「すみません、ただのオンナに戻ります」。

オンナはみんな、「ただ、オンナであるだけでいい」。“がんばる良い子な生き方”を止めて、自分を大切に生きていく軌跡☆

「それはほんとうに楽しくて、しあわせ?」理想や夢に振り回される人生ゲーム。

昨日、ここのところなんとなく感じていたことをはじめて、

言葉に表して記事に書いたのですが、

santasantasan.hatenablog.com

 

書いているときはわりとスルスル言葉がでてきて、記事ができあがったのですが、

アップしてからとても気持ちがドキドキ、ソワソワしている自分がいました。

あんまり、歓迎されるというか、

喜ばれる感じのものじゃないだろうから、

「言っちゃったー!」という感じになったのです^^;

 

でも、一晩たって今日、

コミュニティのメンバーさんの一人がこんなコメントを残してくれました。

 

ブログ、拝見しました。

今日、感じてたことと、とてもリンクしてたので、思わずコメントします。

(中略)

もっと幸せになるために何かを求めることもせず、、

特にこうしたいという意志もなく、、

本当にただぼんやりと、家の床に落ちてる髪の毛拾いながら(笑)拭いてるときに

「あぁ、本当に幸せなだな〜」としみじみ感じてました。

本当に自分がここにただ存在し、何も気にかけることもない、

ただ「ある」だけの幸せって、こんな感じなのかなと、ふと思いました。

 

そうそう、そんな感じ!!と、

とてもうれしくなりました*^^*

 

 

昨日の記事を書いたとき、

そもそも書ききれていないこともいろいろあるけれど、

その感覚をなんとか整理してみたくて、

夕飯どきに、旦那のジョーさんにぽつりぽつりと話しながら自分に確認していたときに、

 

こんな意見と言うか考え(感覚?)はきっと

あまり歓迎されないだろうなと思ったんですね。

 

それがもし、ある種の側面では真実だったとしても、

人によっては、

気持ちよく喜んで受け入れてもらえるものではないなと思ったんです。

 

でもここはわたしの好きに感じたことをただ書いていくだけの場でありたいし、

わたしはこの仕事でさえ、

人に歓迎されて、

気持ちよく喜んでもらえることが目的でやってきたわけじゃなく、

善悪とか、正しい正しくないとかっていうモノサシで測りたい、

明らかにしたいわけでもなく、

そんなのはその人の価値観によって違うもんね。

その価値観さえも、本当ですか?というのを疑うことが大事だとは思うけれど。

 

上手く言えないけれど、

何か人に立ち止まって、

大事なことに気付いてもらうきっかけになることを

自分では大切に思っているんです。

(その結果、喜んでくれる人も離れていく人もいる。と思う。)

 

もしくは、同じ感覚を感じて戸惑うひとがもしいれば、

それでいいと思うよ、っていう

少しの一票になればな。と。

 

フラットに自分のため、

そして見てくれる人に対して向けている気持ちがもしあるなら、

そんな感じ。

すべて、ブログを始めたときからの想いだと思います。

 

だから、

まだ、言葉に表せないことってたくさんあるような気がするけれど、

今思うこと感じることを、

否定せずふたせず書いてみようと今は思っています。

 

 

それで、話が戻ってこのメンバーさん(Hさんとします)のコメントにもお返事したんですが、

「これがわたしのしあわせ」って感覚は

本当に人それぞれで良く、

他人が否定するものではないんですよね。

 

ただ、わたしにとっては、

”もっと!”とか”より!!”とかっていう気持ちで前を向いているときよりもずっと、

それはそれで高揚感があって、希望があって、ときめいてワクワクしていたのだけれど、

それよりももっと、

厚みがあって、じんわりと勝手に深く、自動的に常に満たされている感じのもので。

 

間違っても、

「厚みがあること・深いこと=人として素晴らしい・高尚だ(だからそっちのほうが”より良いしあわせなんだ”)」

ということじゃないですよ^^;

 

それが”良い(立派だ・高尚だ)”から、というそんなくだらないものさしの話ではなくて、そんなこと語りだすナルシストがいたら、わたしのほうが嫌ですよ。。。

 

