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「すみません、ただのオンナに戻ります」。

オンナはみんな、「ただ、オンナであるだけでいい」。“がんばる良い子な生き方”を止めて、自分を大切に生きたい女性を応援中☆

抜けた先の「この気持ち」を味わってほしいから。

昨日の夜から伊豆にきています。

こちらは雨で、そしてわたしは生理になり、

今回は静かにゆっくり過ごしなさいよ〜と言われているような気持ちです。

さて、お客さんからこんなメールをいただきました。携帯からの更新で読みにくいかもしれませんが、

ぜひ、

ぜひ、

全文目を通して見てください。

☆☆☆

真穂さん

こんばんは。

(中略)

真穂さんに改めて感謝したいと思ってメールしています。

いつも調子に乗ってしまう自分、

ただのオンナであることにさえ優越感を感じていた自分、

言われないと気付けなかった自分、

情けない自分、

そういう痛さもそうだし

フラれてみじめな気持ちもそうだし

ここのところずっと痛みをただ感じていました。

いろんな感情がわーっと出てきて

めそめそして過ごしていたのですが

やっぱり指摘してくれた真穂さんに感謝で、

放置してもよかったはずなのにわざわざ時間とエネルギーを割いて

指摘してくれたことがただありがたいです。

本当にありがとうございます。

真穂さんに、私が繊細だって言われて

なぜかそこにものすごく引っかかっていました。

「私は繊細で傷つきやすい」

この言葉がどうにも入ってこなくて????という感じで。

むしろ私は鈍感で図太いと思っていました。

でもそれって自分を強くみせたい裏返しで

「私は強い」はなんか傲慢だけど、

「私は図太い」はちょっと謙遜しているみたいに聞こえる。

そういう外側のことに振り回されない強い私、を装いたかった。

私は繊細、私は繊細で傷つきやすい、と繰り返していたら

最初違和感しかなかったのがだんだん本当にそうだと落ちてきて、

ああそうだった、そうだ、となって

私がすごくすごく見たくなかったところでした。

認めたくないと思っていることすらまったく自覚がなかった。

そういう繊細で傷つきやすい=弱い私を認めてしまったら

もうかっこつけられなくなって、

出来る自分賢い自分でいられなくなってしまうから

それは私にとって死ぬほどこわいことで

何重にも守りを固めて鎧を着こんで戦っていました。

でも私は事実、繊細で傷つきやすくて弱い。

真穂さんにはっきり言ってもらえてホッとした自分がいて

やっと見てくれた、そうだよそれが素の私なんだよって

すごくホッとしたんです。

本当になにもない、ただ生きているだけのただの女で

それでも私は生きていて、

ごはんを美味しいと感じられる味覚があって

こうして文字を見れる目があって

ものを持てる手があって体があって

ただ生きているんだなあと・・・

私は本当は弱いままで幸せを感じたいし

たいしたことない何もないただの女のままで

男性に頼りたい、男性に守られたい。

女でありたい。

私の望みです。そうだってはっきりわかります。

ただ弱いまま、でも女でありたいです。

きれいな服も着たいしきれいにお化粧もしたい。

好きな人に好きって素直に言いたい。

背伸びしないで、かっこつけないで、

男性に甘えて助けてもらって、

バカで素直で可愛らしい女として。

私が一番、馬鹿にしてた種類の女だけど。

事実それが望みで、事実私は弱い女なので

そのまま隠さず、何かを足そうとせず

ただそのまま在ろうと思いました。決めました。

真穂さんにメールしたのも、お礼もそうだけど

逃げ道を塞ぎたい覚悟決めたいからです。

やっぱりやーめた!できなーい!とならないために。

でも本当にありがとうございます。

指摘していただいて、本当にありがたかったです。

自分で気付けないことが情けなくて、

でもまた一つ経験して「自分を疑う」を一回経験できました。

諦めたくないです。

乱文で申し訳ありません。

どうしてもお礼がもう一度言いたくなりました。

お読みいただきありがとうございました。

☆☆(以上、いただいたメールより)☆

「わたしが一番、馬鹿にしていた種類の女だけど」。

本文すべてが

究極に素直な、

本音中の本音に聞こえました。

見たくないものも恥ずかしさも全部認め抜いた先の、

「ただ、わたしの望むように生きていく」

という、

自分や自分のいのちに対する、

気高くて尊い宣誓のように聞こえました。

ただのいのちを、

ただの女を、

ただの自分を、

誰との優劣でもなく、

誰と心の中で闘うでもなく、

誰かとの関係性の中に自分を見るのでもなく、

ただ認め受け入れて、ただただ自分が自分としてまっすぐに生きていくことを

受けとめた人の言葉は、

本当になんて美しいんだろうなあ、って、

泣けてきました。

このことととても対照的に感じたのですがちょうど昨日は、

全く会ったこともない、見ず知らずの方から匿名で、

自分のネガティブな感情の押し売りのようなメッセージをいただきました。

そこには、わたしが以前、学ばせてもらった方とわたしのブログの雰囲気が似ていて、

その方のことをわたしが記事に触れていたことから「やっぱりな」と思ったこと、

「前の真穂さんのほうが良かった」と、

そのような主旨のメッセージでした。

そこには最後に「真穂さんのブログに救われたものです」と書いてありながらも、感謝の言葉も気持ちも微塵も感じられず、

ただただ、

「(わたしが学ばせてもらった)その女性のことが、好きでないんだなあ。」

ということが伝わってきました。

直接会われたことがあるのかブログだけ読んでいたのか、

何かその方に劣等感を刺激されることがあって(勝手に刺激されて)

