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「すみません、ただのオンナに戻ります」。

オンナはみんな、「ただ、オンナであるだけでいい」。“がんばる良い子な生き方”を止めて、自分を大切に生きたい女性を応援中☆

社会的生物である人間が、自由に生きることは傲慢か?お客様のご質問より☆

昨日ご感想を紹介させていただいたHさんから、

その後もうおひとつ、こんな質問(疑問?)をいただきました^^

今さらな話で申し訳ないのですが、
真穂さんの在り方・スタンスにおいて聞きたいことがあります。
返信していただいたメールの中で「野生動物も気ままに生きてる」という一文がありましたが、
そうは言っても人間は社会的生物。
社会や他人(家族も含む)にある程度合わせて生きていかなければ、
逆に生きにくいと思うのです。
社会的生物が、本当に自由に生きることは傲慢とさえ思ってる自分がいます。
でも、一方で真穂さんはご自分を「ただの女」としてとても謙虚にあろうとしている。
ここにとても矛盾を感じるというか、柔軟にあれない自分がいます。

おそらく真穂さん的には、ここに矛盾は感じてないと思うのですが・・・
「ただの女」って、男性と肩を並べず、自分の気持ちに正直にあるということですか?

正直な話、この前は言い忘れていたんですが、
「ただの女」に戻ろうと生き始めたら、楽になった一方で、
周りから奇人変人扱いされたり、
「いきなりどうしちゃったの?」って批判されたりして辛いのです。

誤解をしていただきたくないのが、
真穂さんの在り方を批判しているわけではないということです。
もし気分を害したようでしたら、すみません。

先日の対面では緊張でついかっこつけましたが、
せっかくの3ヶ月なので、本音でやりとりさせていただきたいと思います。

どんな厳しい言葉も覚悟しています。

今日は気温がぐんと下がり、冷え込むようですので、
どうぞ温かくしてお過ごしください。

 

Hさん、かっこつけてたと書いていますが、

全然そんなことなくて、素直な素敵な方でした^^

そしてわたしも気分を害するとかまったくなく、

むしろこういうことは、聞いていただかないとわたしも改めて考えないので(もういろいろなことが自分にとっては、経験から当たり前の前提になっていて、こうして聞いていただかないと何がわかりにくいのかもわからなくなってるところがあると思うのです^^;)

勉強になるというか、わたしにアウトプットの機会を下さって感謝なのです!

 

Hさんが言ってくれたことは、もしかしたら他の方もうっすら疑問に思いながらも

聞きにくいというか、そういうのがあるのかもしれないなと思い、

上手く説明できるかあまり自信ありませんが、

ちょっとブログに書いてみようかなと思います!

 

えっとですね、まず。。。。

わたしは、「(真穂さんのように)こんなに勝手に生きていいんですね!」のコメントに対して

そうそう、勝手でいいんです。笑

勝手っていう基準がそもそも、世の中の常識や、学校教育での刷り込みでできてるものであって、宇宙とか自然の法則に沿ってるわけじゃないですからね〜^_^
もちろんその刷り込みも愛がスタートではあるんですけどね!でも、わたしたちは祖先が培ってきてくれた自由な今の時代の日本に生まれてきたから、
もっと自由に生きる義務さえあるとわたしは思ってます^_^
野生動物も、勝手きままに皆生きてますからね〜笑
 

 とお返事しまして、

実はここに全ての鍵が詰まっております^^←大してなにも考えないで返信してますが。。。

 

わかりやすく描くとまずはこの図。

f:id:santasantasan:20161026093700j:plain

 

わたしたちは自分がどこに所属して生きてるか?となると

一番小さい単位で「家族(親の元)」ですよね。

ここが、一番近いから影響を受けやすくもあります。

そして、もうちょっと広い範囲で見てみると

f:id:santasantasan:20161026093836j:plain

 

日本ていう国家の中に、自分が所属してる。

 

普段、「当たり前」や「社会の常識」を語るとき、

わたしたちはイラクとかソマリアとかの紛争地帯や

北◯鮮とかの独裁国家なども想定して「フツーはさあ〜」とかって言ってないと思うんで、

一般的には、わたしたちはこの家族(親元)〜国家単位を「社会(の常識)」と認識してるかと思われます。

で、これら社会の中で形成されてるのが「価値観」です。

そして自分が育ってきたコミュニティの中で大多数の価値観を、

人は常識とか、フツーとか言ってるわけですね。

 

本当は、すごく地方の過疎地域と都心ど真ん中の東京では、まったく価値観違うし、

ホステスさんの世界と大企業に勤めてる会社員の女性とでは

同じ東京にいても全然価値観が違う(ことの方が多い)ので、

いわゆる「社会では」なんてものは無いし、

そういうことはよく言われますけどね。

「フツー」なんて無いんですよお、だからあなたはあなたのままで良いんですよお。とか。

まあそう言ってる人は多くても、

実際に何か異なる価値観のコミュニティで生きて

「本当にフツーなんて無いんだわー!!@@」って身体で経験したことが無い人が言うこれらの言葉は

ただの綺麗事でしかないですけど。

オマエが心底それを実感してから言えや!と思います。

 

話逸れまして、わたしたちは、そういう「社会」という枠組みで培われた価値観のもと、生きている。

さらにこれらは、むつかしーかたっ苦しいことを書くとするならば

メディアや政治戦略などなどによっていくらでも後から作り込まれてるものです。

 

つい70年前は、お国のために生きなければ、死ななければ

もうあり得ない!キチガイ!って言われて四方八方から非難される時代があり。

Hさんの書かれていた

そうは言っても人間は社会的生物。

社会や他人(家族も含む)にある程度合わせて生きていかなければ、
逆に生きにくいと思うのです。

 っていうことで当てはめると

(あ、Hさんが間違ってるとかじゃないですよ!いたって自然な疑問だと思います^^)

