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「すみません、ただのオンナに戻ります」。

オンナはみんな、「ただ、オンナであるだけでいい」。“がんばる良い子な生き方”を止めて、自分を大切に生きたい女性を応援中☆

「神様」の話。

やっとブログで書けそうなところまで言葉がまとまってきたので

書いてみたいと思います。

 

ここ一、二週間ほど、

ものすごく大きな転換期を自分の中で迎えていて。

 

それはこれから先、自分でも自分がどうなっていくのかわからない、

確かにハッキリとした地盤の上を歩いていたはずが、

足元が急にもやがかかって、道が見えないなかを

おぼつかなく歩いているような気持ちです。

 

そしてこの感覚はたぶん、

一年前に、数年間情熱を傾けて学んでいた心の勉強から

距離をおいて、自分で感じるとおりに生きていく、放っていく、と

決めたときと同じ感覚で。

 

これまで当たり前に【自分】と思っていたほどの、

【自分】の信念や常識や生活や日々の判断基準にさえなっていたくらい

気付かないうちに【自分を構成していた大きなもの】となっていたものを手放すということは、

自分が一度破壊され尽くしてゼロになるような感覚です。

 

もしかしたら、長年一緒にいた恋人と別れるときや、

この生き方をはじめて、すごく大事に握っていたプライドや優劣の世界を

「こんなものを後生大事にしようと握っていたのか」と驚愕して手放したときも

同じような感覚かもしれません。

 

あまりにそれが【わたしの大部分であり過ぎ】たので

自分は確かに残っているのに、

ごっそり手放したそれがおおきすぎて、片側を失ってこれからどうしよう、

どうなるのだろう、という感覚です。

 

わたしは確かに今も在って、

これから先も確かに在って、

そうして誰かから見たその【わたし】は、けっして何も変わらないのだけれど、

自分の中ではもうまったく、【確実に、あの頃のわたしではもう無い】ことが【わかって】いるというような

不思議な感覚です。

 

 

もう昨日までのわたしではないことは確実なのに、

何かが確実に大きく変わってしまったことは確実なのに、

 

じゃあ今のわたしは?

これからのわたしは??

 

どう【今】【在る】のか、

それが全然わからない。

 

それは、どう【在りたいか】がわからないのとはまた

似て大きく非なるもので、

 

もう混沌としていて、

【在りたい】の前の【今】の、

【昨日までと確実に変わったわたし】を

【わたし】がわからなくて、

でもその【わたし】はもう、

待ったなしで始まってしまった、

という感覚。

 

ただ前回のそれとは大きく違うのは、

不思議なことに

そうしてその【待ったなしでスタートを切ったわたし】になってしまったことがとてもこわいのに、

 

そのわたしはわたしを裏切ったり置いていったのではなくて、

これからどうなるかもわからない、こわいと思うわたしをも受け入れて、

そのままで先に進んでくれている、という感覚。

【わたしがわたしに、先に、導かれている】という感覚です。

 

この先の自分がどうなるのかわからなくて、

むしろ何が昨日までと変わったのかも自分の中で判別がつかなくて

口で言い表せなくて、

だから未知で、こわくて、

 

だけどそのこわい気持ちがありながらも、確実に、

導かれているその先は、もう、

絶対的に間違いない、

わたしがもっとわたしに戻る場所なんだという深い確信と安心感があるような。

 

揺れ動く【感情】の土台に、

それさえどっしりと受け入れている【感覚】、

どっちもが自分の中にあるような。

 

本当に上手く言えないんですけど、

なんか言葉に表そうとしたら、

そういう感覚なんですね。

 

こうやって自分の感覚さえ、つかめなくて本当にモヤがかかった感じで、

だからここに至るまでにはいろいろなところでサインがありました。

 

これまでみたいに劇的にハデなサインじゃなくて、

こっちだよ、って小声でささやかれるみたいな、本当に地味なそればかりで。

 

で、そのことについては今は順序立ててまだ説明できない感じがするのでまた後日にしようと思うのですが、

 

先ほどお風呂に浸かっていて、

気持ちも頭もゆるんで腰掛けていたらふと、

ああこういうことかもしれない、って思ったことがありました。

(そのまま思い立ってブログで書いています。)

 

わたしは、ちょうど一年ほど前に離れたその心のことを学ばせてもらった場所に対して、

嫌になって離れたというよりも、

【自分】がそこから溢れた、という感覚で、もう難しいな、って思ったんです。

 

当時はそこで提唱していることが

【綺麗事】に聞こえてしんどかった。

 

