「すみません、ただのオンナに戻ります」。

オンナはみんな、「ただ、オンナであるだけでいい」。“がんばる良い子な生き方”を止めて、自分を大切に生きていく軌跡☆

なぜ1年未満でこんなにもすべてが変わったのか。わたしの人生を左右したのは◯◯◯の存在だったと気づいた今日。

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(今さらながら3日の1dayゼミの写真。これ、綺麗に取れてると思うのですが持ってるのがペンじゃなくてイレイサーなのが少々残念です。。。)

 

 

本日わたくし、ここ半年以来もっとも大きいのではといえるほど、

大きな手放しをいたしました。

 

ここのところは感情や設定(思い込み)的な手放し(「自分で望んでそうなってる」てやつ。3日ご参加の皆さんならもうよくおわかりですよね!笑)が中心だったのですが、それを越えた、

「自分自身」とも思えるくらい思い入れと愛着のある場所を

正式に去ることを本日決断いたしました。

 

「”自分”の範囲をどこまでと捉えるか?」というのもありますが、

家族や恋人、職場など、

自分が愛着と思い入れを持って大切にしていた場や関係性ならば、

それを手放すことは本当に

「我が身の一部を切り離す」

かのような痛みと恐怖が、未だに伴うのです。

何回もそれを繰り返してきても、なお。

 

 それはたとえば、

「どうなってしまうんだろう?」

「こんなことは間違ってるんじゃないか?」

「いい加減、バチが当たるんじゃないか?」

「そこまでする価値が、本当にあるんだろうか?」

 とか。

 

わたしだって、出てくるんです。

とてつもない恐怖心が。

その恐怖を味わう度に、何度も何度も頭を行き来する、同じ問いが。

 

しかもここまでくると、

もう「嫌な人」とか「嫌な現実」とか「問題」とかはほぼほぼ皆無なんです。

 

まだ、「嫌」「問題」レベルのステージの頃のほうが、

なんとかしようとがんばれるけれど いや、いわゆるがんばりとゆうのはしないんですけどね。

 

「何も大して問題ない」のに、むしろ「好き」だし「このままでいたい」のに、

ほんの小さな違和感

「=今のままじゃ自分にどこか嘘ついてる」

「=どこか誤魔化しがある」

 

…こういうものを無視せずその想いに従い「これまで」を手放していくというのは、

わたしだってやっぱり、

「そこまでする必要あるの?(=今のままでいられない?もう、これで十分良くない?)」

ってそりゃ、思うのです。

 

だけど、いつも答えは決まっていて、

そこで「自分の想いを見ないフリ」はしたくない。

 

それは、嘘だと知っているから。自分に対する嘘。

 

わたしは、わたしが見たいと思う先の世界を、わたしに見せてあげたいから。

 

そして、ここに嘘をついて手放したくない場所で無理に咲こうとすると、

自分の花は咲かないし、周りにも不調和が起きるというのも、

これはもう間違いないのです。「好き」と「自分の土俵」とは違いますからね〜

 

 

そうして誤解していただきたくないのは、

そこまでの「飽くなき追求心」みたいな今のわたしのエネルギーって、

最初の最初は、

「何もしたくない。何も気力が湧かない。もう全部やだ〜〜〜。」

みたいなどうしようもない自堕落な自分の想いさえ、

愛して受けとめて、その想いを叶えることに全力で応えようとしたところから、始まってる。

 

気づいたらパワフルになっていただけ。

けっして「何もしたくない」を否定して、「エネルギッシュで前向きにキラキラな自分」を目指してたわけではない。

もしそんなことをしていたら、今のわたしは完全に存在していなくて。

 

わたし自身がそんな道を通っているのだから、

今、自分を大切に思えない人も、その想いが変わらないわけがないと思っている。

(だって本当に、自己否定ベースの”変わろう・変えよう”は一切やらずしての、”今”ですからね!)

 

 

そしてですね、最近セッションに来て下さるお客様にたびたび、

「でも(真穂さんが自分を生き始めていろんな変化を体験してからは)まだ1年も経ってないんですよね?」

と言っていただけるんですが、

そうなんです。1年も経ってないんですよ。

 

1年前は、むしろお客様たちのどなたよりも、

こじらせてた、可愛げのないハリボテオンナ。笑

からの、本人脱力感満載なのに次々ステージが変わっていく、

(自分で言うなよって感じですが)怒濤の快進撃は現在も継続中で。

 

たった1年未満でさえ、こんなビビリで怖がりで(同じか)泣き虫のわたしでも、

”そのままの自分を愛して誇りに、大切に思えるわたし”に変われた。

 

 

わたしがわたしを愛したら、世界が徐々に変わっていった。

それには1年、かからなかった。

その”ただのオンナでしかないわたし”に、

ご自身の未来を重ねて、

そして重ねて想像だけで終わらせず、

ご自身なりの個性や想いを生かして、なぞらえてほしいと思うのです。

 

 

…話がいろいろ飛んじゃったけど、

そうそう、今日の大きな手放しをしてね、

マジでわたしは足はガクガク、心臓ドクドク、

まさに「清水の舞台から飛び降りる」くらいの心持ちでそれをやって。

そう思ってるときは大概、本人しか清水の舞台と思っていない。笑

 

何が怖かったって、

それはわたしのひとつの、小さいなりに築いてきた評価を

手放すことでもあったから。

 

嫌われるのではないか。

ダメと思われるのではないか。

失望されるのではないか。

 

そして実際、それはあったと思うのです。

わたしは尊敬している人に、ちょっとばかし、

「ガッカリ」を与えたのです。

それはもちろん、誤解というのもあるのだけれど。

 

ここでよく、心とかスピリチュアルの情報とかでは、

「それもあなたの妄想、投影、思い込み。

本当に相手がどう思っているかなんてわかりようがないのですから、

妄想するのはやめましょう」

 

みたいに言うじゃないですか。

 

いやいや、人間なめんな。

誤解まみれですよ!この世は!!

