「すみません、ただのオンナに戻ります」。

オンナはみんな、「ただ、オンナであるだけでいい」。“がんばる良い子な生き方”を止めて、自分を大切に生きたい女性を応援中☆

わたしたちみんな、【この感覚】を得たくて生きている。現実の”何かの享受”は、その積み重ねの副産物。

昨日、3月3通目の音声を配信させていただきましたが、

その補足になるようなことがスクールのフォローページで出てきたので、

またまた貼り付けておきます!

なぜわたしがこんなにも、自分をただ見る(明らかに見る)ことをしつこく言うのか、です。

 

スクールでお話ししたことを日々実践していく中で感じたことを投稿してくれた

あるスクール生(あやこさんと言います)に対して、

わたしが深掘りして質問したところから始まっています。

 

ちなみに彼女はスクール当日に

「自分が(どうしたいか・何が好きかもわからなくなってることから)不感症で…」と話しをしてくれたことから、

「不感症あやこさん」と名付けられたのですが^^;、

下記のやり取りを見てくださればわかるとおり

見事その名を撤回しました!

おめでとうあやこさん!♡

 

※文中の「あやこさん」をわたしがうっかり漢字記入してしまったので、

一応伏せ字にしてあります

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ポイントは

 

「こんな事感じていたんだ~って自分で自分を知れた事が、

それが絶望でも不感症の私にとっては嬉しかった」

 

というところ、

 

「正直ほっとしている自分も居た」

 

というところ、そして、

 

「そうだよねって、やっと自分を認めてあげられたというか。
そうすると憑き物が落ちたような感じ?がして、ストレートな自分の感情が出てきたんです!
自然と涙目になって、人間らしさを取り戻せたような感覚でした。」

 

っていうところです。

ここのあたりが、以降、わたしが「その感覚」と言っているところです。

それでは続きをどうぞ。

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(最後消えちゃっていますね(汗)「人との比較というのが」です!)

 

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上記の投稿、大事なとことか太字にして以下にもう一度貼り付けますね!

(基本、同じ文章です!)

すごいすごい!ひとつのステージを抜けましたね〜!

ほっとしている自分、人間らしさを取り戻せたような感覚、
今のその感覚に至れたこと、何よりもバッチグーです。

そしてそれは、これからも、

引き続き自分のことを見てあげられたときに湧いてくると思います。

 

むしろノートに書いて自分のことを明らかに見てくださいというのは、

この感覚を得るために言っているんですね。

書いた結果、絶望!!止まりとか、自分を責めるとかでは、

全然意味が無いというかむしろ見当違いなんです。


上手く伝わるかわからないのですが、

そしてわたしもまだ自分の中で解読中のような段階なのですが、

【その感覚を得ていくことこそが人生の目的】というくらいのものだということです。

 

本当はわたしたち、その感覚を何よりも求めて生きています。

 

その感覚が深まれば深まるほど、喜びというか人生の幸福度が増しますし、

なんとゆうのかなあ、

「その感覚を深めることを求めて生きていくこと」を基準というか目的としていくと、

必ず同時に(勝手に)

自分の望むものを自分で叶えていくことにも勝手になっていくはずです。

 

(巷でいう、自分の望みをなんでも叶えていく!高級なものを買う!とかは、

結果としてそういう行動になったのなら良いのですが、

そこにその感覚を都度感じられること、深められることが伴わないと、

いっときの達成感はありながらも、いわゆる持続的な満足感幸福感も得られにくいはずです)

 

そして目的をその感覚を得るということをいつも頭の片隅に置いておくと、

そしてそのことに夢中になっていくと、

人との比較というのが消えていくはずなんです。

 

劣等感とか優越感とか、あの人と比べてどうとか、

被害者とか加害者とか、他人の目線とか、何かをはかる数字とか、

そういう相対の世界が自分の中に存在しなくなります。

 

