「すみません、ただのオンナに戻ります」。

特別じゃない、「ただのわたし」「ただのオンナ」に戻っていく軌跡を綴っています◎

2017年、年越し前最後にわたしがわたしに対してすべきことが見えてきました。

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ここのところ、晴れの気持ち良い日が続いている伊豆。

今週末は、青戸家のお母さんやお兄さん、甥っ子くんたちとのクリスマス会(忘年会?)で

東京のほうに行きます◎

楽しみだー^^

 

さて、ここ数日間の記事。

毛色?は違いますが、この3つの記事はつながっていて、

一つのことを自分の中で整理して、終わらせたくて出て来る想いたちなんだなあと

改めて気付かされています。

santasantasan.hatenablog.com

santasantasan.hatenablog.com

santasantasan.hatenablog.com

 

 1つ目の記事、Facebookの引用で少し触れた、

【伊豆に来てから出逢う魅力的と感じる人々】

と、

アウンサンスーチーさんシリーズ(←だから違うって。)で書いた

【かつての職場の創業社長のKさん】

 

このそれぞれの人たち(ひとつの姿の象徴みたいなもの)が、

あくまでもわたしの感覚的なイメージの中で、ですが、

 

前者の方々は、

わたしが今とこれから、在りたい姿・生きたい世界の、

ひとつの象徴・イメージ・シンボルみたいなものであり、

 

かつてお世話になったKさんは、

わたしが今と過去、

わたしの在る姿・生きている世界の、

ひとつの象徴・イメージ・シンボルみたいなものなのだと思う。

 

そういう、2つの象徴・イメージ・シンボルみたいな姿がわたしの中に

(わたしが生きている現実やわたしの心の中に)

あるなかで、

【今のわたし】は、、

 

今と未来、前者のようで在りたく、前者のような世界で生きたく、

そして、

後者の過去の在り方・生きている世界に、

完全に終止符を打って、さよならをしたいと望んでいるのだと思うのです。

 

 

完全に、好みの在りたい姿・好みの生きたい姿は前者のような在り方だと自覚しているのですが、

それでも、

よーーーーーーく自分を観察していると、今の自分の中にはまだ、

両方がいて、どっちの側面も持っている感じがするんです。

たぶん、嫌だ嫌だと思いながらも、

過去慣れ親しんだ在り方や世界も、

心の中で握って掴んでいるメリットがやっぱりあるんだと思います。

 

もう何年も、その場所を離れてるし、

その過去への想いは精算されてると思ってたし、

わたし自身、もう、(そういうたぐいの人が)周りでほぼ見かけなくなったし、

 

そういう外側の変化を見て、

わたしのなかにももう、

それらは【解決したこと・卒業したこと・残っていないこと】と思ってたんですが、

若干、残ってたのだと今回気づかせてもらったんですね。

 

なんとゆうか、たとえていうなら、

鍋底のそこのちょっとの焦げみたいな感じでこびりついている

意外にしつこいやつが。。。。笑

 

これはわたしの経験上の感覚なんですけど、

きっと、自分の人生が変化していく時、流れとして、

 

まずは自分が「違う(もう自分にとっては、これは嫌だ・違う)」と自覚することがファーストステップで、

次に、

そういう場と離れていったり、そういう人と離れていったりして、

目の前からそれらが消えるのが次のステップ。

 

そして、入れ替わるかのように、

違う価値観・違う生き方・在り方・違うものの見方をしている人たち(つまり違う世界を生きてる人たち。たとえ住む場所とかが一緒だったとしてもね)が現れるようになっていって、

近くなっていって、

その頃にはもう、自分の人生っていう”背景”は先に変わっているんだと思います。

そして自分の気持ちやものの見え方も随分変わっている。(いのちの本質、自然みたいなものに、戻っている。)

 

だけどその背景(出逢う人々やご縁・出来事)を自分に取り入れて、

自分のモノとして糧にして進んでいくのには、

最後、一番大事なのは、

かつての背景でこびりついて残っていた全てのかけらを、

完全に自分の中から昇華させていくこと。

 

というか、入れ替えというか。

背景だけ入れ替わるのではなくて、

自分の中がゴッソリと入れ替わるということ。

 

で、背景はまた、いろいろと変わっていくんだけれど、

その変わったベースの土台の上で、

変わっていくんです。

嫌だったことが良いことになっていく、というような変わり方じゃなく。

足りないが、足りるようになる、という変わり方じゃなくて。

 

”有る前提””いのちの本質の自然な流れが前提”みたいな。

 

そういう土台の上での変化なんです。

だから本質は変わらないんです。

だから、そのときの感じる感覚でそれらを表現すれば

だいじょうぶという感覚だし、

感情はその都度揺れることがあっても、トータルでは安心という土台が自分の中にどっしりとあるというか、

そういう感覚だと思います。

(そのとき感じる感覚で、表現するならば。)

 

そんな感じです!