その方のことが好きじゃないんだなあと。

匿名でメッセージを送ってこられたその方の中に何かの

「正しい」「正しくない」があって、

※その「正しい」「正しくない」も、ただの自分の劣等感を刺激するかしないかの括りわけなんでしょうけれど

自分と劣等感、コンプレックスを刺激しないで良い情報だけ与えてくれるから

「いいな」と思っていた人(真穂さん=わたし)が、

その人のコンプレックスや劣等感を刺激してくるゆえに、その人の目線からはとても「良い(正しい)」とは思えない人から学んで取り入れ、同じような言葉を使っていることが、

なんというのかな、

裏切られたような気がして許せなかったのでしょうね。

別に友人でもなければ知人でもない、

むしろ全く会ったこともない、

わたしの世界にはそもそも存在さえしていない人なのですが。

そんな、そもそも自分の存在さえ知られていない誰か=真穂さん に

ブログだけを読んで勝手に

「マル(“良い”とか“可”とか。)」つけて、

※読んでくれるのは別にいいんですけどね?

それが自分の癪に触るものになった途端、

勝手に「バツ(“ダメ”とか“不可”とか。)」をつけて、

それだけでもかなり

「あなた何様?」レベルの上から目線だよなあと思うのですが、

さらに、

勝手にそのマルバツを押し付けてくる。

あたかも「わたしが正しい」とか、

「裏切られた(わたしはあなたのこと良いと思ってたのに、、、みたいに。)」とか、

ある日突然現れて、

気持ちをぶつけて、

言い捨て逃げて行く。

悲しいことだなあ、と思います。

それは「そんなことを言われた」という類の悲しさじゃなくて、

先ほどのメールを思い出してみて、

同じ「言語」という、「メール(ネット)」という、

同じように人に想いを、

伝えられるツールを同じように与えられていて、

そしてそれ以前に、インターネットやブログの普及で、

自分の望みや想い(変わりたいとか、今の自分を少しでも良くしたいとかいう、自分のための想い)を叶えるヒントも、

同じようにこんなにも無限に与えられていて、

同じものを知って、

同じように憧れて、

同じように、何か取り入れようとして、

そうやって自分の中で起きた心の変化が、

“自分”に残してあげられるものが、

こんなにも差が出るのかと。

前者は、自分の本当の気持ちを見出すことができた悦びや、

怖くても、恥ずかしくても、それでも自分を生きようという勇気を持てた悦び、

人との優劣の闘いを降りることができたすごく穏やかな気持ち、清々しい気持ち、

リラックスした幸福感、

そしてわたしに感謝を向けてくれてますが、

そうやって「おかげさま」って人に素直に感謝できる自分でいられる悦びもあるでしょう。

でも、後者は??

同じようにブログを読んで時間を費やして、

でも最終的には、

勝手に共感できる場、心のよりどころみたいか場や人を失ったような気持ち、

そのことで勝手に裏切られたような気持ちになって、

しかもメッセージを読むに、わたしだけでなくそのわたしが学ばせてもらった方のブログも

随分と読み込まれていたようでした。

ということは、その人のことも同じように最初は信じて、

同じように勝手に傷ついて、

同じように勝手に裏切られた気持ちになって。

自分の周りに、

・わかってくれない!

・どうして!

・前の方が良かったのに!(=わたしはわかってる)

・ほんと、残念。(ハアー。←ため息)

そんな想いを向ける相手ばかりが増えて。

そもそも、心の繋がりさえそこに無いのに、存在を知られてさえいないのに、

それでも勝手に感謝できるぶんには無限に受け取れるけれど、

最終的には勝手に傷ついて、

勝手に被害者意識をもって、

しまいには八つ当たり的に気持ちを押し付けて。

確かに何かを受け取っていた(だからブログを読んでいた、その方にしてもわたしにしても)相手さえ、

最後は悪者にして。

別にそれはいいんだけど(いやわたしは嬉しくはないけども。)、

その自分は好きで、誇れますか?

っていうことなんです。

悦び、嬉しいと思えますか?

っていうことなんです。

そして、そんな想いを人に放ったところで、

人に、

悦ばれる自分で在ると、思えますか?

愛される自分で在る、と思えますか?