あまりに清く正しく美しい、そこの学びの中で、

わたしは、

【もっと汚くて、生々しい感情のカタマリの、この自分】を

逆に強く意識しました。

 

誰もが素晴らしいなんて、思えない。

突き詰めるといつも、他人より自分、ということに行き着いてしまう自分。

みんなを愛したいなんて思ってもいない自分。

みんな愛、みんな完璧、なんて思える自分を目指すよりも、

めいっぱい、

あの人が大好きで、

あいつが大嫌い、

 

そんな生々しい感情のカタマリの自分を、

心底丸出しにして、生きたいと思った。

 

【このわたし】を生きたいと思った。

 

【このわたし】で、生きたいと思った。

 

そんな綺麗事から、はみ出て、

ぶち壊して、

あぶれて、

 

思い切りギラギラと【このわたし】で生きてやりたかった。

 

それで思い切り、輝いて、

思い切り、

いろんなものを手に入れて、

 

丸裸のわたしで、

心底感じたい想いがあった。

 

【そのままの”わたし”のままで、生きて、良いんだ!!!!】

 

という想いを、心底、

強烈に感じたかった。

 

こんなにも、【わたし】は【わたし】を生きたいと思っていたから。

その【わたし】がなんなのかも具体的にわからないのに、

【このわたし】を全開に出し切ってこの世界で生きたいと

そういう想いが確かにあったから。

 

 

 そしてそれは、

【ただそのまま】の

【本当はこんなに汚くて醜いわたし】を

許したかったし、

何かに許されたかったということでもあるんですよね。

 

 

だからわたしはあえて、

ものすごい、自我ってやつを、

メラメラに燃やしてわたしは生きることにしました。

 

それこそ、みんなが「そんなのありなの!?」って振り返るくらいに。

 

そういう生き方を貫いた先に、それでわたしが許されたさきに、

同じような想いを持ってる誰かの

希望にもなれるかもしれないとも思った。

 

誰かの【許し】にも、なれるかもしれないとも思った。

 

 

それは、誰に勝ちたかったんでも、

誰に見せつけたかったんでもなくて、

 

【ただ、わたしはわたしとして、ここに在る!!!】

 

そのことを、強烈に表現して、感じて、生きたかっただけ。

 

それで、それがダメならば、いけないことならば、

ズレていることならば、

それとわかるかたちで、何かが必ず教えてくれるはずと思った。

 

全力で人を愛して、

全力で人を嫌って、

全力で自分に正直に生きて、

常識も立派も良い子も全部ぜんぶ燃やして、

 

わたしがわたしを貫いた先に、

どうしたってそうなってしまうなら、

そんなわたしをわたしは全力で生きるから、

それがいけないことなら止めてくれ、と。

 

ただ、わたしがこんなにもわたしとして【在る】ことの中に、

許されない何かがあるなら、それは、

常識じゃなくて、人間としての何じゃなくて、

宇宙の目線でいのちの目線で裁いてほしいと。

 

そうしたらわたしは、

こんなにもただわたしで在って生きることを

そのとき初めて諦めるから、と。

 

ちゃんと、全部受け止めるから、教えてほしい、と。

 

そう思って、全力で【わたし】で在り尽くしてみました。

欲望もギラギラ燃やして、

とことん、やりたくないことはやらないで。

 

余談ですがわたし、そもそもそんなに物欲とか、

強くないほうだと思います。

それでもお金とか、物質世界の繁栄にものすごくこだわったのって、

それをブログでもたくさんはなってきたのって、

愛されてることを証明したかったんだろうなと思う。

 

何をやっても、どんな自分で在っても、なんの制限も制約もなく、

ただ、愛されるんだよ!ということを。

 

誰よりもわたしがわたしに、

とことんまでに、染み込ませたかった。

その確信を。

 

きっと本当はみんな、根底のいのちとしての欲求はそこなんだろうけれど、

そこは今はいったん置いておいて。

 

 

 で、一年間そうして過ごしたその結果は、皆さんも御存知のとおり(?)、

 

与えられることしかなかった。

受け取ることしか無かった。

 

拍子抜けするほどに。

 

むしろ、自分だけでは飽き足らず

「わたしだけだったら証明にならない!!!」と

その証明したいものを

仕事にしてお客さんを得て、

そうして人をまでも(良い意味で)巻き込んで、(良い意味で)実験台にして、

やり尽くしてみても、

素直にそこを受け取ってくれた人もまた、

愛され与えられてるとしか、思えなかった。

※ときにブレて、戻ってしまうことがあったとしても^^

 

 

だから、なんだと思うんですが、

 

一年経って、この数週間で、

 

ほんとうに、わたしの中に、

 

その【自分】へのこだわりが

 

消えてしまったんですね。

 

え!昨日までのあの情熱はなんだったの!!

