「すみません、ただのオンナに戻ります」。

オンナはみんな、「ただ、オンナであるだけでいい」。“がんばる良い子な生き方”を止めて、自分を大切に生きたい女性を応援中☆

わたしの変化の話。

f:id:santasantasan:20170411134338j:plain

写真は今回の滞在中、唯一晴れた昨日の伊豆の夜桜です^_^)今日伊豆から東京に帰る予定なのですが、

こちらも大雨で、

しばしタイミングを見計らって家の中でぼーーーっとしています。

 

そんな時間があるところなので、

少し前に書いていた気持ちの変化のきっかけについて

今日は少し書きたいと思います。

 

それは聖路加教会で結婚式のためのキリスト教の勉強会を

 牧師さんにしていただいていた日のことでした。

 

※教会で式を挙げる時は、キリスト勉強をしないと挙式できないのですねー

 

そのとき、正式な言葉でなんだったか忘れましたけど、

「浮気をしてはいけません」みたいな項目があるんですよ。

 

それを神様に誓うという。

 

普通に教会ではなくてもある項目な気がしますが。

 

それを説明されたときにですね、

何を今更?と思われるかもなんですが、

「ああもう一生、旦那さん以外の人と関係をもっちゃいけないのか」

と思ったんですね。

 

おまえ結婚したのに何言ってんだ当たり前だろ!と突っ込まれるかもですし、

わたしも浮気をしたことのなければその願望も今のとこ皆無なんですけど、

あー、そうかー、と単純に思って。

 

「え、ジョーさん(旦那さん)それでだいじょうぶ?」とか

思わず牧師さんの前でわたし彼に聞いちゃいましたもん。

 

 旦那さんも牧師さんも笑ってましたけど。

 

でもなんでそんな当たり前ともいわれることを

「え!」って思ったかといえば、

 

今って、特にわたしみたいな仕事をしてる人って、

 

浮気でもなんでも自由だ!

それで傷つくのは自分の中に何かあるからだ!

一対一の恋愛なんてもう古いよ!

 

みたいな風潮や、そういうこと言ってる人も少なく無いでしょ。

 

だからね、

すごく逆に、

ハッとした。

 

少なくとも、ここ=教会で結婚式の挙げると決めて、

わたしはキリスト教では無いけれど、

そのキリスト教の神様とその神様に仕えると決めている牧師さんの前で

「誓います」

って誓うのなら、

それは違えないようにしないとと。

 

それでバチが当たるとか、

そんなことしたらダメだ!とか思っているわけじゃなくて、ただ、

 

それならそこは、

違えたく無いわ。人として。

 

って単純に思ったかというか。

 

でね、わたしは素直(バカ?)なので、

 「浮気、ダメなんですねえ」

って 牧師さんに言ったんですよ。

 

そしたら牧師さんも笑って

「ハイ、ダメですヨー」

っておっしゃったんです。

※牧師さんは 日本語ペラペラのアメリカのお方です

 

で、わたしも笑って、

さっき書いたことを言ったんです。

 

自由で、好きなように生きたらいいから浮気もいいんだ!って人もいるからなんか新鮮で〜って。

 

そしたら牧師さんが、ああ〜って言って、ひとこと、

 

「そういう人は、今はいいかもしれないんですが、

年を取ってからきっとね…」

と。

 

で、そのときなんです。

 

わたし、なんというのかな、

全てが自分の中につながって、

静かな雷が落ちたような気がしたんです。

 

「そうですね」と。

 

わたしも、自由には生きてるし生きたいと思うけど、でも、

「そっち ※しいていうならば牧師さん側」 のがいいわ、と。

 

すごくストンと、そう思ったんです。

 

そのときにまるで、

この1年間、いろいろなことにチャレンジして、

反抗も非行も?してみて、

それらをやり尽くしてみて、

結果、

すごく自然に、本来あるべきところに戻ってきた。

 

そんな感じだったんです。

 

わたしも、自由が好きで、

全て自己責任で、

何やったっていいとは今も基本思ってるんですよね。

常識や慣習に囚われて、

自分を窮屈にしてしまう必要は無いとも思うし。

 

ただ、その常識にや慣習さえ、

なんというのかなあ、

いざ自分をとことん自分の責任で生きてみたら、

 

自分を縛るものと思っていたそれらは、

本当は、

 

自分を守ってくれているものだった、と

 

そう思ったんです。

 

常識、慣習、諸処のルール、

別に、そんな悪いものでもないじゃん、と。

もちろん、それは気にしすぎなくてもいいんじゃない、ってものもたくさんある気はするけれど。

 

でですね、

牧師さんのお言葉が、

結婚式の準備をしてる今だからこそ、

落ちた部分が確かにあったんです。

 

それは、他の人がどうかはわからないけれど、

結婚式って、

本当に自分の力でできることってなくて、

本当におかげさまのかたまりでできるようなもんだなと。

 

だってゲストの皆さんにとっては

「(新郎新婦の)二人のことを祝いたい

っていう気持ちがなければ、

正直いってなんの得もないでしょう。

 

それでもお金と時間とエネルギーを割いて、

貴重な休日に集まってくださるんです。

 

その気持ちって、当たり前だけど、

お金じゃ買えないじゃないですよね。

 

本当に新郎新婦としては、

いただくばっかりで、

まさに受け取るしかできないと感じるんです。

 