っていうことなんです。

こんなにも違う。

同じ女性なのに。

同じいのちなのに。

同じように、輝けるのに。

自分次第で。

(前者のメールをくれたK子さん、

後者の方のメッセージを見たら、

「あ〜、、、こういう時代もありましたねえ。。。…(あるあるネタ的な)」

って苦笑いしそう(^^;;

とゆうか、みんな、思い当たる節があるんじゃないかな。

わたしもそうだったもん。かつては。

そこから自分で変わって行った。

人のせいに逃げることを止めて、自分の責任で生きることを決めて。

わたしがブログだけ読んでいても仕方ないと言ってるのは、そういうことでもある。

そうやって読んでいるだけでは、

血や心の通った交流が無いぶん、

一方的でいられるぶん、

何か自分の中で劣等感や苦しさが芽生えれば、

それを思う自分を見つめ直すのではなく、

そうやって勝手に誰かを心の中で悪者にして、

言い逃げできますもん。

自分の何をも明かさずに。

だけどそれはつまり、

ずっと自分の頭の枠を越えて何をもわかることはできないし、

確かに痛みはないかもしれないけれど、そのぶん、

誰かと縁することで、

もっと素晴らしい本来の自分を開花させることもできない。

こんなことを言われたって、送りつけられたって、

わたしは何もできないし、

その人はわたしにとって、何かを応えたいとか受けとめたいとか思える存在でもないし、

(知らない人なので…。)

そうして同じように連絡をくれても、

わたしのところには、

前者のような、

自分のために、いのち輝かせて生きようと決めた方の清々しい姿を見せて感動を与えてくれる人がたくさんいて、

そんな中で、

いくら可愛げのないひねくれた愛を押し付けられても、

前者からの感動や悦びや信頼の中に、

一瞬で飲まれて忘れていかれる存在。

まず自分がどう自分に誇れる生き方をしたくて、

そしてその上で、人の記憶の中にどう残りたいか?というのはわたしは大切なことだと思っているけれど、

それどころか自分でも誇れないようか、

さらに人の記憶にも留めてもらえないような、

そんなつまんない存在に、

自ら成り下がって。

さみしいみじめな人生だなあと思う。

こんなに同じ、素晴らしいいのちとして生まれてきたのに。

こんなに素晴らしい、無限の可能性を持って生きているのに。

そしてまわたしはそれがどうしても、悲しいよなあと思う。

その人のためを思ってとかじゃなくて、

そんな「個」に向けたものじゃなくて、

ただただ、「人」の「女性」の

素晴らしい可能性を知って信じているから。

自分次第で、今日から変わることもできるのになあ、と。

だからそれを伝えたいだけなんだけどなあ、と思う。

スクールに申し込んでくれた方の中に

「もうブログだけ読んで何か変わった気になっては何も変われてない自分にいい加減嫌気がさして。」

と言ってきてくれた人もいたけど、

わたしもそう思う。

その生き方に、

お金より何より、

「自分が、悲しくはないのか?」ということ。

昨日も何人かの方がスクールに申し込みの連絡をくれて、

わたしはその人が、ただ自分を愛して、この自分に生まれてきて良かったと思って生きたいと思うのなら、

それができると知っているから、

誰もがその奥に、素晴らしい自分をほんとはもう最初から持っているんだと知っているから、

それを知って生きることができることが、どれだけ、

本当は一番尊くて、価値あることかどうかを知っているから、

堂々とお金をいただいて、自分を晒して、

時には厳しいことも言って、

それがわたしの仕事(神様に仕える事)だと思ってます。

人は、自らこんなに尊くもなれるし、

自らこんなに、自分を貶めることもできる。

そうしてだから、愛を受け取って、尊く自分が誇れる在り方、生き方を選ぶ姿を見せてくれることは、これ以上ない悦びで、

そしてまたその姿やわたしの姿に、

少しでも何か心を動かされたのなら、

それを無かったことにしないで、

会いに来て、向き合ってよ。と思う。

勝手に自分の中で、わかれなくて、消化できなくて、

それゆえに曲がって完結させて、

そうして苦しさ抱えて

いつまでもそんな日々を過ごすよりも。

いろいろと思うところを書きましたが、スクール申し込み締め切りはいよいよ明後日までです。

人に生まれてきた一番の悦びを、

一番尊い自分に体感させてあげに、どうぞいらしてください。

心よりお待ちしてます!

【募集中☆申込み締切りは4/10まで】

Just a womanスクール
〜自分を大切に生きる方法〜第二期☆

 

【日時】2017年4月15日(土)13時〜18時

【場所】JR東京駅徒歩10分圏内の貸し会議室

(お申込み者様に直接ご連絡いたします)

【特典】

①Facebookでの秘密のグループページ(参加していることが外側に漏れないタイプのものです☆)でのフォロー(スクール当日から一ヶ月間)

②卒業生向け音声配信サービス4月分の配信

【代金】140,400円

 

【お申込み】

フォームからか、
メール(thanksandhappydays☆gmail.com←☆を@に変更願います)にて、
「スクールについて」などの件名でご連絡ください。

2日以内に事務局より折り返しご連絡いたします。

※2日以上経っても折り返しのご連絡が届かない場合はメールの不具合等ですので、

お手数ですがメールアドレスや迷惑メール設定などをご確認の上、再度ご連絡をお願いいたします

※5月の開催予定はありません(第3期の開催は未定ですが、開催する場合は6月もしくは7月を予定しています)

santasantasan.hatenablog.com