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「すみません、ただのオンナに戻ります」。

オンナはみんな、「ただ、オンナであるだけでいい」。“がんばる良い子な生き方”を止めて、自分を大切に生きたい女性を応援中☆

そう、「生かされて」いる。【と、いうことは??】【つまり、それならば!?】

そうそうそう!!

あとちょっと!もう少し!

 

というところで勝手にやきもきし、

勝手に引用!

ごめんSさん!

 

昨日のわたしの記事に、ある卒業生(Sさんとします)が

こんなブログを昨日今日と更新してくれました。

daijyoubu.hateblo.jp

 

daijyoubu.hateblo.jp

 

(※ちなみに昨日のわたしの記事全文はこちら)

↓ 

santasantasan.hatenablog.com

 

で、上記Sさんの記事より一部引用。

「今、ここに”生”を受けていること」

 

「この場(世)に生かされていることだな~」

 

そう。

そう!

そう!!!

 

わたしたち、今、ここに”生”を受けている。

この場(世)に生かされている。

 

それだけでありがたい。

 

そしてその時点で

「生かされている」ならば、

 

わたしたち、どうしたって、

「ただの人間(ただのオトコ・オンナ)」なんです。

 

何をできようが、できまいが、

社会の物差しの中で、どこに位置していようが!!

 

わかりやすく、「がんばらないとできないならば」とか今の社会の物差しの中でたとえてはいるけれど、そもそものそもそもは、

そのことを言っているんです。

 

 

で、つまり、

 

それならば?

 

と、いうことは?

 

(ここからが一番大事な話。)

 

「今ここに”生”を受け、

この世に生かされている」ならば。

 

その”生”はどうしたって、

ただ何もせず

持続しているはずはありません。

 

心臓が、動いているから。

肉体が、稼働しているから。

 

それは栄養素が送り込まれ、

その栄養素は食事としてわたしたちの身体に入り込みます。

 

そうしてその食事は?

どうやって手に入れていますか?

 

手作りにせよ、外食にせよ、その原材料は

【お金】で買っているはずです。

 

じゃあその【お金】は?

 

【仕事】から得ているはずです。

 

そうだ、【自分が仕事で働いてお金を稼いでいるからだ】???

 

 

違うはずです。

 

第一に、雇ってくれている雇用主がいるはずです。

 

無借金経営のところもあるかもしれませんが、

銀行から借り入れをして負債を持っている雇用主がほとんどだと思います。

 

そしてその借入の保証人は、中小企業であればその社長の個人名義であることも

少なくないと思います。

 

何十人何百人雇用していようが、

その雇用者とその家族の生活を支えるリスクをしょってるのは雇用主です。

 

あなたが、どんなに優秀でどんなに汗水垂らして働いていたとしたって、その、

雇用主が全てのリスクを引き受けて、

すでにシステムやある程度の枠組みが完全に整えられたハコの中で、

 

さらに売上をあげるとか、

さらに周知を広めるとか、

ちょっと社内のにシステムをアップデートさせるとか、

 

そんな、すでにあるハコの中で、ちょっとしたことをやってるだけです。

繰り返しますがどれだけのタスクを抱えていたとしても、

どれだけの実績があったとしても、

どれだけの優秀さであったとしても。

 

そんな、【大した事ない】ことです。(あえてそう書きます。)

どんなにあなたが優秀で、辞められたら惜しい人材でも、

あなたがいる前から組織は機能していたし、

あなたが抜けることで廃業することはまずない、

それくらいの大した事ない影響力です。

 

その中で、日々のあなたの【生】を維持し、作ってくれてる、

その一番わかりやすい例が

【仕事】ですよね。

それに【生かされて】います。

 

だったら。

 

それをもっと大きな、別な単位にしていくと、

両親とか、地方自治体とか、国とか、世界とか、ご先祖様とか、宇宙とか、神とか、

どんどん拡げてそこに【生かされている】と見ることはできますけど、

一番ちいさい【仕事】っていう単位の目線でさえ見ても、

ここまでを前提に見ると、

 

 

感謝する対象者(代わりに仕事をしてもらった人など)がわかりにくい、目に見えないようなものだと特に、

・『私の』おかげ

・『私の』チカラ

になってしまっている。

 

この目線はどうしたっておかしいと、

そういうつっこみが出てくるはずです。

 

あえて厳しく書くけれど、

 

これがどれだけ小さな世界か?

