「すみません、ただのオンナに戻ります」。

オンナはみんな、「ただ、オンナであるだけでいい」。“がんばる良い子な生き方”を止めて、自分を大切に生きたい女性を応援中☆

「ただのわたし」を突き詰めてきて、振り返って今、ふと思うこと。

このブログを読み続けてくれたりわたしのセッションに来てくれる人は、

自分に正直に、素の自分で生きれるようになりたいとか、
その自分を大切に生きていきたいとか、そのままの自分を好きになりたいとか、
そういう人が多いと思います。


なんでそういう人が集まるのかというと、
わたしが誰より自分に対してそこにストイックだし、大事に思ってるから。


わたしは、このブログを読み続けてくださってる方ならよくよくご存知かと思いますが、
心の器がおちょこ並みに小さいです。

そして白黒ハッキリしてる。

好きなものは大好きだし、嫌いなものはちょー嫌い。

感性が鋭すぎるんです。
もう、これは小さい頃から。

だから違和感とか、ちょっとでも「ん?」ってゆうのがあると
見ようと思わなくても見えちゃう。

別にアラ探ししたいとか相手を糾弾しようとかはまったくなく、
穏便に周りの人を尊重して過ごしたいのに、
勝手に目に飛び込んできて気づいちゃう感じ。


だから、それなりの人付き合いとか、表面上うまくやるとか、
本当ムリって感じなんです。

どう考えたって本当ムリ!!の人なのに
社会人になってからは無謀にもそれらになんとか適用しようとして、
わたしはその、いろいろ見えちゃう感じちゃう自分を
「神経質なダメな自分」とみなして、殺したんです。
一番大事な自分の一部を殺したの。
社会のレールからはみ出さないように。


でも今、こうして
「すみません、(どうがんばってもムリだったんでやっぱ)ただのオンナに戻ります」
って降参してからは、
「その自分」っていうので突き抜けてしまおうと思った。

たぶん、少なくない数の人が、
傷つかないように、この社会で上手に泳いで生きてくために、
もしくは人から良く見られるために、
どこかで折り合いをつけて自分も見ないように蓋してる何かを持ってたりすると思う。(全然ない人ももちろんいますけど!)

その蓋の奥が、
うっかり気づいたり見えたりしちゃう自分が自分で厄介で、面倒で、あと時に怖くて、
だから見ないように、感じないように、
わたしもわたし自身に蓋をして、笑顔を振りまいて、
「毒のない自分」を取り繕ってたらどんどん不感症になってった。

それで、そうまでして守ってきた自分が好きか?と言われたら
他人にとっては当たり障りなくて良いんだろうけど、
自分はそんな自分は全然すきじゃないわ、って思った。


だから。

今度はとことん感じてみようと思った。

そういう「全てのことを深く感じてしまう自分」で
わざわざ生まれてきた意味があると思ったから。


そんで、もともと全ての人が愛の存在なら、
わざわざ「愛いっぱいの人」の仮面をかぶる必要って無い。


だったら素の自分を隠すのを止めて、とことんその自分で生きたら、
ぐるっと回って誰かの役にも立つんじゃないかしら、と考えて、


とことん突き詰めて、
自分の中の快不快、好き嫌い、ちょっとの違和感も何もかも
全部大きく感じ切って、その想いに正直に生きよう、と思った。

それで、そんなわたしでも、
大事に思ってくれる人、必要としてくれる人を精一杯、大事にしようと。


そのなれはてが、今です。笑

いや、まだまだ無意識に人に合わせてるとこがあるかもなので
ちっともなれ果ててないのかもしれません。
もっと、もっと、ヤバイ領域のわたしがいる気がします。

 

わたし、このブログを始めてセッションすればするほど、
本音じゃない言葉が全く頭に入ってこなくなったんです。

セッションのお客様ではそういう人は一人もいないんだけど、
ブログのアクセスが増えて行けば行くほど、
なんか嫌味とか、逢ったこともない人からの批判的な長文メールとか、
そういうのも出てきた。これからもますます増えるのかもしれないです。

 

同じ日本語なんだけど、自分を守りながらの批判とか、冷やかしとかって、
「この人は何が言いたいんだろ?」っていうのがどうしてもつかめず、
頭に入ってこなくて、宇宙語みたいに聞こえる。