ただ今の感覚を感じたら、

それまでわたしが感じていた、定義していたしあわせという感覚が、

 

ものすごく薄っぺらく感じたということだけなんです。

 

【”今のこっち”のが、絶対に、良い(好きだ)】

という確かな感覚なだけなんです。

 

 

そしてこれも返信に書いたのですが、

この自分の変化を、感覚を

絶対に悪いものなわけがない(間違いない)と感じられるのには理由があって、

 

それはわたしはこの仕事をしてからも長いこと、

生理前やときどき、

どうしようもない無力感とか、やる気の無さとか、倦怠感とかにさいなまれることが

定期的にあったのですが、

それが一切なくなったこと。

 

この生き方をしはじめてからは、

それらを「悪いもの」として扱うことはなくなったけれど

(「おーきたきた^^;」という感じというか^^;)

 

ただ、事実としては20数年、ずっとあったそういったけっして心地よくはない感覚が、

理想や夢や、何かを得ていこうという未来に向かう気持ちがなくなったと同時に、

一緒にこれも、消えたんですね。

 

それはきっと、

光と闇、みたいな感じで、

たとえば光(たとえるならプラス)のほうに向かおうとすればするほど、

自分の中の闇(たとえるならマイナス)もくっきりする、ということかと。

 

そして本当に多くの人が、この間をいったりきたりする人生ゲームから抜け出れない。

抜け出れないというか、

自ら抜け出ないことを選択して

それが人生だと捉えているように思います。

 

そしてそして、この間をいったりきたりすること、この振れ幅を、人生ゲームを、

消費のカモだよねと、

 

旦那のジョーさんがなんとも的確な(私的に^^;)表現を淡々としていたので、

いつかこの話も勇気が出たら書きます。笑

ええ、それを言うならわたしも、間違いなく”消費のカモ”でした。笑

 

 

光のほうに振り切ることのできた人の声が大きく聞こえて、

そこにまた人は憧れを抱くのだとも思いますが、

多くの人にとってはその光に向かう行為・目的自体が、

過去の自分への劣等感の回収だったり、←これも今度書きたいです。

夢に夢を見ている状態にしか感じない部分があります。

 

これもまた、伊豆に来て、

新しい、何気ない人とのご縁で気付かされたことなのです。

 

このことも、また今度書いてみたいですが、

ただそういうゲームに、

あっちとこっちを行ったり来たりすること、

光だけをできれば受け取りたい、できれば光だけのほうだけを感じていたい、

可能性の幅が広がったのなら、世界がこんなに広いならば、

そこにできるだけ手をのばしてみたい、

そこを攻略するゲームに、

 

そろそろみんな、

ほんとうは疲れているんじゃないのかな??と思うから、

ほんとうはただ、安心したい、

今、ただしあわせで、もう十分だなあと、

 

他人という左右にも、未来という、憧れという先にも、

気持ちや目線が行くことさえ無い、

 

同じ満たされるなら、そういう満たされ方を

ほんとうは誰しも望んでいるんじゃないのかな?と思うから、

わたしは、こっちがいいなあと思うから、

こういう記事を書いています。

 

左右を見やって、先を見やって、

そういうゲーム上での「自分満たし」「自分を大切にする」「自分の望みを叶えてあげる」系はもう、間違いなく違うなと思う。

プレイするゲームを変えているだけで、

やっぱりゲーム(幻)でしかないと思うからです。

 

これもまた今度書く(笑)ですが、

今のわたしは、自分を大切にすることや満たすということに関して

その言葉も出てこないほどに意識の外=自然で

それについて考え意識することは皆無になりました。

ある種、別の意味での「自分を大切にするって何?」状態です^^;

 

なぜそうなったのだろう?というのがわたし自身明確ではないので、

それが見えてくることがあればまたこのことも書いてみたいです!

 

 

「また今度書く」が多いですが、笑

でも、やっぱり書くっていうことに

整理されていくものですね^^

 

今日もまた長くなってしまいましたが、

次回あたりは、わたしがどんなときにしあわせを感じるかを書いてみたいな〜と思います。

(完全ただの備忘録的日記ですが^^;)

 

それでは、また^^