だけどね、

今回は話が浮気のことだったのだけど、

男女に限らず、

 

今が良ければいい、

あとはよく聞くのが、

自分は進化し続けるから、その成長が止まる人とはどんなに好きだった人でももう一緒にはいられない

 

とか、

 

そんなことやってたら、

 

この場(結婚式)って、

成り立たないって思ったんです。

 

それはもちろん、

自分の好きにいつも生きていて、

そして進化し続けていつも人間関係が変わる人は、

その自由と強さゆえいつも誰かしらを惹きつけて、

それこそ一人離れてもまた一人近づいて、

 

一生孤独にはならないのでしょう。

 

だけどそのぶん、

年月を重ねて、いろいろあったけど築き上げてきたね、って言える関係も

ひとつも残らないのじゃないかなって思ったんです。

年を重ねていったときに。

 

わたし、結婚式にお声掛けさせてもらった方たちは、

本当にわたしのどうしようもないときも全部知っていて、

お互い腹も立てたり、

距離を置いたり、

そういうときもあって、

でも今までもこれからも、

こんなわたしだけどよろしくお願いしますと

思っている人たちばかりです。

 

それはまだ付き合いの期間が浅い人も同じで、

もちろんこれからお互いどうなるかはわからないけれど、

可能であればこれから

良い関係を築いていきたいと思って思っている人に

お声掛けさせてもらっています。

 

けっして、

今、大好きだから、っていうだけじゃないです。

今、大好きだけど、ステージが変わったらもうさよならは仕方ない、なんて

そんな想いは無いです。

 

この「成長すれば人間関係が変わって当然」説が、

成長著しい人たちのなかでとても主流として聞くけれど、

あくまでわたしの意見は、

女性は本来はそうじゃないんじゃないかな、って思うんです。

 

もちろん年月を重ねるごとにいろんなことがあって、

会うのが辛くなる時や、

会話が通じ合わないときもあって当然と思う。

 

男女であれば、恋は冷めるときもあるんだろうし。

 

でもそれを、いつも白黒ばっさり切り分けてしまうんじゃなく、女性ならではの性質で

「距離を置く」って曖昧に、あえてグレーにそのまま置いておくことも

できると思うんです。

 

で、それが正しいってことではなく、

あくまで、

わたしはそれがいい、って、

 牧師さんのたった一言で、

すごく自分が、本来自然にあるべき場所に

戻された気がしたんです。

 

わたしも、

成長して行く過程で人と離れるしかないと思っていた時期も確かにあるから。

 

でもそう思って、自分ではもう切れてもいいや!と思っていたけど、

でも結局今、こうして戻ってみたら、

別に誰とも切れてなかったと、

 

そういう結果に落ち着いているんですよね。

それはひとえに周りの寛容さによるものだと思っているのですけれど。

 

そしてそれが、有難いですし、事実、心地いい。

 

だから冒頭の浮気の話で言えば、

そうやって人の心はどうせ変わるものだからこそ、

ならば最初から結婚しなければいい、

結婚制度なんていらない!という人もいるでしょうし、

それはほんとにそれでいいと思うんです。

ご自由にという感じで。

 

だけどわたしは、

いろいろばかもやってみて、好きにしてみて、

やっぱり、

制約もあってみていい、と今は思っている。

 

つまり、確かに人の気持ちは変わるもので、

だからいつか、結婚して夫婦になったことを、

付き合いある人間関係を、

簡単には切れないことが

重荷になることも確かにあるのかもなあと。

 

でもそのうえで、

それもあるかかもなんだなあーー的な上で、

あえてその「簡単に切れない」制約(ここでいうなら婚姻制度とか、横にもつながる友人関係とか)が

あっていいなと。

 

その制約があるから、

お互い自由なんだけど、おもいあったり、

配慮しあったり、

そうやって「上手くやっていく」努力をあえてしてみたいんですよ、きっと、わたしは。

 

それが尊く美しいと思ってるわけじゃなくて、

ただ、

刹那的にそのとき大好きで、そのとき良ければそれでいい、っていうのが

好みじゃないだけなのかな。

 

やっぱりそこは、

自分のDNAに刻まれてる、他人からしたらつまらない常識なのかもしれないけど、

わたしは、

親や先祖が残してくれたその感覚が、より、わたしを守ってくれて、

一人でガツガツと成長や快楽を追うよりも、

よっぽど自分を心地よく静かに自分を誇れ、信頼できる成長や、

快楽とも違う深いどっしりとした悦びに

導いてくれるような気が、今はしているのです^ - ^

 

そしてわたしってけっこう根が老けてるから、

ギラギラやってみたときもあったけど、実はそこまでは

バイタリティーも無かったっていうオチかもです。笑

 

で、その、自分が素で心地いい「土俵に気づけたのはやっぱり、

結婚式を挙げると決めて、牧師さんや周りの方に気づきをもらって導いてもらえたからで、

とても感謝です。

 

そしてこれも、あくまでわたしの好みなので、

皆さんは皆さんにとっての心地よさを、その土俵を

探してほしいなと思いますし、それがどんなかたちであれ、

それをわたしは応援していきたいと思います^ - ^

 

それでは長くなりましたがそろそろ出ないと。笑

スクール申し込みは昨日で締め切りましたので、また土曜日の開催当日を楽しみにしています!

お読みいただき感謝を込めて^ - ^