっていき。

 

だって、自分が嫌な気持ちになりたくないから。

自分のために、そんなスタンスを選択していくようになりました。

 

でも。

 

そしたら、なんかだんだん、

大事なことが伝わらなくなってきたな??という感覚が出てきました。

 

こんなに言いまわしに気をつけて、

相手に合わせて、何度も何度も同じことを言ってるのに、

なんかそうして、ものすごく気を遣うエネルギーをかけているのに、

伝わらないな??と。

 

もしかしたら伝わらないというよりも、

逃げられてしまうという感覚が近いかも。

 

わたしがおっかけて、わたしから逃げてるというよりも、

その人にとって大事なことで、

そこ、エグいかもだけど見ようよ!向き合おうよ!というギリギリのところになると、

 

その人がその人自身から逃げちゃうっていうような感覚。

 

やっぱり、傷つきたくないし、見たくない、みたいなものがあるからそれって普通のこと。

 

でも、そこに蓋をして逃げて、見ないようにしてきた結果としての今なのだから、

そこ、ちゃんと向き合わないと、やっぱり、

何も変わらないんですよね。

 

そして向き合えたら、ものすごくそのときは痛いかもしれないけれど、

でもそこを越えたら、

本当に一皮も二皮も剥けることができる。

 

そのとき、人生ってすっごく変わるんです。

 

わたしも同じで、

何度も何回も、

見たくない自分を見つめて、向き合って、

時におええーーーーーってなりながらも(汗)

そこ越えたときにどんどん人生っていう背景が変わっていったんです!

 

だからやっぱり、傷つかないとか、痛い想いしたくないとか、

そのままで変わるって、

やっぱり無理なんですよね。

でも慣れれば、痛みよりも喜びのが大きくなるから、最初だけちょっとがんばれば、大丈夫!できる!

 

 

だから逃げたら何も変わらない。

 

でも、逃げることを(無意識にでも)選択することも、その人の自由。

だって、その人の人生なんだから。

 

だけど、

じゃあわたしは?

わたしは、どうしたいんだろう??

 

って思った。

 

お客さんからお金いただいて、

相手が見たくない自分を見ないで済む範囲でそれっぽいアドバイスをして、

気持ち良くなってもらって(でもそれって一時的!ほんとに本気の人は、ここからでも大事なことをすくい取ることができるけど、それってなかなか一部の人!)

 

真穂さんすごい❤真穂さんさすが❤って慕ってもらって、

仲良くなって、

コミュニティは和気あいあいとして、

和やかで、仲良しグループの集まりで…

 

 

…って、

それでわたしは本当にいいのかな??

それがわたしは本当に楽しいのかな??

 

確かに、気持ち良く穏やかに過ごして行きたい。

大好きな人たちに慕われていたい。

 

だけど、だから、

「見えて」いるのに、「言わない」っていう選択って、わたしは本当に気持ち良いかな??と。

 

そしてその選択をして続けていたら、

「見えてしまうわたし」が、急に邪魔者に感じられてきて。

 

気付いてしまうわたし、感じ取ってしまうわたしって、

嫌だなあ、と。

 

もっと、◯◯さんみたいに、

そういう部分を見るのじゃなく、

のほほんと優しく穏やかに、人の良いところだけ見えたらいいのに。

 

 

そんな風に、わたしがただ、わたしであること

嫌に、邪魔に思えてきた。

 

これ、違うじゃろう。と。なんだ”じゃろう”って。

 

好きとか嫌いとか、そういうことじゃなく、

ただ、そういうわたしがあって、

それを受け入れて生きていくって決めたのに、

否定して邪魔者扱いしてる今はちょっとおかしい。

 

これは違う。と。

 

それで、でもまだモヤモヤしているとき、

ジョーさんがこんな風に言ってくれたのです。

 

「真穂ちゃんは、なんだよ」と。

 

 

f:id:santasantasan:20180216104426j:plain

炎ー!!
この前行った、近所の鉄板焼き。伊豆は別荘地でもあるので、こういうバブリーな感じのトコ?もまだ随所に残っているんですよネ

 

 

ジョーさんいわく、

 

真穂ちゃんは、勝手にいつもウオー!!って燃えてて、

お客さんはその炎に飛び込んできて、

それはやっぱり最初熱くて苦しいんだよ。すごく。

 

だけど苦しいけど、その時を経て、一気に一緒に燃えちゃえばいいんだよ。

そしたら燃え盛って、灰になって、

不死鳥みたいにまた生まれ変われるから。

 

だけどたぶん中途半端な人は、

近づいてくるくせに、

「あちい!!」って中途半端に焦げて、

出てきちゃうんだよ。

逃げちゃうんだよ。

 

でもほんとうはそれは自分のためにならないのに、

燃えて灰になってしまうのが怖くて、

逃げちゃうんだよ。

 

それは、その人のその選択は、真穂ちゃんは選べないじゃん。

 

だから真穂ちゃんは勝手に燃えてるしか無いんだよ。

 

勝手にいつも、燃え盛って、

あとは飛び込んでくる人が、一緒に燃えるぜ☆みたいになったら、

散々燃やしてあげればいいんだよ。

 

結局、真穂ちゃんに本当に感謝していたり、

それですごく変わって喜んでくれている人って、

結局、一緒に燃え尽きた人じゃない??

