「わたしはわたしでいい。」
朝目が覚めて、ゴミ出しをして、洗濯機をまわしながら、
ふと出てきた言葉。
改めて、そうだ、そうなんだと深くその感覚を味わっていました。
何を得るとか、何かがうまくいくとか、嫌なことを遠ざけられるとか、
そのことよりも、
ただこの気持ちを持てれば、ずっとずっと、
しあわせは本当に、すぐそこにあるもの。
そんなこととリンクしているように感じた、
コミュニティでのWさんがしてくれた投稿^^
↓
皆さんこんばんは(*^_^*)
あいかわらずの深夜投稿すいません!
この間のまほさんのブログ記事や、◯◯さんとまほさんとのやり取りを見て、
わたしがかつて感じた思いとすごーく関係している気がしたので、かなり長くなるかと思いますが投稿させてください。それはこのコミュニティに参加するちょっと前のの9月頃に起きた出来事です。
きっかけは『学校に行きたくなければ図書館へいらっしゃい』というツイートが話題になっている、というネットニュースの記事でした。
とっても悲しい話ですが、中高生の自殺が一番多いのが夏休みの明ける9月1日だそうです。
そんな子供たちを少しでも助けたいという思いから、何年か前に鎌倉市図書館が夏休み期間中にこう発信しました↓↓
『もうすぐ二学期。学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。マンガもライトノベルもあるよ。一日いても誰も何も言わないよ。9月から学校へ行くくらいなら死んじゃおうと思ったら、逃げ場所に図書館も思い出してね。』
私このメッセージを読んだ時、
学生でもなんでもないのにめちゃくちゃ泣きそうになってしまい、
どうにも抑えようがなかったのでノートに書いて感情をぶちまけてみました。
きっと誰かにそんなことを言われたかったんでしょうね。
ずっと抑えてた思いが吹き出すようでした。
そうしてたくさん書き出した結果、みえてきたのはとんでもなく素直じゃない自分で、
本当はそう言ってもらえて、図書館に来て受け入れてもらえて、学校に行けない自分をあったかく見守ってくれて、すっごくすっごく嬉しいのに、
「別にわたし大丈夫だし」
「たまたまちょっと寄っただけだし」
「いま学校行きたくないだけでそのうち行くし」
みたいな感じだったんですね。
そんなはずはない。
このツイートを読んだ時に湧き出た感情はそんなことを伝えたいわけじゃないだろ。
もっともっと大事なことを私に教えようとしてるはずだからしっかり見ろよ。
そう思いながらノートに書いてはモヤモヤ、書いてはモヤモヤの日々を繰り返していました。
するとある日、「わたしはこのままずっと図書館にいてもいいんだ」という思いにたどり着いたのでした。
というのは今まで図書館に逃げ込んでいながらも、
「別にわたしは学校に馴染めない人間じゃないからそのうち元気に登校するし!」という態度をとっていて、
「ちょっと休憩してるだけ」くらいに思っていたんです。
でも本当は学校なんて行きたくない、
図書館の方がずっとずっと居心地がいい、
こうして強がってることさえ「そうかそうか~」とあたたかく見守ってくれてる館長さんの想いに甘えてしまいたい、その気持ちを認めたら、
「いたいって気持ちだけでいていいじゃん」
と思え、さらにそこから
「そもそも私は学校に馴染めない人間なんだ」
「そういう人間なんだわ」と、
学校に行けない・馴染めない自分も認められました。
学校に行くことが当たり前すぎて、馴染めない自分はダメでダサくて、
いつかはちゃんとした学校生活をおくれるようにならなくちゃ!という思
いしかなかったけれど、
そこから解放された瞬間、目の前の世界がすっごく優しくあったかく感じました。
この話は『図書館にいらっしゃい』というツイートをきっかけに書き出していく中、わたしの頭の中で繰り広げられたドラマでして、
学生時代はイヤなこともたくさんあれど、
それなりの学校生活を送ってたと思います。
なのでこれがいまの現実世界とどういう関係があるのかは自分でもよくわかっていません。。
ただ、きっと私は、社会なり自分が考える“世の中”ってものに適合できない人間で、
今回のドラマでそういう自分を許せたような気がしました。
もし「自分はできない」とか、世間と自分との違いを悩ましく思う方がいたら、
ここにもそんな人間がいるので覚えててもらえると嬉しいです。
いつもに増して長くなりましたが、読んでくださった皆さんありがとうございました
このWさんの投稿には他の参加者さんからもいろんな反応コメントがあって、
全部紹介したいけど、
長くなってしまうのでその中のお一人のコメントを一部抜粋。
↓
Wさん、ウワーン😭
大泣きです!!
