「すみません、ただのオンナに戻ります」。

「ただそのままのわたし=ただのオンナ」に戻って生きる喜びとその日々を綴っています◎

【”田舎者はLazy”?】「残念な街」という想いが溶けたとき、自動的に変わった世界①

今日は、日中にも記事をちょこっとあげたのですが、

また伊豆で素敵な出逢いがありました^^

 

数日前に、近所に、カフェ併設のゲストハウスがオープン!っていう手作りのチラシが入っていたんです。

それで、ジョーさんと、「行ってみよっか??^^」ってなって、

ほんとうはオープン日当日の昨日、ランチに行く予定だったんですー。

 

でも、昨日ふと、先日も書いたジョーさんに来た新しいお仕事のお話で

わたしがちょっといろいろ心がモヤってしまい。。。^^;

 

遅い朝ごはんの時間からケンカみたいになり てゆうかいつもわたしが勝手にグチグチ話し出すだけなんですが。。。

 

結局、いろんなことをたくさん話し合ってるうちに、

あっという間にお昼になっちゃって、

昨日は行くことができなかったんですよね。

 

それで今日、リベンジで行こう!と。

 

でも、これまたわたしがもたもたしてて、

結局お店に着いたのが13時前くらいの遅い時間になっちゃったんです^^;

 

伊豆のお店って、ランチタイム終わるの早いとこが多いので、

間に合うかな〜〜ってソワソワしてたんですが。

 

着いたら、誰もお客さんいなかったのです。笑

 

f:id:santasantasan:20180114135325j:plainこの状態^^笑

 

 

前に、伊豆で長くレストランやってる人に聞いたことがあるんですけど、

やっぱりこちらは東京と違って人が少ないから、

認知されたり人が来るまでに

ものすっごく時間を要するんだそうなんです。

 

だからコツコツコツコツ続けていく”気持ち”みたいのがすごく大事だと思うーみたいなことを聞いたことがあったんですけど。

 

それで、もうひとつ、

こちらの地域のお店のひとたちに共通して感じるのが

スロー&マイペースというところで。笑

 

ランチが一部ブッフェだってチラシに書いてあったんですが、

わたしたちが来てから、

ブッフェの準備を始めていて、

 

お店に入ってから20分くらい、

席でのんびりジョーさんと待っていた。笑

 

f:id:santasantasan:20180114211511j:plain
古い宿をリフォームしたお店の窓からは、海がどーんと見えた◎

 

 

これって、東京とかだったら

ちょっとどうなの??ってなる感じしませんか?(そう思うのわたしだけ?^^;)

 

東京はやっぱり、忙しい人も多いし、

だから、

お客さんのペースに全て合わせて、

なるべく待たせない、

ちゃんと全て準備されてて、

スムーズが一番!

 

みたいのが当たり前に”良い”って、

わたしはなんか、ほんとつい最近まで

当たり前にそう思っていたんですよね。

 

でもちょうど先日、ジョーさんがすごく深いことを言ってて。

ちょっとまず、ゲストハウスの話は置いておいて、

そこのところから書いてみたいと思います。

(話がいろいろ前後左右しちゃって読みづらくてごめんなさい!)

 

それは、伊豆って場所の”自然”とか”らしさ”みたいなものについてだったんですけど。

 

あのですね、関東近郊にお住まいの人で、

わたしと同世代かそれより上の方はたぶんわかると思うんですが、

伊豆って、かつてはテレビCMをガンガン流してたホテルがいっぱいあったんですよね。

 

「伊東に行くならハ・◯・ヤ♪」

とか、

「ホテルニューーゥオ・◯・ベ♪」

とかのテレビCM、覚えてません?

 

たぶん、かなり少なくない数の人が、

伊豆の旅館のCMのフレーズを、聞けば、

「ああ〜!あれね!」って、覚えているんじゃないでしょうか◎

 

そんなとこに象徴されるように、

伊豆っていっとき、

ものすごいバブリーに栄えた場所だったんです。

 

もう、営業さえしてれば勝手にお客さんが来る、みたいな。

 

だけど、バブルがはじけて、

全国的にどんどん不況になっていって、

更に海外旅行が主流になっていって、

 

伊豆でいったいどれだけのホテルや旅館が潰れたかわからないくらい。

 

そうして、今は、

駅前や商店街もシャッター通りが増えていって、

「廃れた」

なんてイメージが、わたしもずっとありました。

 

なんか、

「(一世を風靡したかくらいに栄えたのに、結果的に今は廃れてしまって)残念な街」

というイメージが

わたしはすっごくあったんです。

 

そういう風に当たり前にイメージしてしまうようになったのは、

栄華を極めた時代をよく知っている

祖父母や両親や親戚の会話や、

自分たちの生まれ育った地域への「残念」っていう思いをなんとなく肌で感じて、

この街に来るたび、

その空気感みたいなものを吸い込んでいたことも

あったのかもしれません。

もちろん、祖父母や親世代のせい!ってことじゃないですよ◎

 