わたしは自分が怒る人だから、
人が怒りとか放ってても全然気にならないんだけど、
どんな言葉でも感情でも
純粋な想いから発する言葉じゃなくて、
「認められたい」とか「上に立ちたい」「良く(すごいと)思われたい」とかが混じっててそれを隠そう隠そうとそれらしい言葉とか放ってると、
良い大人が何やってんだよと思っちゃう。
(最近ちょっと、そういうことがチラホラあった。わたし本当にムリなんで、即刻自分の世界から排除しましたが。)

本当に、心のことって、年齢を重ねたらどうにかなるものじゃないんだなって思う。
むしろ重ねれば重ねるほど、頑固になって、自分を直視できなくなるのかもね。

察して、認めて、とか、優しく寄り添って、ってことなんだと思うんですが、
わたし、どうももう察せられないし寄り添えないみたいです。
そういう自分を明らめました。

これでも以前は、
「察して」系の人の気持ちをすごく察してあげられた自分がいて。

こう言われたいんだろうな、この愚痴のここを聞いてほしいんだろうな、ここをこう共感されたいんだろうな、とか。
すごい得意だった気がする。

優しく寄り添うとか、優しい言葉がけするとか、
それがわたしだと思ってやってたくらいかも。


でも、今は全然ムリ!!笑


察してあげられないどころか、察してあげる気がないみたいです。

そこに時間とエネルギーを割くよりも、
自分で自分の本心を察してあげれる人間に、
なれるんだからなっちゃいなYO!!
なっちゃっていいんだYO!!って
そこの背中を押してあげるほうが好きだし得意になった。

寄り添わなきゃいけない弱い存在とも思ってないしね。

察してほしい系の人は、永久に他人から察してもらうことを求め続けませんか?

そうじゃなくて、自分で自分を察してあげれたら無敵なんです。
それで、それは誰でもできることだから、やってみて!って思ってる。


それで、どんな自分で生きてもいいし、
ノールールなんだよ、って本気で思ってるし言えるのは、
わたしがわたし自身に「ノールール」を許しきってるからなんですよね。


「こうあるべき」も「常識」も「フツー」も
わたしがいっこもわたしに対してできてないから、
なんなら旦那さんもタブーまみれの過去やらノールール人間だから、
他人様に立派な人間であることを押し付けられる理由がひとつもないの。笑

 

話が逸れてしまいましたが、
「察して系、ムリ!!」って自分に自分が明らめたら
察して系の人が周りからどんどんいなくなりました。笑

それって悪いことじゃなくて、
白黒ハッキリして生きるのは、
「自分はこれができて、これはできません」って
謙虚に降参することでもあると思うから。


仕事でも「なんでもできます!」って言って結果出せないのと、
「これはできるけどこれはできません」って明確に意思表示するのと、
後者のほうがエラーがなくて助かるっていうじゃないですか。


生き方も同じだと思う。

それで、それを曖昧にせず、堂々とハッキリできるのは、
わたしができないことを、できる人たちがいることを信頼してるから。


わたしは察して系ムリだけど、
わたしの知ってる範囲でも、
察して系の人たちとか被害者意識が強すぎる人たちのことも
根気強くサポートして変化を待ってあげられる人たちも
ちゃんといます。

だから、役割分担なんです。それぞれにプロであればいい。

わたしはわたしの突出した変なところを、育てていこうと決めただけ。

お客さんにも、お客さんそれぞれの突出した良いところを
育ててほしいと思うだけ。

たとえそれが、世間一般で良しとされる
評価されるそれらではなかったとしても、
自分が愛を込めて育てたらゼッタイにモノになるし、
同時に他者からも愛されることに、絶対的な自信があるから。


わたしが「ただのオンナに戻ります」って決めたときに信じたことと同じように、
そのあなたがあなたとして生まれた価値が、その経験をしてきた意味が、
ゼッタイにあるのです。
縁あって出会えた人には、それを感じて欲しいーって思っちゃう。

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なんか、ぼーーーっとしながら書いてるので、
まとまらないぼやーーーーとした文章になっちゃいましたけど。。。。笑

 

みんながみんな、自分を信頼して、周りも信頼して、
自分の生命の役割を淡々とまっとうしていけたらいいですよね。

自分の「それ」を見つける生き方にシフトしたい方は
こちらへどうぞ♪

santasantasan.hatenablog.com

 

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そんなことを思った、超眠いんだけどブログ書きたくなった真夜中の3時でした。

それでは皆さん、今日もよい一日を〜

わたしは、おやすみなさい。笑