このツイートの内容、私は子供がいるのでよく話題になりました。
私、子供達には辛かったら学校に行く必要なんてないと思ってるんです。引っ越しもあり、通信もあり、塾だっていい。
…ってことを、周りに言ったら頭おかしい人に思われました・笑
私は今、専門学校で教員やってます。☆☆で就職するお手伝い。(そこには)まわり道してきた人がいっぱい来ます。
入試では、フリースクール出身、ニートとか色々。レールの人は大学に行きますからね。
そして、資格とって◯◯でイキイキ働いている、☆☆大に編入して、☆☆の学会で発表してる人が沢山います。
その人があう水、輝く時期と場所があるんだなーと実感します。
また、チャレンジしたけど、この学校もダメでやめていく人もいます。
入試で、学校や病院などの組織で生きていけなさそうな人は、成績が良くで不合格にします。
それがダメではなくて、彼らなりに挑戦した結果なんですよね。
幸せは1つではなくて、心地よい場所は人によって違いますよね。
世間と違っても、恥じることなんてなーい!
私も、ずっと受け入れられかったです。
今は、このコミニュティ、家族や友人など、受け入れてくれる場があって幸せ者です😭
わたしはわたし自身が「わたしでいい」となかなか思えなくて悩んできた人間ではあるのですが、
そんなわたしからは、Wさんもこの方も、ものすごく素敵な人たちで、
本当にそのまんまでいいってゆうかそのまんまがいいって思うし、
「世間と違う」とさえまったく感じないです。本当に。。。
でも、わたしから見てそういう素敵な人たちでも
「わたしはわたしでいい。」と思えなくて悩んでいる人たちが
実はたくさんいるのだとすごく衝撃的でした。
そして今、「わたしはわたし」を受け入れられるようになってきて、
そしてそのことで、また周りに感謝できたり、
今をしあわせと感じられることは、
またさらにとても素敵なことだな、と感じています。
ここはきっと、
自分を少しずつでも受け入れようとする姿勢が
しあわせを与えてくれて、
しあわせを感じ取れる余裕が、周りに感謝できるようになっていって、
そして感謝できる気持ちが、
またしあわせをより与えてくれる、っていうように
循環して繋がって拡大していっているのでしょうね。
だから「わたしはわたしでいい。」は、
けっして気休めの言葉ではなく。
それが真実なんだと思います。
「わたしは、わたしである意味がある」。
真実はそうだからこそ、
自分を受け入れて生き始めようとしたときに、
仮にそれが小さかったとしても間違いなく気持ちを温めてくれる素敵な奇跡に
たくさん気付いて受け取れるようになるのではないかなあと、
そう思っています^^
今日は金曜日で、多くの人にとってはきっと、
忙しかった一週間の終わりかなと思い、
この投稿を見て励みになる人がいるんじゃないかなあとふと思い、
掲載させていただきました。
Wさんが、図書館のツイートを見たことをきっかけに、
自分を許せるようになって、
その気持ちの共有がまた、
わたしやコミュニティメンバーをあったかい気持ちにさせてくれたように、
この記事が必要な誰かに届けばいいなあと思います^^
Wさん、素敵なコメントも入れてくださったSさんも、
ありがとうございました!
それでは今日も良い一日を〜♪