そしてわたしも大人になって、

自分がバリバリと仕事をするようになったり、

ジョーさんやわたし自身が独立していく方向になっていけばいくほど、

東京でバリバリに事業を拡大させ続けようと闘っている社長さんたちに話を伺うことも増えて、

そんな社長さんたちから聞く”田舎(地方)”の話はいつも、

大体根っこは同じ表現だった。

 

それは、

 

「田舎者はLazyだ。」

 

「田舎者は好奇心や成長意欲が低い。」

 

「田舎は、たまにだからいい。ずっといると、駄目になる。」

 

「だから、田舎は廃れていくばかりなんだよ。」

 

…というような表現。

 

夫婦でお世話になっていたある社長さんにおいては、

わたしたちが「東京から、伊豆に引越してそちらで暮らしていきます」とご挨拶した際に

「応援しているけど、田舎は毎日同じ人としか合わないし、刺激も少ないから、

ファッションや化粧もだんだんどうでも良くなって、

そうして放っておくとすぐに老け込んでしまうよ。

 

だから真穂ちゃんたちも、月に一度か二度くらいは、東京に出てこないと駄目だよ。

特に事業をやっていくには、最先端のものや時代を感じられなくなったら駄目だよ。」

 

というアドバイスをいただいたくらいで。^^;

 

それはそれで、社長からわたしたちへの、

心からの応援の気持ちあってこそのアドバイスだったと思っているのです。

 

そして、おっしゃっていることは本当に、

ごもっとも過ぎるほどにごもっともだと思っていた。

 

だって、わたしだって、

自分が東京でバリバリ働いて、

華やかなものに憧れて、そこにまた近づくために自分を磨き、

銀座でホステスをしたり、

社長さんたちに高級なお店に連れて行ってもらったり、

普通ではなかなか出逢えない人たちを紹介してもらえたり、

自分一人では持てることの出来ない機会に招待してもらって経験値を増やして…って

 

そういうところに価値を置いて、そんな生活をしていた頃には、

伊豆に暮らしている人たちを、

確かに同じような目で見ていたから。

 

プライドとか、無いのかよ!

 

(どんどん廃れていくさまに)なんとかしようとか、思わないのかな。

 

そんな、見下すようなエネルギーでこの街を見ていたことが、確かに、あったから。

 

 

だけど、いざ、自分たちが伊豆に暮らし始めたら、

そこでわずかではあっても、

人と交流して、

「伊豆に暮らす人たち」とふれあったり、繋がったりしたら、

 

だんだんと、かつて100%正しい(というか、そうに決まってるし、と疑いようもなく思っていた)自分のそのモノの見方・価値観に

疑問を抱くようになってきた。

 

と同時に、伊豆で暮らし始めてからも、お世話になった社長さんから、

東京での華やかな会や催しのお誘いメールが来る度に、

なぜだか胸がチクッと痛んだんです。

 

それは、

「行きたいのに行けないな。残念だな。」っていう痛みでは無くて

そして

「いいなあ、こんな田舎には、そんな機会無いよ。わたし、つまんなくなっちゃったなあ…恥ずかしいなあ…」

っていう痛みでも無くて、

 

社長はじめ、東京でガンガンに夢や理想をかたちにしているような上昇志向の人たちの

田舎に対する評価を思い出して湧いてくる

 

「悲しい。」

 

っていう、

そういうたぐいの胸の痛みでした。

 

そしてそういう人たちのモノの考え方、生き方の姿勢みたいなものは、

世間一般では”素晴らしい(良い)”とされているわけです。

 

・上昇志向は良いことだ。

 

・人間たるもの、成長すること、自分を磨き続けることが素晴らしいのだ。

 

・世の中は広い。世界には経験できることが山ほどもある。だからもっともっと、その広い世界に関心を持ち、手を伸ばそう。そのために努力を積み重ねるのだ。

 

 

世間ではこれらを、「良いこと(尊いこと、素晴らしいこと)」だと当たり前に言う。

 

そしてわたしもずっとそう思ってきた。

 

でも、

 

本当にそうなのだろうか?

 

本当にそれだけが全てなのだろうか??

 

 

…伊豆に暮らし始めて、そこで出逢った人たちの「ありのまま」の姿を見て、繋がって、

まったく違う世界が見えてきて。

 

 

どっちが正しいとか、どっちが間違っているとか、そういうことじゃない。

まして、

「こういう悪い部分は確かにあるよね、でもこういう良い部分もあるよね」、とか、

そういうことでもない。

 

 

たぶん、全然違う。

 

全く、全てが、明らかに、違う。

 

そしてこの違いは、たぶん、

わたしにとってはとてつもなく大切なこと。

 

 

何をまったく違うと感じるのか、

上手く言葉にできなくて、

そんな上手く言葉に表現もできないことが、

なぜこんなにも自分にとって大切なことだと感じるのか

それもまったくわからなくて、

 

でもこの感覚に間違いはない。

そんな直感と確信は、たしかに、どんどんどんどん強まっていったんです。

 

そして、わからない、わからないな。。。というままでずっと置いてあったその感覚が、

あるとき、ふとしたジョーさんとの会話で

ものすごく自分の中に一番自然なかたちで溶けていった瞬間がありました。

 

長くなったので、次の記事に続きます!