「すみません、ただのオンナに戻ります」。

オンナはみんな、「ただ、オンナであるだけでいい」。“がんばる良い子な生き方”を止めて、自分を大切に生きたい女性を応援中☆

自分のサンタには、自分しかなれない。

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クリスマス!ですね。

我が家は先日、継続コース生のご紹介でクリスマスショーを見に行かせていただき(Tさんありがとう!)、

すっかりなんか満喫した気になったので(開演前のステージなんですが、全然わからんですねこれ。。。)、

本日は家でまったり過ごしています^^

 

そんな聖なる夜(まだ昼)までキーキーうるさいと言われそうですが、

最近気になることがありますので今日はそれを書きます。

 

 

結局、嫌な会社でも、彼氏でも、好きな人でも、お金でも、思い通りにならない現実でも

全部いっしょなのです。

自分を大切に生きたいならば、やるべきことは。

 

最初、嫌なことも違和感も、

蓋して不感症になって生きていたとしましょう。

それは感じたくなくて、

なぜかというと感じたら、

つらかったりイヤ過ぎてそこにとどまれない自分になってしまうことを知っているから。

感じたら、それは同時に、

ものすごく、誰かを憎んだり欲深かったり、

そういう自分の嫌なところも明らかに見なければいけなくなるから。

 

だから現代女性の大抵は、

「感じる」ということに蓋をして

思考(頭)で通じる正論や根拠とやらに依存して、自分も相手もそれでねじ伏せて、

バリバリに防御の鎧をかぶって生きています。

 

それを振りかざせることを「頭がいい」とか「仕事ができる」とか「わたしは強い(もしくはあの人は強い)」と勘違いしたりされたり。

 

なんのことない、

頭が良いんでも仕事できるんでも強いんでもなんでも無いですよ。

 

ただのビビリですよ。

ただのブスですよ。

 

ビビリだから、自分の感覚を信じられない。

自分の感覚を信じて生きていけないから、

誰にでも通じる思考(頭)で人に求め人を制限する。

人に求めるからには、自分もそうあらねばいけない。

つまり自分で自分の首を締める生き方。

それが苦しいから、人や誰かのせいにして生きていく。

でもビビリだから、ハッキリと言えるほどの強さも持ってないし、

ココロの奥底のどこかでは「原因は自分」ってわかっているから、

やましさまみれで堂々とは「せい」にはできない。

それを自覚したくないから、

ますます密やかに誰かのせいにすること誰かを責めることで「(今のこんな望んでない現実は)自分の責任では無い」ということにしておきたい。

 

この時点で、いくらお給与稼げてようが、

PC使いこなせてようが一連の社内の業務をこなせてようが子育てしてようが

大の大人として一人の人間として

恥ずかしいと思わないんですか?

 

というのがわたしにとって甚だ疑問でしかありません。

もう、わかれません。そこにとどまっている人については。

なのでそういう人たちは、喜んで捨てていくとして。

 

お金を払ってでも会いに来てくださる方たちはまず、

上記のことをうっすらと自覚しているし、

自覚したくなくてもしよう!という想いは持って来てくださってると思います。

つまり、自分のために

甘んじて負けにきている。

それは、今までの自分を一度壊すという怖さに

踏み込むことでもあるから。

そして

「自分の考えで来て、今の自分なんだから、一度人から学ばないと自分だけでは変われない」っていう事実を

いったん素直に受け入れてそこに進んでいる。

だから、偉いんです。絶対に。

そこには自分のプライドを破壊することを通らないことには、まず出来ないんですから。

まずこれが、

何においても第一関門だと思います。

ここ、まず突破できなきゃ、ブログだけ読んでいても、

苦しくなるたびに自分の常識自分の物差しを引き合いに出して(それを苦しい時に引き合いに出すから、その物差し常識だから今のつまんない人生なのに)、

そうして守っても仕方ない(変われるはずのない)ところを必死で守ろうとして

曖昧にぼかして肝心のところに踏み込めませんから。

よっぽど、センスと気概のある人じゃなかったら。

(そしてそれくらいの人なら、すでにココロも現実も変化させることができてるはずです。それが出来ていないのなら、悩み続けて久しい自分をまず疑えよ!です)

 

 

その上で、先程説明したとおり、

ことの発端は感じることに蓋をしたことなんです。

常識やいわゆる「フツー」とやらに

合わせることと引き換えに、

感じることを封印した結果が、望まない今。(もちろんそれも自己責任です)

 

なので感じることの蓋を外す、

好き、やりたい、やりたくない、嫌い というのをどんな些細なことも無視しないで

そうして感じたことに

既存の物差しでジャッジを入れて嘘をつかないで、というところからやっていただくことが多い。

 

で!

 

それをやったら、ほとんどの場合、

不満や苦しさや怒りが湧いて当たり前なんです。

 

だって、それ感じたくなくて、不感症になったわけでしょう?

 

そうすることでしか、いられない場所や相手だったりしたから、

感じることに蓋をしたんでしょう?