「無い」とか言っときながら、恐怖を感じてる時点で「有る」ちゅーねん。

自分の中では。

正解不正解の話じゃなく。

 

そしてそんな風に「そうだよな!気にするのやめよ!」なんて思えたら誰も苦労しないわ。

 

どうしても、何かのとき、

多少の誤解や失望やら(というかそれを恐れる心)はありますよ。

互いに人間ですもん。

それを「ゼロ」「無い」ものにしようとして(妄想だ自分の思い込みだなんだ言って)

頭で自分の怖さに蓋をするほうがよっぽどブスです。

 

 

だからね、わたし、全力で怖かった。

 

だから、誰かに言って欲しかった。

 

「それでいいんだよ」と。

 

「間違ってないよ、あなたが決めたことなら大丈夫だよ」と。

 

わたしがわたしにそう言ってあげるだけじゃなく、

現実に、わたし以外の人に、それを、

言葉にして言って欲しかった。

それがわたしの素直な想いだった。

 

だから、言ってもらいました。

 

この人は確実に、そう言ってくれるという人に、あえて時間を取ってもらって。

 

それで実際、言ってもらえた。

 

わたしは大号泣して、改めて、

自分の決めたことにOKを出せた。

また前に進もうと思えた。

 

 

「自分で自分を幸せにする」。

「自立する」。

 

わたしがここで発しているこれらのこと↑の意味を、

少し誤解されてる方がいるような気がするのですが、

誰にも頼らないことでも甘えないことでもないですよ。

 

わたしがわたしの望みを叶えてあげる、

わたしがわたしの人生を決めて生きる、

そのために、他者を積極的に求め、活用することも

わたしがわたしを幸せにするための

大事な仕事なんです。

 

そう、つまり一番大事なのは、伴走者を得ることだった。

 

わたしがなぜ、1年未満でこんなに自分を大切に生きれるようになったか、それは、

自分の人生に責任を取れるのは自分しかいないと肚をくくった上で、

その上で、その決意を後押ししてくれる人生の伴走者を

常に積極的に求めたからです。

 

あのね、わたしは無理ですもん。

 

自分で100%、自信持てるとか。

独りで、自分を直視していくとか。

見えない設定に気づいていくとか。

 

そんな人、いるの?

 

 

あくまで自分を生きるのは自分、それを決めるのも自分、

 

だけどそこに一言、

「だいじょうぶ」「OK」「すばらしい」

 

これらのことを、心から動じず言ってくれる”自分以外の他者”がいるかいないかで、

自分のそのまんまを、吐き出しながら本音を見出していくための引き出し役になってくれる”自分以外の他者”がいるかいないかで、

まっっったく違いますよ。

ちなみにこれは、自分が決めるor決めた上でのサポート役ですよ。自分を任せきってしまうというか、依存とは似てまったく非なるものですよ。

 

今日、改めて、

出来もしないのに「独りでがんばる!」とかしないで

そういう人生の伴走者を積極的に求めて、そこに投資した自分は

本当に天才だったわ、と思いました。

 

その方、わたしが100万円ほどかけて学んできた心のセミナーのスタッフさんなので、

わたしが彼女に直接その都度お金を払って話を聞いてもらってるわけではないんです。

けれど、

彼女に人生の伴走者=自分独りだけでは走れない道を、定期的に補助してもらう相手 となってもらえている今を考えたら、

その100万円は全然高くない投資だったなと。

 

知識よりも、情報よりも、何よりも、

良き伴走者を得られたことが、莫大な価値だったんです。

それが、わたしの人生を左右したんです。

 

 

それでね、そう思ったらわたし、やっぱり、

実践の継続コースだけに絞ったのは間違いなかった、と

改めて強く強く思いました。

 

わたし自身が一番救われたこと、必要だったこと、それだけを、

その価値がわかる人に対してだけ、提供していく。

支払うお金よりも、そこに価値があると思ってくれる人だけに。

いや、もちろんわたしとの相性もあると思うんですけどね。

 

 

毎日歯を磨くのとおんなじように、

本当に、人生の中で一生を通してずっと続けることだとわたしは思ってるから

(というと重く感じるかもしれませんが、歯磨きやお風呂と同じくらいの自然なものですね)、

せめてまずは3ヶ月!

 

わたしがその方の命の一部(=時間、想い、言葉など)を活用させていただいて、

わたしの花を咲かせていったように、

わたしの命を活用して、

自分の花を咲かせていって下さる方がどんどん増やしていきたいと、

ますます気持ちが燃えました。

今日の手放し、この時点で恩恵ありまくりです。

感謝。やっぱり、全部が完璧なのです。

 

すでに参加を決めてくださった方たちとのこれからを楽しみにしつつ、

新たに踏み込んでくださる方も心よりお待ちしてます!

 

【実践継続コース、募集中☆】

 ↓

santasantasan.hatenablog.com

 

それでは、良い週末を♪