どれだけ小さな世界での、【自分すごい】か?

自分の目線が、いったいどれだけ狭くて小さいのか?

 

ここで言うなら

【感謝する対象者となる何かをしてくれた人】と【自分】っていう、

おそろしいほどに狭く小さい目線(視野)。

 

その目線のずっと先、ずっと大きいところで、

そもそも雇い主がリスクをしょって、お給与を出して、ときにその人が働いていない・働けないぶんまで(有休とか)支えてくれてるからこそ、

 

そんな「わたしが(すごい)」「オレが(すごい)」っていう

小さい目線の引っ張り合いの遊びをしていられるだけなのに。

 

そしてたぶん、自分を疑っていないからずっと

この目線(視野・世界)の中での「どっちが」「こっちが」の発想になってしまうんです。

六大学が、国公立大が、とかになってしまうんです。

大企業で優秀だった人が、優秀でいられなかったわたしが、とかになってしまうんです。

 

結果、自分がずっと、苦しいんです。

 

その外を、もっと大きい【おかげさま】が【感謝】が

確かに存在としてあることを疑えないから、ずっと、その目線なんです。

 

そういうことを言っているんじゃない。

 

そんな狭い視野の話をしているんじゃない。

 

 

そしてその先の、一番大きな目線は、

神様や宇宙という【目に見えない存在】への【おかげさま】に【感謝】に、

確かになります。

 

それを持つこと自体は絶対に、悪いことじゃありません。

わたしもいつも、思ってます。

 

だけど、その一番てっぺんとの、一番大きい存在との、間の部分。

 

実際に、自分の生をつなげてくれている、

事実存在している

親や、雇い主や、上司や、周りの人。

 

なぜそこは、自分の中から端折られるのか?

 

なぜそこの目線まで落ちようとすると、狭い目線での引っ張り合いになるのか?

 

 

逆を言えば、

なぜ神様や、目に見えない大きな存在なら、素直に感謝できるのか?

 

 

それは、神様や、宇宙さまであれば、

 

目障りじゃないからです。

 

鼻につくことが、無いからです。

 

自分の劣等感を、怒りを、被害者意識を

刺激されることがないからです。

 

存在が、確固たるものとして無いゆえに。

 

 

それゆえに、【そこ】になら、

カンタンに感謝がしやすい。

 

だから、目の前の、身近な誰かに素直に感謝できないかわりに、

おかげさまと思えないかわりに、

体よく神や宇宙を持ち出して、

【感謝できている自分】を取り繕う人の多いこと。

※その「感謝」自体は疑っていませんよ。確かに感謝してるんだと思いますみんな。

 

 

気持ちいいですから。それは。

 

神は何も、刺激しないでくれますから。

 

自分の劣等感も、プライドも、優越感も、握っていたい被害者意識も。

 

 

そうして自分を【感謝やおかげさまの気持ちに溢れている人】とごまかせる、

かっこうの材料ですから。

 

 

で、わたしはここだと思ってます。

こんなに世界で宗教が信仰されているのに、

【愛】が【感謝】が【大いなる存在を敬う気持ち】が大事だとされながらも

【まずは隣人を愛せよ】と、無宗教のわたしも知ってるくらい、言われていても、現実は、

戦争も、いじめも、くだらないマウンティングも何もかもが、

この世に存在するのは。

 

この世から、無くならないのは。

 

それさえも、その美しい響きが

体よく

自分のごまかしに使えるから。

 

 そんなの、もう、やめよう。

 

人類の歴史、ウン万年←わかってない

そんなことは、もうやめよう。

 

そんなことに、自分の可能性を、

この「生かされてること」を「生かされてるいのち」を

使うのは、もう、止めよう。

 

 

Sさんがそうだ!!ということじゃなくって、

記事がダメ、とかそういうことじゃなくって。

 

そして「自分を疑う」「自分を明らめる」は

ここまで。

ここまでを、見ていってほしい。

そこまで、自分を見ようとしているか??