 

環境や人間関係変わらず、感じることだけを許し始めたら、

そりゃ不満不安怒り系の感情が

ココロに吹き荒れるのは当然です。

そしてそうなったなら、

苦しくなって当然です。

当たり前です!

 

その上で、

苦しいからと言ってまた蓋をしたら何も変わらない、元通りの世界がそこに在るだけです。

かといって、苦しいからと言って、

「わたしはこう感じた!!!苦しい!!!!」って

それを外側に投げつけてなんとかしてもらおう(わかってもらおう)なんて

自分への責任放棄もいいとこです。

 

たとえば、あのバカ上司のせいでわたしは実はこんなに苦しかった!

だから上司に文句を言う、とか。

彼氏に、旦那に、親に、合わないで無理して付き合ってた友達に、文句を言う、とか。

誰かになんとかしてもらおう、とか。

その背景の想いは

「わたしの不幸(なこの気持ち)は、あなたのせい!!!」なはず。

 

違うっつーに。

自分の人生すべて自己責任と言っているであろう。

むしろ、「感じて明らかにしたのだから、これで何もせずとも叶うはず!」とかも。

そんな魔法があれば警察いりません! 

 

自分の人生すべて自己責任、っていうことはつまり、

感じたのが「わたし」なのであれば、

その感じたことを引き受けるのも、

その感じたことを引き受けて「しあわせ」の方に導いてあげるためには何ができるのか?と頭を真剣にひねるのも、

ひねりまくった頭で出てきた何かを実現するべく行動を起こすのも、

「わたし」に他ならない!ということ。

 

たとえばわたしは旦那に、

自分が嫌だと思うことはハッキリ伝えます。

(しつこいですけれどほんの一年前は意味もなく下手に出てばかりで

全然そうじゃなかったですからね)

 

でもそれは、

旦那の何かに反応して「イヤ!」とか「怒り!!!」とか湧いた自分の感情を

旦那に「あなたのせいだからなんとかして!!」って闇雲に投げてるんじゃなくて、

 

旦那の何かに反応して「イヤ!」とか「怒り!!」とか湧いた自分の感情を自分が受けとめてあげて、

「こんなイヤな想いを、一番尊いわたしにもう二度とさせないように、

断固としてわたしが阻止する方法を考えなければ!!何が出来るか!!!!」

って全力で無い頭をこねくり回した挙句、

その阻止する策で出てきたものの中から一番良いものを選んだ結果、

旦那に、こういうことはわたしは絶対に嫌だ、止めて欲しい!というのを

わたしのためにわたしが伝える、ってことをしているということなんです。

 

わたしが感じた上で湧いた望みを、

わたしがキャッチして、

わたしがわたしのために叶えてあげられる策を

わたしが全力で考えて行動する

ということなんです。

 

誰かになんとかして、じゃ無いんです。

 

誰かに察して、でも無いんです。

 

そんなのは甘ちゃんなんです。

ぬるいんですよ。自分を幸せにすることに対して。

人任せなんですよ。自分の幸せに対して。

 

そしてそんなぬるい甘ちゃんだから、

外側のその誰かにも尊重されず雑に扱われて終わるのは当然なんです。

だって、自分が自分の想いや幸せに対してぬるく、尊重もせず、責任放棄、他人様次第という雑な扱いをしているから。

当の本人が自分に対してその扱いなのに、

他人が必死になってくれるわけ無いじゃないですか。

 

そうしてそうやって自分が自分を幸せにしてあげる、

自分が自分の望みを叶えてあげると決めて生きていくいうことは、同時に

外側の何かを失うリスクをも引き受けるということです。

 

たとえばわたしで言うならば、

「わたしはこれがイヤ!!!」ということで

旦那さんから「我がまま過ぎる!もう別れよう!!」って言われる可能性だってあるっていうことです。

そのリスクをも、引き受けてるっていうことです。

だから、そのリスクと天秤にかけて、

本当に大事な人ならば

「言わない(=動かない)」という選択になることもあります。

 

でもそれは、自分が決めたことなのだから、

旦那や誰かのせいにすることは出来ません。

自分が、リスクを引き受ける覚悟が今回持てなかっただけ。

最後まで自分の責任です。

 

そしてもし、そうやっていつも「動かない」という選択になることも

「悪(間違い)」ではありません。

 

ただ、その選択をし続けている以上は、

自分は何も動いていないのだから

外側の誰かや現実が変わることはもちろん無いということ。

だからこそ、自己責任なのです。

自分の世界で起きることは、100%、絶対に。

 

だからわたしは、怖くても自分の想いは

正しい正しくない常識の範囲内範囲外関係なく

必ず旦那さん(当時彼氏)に伝える選択をしてきました。

どんなに怖くても。

だって、それが無理ならば、無理でしょう。

わたしか、相手が我慢して生きていかなきゃ一緒にいられないのなら。

 

最初は旦那さんはあまり話を聞いてくれませんでした。

それもそのはずで、

それはわたしが、わたし自身の「感じたこと」に対して

長らく無視する姿勢を取り続けていたからです。

 