もっと平坦に言うと、あんま気にならなくなります。

それは確かにあるんだろうけど、あんまどうでもよくなります。

 

そのときに、不思議なんですが(ココロの中で拒否さえしなければ)、自然と、

測っていないそれらも織りなすように自分の人生の中に入ってきます。

 

というか自分も自然と、そこも得られるような行動が自然にできていたりします。

やらなきゃ!とかではなく。

 

わたしで言うなら旦那さんは好きだけど旦那さんに愛されようとしていない(旦那さんの愛を測ることはしない)けれど愛されるとか、

お金は好きだけれど収入の多さ云々で自分の価値が増減しない(そこで測らない)けれど結果として余裕のある収入があるとか、

そういうことです。

 

というかそれも、自分がその感覚をただただめいっぱい感じたくて、自分と向き合って、

その結果、勝手に深化していったさきに、

その結果として創造されていった副産物という感覚です。


なので創造の地場というか発生地はあくまで【その感覚】なんです。

 

だから、あやこさんの今いったん至っているところは方向性としてすごく良いし、

むしろ間違いないんです^^

 

 

 ☆☆(以上、Just a womanスクール第一期、Facebookフォローページより)☆☆

 

 

…どうでしょうか、伝わりますでしょうか?

で、だから、の

「ちゃんと自分と丁寧に(紙に書くことによって)向き合って、

自分を明らかに見て!」

ということなんです。

※昨日の音声のテーマが、しつこいけどまたここだったので。。。

 

そしてこのことをブログに書いたことは無いかもと言ったのですが、

どちらかというとあやこさんの投稿に引き出してもらって

このことがやっと具体的に言葉に表現できた、という感じです。

 

(とってもわかりやすく書いたつもりなんだけど、どうかな。。。

これが今のわたしの最大限です^^;

そしてきっと、やって続けていく人にこそわかる感覚ではないかと思われます!)

 

で、だからこそ

本当はわたしたち、その感覚を何よりも求めて生きている からこそ、

人から大切にされない現実もまた、

わたしたちにとって苦痛なんです。

 

しかし、他人を変えることも動かすことも、基本的にわたしたちはできない。

 

だけれど、自分で自分を明らかに見たり、受け入れることで、

そこをクリアするどころか現実も創造していくことがわたしたちはできる。

 

(ちなみにこの”受け入れる”の意も、

コースやスクールを経て自分で【感覚】として【体感】した人は

巷でよく聞く【受け入れる】とは似てまったく非なるものだということも

【感覚として】感じていただけてると思います。

で、そういう違いがわからないから、

自分でやっていても、文字だけの情報で学ぶことには限界があるし

誤解もどうしても出てしまう=結果が伴わない っていうことなんですよね。余談ですが。)

 

 

ちょうど先日、パートナーシップに関して、

 

どうしても相手に大切にしてもらえない。

でも、それでもどうしてもその人が好きで、離れたくはない。

 

という狭間にいらっしゃる方のお話を聞いて、

「でもそれが(わたしの)好みなので。

(だから相手から大切にされなくても、わたしはこの人がやっぱり好き)」

ということをご本人も言われてたのですが

 

この【好み(だから相手から自分を大切にされなくても、自分の愛ゆえの行動が相手に届かないどころか誤解されても、それでいい)】ということが、

わたしもずっと【全部その人の好み】ということを提唱してきながらも、

どうしてもしっくりこなかったんです。

 

で、このことをあやこさんのおかげで言語化できて、わたしの中で

「やっぱりそれはおかしい」って結論になったんです。

 

だってわたしたち、絶対に誰もが、どうしたって、

その感覚を得たくて生きている。

 

そのために恋をし、そのために買い物をし、

そのために努力する。(ほんとはね。)

 

なのに好きだから大切にされなくても、

良かれと思ってしたことをことごとく誤解され批判されても

そういう関係性が自分は【好み】だとか、

あり得ないんです。

 

その人の人生の選択を否定してるわけじゃなくって、

それは【好み】の問題で片付けるのは違う、ってことですよ!