っていうくらい^^;

 

気づいたら、綺麗に消えてしまったみたいなんです。

わたし、本気で何か自分がおかしくなったんだと思って。苦笑

 

だけどここ数日、

ただその自分の変化を淡々と受け入れていったら

きっと、こうじゃないかな、ってことが、わかったんです。

 

もうこれ以上の証明はいらないだろう、と

やっと思えたんだと。

 

もう、やりきった。

 

これ以上、

ただ存在しているだけで、愛されているって証明は

もういらない、って。

 

わかった、と思いました。

 

そんなに、

端から端までやさぐれてみなくっても、

そのわたしで在っても愛されるんだということを、自分の中に、

染み込ませたくて染み込ませたくて、

 

それが本当に、

染み込んだ。

わたしの中に。

 

ちゃんと、ずっと、

 

どんなわたしにも

 

変わらず愛は降り注いでいたんだってこと。

 

心底それが、静かに染み込んだから、

わかったから、

もう、いーや。

 

そう思ったんだろうと。

 

「なにをどこまでどうしても、愛されるのか。」

「それは、ほんとうに変わらないのか。」

 

 

わたしの、全力の、人生かけた

神様たる存在への反抗期は、

 

試してやろう精神は、

 

ものすごい自我のエネルギーのかたまりは、

 

ある日あっさり、

本人もおもいもよらないタイミングで

終わりを迎えたのでした。

 

※そして、人生かけた、それこを人をも巻き込んだ反抗期をしていたことさえ、

終わってから気づく…。

 

 

そうしてわたしはすっかり、

根こそぎからっぽになった気がしました。

 

まるでバリバリに働いてきた結果、

定年を迎え退職をして放心してしまった

団塊世代のおとうちゃんたちのよう。

※たとえ、それか。

 

仕事をしていればいつもの情熱は湧くし、

美味しいものを食べれば、可愛い洋服を買えば、

楽しいし、嬉しいし、しあわせで、

それが無くなってもいいとは思わない。

 

だけど、

本当に欲しくてほしくて、

軽やかに笑いながらもどこかで必死で答え合わせがしたくてしたくて、

それがある日あっさり、

もういい、と思えたことのでかさは

はんぱなかった。

 

そしてそれは、

感情よりも先に、感覚で、わかった。

 

それで当時のわたしにとっては、【その感覚】は、

もっともっと【先】にあるはずだった。

 

もっともっと、いろんなものを手に入れて、

もっともっと、女性として輝いて、

 

もっともっと、圧倒的に全てを味方につけて、

 

そうなったらきっと、この賭けは勝ったのだと。

 

そう思えるんだろうなーと、思っていました。

 

まさに、勝利!!!!みたいな

ものすごい達成感とともに

味わえるものなのだろうなーーーと、思った。

 

 

でも、事実は、

ちょっとただのオンナに毛が生えた

やっぱりどうしたってただのオンナのまま、

ものすごく、「ああ、もうだいじょうぶなんだ」って

ものすごく静かに思えて、

それが終わった。

なんにも変わらない毎日の中に。

 

そしてこんなちっさな賭けを、

ちっさなゲームを、

 

大きなもの相手に、試してやろうとすることさえ、

 

そんなことさえ与えられていたんだなあと。 

 

そうしてやってきた、燃え尽きた感。

何をしていても楽しいし、幸せだけど、

ぽっかり穴があいた感。

 

自分の中でとても求めていた

【この三次元で、

どれだけ豊かになって、

どれだけのことを得られたか?

どれだけの世界を知れたか?見れたか?体感したか?】

 

そんなことが、

ものすごく、どうでもよくなった。

 

あんなに行ってみたいと思っていた海外にも、

日本からこのまま一歩も出ずに死ぬことになっても、

別にいいか。とさえ、思えてきた。

※行く機会があれば、もちろん行きたいとは思いますよ

 

とほぼ同時に、

今まであんなに尊敬し、憧れていた

この物質界で【個】をどこまでも豊かに輝かせている人にも、

急に何も感じなくなってしまって。

(それを、「これ、何かの嫉妬心からか…?」「何か自分に、やましさがあるんじゃないの?」と必死で疑ってみたり…今もまだちょっと観察中ですが^^;)

 