仮にわたしの中に男とオンナが混在しているならば、

わたしの中のオンナが感じたことを、

わたしの中の男は「そんなことを感じるな」「黙ってろ」って無視して生きてきた。

だから外側の現実にいる

わたしにとって一番身近な男である彼もまた

同じような扱いをしてきたのです。

わたしの中の男が、わたしの中のオンナにしてきたこととまったく同じ扱いを。

 

だから一つずつ、

わたしの中の男女関係を変えていきました。

「そんなこと感じるな!」って言われるのを怖がって感じないフリをしていたわたしの中のオンナが

感じることの蓋をとっていきました。

そうして出てくる想いが、どんなに我がままで無理難題に思えても、

「わかった!じゃあそれを叶えてあげよう」って

わたしの中の男で必死に考えるようになった。

考えて、怖くても行動するようにした。

それは、物語のヒーローが、

ヒロインのために怖くても怪獣と戦いに行くと決めて行動するかのように。

 

そうしたら、現実の彼が確かに変わってきたのです。

「また始まった〜!」っておそらく思っていても、

叶えてあげようという前提でわたしの感じたこと(=想い)を

真剣に聞いてくれるようになりました。

 

それはたとえばお金のこととか、ライフスタイルとか

今すぐ実現できることではなくても、

彼は絶対に忘れないでくれていて、

一年たった今、「あのとき言ってたから…」と言って叶えてくれて

わたしが驚いたことすらあります。

 

それは他ならない自分自身が、

自分のどんな小さな望みに対しても

真剣に耳を傾けて

怖くても行動を起こしてきたから。

 

そうしてそれを続けていたら、

現実のパートナーだけではなくて、外側の世界全体が、そこにいる人一人一人が

自分の望みを叶える協力者になってくれたんです。

 

彼が何かしてくれない、上司がああだ、

後輩がダメだから、

あの親のせいで、、、

 

そういう現実を嘆く前に、

あなたはあなた自身のためにどれだけのことをしてるんですか?

 

どれだけ、感じてることに気づけてるんですか?

(そもそも自分に対して不感症じゃないですか?)

 

感じてることが、それが苦しくて嫌なら、

望まない環境なら、

そこから救い出してあげるために

どれだけの智慧を絞ってるんですか?

 

人からどう見られようが、理解されなかろうが、

どれだけの行動を本気で取ってるんですか?

 

自分のために、孤独を引き受ける覚悟もなくて

人目をチラチラ気にしながら不満を抱えてるくせに

誰かに何か叶えてもらえるに相応しい自分だと思ってるんですか?

お金が入ってくるに相応しい自分だと思ってるんですか?

 

むしろ、そんな、一番責任を持つべき自分に対して何をもしていない自分なのに

こんなに与えられてるほうがむしろおかしいくらい!!って

ちゃんと大人として出来てる気になってた自分に対して

絶望するくらいで正常だと思います。

 

 

いや、わたしはそんな自分のことを二の次にして

他人のためにこれだけ我慢してやってる!って声をあげたくなる人もいるでしょう。

 

それなら、確実にあなたの周りの大事な人も、常にあなたよりあなた以外の他人のために動くでしょうね。

あなたがあなた自身にしている通り。

 

自分を押し殺して、誰かのために生きれば

いつか誰かが見てくれていて、何か得する日がくるだろうって思ってますか?

それ、結局誰かのためじゃないですよね?

結局は、得したいのは自分なんですよね?

その乞食みたいな自分の思考回路、

まずは自覚してください。

素直に欲しい!と手をのばす人は、

他者からの目線、嫌われるリスク、ちゃんと背負ってます。

それが怖くて良い人ぶってるだけのくせに。

 

そんな人間、幸せを得る資格、誰かの幸せをうらやむ資格さえ無いですよ。

 

まずはそんな自分に絶望してください。

 

 

自分のサンタになれるのは、自分だけ。

自分のヒーローになれるのも、自分だけ。

その覚悟をもとにコツコツと動ける人だけが

ヒロインになれるんです。

プレゼント、もらえるんです。

良い子にしてたらサンタさんがきっとどこかで見ていて

どこからか来てくれて、

プレゼントで評価してくれる。

そんな幻想さっさと捨ててください。

 

感じるチカラ。

そしてその感じたことに、まっすぐに手を伸ばそうとするチカラ。

 

どっちも鍛えてはじめて、この現実世界で活きる、ということ。

どれだけ、自分のために行使してきましたか?

会社で評価されるため、誰かに良い子と言われるため

そういうことのために与えられたチカラ、行使してきませんでしたか?

 

しまった!と思ったら今この瞬間から。

「自分が」やるしか無いんです。後悔したって時は戻らないんだから。

今が一番若いんだから。ってなんかのCMでもあったよね?

 

そんで悪いけれども、

自分のチカラでそのことに気づけさえしなかった人(気づきたくなくて逃げ続けてた人)が、

独りでそこに進めるとあんまり思えないんです、わたし。

2016年、どれだけのことをしてこれましたか?っていう自分を、明らかに見る。

自分の今の力量をちゃんと明らかに見る、測る。

言い訳せずに本当に生き方を変えていきたい方、

ぜひ飛び込んできてくださいませ。

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では、素敵なクリスマス・イブを♡