結果として、それでも優しいときもある彼だったということを思い出したとか、

それならまた話は変わってきますが、

そんな【好み】は

人類の初期設定にもともと装着されてません!っていうことを言いたかったんです。

 

それは何かどこか人生の途中で発生した何かの設定ミスによる感情(感覚)です!と言いたかったんです。

 

(一応ねんのためですが「その好きはホントの好きではない」とかってことではないですよ。そんな小さなところのこと言っていませんよ…!)

 

 

そしてこれはまだ、わたしの中でも検証が必要というか、確かではないけれど、

人を見下したりしたくなるとか、

変にドヤりたくなるとか、

ハートマークつけながらもいろいろ誰かに向けて言ってやりたくなるとか、

 

わたしも過去にやってしまっていたお恥ずかしいこれらも

たぶん、やっぱり全部、

過去の何かの設定ミスによるフェイクです。

おそらく、対他人が、そこに発生するものによる「して(言って)やりたくなる」ことは全て。

 

 

今回、というか一昨日、わたしはものすごい

絶望とも違う、

一度全てを破壊尽くされたような感覚があったんですが、

そんで昨日とかちょっと死んでたんですが(脱力しすぎて)、

その破壊された部分が、たぶんコレ↑です。

 

そうしてそう思ったら、

今までスゴイと思っていた人、学んで取り入れていたこと、当たり前にやってたこと(むしろ良いとさえ思っていたこと)、

疑うべきところが出てきました。

 

そしてそれは、

誰かが悪いとか、嘘があったとか、その相手を疑うとかではなく、

ただただ自分。

 

むしろ、本質の核の部分だけ切り取らせてもらって、

もっと自分に還る時なのだな、という、

存在と、縁してもらったことへの感謝だけが残る感覚。

 

 

で、その過去の設定ミスをわたしがクリアーしていくのは、

そうじゃないと嫌だからとか、

聖人君子になりたいとかではなく、

もっと高みを目指したいとかでもなく、

 

ただただ、それが悦びなだけなんです。

 

 

ただただ、その、人として得たい感覚を、より深く感じられるから、

その悦びがそこにあるから、

向かっているだけなんです。

 

そうしてこれはもう、人間としての本能なのだと思います。

 

先ほどのパートナーシップのお話をした方に、その際に、

「そこまで(大好きな人を捨ててまで←捨てるわけでは別に無いのですが)して

変わることが大事でしょうか」

というような言葉もいただいたんですが、

そして不覚にも、わたしはその言葉に勝手に深く傷ついてしまったんですが

※その人のことはわたし大好きなので、その人が悪いんじゃなくてね

 

そうじゃなくて、

そういうのじゃなくて、

じゃあどういうのなんだ自分??

うーーーーん、、、と思っていたのですが、

今のわたしが応えるなら、きっとこうです。

 

「いえいえ、大事とかそうあらねばとかではなく、

ただただ、悦びに向かう本能のままなんです」と。

 

 

そしてそれは、ライオンがシマウマを食べるというような

人間の感覚としての「犠牲」とか「可哀想」とか「ひどい」とかいうものではなくて、

もっと、そのことで、いのちがトータルで繁栄されていくこととか、

いのちの活かしあいというか、

そういうことなんです。

 

「レベルの低い人とは話が合わないから置いていって、捨てていって、

わたしはもっと高みを望んでいくわ〜♡(ドヤッ)」

 

とかっていう意味のそれじゃないんです。

 

ただただ、全体の繁栄の本能が、

個々に備わって、個々の選択と判断として展開されていく(結果、全体の繁栄にもつながっていく)という本能と、その悦びなんです。

 

…なんか話がどんどん拡大していってますが、

どうでしょうか?

