「すみません、ただのオンナに戻ります」。

良い子を卒業して、「ただそのままの自分(ただのオンナな自分)」を大切に、がんばらずに生きる方法をお伝えしてます◎

自分を大事にすることは、自己完結することではないし、他人をないがしろにすることにもならない。【与えられている言葉と肉体を、もっと意図をもって使っていこう】

昨日、久々に気持ちがゴッソリ持っていかれるほどに

どーーーーーん…と気持ちが落ち込んだことがあり、

悶々とした一日を過ごしていました。

 

こんなことに何でここまでダメージを受けたのだろう…??

 

というくらい、ひとつひとつは本当に大したことのないことで、

しかしそんなことを、

自分と向き合って探りを入れる気力も湧かないほど事実気持ちが完全にやられた(苦笑)ので

そういうときは、時間を置いておくこともわたしはすごく大切だと思っています。

 

今までは、たとえ誰かが傷ついたり不快な想いになったりする可能性があったとしても

感じたことはストレートにブログで放つことで

自分の中で整理をつけて完結させる、というスタイルが長くありました。

 

それがパンチの効いた記事となって、

求心力になって、人をより惹き付ける、、、

 

今振り返れば、そういうビジネス的なメリットも十分にあったように思います。

 

でも、それはやっぱり、パンチがあるぶん、

求心力と同時に反発もまた生み出し、

問い合わせフォームに匿名の批判メッセージが来ることも度々ありました。

 

その頃のわたしは強気で、それらに対しても意に介さず我が道を貫いていたつもりでしたが、

やっぱり今振り返ってみると、

結局は自分が傷ついたし、怖かったり悲しかった気持ちもあったのですよね。

 

それを感じないようにするために、

強気にガンガンやっていたのかな、とも思います。

 

で、今は、それはやっぱり疲れるなあと思うので(苦笑)、

パンチのない、つまらない記事でも(苦笑)

やっぱりただのわたしで、

淡々と自分の感じたことを書いていきたい、と思うようになりました。

 

求心力も無くなるかもしれないけど、

それを生み出さないと仕事にならないのだとしたら、

それならそれでもう良いな、という気持ちに至りました。

 

怒りや残念な気持ち・経験も、

具体的に出すことで人の役に立つこともあるけれど、

それで自分が傷つきたくはないから、

ひっそり安全な場所で出すことにしようと(苦笑)

そういう自分の弱さ、つまらなさを受け入れて生きていきたいなと今は感じています。

(※怒りや残念な気持ちになることがなくなったというような、そんな高尚な人になったというわけではけっしてありません。笑)

 

なので具体的なことは書きませんし、

そもそも誰かが悪いとか間違っているとかではないし

ただわたしが勝手に反応して落ち込んだだけです。。。

そして自分でもまだ何も掘り下げきれていませんが、

ひとつ改めて感じたのは、

わたしはこの場所で、

「自分を大事に」とか「自分の感覚や気分を大事に」とか言ってきましたが、

なぜそれが大事なのか?ということの意図が

正しく人に伝わってないのではないか?という気持ちから落胆が大きかったのかな…と思いました。(ただのわたしの勝手な反応でしかないですが。)

 

 

自分の本音や自分の感覚や気分を大事にすることで、

人はかなりある程度、

生きやすくはなります。

 

自分が自分のことを受け入れるって、

すごく大きなプラスの力を発揮してくれるからです。

 

それでその自信や、自己肯定感みたいなものが、

人を惹き付けることもあると思います。

 

たとえばわかりやすく恋愛で言うなら、アプローチを受けたり、

おつきあいを始めることは、

これである程度可能かなあと思います。

 

でも、当たり前ですが、世界はいろんな人がいて、

自分の気持ちだけ、でそれらが完結しているわけじゃない。

 

恋愛ならば、相手と築き上げていく、

積み重ねて行く努力と姿勢が無かったら

長続きだってできなくなります。

 

わたしはここ、

本当に大事だと思っていて、

もうとってもシンプルに言うならば、

他人を大切にできなければ、自分が大切にされることもないのは

そりゃ当たり前です。

 

