「すみません、ただのオンナに戻ります」。

「ただそのままのわたし=ただのオンナ」に戻って生きる喜びとその日々を綴っています◎

【愛をもって自分に問う☆②】”疑問を持つ”という大きな愛のかたち=関心を、自分に注いで生きていこう◎

今日は、一昨日のこちらの記事の続きです◎

↓ 

santasantasan.hatenablog.com

 

この後、具体的な例として、

わたし自身の痛恥ずかしい実体験をコミュニティ内でシェアしました。

 

それは、わたしがかつて心の勉強をしていた時の話です。

 

当時、そこの講座に出ると、

次々、わたしの知らなかった(思い至らなかった)視点や考え方や方法論みたいなものを知ることができたこと。

 

それをわたしは「すごい!!」と感じて、

ノートいっぱいにメモを取るので、

そのびっしり埋まったノートを見ると、スッキリして、安心して、

心が希望でいっぱいになっていたこと。

 

しかしその希望というものの中身は、いま振り返ってみると、

「知らなかったことが知れたから、

知らなかったがゆえにやってこなかったことが”言葉として”知れたから、

きっとこれをやってみたら変われるんだろう!!」

っていうたぐいの【一時的な安心】【一時的なすっきり感】でしかなかったこと。

 

なぜならそのあと実際に、言葉で受け止めたことをやってみたりしても、イマイチ、

そのとき感じたほどの「スッキリ!」「安心!」にはいたらなかったからです。

 

しかしその理由を、そのときの私は、

「わかってないから」だと判断し、

 

「だからもっと学ばなくちゃ」

「だって、自分の問題と思ってるところ、嫌なことろを”早く無くして””スッキリ安心”したいもん!」

と、

そのために学んでばかりいたということ。

 

でもあるとき、自分も含め、他の年配の受講生たちも、

大してずっと変わってないな??という【現実をちゃんと明らかに見た】時に、

根本から、

【わたしは何か大事なことを見落としてる、、、】って感じて気がつき始めたということ。

 

これが最初の、「深める(自分を疑う)姿勢」だったということ。

 

そうして自分を観察して、疑って、

どんな些細なことも、当たり前に思ってたことも、

「ん?(なんでわたしはそう感じたのだ?そう判断したのだ?)」

 

いちいち感じて立ち止まって、書き出して自分に問うて、

そうやってやっていったら、自分の【クセ】みたいなものが見えてきたこと。

 

そのわたしの【クセ】というのが、まさに上澄みをすくい取って、

「やり方」とか「新しい視点」みたいなものを知る時に

希望が持ててスッキリして、心が安心する、

その感覚に逃げてしまうということだったこと。

 

新しい視点とか方法論を次々知っていけば

ずっと安心したり希望を持てたりできて、

結果的に(そういう自分でいられる時間が増えるから)何か変われたような気がする、

っていう、その感覚を持っていたかったわたしだったということ。

 

つまり、

自分を掘り下げたら、深めたら、疑ったら、

時として自分の見たくないところを見なくちゃいけないから、

それをしようとしなかったんだな、と気付いたということ。

 

しかし、そんな重症の(学びの)中毒者状態だったわたしでも、

覚悟を持って深掘り&疑いの目線を持ち始めたら、

このブログにずっと書いてきてあるように

一年ちょっとでわたしの気持ちも人生も激変したということ。

 

だから、自分に愛をもって問うて、深掘りしていけば、

誰もが人生が、自然にその人らしく整っていくと思ってるということ。

 

そんなことを、コミュニティのコメント内に書きました。 

 

 

 …この先は割愛して書いていきますが、こうしてわたし自身は、

「素直で在ろう」ということに加えて

「自分を疑う」ということと、

「掘り下げて、自分に問う」ということを心がけた時に、

あっという間に「ただの自分であっていいんだ」という心持ちに戻っていくことができ、

その結果として、人生もガラッと変わっていきました。

※かつてはあんなに、時間もお金もかけてもずっと何も変わらず、苦しかったのに、です…^^; 

※そしてガラッと変わる=願いが何でも叶ってお姫様みたいな素敵な生活になる!ではありません!これも、大事なことなので別記事にて書きますね。

 

でも、その途中過程、特に最初の頃は、

その、いちいち立ち止まって自分に問う姿勢に

 

「考え過ぎじゃない?」

「神経質過ぎじゃない?」

 

って言葉がいちいち頭をもたげて、執拗に自分を責めてきました。

 

でも、これも、掘り下げてみてみると、

この言葉自体の目線が【他人目線】なんですよね。

 