 

そういう人と、真穂ちゃんは付き合っていけばいいんだよ。

てゆうか、もう真穂ちゃんはそういう人なんだから、

それしか無理でしょー(サクッ。)

 

 

みたいな。

 

そしてこのタイミングで、あるコミュニティメンバーさんとたまたまメールでやり取りしていて、

こんな言葉をくれたんです。

 

真穂さんは「気持ちのごまかし」にすごくストイックというか、

厳しく気づける人だなあと思っているんですけど、

それは逆に、人の気持ちの裏側?とか、

見たくないものも気づいてしまう苦しさももしかしたらあるのかなと思いました。

 

私の勝手な感想ですけど、だから私は真穂さん主催のあの場について、

「みんな一緒に♡」という楽しさも感じる一方で、

すごく緊張感も持っているんですよね。

 

その、自分の抜き差しならないところに迫る覚悟がないと、

投稿も気軽に読み流すとかができないんです。

 

決して嫌な緊張ではなく、自分の糧になると思っているからこそなんですけどね。

 

このことばにも、とても救われて。

 

確かにこの方は、もう、

めちゃくちゃに燃えてもらった。笑

 

そしていったん灰になったけど、

めちゃくちゃ軽やかに、笑顔に、しあわせを手にして生まれ変わった方で。

 

そしてそれは、この方自身が、

ものすごく

「本気で受け止める」姿勢があったから。

 

やっぱり、炎(わたし)に近づいてきても、

どこかで後ろ向きで、どこかで肝心なところで耳を閉じてしまって、

「逃げちゃう」人も

いるんですよね。

 

結局、

目線をどこまでも合わせようが、

なるべく傷つけないようにと伝え方に気を遣おうが、

本人の段階を待ってみようが、

背中を向けてしまう人は向けてしまうし、

そうでない人は逆に、

どんなにストレートに、感覚的に言葉を放っても、

どう投げても伝わるのだ。

 

もちろん、伝わるように精一杯の努力はしますが、それは

”痛い思いをさせないように”という努力であってはむしろいけないのだなと。

 

むしろ、

 

痛みとか苦しさとか、

そういうものを一度通らないと、

一緒に燃え盛らないと(笑)

 

実際に、痛いかどうかなんてやってみなくちゃわからないけど、

 

でもそこにある

「痛い”かも”っていうリスク」さえも引き受けようという【本気】がそこに無かったら、

 

本当の意味で変わることなんて出来ないんだ。

 

と。

苦行って意味じゃないですよ!!それはまったくもって違う!!

 

 

なんか、肚が決まった瞬間でした。

 

誰のためでもなんでもなく、

こういう性質を持ってるわたしをわたしが受け入れて生きていきたいから、

本気の人とわたしは付き合っていくことが向いているんだと思う。

 

そしてそれは、出逢う人、そうして大好きになった人たちと仲良く穏やかに過ごしたい、

できるなら好かれたいし、慕われたい、

そういう綺麗事と、

別に矛盾しないなということも、わかりました。

 

それは世の中、いろーーーんな人がいる中で、

まずは【わたし自身】が、

わたしは、本気の人としかおつきあいしたくないんだ、って

世の中に示していくこと。

 

それはすなわち、

自分、暑苦しいなーーー

 

ゆとり世代とか、草食系とか、ふんわりとか、

そういう流れの現代でいまどき、

こんな”本気”とか、

暑苦しくてウケ悪いわ!!

いないわ!!そんな暑苦しい人間に、燃えて灰になるとかこわいこと言ってる人に、

わざわざ会いにこようなんて人。

 

っていう、わたしの常識的な脳みその出すツッコミを「ごもっともですね」とうけとめつつ、

それでも、

そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないし、わからないけど、

 

でも、わたしはこのわたしで生きてくよっていう、

わたしがわたしをうけとめ生きていくという、自分への宣誓。

 

かっこよく書いているようで、

ある種、「もう仕方ないし…(だって、こういう自分なんだもん。。。)」っていう諦め?みたいな??

 

その結果、人が離れていくこともあるかもしれない。

でも、今、少なくとも、その肚を決めて、

見えたまま、感じたまま、

ストレートに放つようにしたら、

 

コミュニティ内は活気づいているように感じる。

それは、上記のメンバーさんが書いてくれたように、

仲良しグループ❤というのじゃなく、

ちょっとぴりりとした緊張感があって、

でもそれが皆さんの本気も引き出しているようにも、思う。

 

そして本当にここぞという大事なことに対して緊張感を持って本気でいるから、

だから他の部分では和気あいあいできるし、

冗談かませるし、

笑えるし、

ゆるんで生きていけるんですよね◎

 

社会や、職場や、上司や、パートナーや、親や、、、

そういう外の誰かに対して

「ちゃんとわたしやってます風パフォーマンス」ばかりを当たり前に人生の時間の中で割いている人は、

結局は、

自分じゃない誰かのためにいつも、生きてる。

 

 

そうして、自分で勝手に選んで、それをしているくせに、

誰かにやらされてる、誰かのせいでわたしはこうするしかない、って

他人や社会のせいぱっか。

 

そういうパフォーマンスの上手い、けど心の中はそれに相反する気持ちでいっぱい…じゃなくて、

ただ自分のままに生きる。

仮面かぶらずに、シンプルに、自分のために生きる。

結果、それを支えてくれる社会や周りに感謝できる。

 

そういう気持ち良い生き方は、自分にだけ、本気になったときに、できるもの!

 

わたしも、ますます自分にだけ本気に生きていきます❤

 

そう在りたい人は、一緒に燃えよう❤ 笑

 

そういう先輩や、あたたかい仲間が、

ここにはいっぱいいます❤

 

また募集告知は明日しますが、そんな人に出逢えることを、楽しみにしています♪