 

 

わたしは先に、この一年半、背景がものすごく目まぐるしく変わって、

ついにはすむばしょも変わって、

そういう意味では違和感を感じてた人たちは全員ほんとに会うこともできなくなって

(物理的にも^^;)

もちろんそのようになっていったということは

先に心ありきで、

心がものすごく変わっていったからではあるんですが、

それは自分でもみとめるのですが、

 

しかし、最後の鍋底の焦げと、

今ほんとうに向き合って、

昇華することなんだと。

 

今、そういうときがきたんだなと。

 

というか、今、自分が自分に号令かけたんだと思います。

「行け」と。

 

「ハイッ!!自分的に準備OKになりましたので、どうぞ〜〜〜!!(来てね!)」

 

みたいな。。。笑

 

もちろん無意識でね。笑

 

だから、

もう何年も、忘れていた人のことが本当にふと、話題にのぼったこと、

なんなら、それはその当時一緒の場で一緒の時間を共有していた島根の友人が遊びに来てくれたからですが、

それさえも、

偶然ではなくって、

今このとき、このタイミングで、

わたしがわたしに望んで、仕掛けて、

このときだったんです。

 

わたしのその、最後まで自分を引き受けようとするその姿勢は、

ご先祖様とか神様とか、

そういう見えない存在の何かもちゃんと見てくれていて、

島根の彼女をよこしてくれたり、

応援してくれてこの流れなんだなと。

 

ちなみにあくまで、イメージでしかないので、

伊豆で出逢った人が【こうなりたい】という”正解の人”なわけでも、

Kさんが、

【これはいけない・ひどい人だ】という”間違っている人(正されるべき存在)”ということではないんです。

 

ただ、わたしの中に、

バクとした【こんな風にわたしは生きていきたい】という何か、

散らばったイメージがあって、

人と出逢う以前に、先にそれがわたしの中にあって(でもまだ、そのときは、それがなんなのか自分でも掴みきれていない状態)

 

それを自分の中で感覚としてつかみたいと思っていたから、

そのかけらを感じさせてくれるような人と、

わたしはこの土地に導かれて、出逢った。

先に、わたしも気付いてないわたしの想いがあって、

わたしも、どこにつながってるのか全然(そのときは)知らないかたちで

しかし未来にとって必要な手引として、引越しというイベントが現れて、

で、引っ越ししてきて、自分のイメージのかけらを感じる人達と出逢って、

そこではじめて見えてくる。

 

どういう意味合いだったのかと。

ここにつながっていたのかと。

 

だからやっぱり、全部同じことで、

順番が逆なのですよね。

逆から見ると見えてくることがあるのですよね。

 

これがほんとの引き寄せというものだと思うのですが

(わたしは引き寄せのことはよくわかりませんが、少なくとも自分の認識できる思考を越えたとこのほうのが大きいイメージです。)

こういうことだとわたしはいつも思ってるんです。

 

だから、今、「あ、これ今年中に今、向き合うべきことだ」

ってわかったところで、

それができるかどうかはもちろん、【今】はわからないんですが、(頭では)

でも、わかるんですね。

 

何がどうあっても、ちゃんと昇華できると、

ちゃんともうわかってるんですね。

 

そして大体、パターンとしては、

案外すんなり抜けてしまって、

まだ奥にもっと大きなギフトにつながるラスト課題が隠れていたり

(課題=苦しいものではないです!)、

こうやってちゃんと、わかんないままでも自分の心と向かっていくことさえ決めたら、

予想以上に素敵に濃い、残りの数週間になるのだと思う。。。笑

 

だから、今はわかってないことも含めて、

大丈夫、わかるようになると思って書いています!

 

タイムオーバーなので、この記事は、まずはここまで。

読んでくださってありがとうございます!

今日も良い一日を!