「こんな自分であったら、他人から神経質とか、考え過ぎとかって、見られてしまうんじゃないか??」っていう、

他人目線前提の恐れ。

 

それ、自分にとっては、自分の人生にとっては、要らない恐れなんですよね。

 

だって、「それがわたし」だし、「わたしはそれが必要だと感じている」のですもん。

 

なのでそんな頭の声は黙らせておいて(笑)

繰り返し繰り返し、丁寧に自分に問い、

丁寧に自分を掘り下げて見ていくことを繰り返していきました。

 

 

わたしが先日、こんなことをコミュニティに投稿したのは、

そしてブログでも転載したのは、

 

わたしが思うに悩んでいる女性って、

ほんとのほんとに根っこが腐ってる人って、

そんなにいないと思うんです。というか、そうだと思いたい、っていう綺麗事のが強いかもしれませんが…^^;

 

みんな素直で、みんな心根は、優しい。

 

それが大多数で、それが女性のデフォルトではないかな?と今は思うのです。

 

だけど、その素質はすでに持っていながらも、なかなか、

自分を好きになれないとか、

悩みから抜けられないとか、

そういう女性も少なくないなと。

 

それはなんでなんだろう??と思った時に、やっぱりこの

素直さのもう一歩先、みたいなところ、

自分を疑い、問うて、掘り下げる姿勢、みたいなものが、

少し、まだ育っていないだけなんじゃないのかな、と。

 

これもコミュニティに書きましたが、


自分と向き合う、って、わたしが思うに割りと、

ゼロか100か…みたいなところがあると思い、

 

当時のわたしみたいに、頭に情報として入れる、貼り付けるだけで終わったり、

上澄みだけをぐるぐるして自分を知ろうと掘り下げないでいたら、

いくら何を聞いても、何を知っても、ほぼゼロにしかならないと思ってるんです。

(”気分”は、多少上がるかもしれませんが…)

 

でもそれが、聞いたこと、知ったことを、

少しずつでも自分に跳ね返させる…というのか、

とにかく、自分に問うたり、自分を疑って見つめ直す、みたいのの【材料】にした瞬間、

もうめちゃくちゃハイスピードで自分が変わって(戻って)いきます!

 

たぶん、自分の変化を実感できたときって、

それを無意識でやれてる結果だと思うんです。

 

だから、これからはちょっと意識するだけでも、

もう「ここは難しいかな」みたいに思ってた、

何年も抱えていたような悩みとかさえ、

もうかなり瞬間、あっという間でクリアしていけるはずです。

(自分の経験から思うとこですが◎)

 

そして最後に、”疑う”っていう言葉についても、こんな風に書きました。

「疑う」っていうのは、もしかしたら自分をマイナスに見る…みたいなネガティブ的言葉に聞こえてしまうかもしれないんですが、

たとえばそれが、自分の子どもや大切な人に対して、

「自分はこの人はこういう人だと(こういう子だと)もう決めつけているけど、
本当はそうじゃないんじゃないかしら??」

って見るとしたら、

それは今までの自分を疑っていることになるんだけれど、

それは、

”愛”ですよね?^^

 

わたしの思う疑うって、そんな感じです◎

 

愛があるから、疑うんです◎自分が自分に対して◎ 

 

 

…全ての今の文明の発展って、おそらく

「疑問を持つ」という行為から育まれた産物だと思うのです◎

 

当たり前と思っていた自分の考え方、選択、常識、モノの見方、判断…

 

先人や、偉人たちが、そうやって、自分自身に対して

「疑問を抱いた」、

 

そこからスタートして、今の文明があります◎

 

それって、絶対に、”愛”だったと思うのです^^

 

大きな愛、それは、すなわち、”関心”です☆

 

 

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愛をもって、自分に疑問を抱く。自分に問う。それも、浅くではなく、深く。

 

素直であること、心優しくあることのもう一歩先に、

こんな姿勢を持ったら、

女性はもっと素の自然体のその人の姿で、のびのびと輝けるはずです◎

 

そしてそうであれば、あとは勝手にその自分に見合う人生が

もう自然と、整って展開されていくのみです◎

 

何かを変えようと、目標を立てたり、自分の理想を書き出したり、

イメージして引き寄せようなんてしなくても、

頭からっぽにしていても、

勝手に必要なことは整っていきます。

 

そんなものすごい力を、わたしたち一人ひとり、最初から秘めているんですよね。

 

それに気付いて、ただの自分で安心して生きていって良いんだな、って

そういうホッとした気持ちで自分の人生を歩んでいける女性が増えたら素敵だなと、

いまはそんなことを思っています◎

 

それでは、今日は、そんなところで♪