 

そしてこの文章を読んで、

言葉として、頭の理解として、わからなくても、きっと、

【感覚】として、

わかることがあるはずなんです。

特に、【(上記で何度も書いている)その感覚】をつかんだ人なら、

必ず、どこかの部分で。

 

それはわたしたちが必ず、もともとひとつとしてつながっているからで、

だからこそ絶対に

【もともと知っていること】です。

 

ただその部分が、いろんな過去の設定ミスと、そのことによって世界や他者がこわいものとなってしまった人にとっては

蓋がされていて、

感覚としてつかみにくいだけなんだと。

 

 

そしてその感覚を得ることが、

できないとダメということではなくて、

幸せや豊かさは得られないということではなくて、

 

もちろん、そんなものなくても、

幸せにだって、豊かにだって、なれます。

【それらを得るため】の【世間一般で言う努力】をすれば、したぶん(した人・できる人)だけ。

 

でも、そこが難しい、という人がいて、

そしてそこはどうしても、

【物差しが相対評価】なので

必ず順序ができるのは避けられないわけです。

100人いたら、1番の人も、最下位の100番の人も、どうしても出てしまう世界です。

その順序によって得られるものの差がつくことが、

幸福感を左右している【ように錯覚を起こしやすい】世界です。

 

で、それが、これまでの世界の物差しのどうしても、限界になります。

なぜなら有限の世界です。

こっちの取り分が増えたらこっちの取り分が減るっていう、

有限の世界。

 

そこで上に行けるひとはいいのだけれど、

そうじゃない人もいるなかで、

わたしは【こっち】を選択したし、

その世界で生きることを勧めているだけ、ということ。

 

これも、コース生やスクール生の中には、もしくは一部であってもブログの読者さんの中にも、

【感覚として】、わかる方がいるかもしれませんね。

 

そうであれば、何か少しでも感覚として伝われば、それがほんとうに嬉しい。

そう思いますし、

それをまず、女性としての日常の悩みや、生活ベースを通して

キャッチしていける体質になってもらうために大切なこと(そしてそのことで人生をやっぱり、どうせならより良くしてもらうこと)を

お伝えするための手段として

今のところは【スクール】というかたちをわたしは

取っているんだと思います。

 

フォロー期間もあと3週間ほどとなりましたが、

もっともっと皆さんに(望んでもらえるなら)皆さんの気づきや日常を通して、

より自分を好きになれる方向、

より自分の人生を楽しめる方向、希望を大きく持てる方向、

それらのことを、手渡していきたいなって思います。

そのことが、【その感覚】を深めていくことと

常に同時につながって、両方からの底上げになるから^^

 

それでは今日もお読みいただき感謝を込めて!

素敵な土日曜日をお過ごしください*^^*

 

【募集中☆】

Just a womanスクール
〜自分を大切に生きる方法〜第二期☆

 

【日時】2017年4月15日(土)

13時〜18時

【場所】JR東京駅徒歩10分圏内の貸し会議室

(お申込み者様に直接ご連絡いたします)

【特典】

①Facebookでの秘密のグループページ(参加していることが外側に漏れないタイプのものです☆)でのフォロー(スクール当日から一ヶ月間)

②卒業生向け音声配信サービス4月分の配信

【代金】140,400円

 

【お申込み】

フォームからか、
メール(thanksandhappydays☆gmail.com←☆を@に変更願います)にて、
「スクールについて」などの件名でご連絡ください。

2日以内に事務局より折り返しご連絡いたします。

※2日以上経っても折り返しのご連絡が届かない場合はメールの不具合等ですので、

お手数ですがメールアドレスや迷惑メール設定などをご確認の上、再度ご連絡をお願いいたします

※5月の開催予定はありません(第3期の開催は未定ですが、開催する場合は6月もしくは7月を予定しています)

 

☆卒業生向け音声配信サービス詳細とお申込みはこちら☆

santasantasan.hatenablog.com