まず自分のことを大事にできなかったら、

自分が何を大事にしたいかも知れるわけがないので(そこを見る余裕がなくなっているだろうと思うので)、

だからこそまず自分を大事にするのは大前提。

 

その上で、誰を大事にするか?というのはあると思います。

この人にはエネルギーを最大限かけない、という「選択」は

あるかとは思います。

これはすごく、冷たい感じがするかと思うのですが、

目の前にいる人全員を大事にするなんて、誰もできないと思うからです。

そんな器用さがあったら、こんなブログには出逢っていないはずです…笑

 

そして、大事にする/しないを「決める」。

 

もし「しない」と決めたなら、中途半端に「良い人な自分」を握りしめないで、

潔くその人のもとやその場を去るべきだと思います。

 

するなら最後までする。

しないなら潔く、しないを通そう。

 

わたしが思うに無自覚の中途半端が、一番良くないというか。。。

 

それは、自分にとってもだし、

何より自分が良い人でいたいとか、スッキリ気持ち良く終わりたいとか(たとえば退職とか転職とか。)

そういうその人の無自覚なやましさやごまかしに、

中途半端に付き合わされる周りにとって、です。

 

で、周りに対してそういうものを

常に無自覚にポロポロとこぼしている人であれば

どうしたって、周りから大事にされることが減ってしまいます。

 

そのとき困るのは、やっぱり、自分なのですよね。

 

だから、ちゃんと、自分の気持ちを自覚しようよ、というのと

その自覚をもって選択しましょうよ、というのが大事だと思っているのです。

 

そして、いくら「自分の気分や感覚を大事に」していることで、

本人の気分が良くなって、結果的にその本人からにじみ出る自己肯定感みたいなもの、自信みたいなもので

その人が魅力的だと、他者から映るようになって、

一見、他者や世界から大事にされるようになったとしても、

 

それは絶対に、長続きしないと思うのです。

 

先程も書いたように、恋愛なんか、まさにここにたとえやすいのですが、

モテるようになったとしても、

一つの恋愛が長続きしない、とかです。(たとえです)

 

なぜなら、自分を大事にしたあとは次のステップで、必ず、

相手のことを大事にしたり、

相手に自分のことを知ってもらおうとする、

コツコツとしたわかりあう努力や姿勢が大事になってくると思うからです。

 

これを、積み重ねようとする姿勢が感じられないと、

人との関係性がいつも、ブツ切りで終わってしまうリスクがあります。

 

自分を大事にする、、、はもちろん良いのですが、

あまりに「自分」ばかり見ていて、

相手や他者への配慮が無さ過ぎたら

長期的に見て自爆行為にしかならないと思うのですよね。

 

※これにも通じますね

santasantasan.hatenablog.com

 

それは「そんなこといけません」という道徳的な観点で危惧しているわけではなくって、

「それって自分にとってもったいなくない?」

って思うのです。求められてもいないのに、わざわざ言いはしませんけど…

 

それで、その姿勢って、

一事が万事だと思うのです。

気を抜いてるところでほど、出る。

というかたぶん自分だと、無意識になってしまったり。

 

その関係性を大事にしない、と決めたのなら、

堂々と去っていけば良いと思う。

むしろ、何もしないのが潔い。

 

でも、そうではない、「何も考えてない」し「悪気もない」、

「なんとなくそうした(もし理由をあえてつけるなら、皆そうだから。常識的にそうだから、。)」というのが

すっごく多いんじゃないかな??と思います。

 

それって、【雑】だと思うのです。

自分にも、他人にも、【雑】。

 

でも、そのほうが楽チンでもあります。

「わたしは、この人(この場)にはエネルギーをかけない」なんて、

たとえばそんなことを見つめてしまったら、

 

自分の嫌なところ、醜い身勝手なところを

同時に目をそらせなくなっちゃうからです。

 

だから

「なんとなく(=そういうものだから。皆やってるから。常識的だから。これやっておけば、ちゃんとやっていることには見られるだろう。)」

 

のが、本当はラクなんです。たぶんね。

 

わたし、最近もふと思いましたが、

日本の義務教育だったりを、

「洗脳だ」みたいに批判する人がいるでしょう?