「そうは言っても人間は社会的生物だから、

社会や他人にある程度合わせて生きていかなければ逆に生きにくい=命落としても仕方ないよね」

っていう時代が、本当につい最近まであったわけで。

あの時代、戦争はいけない、お国のためには生きてこそだ、なんて言ったり、

戦争行かないで済むようにわざと醤油瓶丸呑みしたりした男性は

それはそれはものすっごく生きにくかったことと思います。

 

もちろん、どっち(戦争に行く・行かない)が良い悪いの話ではなくてね。

 

ただつまりそれくらい、

わたしたちが「社会」とみなしているものの「常識」は

簡単に方向性が変わるし、間違いだってするのだということです。

 

今で言ったら、

「女性が大学を出て、就職活動をせず、そのまま家にいる」とか。

「それ、ダメじゃない?」って思うんじゃないでしょうかね、かなり多くの人が。

でも、少し前の世代では家事手伝いっていうのは”当たり前”で。

ダメって、なんで??って感じだったことと思います。

 

つまりすっごいバッサリ言っちゃうと、

そんなコロコロ変わるものにわたしたち

悩んで振り回されて生きてるんだよーーーてこと。

 

今のわたしと旦那さんとかからしたら、全てどうでも良い。笑

必要あれば、素直に学びますけど、という感じで。

でも、ちゃんと生きていけてる。誰ともどことも、ぶつかることも無いし。

そしてそれに気づいた人から、新しい時代を作っていって、

一番最後に社会の「価値観」が変わる。

NHKの朝の連続テレビ小説でも、「あさが来た」ってやってましたよね?(見てないんですけどね^^;)

あの頃、女性が自分で事業興すなんて、働くなんて

キチガイだったと思われます。

でもそのキチガイさんが自分を貫いたら、時を経て、

社会のスタンダードが変わった(女性が働くことが当たり前、に。)

それは、次世代のためとか、

そんな高尚な思いからだったとは思わないんですよ。

ただ、自分が自分勝手に好きに生きたくて、

それこそ周りからは傲慢に思われるレベルでも

本当に自分が自由を求めて生きたら結果人の役に立っちゃった、

社会生物とはなんなのか(次世代のスタンダード)さえ変わっちゃった

 

…てだけだと思いますよ。ほんとに^^;

 

なのでわたしと旦那さんは会社員じゃないから自由にできるんだよ!ってツッコミがあるかもしれませんが、

わたしらから言わせたら、その「会社員」の常識(社会の価値観)さえ、

これから時を経てこっちよりに変わっていくでしょうよと思います。

必ず、社会は進化・変化していくから。

だから、不変のものはあり得ない。

世は無常ですから。

なら、自分はどう生きたい?

自分に合わせて社会が変わるのを待つのか?(変わる前に寿命が来ちゃうかもよ??)

それともキチガイ扱いされながらも自分の今思うままに

周り(今の社会)がどーのを放って自分に正直に生きるか?

有り難いことにこの国では選べますよ、ってことだけの話です。

北◯鮮ではそうは行くまいからね。

 

で、今があるのは、そういう時代をわたしたちの祖父母世代、親世代が

我が身を呈して作ってきてくれたからで。

自由になるために。自由に、自分を生きるために。

自分たちはそれができなかったから。

子孫に残そうと思ったかはわからないけど、

ただ自分たちの自由のために、

その時代を必死に生きて、制度や仕組みがちょっとずつ変わって

今のわたしたちの時代にその恩恵が受けれてる。

でもそれはこれからもまだまだ進化していくもので。

だからわたしたちも、自分たちの望む生き方を、

先祖のバトンを受け取って、必死に今を生きなくちゃいけないんですよ。

 

それを、紛争地帯や独裁国家の子たちは食べるものにも困ってるのだから、

日本人は贅沢をしちゃいけない、お金は汚いとか、今のこの国はダメだとか、過去間違ってきたとか、

論点がズレすぎてバカじゃねえかと思いますけどね。

間違うに決まってるだろ人間なんだから!

この国にもそういう時代があって、

間違いを犯しながらもそういう時代を

必死こいておじいちゃんおばあちゃんとか、その前の世代とかが

今を作ってきてくれたんだろうがと。

その、与えられた【今】【目の前の】豊かさ=愛・想い を受け取れさえしない未熟な人間が

他人(他国の人)の世話なんか焼けるわけない。

国とか、社会とか、地球とか?、

よく出来る訳がない。

まずは自分を本気で生きて、その上でその愛=バトンを受け取って、

改善すべきとこはしてけばいいのに。

社会や過去の歴史や今の仕組みや政治やメディアを批判してる人ほど

自分の人生を直視して本気で生きるのが怖いだけなんだ。誰かの批判してるうちは、自分のことは棚上げできるからね。

 

話がまた逸れてしまった!!!!

 

まとめると、そんな「社会」がいかようにもコロッコロ時代によって変わっちゃうなら、

結局自分の好きに生きたもん勝ちじゃね?という話なんですが、

じゃあ逆に好きに生きても上手く行く人行かない人いて、

その違いはなんなの?というか、

社会を完全な指針にはできないなら何を指針にしていきたらいいの?というのがあると思うのですが

長くなったのでまた別記事で書きます!(もう出かけなくては!!!!)

 

それが、Hさんも引き続き書いてくれた

「ただのオンナ」てことなんですね。野生動物を見習うのはここなんですね。

だからこれってコロコロ変わる社会っていう価値観のかたまりじゃなくて

真理を言っているんだけど。

長くなるからまた次回書く予定!!

 

では皆さんも今日も良い一日を!

 

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