可愛いものも、美味しいものも、

欲しいものなら今もいっぱいある。

欲望は別に尽きない。

でも、そうなんだけど、そうじゃない。

 

何かが確実に、自分の中で変わった。

 

 

そうしてその先に何があるのか、まったくよくわからないまま過ごすこと数週間、

すごく思ったことがある。

 

【綺麗事】をものすごく嫌って、

だからこそ泥臭い、雑味ある、

人間くさい、感情まみれのわたしでとことん生きてやろうと決めた一年前。

 

でもそんなわたしが、

今きっと、

綺麗事の大地に、戻ってきつつある。

戻ってきたいと思いつつある。

 

【神様】とか【調和】とか【愛】とか【感謝】とか。

 

反吐が出るわと思っていた綺麗事のようにしか聞こえなかったそれらの言葉が、

感情まみれの好き嫌いまみれの、エゴのかたまりのような自分を制限し、否定するものだと思っていたそれらの言葉が

それゆえにとても苦しくて、

自分の中で封印して、

そんな【綺麗事】をいかに使わずして大事なことを伝えていけるか、

汚いままにそこに行きつけるか、

 

そんなよくわからない挑戦をし続けたこの一年間、

ぐるっと回って、

 

この泥臭い、人間くさい自分と綺麗事が、それこそ

【調和】しつつあるんだ、と思った。

 

むしろわたしを制限する、否定する、だからこそ自分の中に苦しさを生む、

自分の対極にあると思っていた”それ”は、

そんなわたしをも、丸ごと包んでくれて、

最初から受け入れいてくれていたことが

わかったから。

 

制限ではなくものすごい自由へ、

否定ではなく最大の肯定へ、

苦しさどころか究極の安心と充足感へ、

 

わたしを最初から包んでしめしてくれてたってことが

わかったから。

 

それに気づいたら、 

あれだけ、

自我のかたまりの自分と、

清く美しく響く【綺麗事(に聞こえる言葉の数々)】、

 

まったくの正反対で、

両極にいて、

その間に確固としてあると感じていた、ものすごく分厚い壁みたいなものが、

今、無くなろうとしてる。

わたしの中に。

 

そして今、

このどろくさいわたしのままで、

その綺麗事を

全力でつたえたいと今、思ってる自分がいる。

 

まったく真逆を見て、

全力で【この自分】で走って生きたわたしだから伝えられる言葉があると、

つたえたいと、

思ってるわたしがいるんだなと。

 

わたしが、思い切りわたしを生きることで、

そのわたしで感じられた、

神様っていうものを伝えたいと思った。

 

それは、愛と言っても情愛ではないし、

与えてくれるといってもわたしたち人間が思うそのかたちとは違うし、

だけど最初からとても自由で、

最初からとても愛されてるしかなくて、

その中で不安に思ったり、誰かを憎んだり羨んだり、

試行錯誤してみることさえ与えられて許されてること。

 

そういうことを、伝えたいんだと思った。

それでみんなが、

もっともっと安心して、きたない(と思える自分)のままで

全力で安心して

生きてもらいたいと思った。

 

それはきっと、今まで伝えてきたことと表面上は大きく変わらないのかもしれないけど、

根本がもう、

全然違う。

 

そういうわたしに、わたしは生まれ直ししたんだと、思った。

 

 

もう、まるで予期せぬ自分過ぎて、衝撃です。

 

自分の中で、とんでもないビックバンが起きた。笑

 

 

ものすごく、自分が意味もなく忌み嫌って

避けてきたものたち。

 

その尊さを、こんな自分のままで、こんな自分の言葉のままで伝えたいと思い始めた自分に驚愕しかなくて、

とゆうか認めたくもなくて、

でも今日わかったのは、

そういうこと。

 

なんとなく、一年前のあのときからわたしはずっと、

自分は神様に背いてるように思って生きてきました。

 

だって「神とか、くそくらえ!」「まずは自分だろ!」って思ってましたからね。苦笑

まずは自分、というのは今ももちろん変わらないけど。

 

だからどれだけお客さんに感謝されて、喜ばれても、

いわゆる天国、みたいな神様のいるところにはわたしは

ぜったい違うんだろうな、と思っていました。

(※別に地獄にいくとも思ってないけど…)

 

それでも、わたしは、両親やご先祖様からもらったこの肉体で、

この【わたし】で、

生きられればそれでいいし!と思ってたんですね。

 

それでそれなりにしあわせだった。

 

でもわたし、認めます。

 

それだけじゃイヤだ。

 

神様に、愛されたいです。

 