 

みんな、自分を生きたいのに、

教育によって刷り込みされているだとか、

先生が、学校が、親が、会社が、、、

 

みたいなの、

「自分を生きたいのに」「自分を大切にしたいのに」という流行りの中で

セットで聞くような気がします。

 

でも、たぶん、わたしが思うに、

別に誰も、洗脳なんかしてない。笑

 

だってわたし、別に誰にも洗脳された記憶がない。笑 

 

学校は、腎臓の病気で普通の人より半分くらいしか、いけてなかったから

説得力無いかもだけど…

 

でも旦那のジョーさんは、小中高と皆勤賞ですが、

洗脳された記憶はやっぱり無いらしいですよ!笑

 

誰も洗脳なんてしてない。

 

そうじゃなくて、もしあるのなら、

 

「自分たちがあえて思考を停止していることを、人生が上手くいかなかったことを

(そして人生が上手くいかないのは、過去何があったとしても

今ここから、自分の心と頭で考えて、自分の責任で生きてないからだと思います)

洗脳されたからだということにしておきたい人たち」

 

そして

 

「そのことによって、今もこれからも、

自分の頭でいちいち考えたり、自分の心でいちいち決めたり、

そういう手間をかけたくないから、そのせいにしておきたい人たち」

 

が、

いるだけではないかと思います。

 

そういう人たちって、みんな、

「悪い人」ではないと思うんです。

ジョーさんいわく、本当の「悪い人」は、それこそプロフェッショナル並に自分で「決めて」

そこに伴う責任も引き受けて本気で「悪い人」をやってるらしいです。。。汗

 

だから責めるというのもないし、駄目とも思わないし、

何も悪く無いんです。

 

悪く無いけど、その雑なほどの自分自身への無関心、無知、無自覚さが

他人に良い影響を及ぼさないし、

それは結局は自分にとっても、巡り巡って

良い影響を及ぼさないと思うのです。

 

それは、自己犠牲で自分をすり減らすことだったとしても、

逆に、

自分がよければそれで良い♪

自分の感覚がこうだからそれで良い♪っていう

自分しか可愛がり、注目していない状態でも、

根っこは同じことだなと。

 

そこを越えていかなかったら、

他者とより良い関係性を築いて

より良く一緒に生きていくことはできないだろうな、と思います。

 

だからこそ、まずは目の前のご縁や出逢いの中で、

自分を越えていくということをしていきませんか?と思うし、

その取捨選択を【自覚して】すること、

その上で、言葉や、この肉体をどう扱うか??逆に、扱わないと選択するか??

 

(言葉と肉体を用いて、何をどう伝え、どう行動するか?しないか??それはなんのために?)

 

というのを、もっと意識して

トライアンドエラーで失敗もしながらも(わたしもいつもそうです)

他者との関わりの中で積み重ねていこうとする姿勢がとっても大切じゃないかな、って

わたしはそう思います。

 

それを、損だとか、面倒だとか、

そう思う気持ちがもし出てきたとしたら、それはどうしてなんだろう??と

それも自分に愛をもって問うてみる。

 

わたしは、いっとき、人の目から見てそれと映る「幸せ」や「成功」よりも、

芽吹くことに仮に時間がかかったとしても、

積み重ねてきたそのもののほうが絶対に、

裏切らないな、と思います。

 

その積み重ねが無かったら、

いっとき、そういうラッキーが訪れたとしても、

それはバブルのように簡単に弾けて、

そうして万が一弾けたときに、必ず弾ける、と決めつける必要はありませんが。苦笑

それをうけとめてまた糧とできる自分になることは、

即席では簡単につくれないものだと思うからです。

 

長くなりましたが、わたしも

自分が勝手にダメージを受けた今回の出来事を、

糧にして進んで行きたいな、と思います^^

 

長文お読みいただきありがとうございました◎

 

☆今週末開催☆募集中です♪

santasantasan.hatenablog.com