そういうことなんです。

 

それが、そんな真逆に思える行為が、

ほんとの意味での、

自分を大切にする=自分を構成している、生かしてくれている周囲をも明らかに見る ってこと

生まれてきたこのわたしを、

大切に生きるということだと

わたしは思っています。

 

※それができないと、しつこいけど、ほんとの意味で全部の力を借りて、自分を生かしていくことができないから。

また、自力でやらないといけなくなり、そのことで他人を責め始め、結局は自分が息苦しいです。

 

 

生かされている、それならば、

必ず自分を今日まで生かしてくれている

その材料?を

自分に日々調達してくれている【誰か】が

必ずいるはずです。

 

【ただの人間】【ただ、生かされているだけ】ならば、

どうしたって。

 

「ああ、なになにさんありがとう〜〜〜!!」

なんて愛と感謝に溢れなくたって、別にいい。

 

ただ、それが事実だから、

事実として受け入れて、

そしたら優劣の世界なんて、「止めよう」と思わなくたって

ほんとうにくだらない!ってなりませんか?

「ああホント、生かされてるから生きられているだけの、ただのオンナだわ」って!

 

 結局はそれが素晴らしいとかどうとかじゃなくて、自分が、

生きやすくなると思うのです。

 

ただ自分として、生まれてきて、

何も持たなくても、持てなくても、

最初から愛されていて、

HAPPYである。

 

誰と比較するでもなく、

唯一無二の自分として。

だからこそ、嬉しい。有難う。おかげさま。

だからこそ、やりたいように、生きたいように、

自分の心のままに、生きる。

 

それを、みんな、感じたいんでしょう?

望んでいるんでしょう?

 

 

そのために、とっても大事でとっても見逃しがちなところ、

伝えたくて、Sさんにまるで魔女狩りみたいな犠牲になってもらった感じですが(ごめんSさん)

本当はこれだって、Sさんにわたしが引き出してもらってる。

 

Sさんは、お母さんに虐待されていて、

セッション受けにくることで、そのことで親と縁を切ったことを

「別にいいじゃないですか(縁切っても。)」ってわたしが言ったこと、

誰かにそう言われたくてわたしのとこに来てよかった、って言ってくれた。

 

でも、わたしは、そうじゃないと思う。

それだけじゃないと思う。

 

Sさんの魂みたいなものは、本当は

もっとその奥を求めてると思う。ずっと強く。

 

本当は、もう、こんな世界止めたい。

お母さんのことを、許す、じゃなくて、

その過去に、気持ちを翻弄させることで、優劣の世界から抜け出せない今を

さっさとやめたいと思ってると思う。

人より劣っていた(恵まれなかった)過去があった(と自分では思っている)から、

勝ちたい(得たい、自分の手柄にしたい)、と、

どうしてもそこの物差しから抜け出れない自分を

もう止めたいって、ぜったい、思ってる。

 

Sさんは自分のこと傲慢って書いていたけれど、

傲慢でいなければとても保てない、

その奥の悲しみが、あまりに強いからでしょう?

そこを守ってあげたくて、傲慢にならざるを得ない。

 

でもそのゲームさえも、もう、つらいんでしょう?

全部丸ごと、捨てたいんでしょう?しがらみも、執着も。

 

そこに、あともう一歩だと思う。

イタいけど、進む一歩があると思う。

 

それで、その一歩を、

わたしの思うとおりのペースで進まなくてももちろん良いし(そしたらわたしが傲慢だわ!!)、

すでに今日、そのことに自分で気づいているかもしれないけれど、

 

今、Sさんが素直に思うことを放ってくれたことで、

わたしに芽生えた想いがある。

それはもう、「あなた=わたし」だから

それはわたしの言葉のようで、

Sさんの奥の奥が、わたしに産み出してくれたものかもしれない。

 

だからそれを、書きました。

「Sさんのため」なんて綺麗なものですら、きっと無い。

むしろわたしが、受け取って、この記事を書きました。

ただ、それだけ。

 

それでは今日もお読みいただき感謝を込めて。

良い一日を、お過ごしください。