いや、愛されてないと思ってるんじゃなくって、

これで満足がいかないってことでもなくて、

愛されていてもなお、

それを当たり前と思っているのでもなく、

 

「わたしはわたしがよければそれでいい」

「自分が自分を愛していればそれでいい」とずっと言い続けていても、

そうしてその結果、どんなに周りの人から愛してもらえている人生を今、

事実享受できていても、

それでも、

【神様にも、愛されていたいと願っているわたしがいる】ということを、

認めます。

 

自分が自分を一番に愛することで

たとえ人が何人離れていったとしても、

そのことには仕方ないと、諦めがつくと思う。

※事実は、この一年間、離れられるどころかますます愛されることしかなかったとしても。

 

だけど、

人が何人離れていったとしても、

神様だけは、

見放される生き方を、

わたしはできない。

 

そうしてそれは、自分を生きる、ということと

突き詰めればとことんまでにイコールになること。

 

それこそ、【このわたし】っていう個の自分を尊重して、

自分を大切に愛して生きることと

ものすごくイコールでしかないってこと。

 

それがやっと、わかったんだと思う。

なんだかとても、深いところで、感覚として。

 

 

何が驚愕で認めがたいかって、

【このわたし】が

【いわゆるそういう清く美しいものに対して、とことん斜めに見てきた反抗的だったこのわたし】が、

こんなにも

宗教心のある人だった、ってことですよ!!!

※特定のいわゆる宗教の信仰はございません

 

でもこれぞまさに、

ただのオンナなんだろうなと。

 

自分の力で生きてるわけではない、

生かされているだけの、

ただただ愛されたい

ただのオンナ。

 

先日の記事でちょうど【神様に逃げるな!!!】というお話をしましたが、

そのことと一切矛盾は(わたしの目線では)無くて、

 

そうやって大きなものに逃げずして、

目の前の【わたし】からコツコツやってきて見えた、

個であり、全体だから。

 

もう、証明ゲームはおしまい。

この記事を読んで、

【神様】という言葉に、

何かわたしやわたしの伝えたいた事が

誤解されるこわさが無かったわけじゃない。

 

だけどそれでも、

わたしはわたしのままに

でも生きながら生まれ変わって

その新しいわたしで生きていきたいから、

【今】生まれ変わったわたしの思うままを

これからも嘘無く飾らず綴っていきたい。

 

そうして、関わってくれるひとにも、そのことを、伝えて生きていきたい。

スクールの内容も、少し変わるかもしれませんし、変わらないかもしれませんが、

根底の見ている目線が変わった中で、大事なことを再度伝えていきたいし、

きっと今のステージが、

縁してくれる人にも必ず、最良に完璧になると信じてます。

変化のたびに、どんなに怖くても

今までもずっと、完璧で最良にしかならなかったように。

たったひとりでも、この記事の想いが

誰かの心の琴線に触れて

その人が自分のために

何か動き出してくれますように。

 

こんなにも、ただのわたしで、

愛されて受け取れる自分で生きることができる悦びを、安息を、豊かさを、

わたしは多くの人に伝えたいです。

 

以上、今の気持ちをしたためて、記事として公開したいと思います。

長文お読みいただき感謝を込めて。

自分としてはとても大きな転換期で、

自分の内に集中してこもりたく、

メールの御返事等滞っていてすみません。

徐々に返していきます。

それでは、今日も素敵な一日をお過ごしください。

 

【募集中☆申込み締切りは4/10まで】

Just a womanスクール
〜自分を大切に生きる方法〜第二期☆

 

【日時】2017年4月15日(土)13時〜18時

【場所】JR東京駅徒歩10分圏内の貸し会議室

(お申込み者様に直接ご連絡いたします)

【特典】

①Facebookでの秘密のグループページ(参加していることが外側に漏れないタイプのものです☆)でのフォロー(スクール当日から一ヶ月間)

②卒業生向け音声配信サービス4月分の配信

【代金】140,400円

 

【お申込み】

フォームからか、
メール(thanksandhappydays☆gmail.com←☆を@に変更願います)にて、
「スクールについて」などの件名でご連絡ください。

2日以内に事務局より折り返しご連絡いたします。

※2日以上経っても折り返しのご連絡が届かない場合はメールの不具合等ですので、

お手数ですがメールアドレスや迷惑メール設定などをご確認の上、再度ご連絡をお願いいたします

※5月の開催予定はありません(第3期の開催は未定ですが、開催する場合は6月もしくは7月を予定しています)

santasantasan.hatenablog.com